芳賀町芳志戸の神社3社
「星宮神社」芳志戸1937「稲荷神社」芳志戸215「荷渡権現」芳志戸2185

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県芳賀郡芳賀町芳志戸1937

主祭神:甕速日神 配神:磐裂神・根裂神
境内社:琴平神社・甲子神社 境外社:浅間神社
五行川と大川の間に南北に延びる稲毛田台地・中郷に鎮座。
創建不詳。承応二年1653建造の本社に崇真寺住職桃海法印書の棟札が保存されており、神主見目金大夫の名が書かれている。現在も宮司は見目家が務める。
享保四年1719正一位、享保八年1723前殿造営、享和二年1802本殿塗替,明治二十七年1894拝殿改築の記録が残っている。昭和34年神楽殿付社務所新築。
11月23日の例祭には太々神楽が奉納される。
西隣りにヌカ塚古墳・浅間塚古墳がある。少し北の上岡には観音山古墳,八ツ木には浅間山古墳が同じ稲毛田台地に並んでいる。
*『下野神社沿革誌』6巻38丁 明治三十六年1903
芳賀郡南高根澤村大字蘆志戸字中鄕鎭座 村社星宮神社 祭神磐裂神・根裂神 祭日三月十三日九月十三日 建物本社間口五尺奥行一間銅葺 拜殿間口三間半奥行二間半萱葺 華表一基 末社三社 氏子百二十戸惣代四員 社掌見目織三郎仝村仝大字住 本社創立不詳と雖も古社にして享保四年1719三月十三日を以て正一位を授けらる明治三十九年1906拜殿再建三十一年九月本社の屋根銅瓦に葺換す 社域四百廿五坪平坦の地にして老杉古檜森々と繁茂し景趣頗る幽靜なり 社有財社として田貳反八畝余歩を有し叉社寳には神祇管領長上卜部朝臣の揮毫せる神號篇額を藏す
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 正一位 星宮神社 芳志戸 見目薩摩

中央琴平神社 琴平神社本殿
手水舎 鯉か? 井戸
昭和十八年狛犬
震災の被害 鳥居があった
ヌカ塚古墳 ヌカ塚古墳 ヌカ塚古墳頂上
浅間塚古墳 浅間塚古墳頂上 浅間塚古墳

御嶽稲荷神社

[おんたけいなり神社?]

栃木県芳賀郡芳賀町芳志戸215


推定御祭神:倉稲魂命・国之常立命
ご近所の方にご案内いただきました。芳南公民館のすぐ西,市の堀用水脇の水田に盛土があり,朱塗りの鉄製鳥居が見える。震災後に再建された石祠が2基。その右に崩壊した旧石祠が保存されている。左手の祠に一柱,右手の祠に二柱祀られている。一基は「稲荷神社」で,もう一基は「御嶽山神社」であろう。あるいは社号はひとつで「御嶽稲荷神社」か,不明である。かつては木製祠で中に木製神札が納められていたという。
被災した石祠には「昭和十二年1937十月十五日建之]の文字。 半世紀の間に災難で石階も3度崩落したという。石段を登ると左右に鳥居または燈籠の土台だけが残っており、ここに「文久三癸亥年1863九月吉日」の文字が刻まれている。
かつての古墳はもう少し大きかったという。また,鳥居の南の田には田端とか半夏田などの名前が付けられていた。芳志戸の発音についても濁音でなく[ほうしと]といっていることをご教示いただいた。弘法大師に因む法師土説とは別に,暴れ者がおり,日光東照宮の額に乗って大谷川を下り,その日の内に走って日光に戻るほどの韋駄天で,6尺ふんどしを頭から垂らして走ると地面に着かないほど早かったといい,一説に盗賊ともいわれ,このあたりに住み着き、名を[ほうしと]といったことから地名になったという伝説も教えていただいた。
なおこの北の上岡の個人宅に御嶽山古墳があり,祠があるという。
震災で崩壊した旧石祠
文久三癸亥年1863
市の堀用水 近くの権現様

荷渡権現

[にわたり権現]

栃木県芳賀郡芳賀町芳志戸2185

詳細不詳。星宮神社の800m東に鎭座。道路沿いに標識が見える。ここからさらに東進すると富士山自然公園に別雷神社がある。
栃木県内の「にわたり神社」については他に8社分かっている。下都賀郡岩舟町曲ヶ島1416に荷渡神社があり,祭神は瀬下津姫命(瀬織津姫)である。日光市轟1239の高雄荷渡神社の祭神は高龗神と軻遇突智神である。日光市小百筒置に高雄二渡神社。宇都宮市上小池町499の新渡神社は日本武尊。宇都宮市上金井町583の鶏烏神社は猿田彦命。鹿沼市見野1526に鶏神社。さくら市氏家2651に鶏神社。芦沼3274の八龍神社の境内社に荷渡神社がある。

般若寺跡

栃木県芳賀郡芳賀町芳志戸2412

ご近所の方にご案内いただきました。右手の背の高い結界石には「X時天明八龍躔戊申1788八月吉祥日・般若寺第八世鳳天造立之」,その後ろの小ぶりの結界には「享保五歳次庚子1720八月・不許葷辛…」の文字が残っている。いずれの結界石も昭和になってから土中から掘り出された。
参道を行くと左手に田安宗武の納経塔,さらに進むと正面に徳川家治の納経塔,手前に供養塔二基,右手に供養塔二基。手前の供養塔には「眞禅院蓮知浄大姉・御本丸宮女戸崎」「森光院殿玉野浄榮枝大姉・御本丸宮女森野」の文字。種姫お付の女官が奉納したもの。
この塔の裏側から地名が変わり八ッ木になる。地続きで浅間山古墳がある。
弘法大師が日光二荒山への途上,この地の黒崎家に止宿して近くの川で水垢離をし般若心経を写経し,それを埋めたところを般若塚と名付け,大師開基の寺を般若寺と称した。また,勤行した川なので,五行川と名付けられたという。
豊憧山悲願院般若寺の創建は弘仁十一年820と伝わる。
芳志戸ふれあいマップ 右の結界石塔は天明八年1788
享保五年1720結界石 長い参道
田安宗武の納経塔 徳川家治の納経塔
側面に梵字がびっしり 右手の供養塔 入口市の堀用水脇の標識

弘法大師旧跡

栃木県芳賀郡芳賀町芳志戸2634

般若寺跡から広大な田の中を西に進むと般若塚東墓地・芳志戸2634に「弘法大師旧跡」があり天明六年丙午1786四月二十一日の「永代常光明眞言・弘法大師舊跡・般若塚・般若寺」石塔が建っている。となりの二十三夜塔に「般若塚黒崎男女講」
弘法大師旧跡 天明六年石塔 黒崎の文字
お堂の中 弘法大師旧跡から見た般若寺跡

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