星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県芳賀郡市貝町塩田925

祭神:経津主命
天正年間1573-92の不作に際し千本城主の命で磐裂神・根裂神を奉斎し五穀豊穰を祈願して創建されたと伝わる。寛文年間1661-73旗本の野呂文太郎が領内を視察し社殿を再建。明治期に大杉神社を合祀。
64号線から芝さくら公園に向かう道の右手に見える。市貝町北部の星宮神社は磐裂神・根裂神でなく虚空蔵菩薩の化身とされる経津主神を祭神とする。いずれの社も維新までは星宮大明神と称していた。
屋根の落ちた戊寅文政元年1818十二月吉日石燈籠。
昭和十年の狛犬台座に「鳥山石亀刻」
例祭:10月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 星宮大明神 塩田村 遍照院
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・36丁
芳賀郡小貝村大字鹽田字宮久保鎭座 村社 星宮神社 祭神 經津主命
建物本社二間四方 華表一基 末社一社 氏子二十五戸
本社創立不詳 社域一千五百九十三坪を有し淸洒の地に在り
石段途中に狛犬 昭和十年狛犬
狛犬台座 石段が続く
拝殿内
本殿
拝殿左手
文政元年1818
鳥居左手
元文四年1739 御神木か
鳥居左手 残念ながら読めない
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県芳賀郡市貝町竹内433

祭神:経津主命
境内社:加茂神社
天和年間1681-84に烏山町落合の星宮神社より御分霊を勧請して創建されたと伝わる。
大谷石のしっかりした石段が社殿まで延々と積まれている。
大正七年1918石鳥居。享保十二年1727と読める石燈籠一対。寛延四辛未歳1751十九夜念仏供養塔。
星宮神社の石鳥居の右手に木鳥居のある石宮が祀られている。社号は分からないが,お隣りのお宅の方のお話しでは目に効能のある神社ということで,ありがたく参拝。
例祭:10月最終日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・36丁
芳賀郡小貝村大字竹内鎭座 村社 星宮神社 祭神 經津主命
建物本社九尺四方 華表一基 氏子二十二戸
本社創立不詳 社域百九十坪字御霊山に鎭す
大正七年1918石鳥居
本殿
享保十二年1727石燈籠
加茂神社
石段途中
寛延四年1751十九夜 左手に星宮神社鳥居
目に効能のある社
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県芳賀郡市貝町見上554

祭神:経津主命・大己貴命
天明年間1781-89の飢饉に際し領主の芦野城主が現状を視察し,後山に登り経津主命・大己貴命二神を祀って五穀豊穰を祈願し合せて水井守護神として奉斎したことに始まる。
明治三十七年1904七月一日大字見上内の熊野神社,琴平神社,富士浅間神社を合祀。平成十一年に本殿を改修。
国土地理院地図に神社マークが付いている。カーブになっている旧坂に入ってみたところ辿り着けなかったので,琴平山遊歩道入口に駐車し集落に入る。道路沿いの昭和48年1973に廃校になった見上小学校跡地に琴平公民館が建てられ,校庭に旗杭が保管されている。集落の北は山になっており,ひときわ高く杉が聳えている山腹に鎮座する。
大谷石のしっかりした石段が積まれており,上り口左手に大谷石製の旧鳥居柱が保存され,上方に石鳥居。鳥居柱に「見上星宮神社」と刻まれている。
例祭:11月3日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 星宮大明神 見上村 東福院
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・36丁
芳賀郡小貝村大字見上鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂神・根裂神 建物本社一間四方 華表一基 末社一社 氏子二十七戸
本社字後山に鎭し社域百八十七坪を有す
鮮やかな本殿
流造 木片葺
美しい石段 手入れされている 旧鳥居跡
旧鳥居柱
見上星宮神社 琴平公民館
見上小学校跡石碑 中央の杉木立の中に鎭座 琴平山遊歩道入口
三輪神社

三輪神社

[みわ神社]

栃木県芳賀郡市貝町羽仏144

祭神:大物主命
寛文年間1661-73旗本の野呂文太郎は領内を巡察し荒廃した社殿は再建させたりしていたが,この地には三輪大神を勧請して五穀豊穰を祈願し一社を創建したと伝わる。
平成12年石鳥居。 例祭:11月3日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・36丁
芳賀郡小貝村大字羽佛鎭座 村社 三輪神社 祭神 大物主命
建物本社一間四方 拜殿間口四間奥行三間 華表一基 氏子十五戸
本社創立不詳 社域二百十九坪字權現山の高燥の地に在り
200年以上前の古記録の活字版に「羽陀村」で植字されているが,続谷,杉山,大谷津の次に記述されており,羽仏の可能性が高いので記録しておく。『下野神社沿革誌』記載の権現山は小聖権現から名付けられたのだろう。維新に際し権現を使えなくなって三輪にしたか。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 小聖権現 羽陀村 遍照時
頂上に社殿
手水石 鳥居脇
道路から鳥居が見える 道路を挟んで朱色鳥居
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県芳賀郡市貝町大谷津243

祭神:経津主命 配神:建速須佐之男命・大己貴命
境内社:浅間神社・金刀比羅神社・稲荷神社・日天月天子
千本城主が家臣大谷津対馬守に出城を築かせ当社と七寺を建立させたことに始まる。大工頭領滝沢一覚に社殿を造営させ延享元年1743四月八日に再建遷宮した。経津主神の化身である虚空蔵菩薩像を祀り星宮大明神と称した。
拝殿内額に「星宮殿」。
例祭:11月第一日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 星宮大明神 大谷津 徳正寺
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・36丁
芳賀郡小貝村大字大谷津字明地鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂神・根裂神 建物本社五尺四方 雨覆間口二間奥行三間 末社二社 華表一基 氏子五十戸
本社創立不詳 社域六百三十七坪 平坦の地にして古樹高く聳ひ風致愛すへし
堂々たる両部鳥居  
     
拝殿内 拝殿手前に境内社
 
市貝町指定天然記念物杉
 
鳥居脇の山神塔 境内右手の山神塔二基
境内右手  
鳥居向かいに旗杭 レトロな公民館
八幡宮

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県芳賀郡市貝町杉山314<1139

祭神:品陀別命(<譽田別命)・玉依姫命・息長足姫命
配神:大物主命・大山祇命・金山彦命
『下野神社沿革誌』記載の創建よりはるかに古い創建説が残っている。元暦年間1184-85に千本城の須藤十郎為隆が平家討伐のため中国地方に出征するにあたり,当社に戦勝祈願をなし,平定後建久年間1190-99に帰国して除地115石5斗を寄進したことが伝わっているので,元暦以前の創建ということになる。
北隣りに開運不動明王像を安置する真言宗智山派の山王寺。『鹿沼聞書』活字版は天王寺で植字。
四月第一日曜の春祭に「杉山大々岩戸神楽」が奉納される。
大正四年1915石鳥居。二の鳥居は木製両部鳥居。文久二壬戌年1862石燈籠。明和四年1767石燈籠。
明治二十三年1890の「木久八幡宮・初代神官福村某之碑」が建てられている。一葉ノ記書も残っていないので創建年月不詳であるが「木久」は一字にすると地名杉山の「杦sugi」であり,「其祭祀ノ最モ往古ナルヲ考フルニ足ル」とし,後世のために書類を採集して『八幡宮実録』なる小冊子を編集したことが書かれている。碑文はその小冊子の前書=緒言を刻んでいる。
例祭:10月1日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 八幡宮 杉山 天王寺
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・36丁
芳賀郡小貝村大字杉山字八幡山鎭座 村社 八幡宮 祭神 譽田別命
建物本社一間四方 拜殿間口三間半奥行二間半 幣殿九尺四方 華表一基 氏子十七戸
本社創立寛文元年1661にして文久元年1861六月九條關白尚忠卿の揮毫せる神號の篇額を藏し衆庶崇敬の社なり 社域一千二十坪高燥の地にして頗る幽静なり
二の鳥居  
  八幡宮額  
本殿 拝殿左手 本殿右手
  明和四年1767
文久二年1862 木久八幡宮石碑
鳥居左手  
植樹記念碑 鎭座の山
御嶽山神社

御嶽山神社

[おんたけさん神社]

栃木県芳賀郡市貝町田野辺1601

田野辺の高龗神社から道なりに北東に進み分岐を東に入ると左手に石鳥居。国土地理院地図に神社マークが付いている。詳細不明。拝殿内に「御嶽山」額。本殿の神璽の中央に御嶽山,右に「八海山」左に「二荒山」が見える。
昭和七年1932石鳥居。昭和29年1954神徳霊神。
田野辺地区には男子が14歳になると高龗神社の氏子と認められる制度がある。これを「父親に代わって」氏子の努めを果たすという意味を込めて「書き換え」と称す。この新人氏子たちが白パンツ白腹巻き白足袋で高龗神社の天祭の夜に「天祭」と書かれた提灯をさげて,御来迎[ごうらいごう]と叫びながら1キロ先の御嶽山神社に参詣して天祭の神事成功を祈願する。帰り道には「わっしょい」と気勢を上げながら高龗神社に戻ってきてそのまま「はだかもみ」を開始する。この行事は2019年にも行われている。
 
御嶽山 本殿
御嶽山・八海山 二荒山
左手 右手 石碑二基
右側の石碑 道路沿いに鳥居 昭和七年1932鳥居
旗杭

 

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