御嶽山神社・伊許山神社

[おんたけさん・いこやま神社]

市貝町・市塙4746

境内社[高龗神社]

旧地名:芳賀郡市貝村市塙伊許山内 旧地名:芳賀郡市羽村大字市塙
主祭神:伊許速別命,圀常立尊,大己貴命,少彦名命
境内社に祭神高龗大神の「高龗神社」,他に淡島神社。阿留末也神社,祖霊社。
祭神の伊許速別命は垂仁天皇第9皇子。東夷征討の際に市貝に留まり,郷人となって東国を開いた。そのイコハヤワケノミコトの廟所なので「伊許山」の名が付き,「伊許山神社」と称した。後に御嶽三神である圀常立尊,大己貴命,少彦名命を合祀して「御嶽山神社」と改称する。その後,社殿が大破し,明治八年1875三月に再建したのが大きい方の社殿である。『栃木県神社誌』新旧版ともに「御嶽山神社」で掲載されている。伊許山キャンプ場駐車場の案内板には「伊許山神社」で掲載されている。
益子の北部に接しているこの山の名前は伊許山または御嶽山であるが,多田羅の方は伊許山とおっしゃっておられた。
多々羅駅の線路を越えると左手に駐車場がある。こちらの案内板は「御嶽山神社・参道口」である。車を留めてトイレの脇を登り始めると,不摂生のからだではとうてい無理。どうも車で登れそうなので思い切ってハンドルを握る。かなりの急坂だが舗装してある。登りきると駐車場。人家と社殿がある。2016年に再訪した際は北側の伊許山キャンプ場脇から木製階段を上って見た。息は切れるが登りやすい。このコースだと最初に鉄製鳥居の伊許山神社に到着する。
大きい方の社殿の拝殿額は「伊許山神社」で,奥の額は「御岳神社」,左手の奉納額も「山」なしの「御岳神社」だが,ここでは『栃木県神社誌』のとおり山つきで掲載しておく。
拝殿右手には石祠が2社。石の遺構。
拝殿左を入っていくと山頂を中心に一周して拝殿までぐるりと回ることになる。山頂の社が伊許速別命の墓所。
途中に「長寿塚」の看板があり,前方後円墳であることがわかる。頂上部に社殿が見え,ぐるっと柵で囲ってあるので入れないかと思ったら,入口あり。少し上る形になる。
頂上には鉄製の扉付きのめずらしい鳥居があり,本殿がある。なかなかすごい所である。蜂が出てきているせいばかりではなく,鳥肌が立つ感じがする。社殿左の石祠は昭和51年1976再建の横塚稲荷神社・阿留末也大神(素盞嗚命・金山彦命)。阿留末也大神は木曽では阿留摩耶天と表記。右にも離れて祖霊社らしい2基。
鉄鳥居右足もとにある石宮が「高龗神社・雷電神社」である。
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本殿:神明造 例祭:9月15日,3月15日
(『栃木県神社誌』旧版の「市見」や「市目」はすべて「市貝」の誤植。市見の時代があったのかと思って,調べるのに2日を費やす。昭和29年市羽と小貝を合わせて市貝になったので,市見や市目村が昔あったわけではない。東京の組版所なのでまあ仕方がない
伊許山神社額と御嶽神社額
かなり高い
長寿塚解説
長寿塚頂上部の神社
高龗神社石宮 高龗神社と雷電神社の神札
本殿 本殿左手の石祠
頂上の三角点 古墳頂上部に鎮座
キャンプ場の案内板 左上部に伊許山神社の文字
琴平神社

琴平神社

[ことひら神社]

栃木県芳賀郡市貝町市塙4828

主祭神:大物主命
 境内社:足尾神社・雷神神社
旧地名:芳賀郡市羽村大字市塙
上記御岳山神社の北隣り琴平山(御止山)山頂に鎮座。伊許山キャンプ場駐車場から「トリム広場」標識を上がる。丸太の階段が付いているので登りやすい。頂上の広場に鎮座。
拝殿右手に「足尾神社」,古よりこの地に鎮座し,御神徳著しく,祈願すれば足痛平癒疑いなきなりと伝わる。昭和28年1953の再建。下駄が祠内に奉納されている。
拝殿左手に「元治二乙丑年1865四月吉日」建立の鳴雷さま。
拝殿正面の方向真下に一の鳥居がある。頂上なのでどこからでも登ってこられる。
年号読めず
足尾神社
下駄が奉納されている 本殿左手
鳴雷さま 元治二乙丑年
展望台から トリム広場標識 ここを登る
階段途中 社殿が見えてくる 石鳥居から来るとここへ
二の鳥居
伊許山キャンプ場の案内板 平成20年一の鳥居 下記愛宕神社の杜
愛宕神社

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県芳賀郡市貝町市塙4985

主祭神:火産霊神
旧地名:芳賀郡市羽村大字市塙
上記琴平神社の一の鳥居西から山に入ると社殿の右側面に出る。本殿正面方向から石段を下りると石製一の鳥居。
創建等詳細不詳。火防の神。
以前は木鳥居だったが平成20年に石鳥居に新築された。大震災で損壊し24年に修復されたことが柱に刻んである。
この山の東隣りに太神宮が鎮座する。
例祭:4月第二日曜日
文字は読めない
参道から池を見下ろす
鳥居方向 鳥居からの参道
一の鳥居 平成20年建立
平成24年修復 上記琴平神社鳥居が見える 愛宕神社への入口
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県芳賀郡市貝町多田羅621

祭神:磐裂神・根裂神・経津主神
旧地名:芳賀郡市羽村大字多田羅
境内社:愛宕神社・大神宮・山神社・厳島神社・稲荷神社・浅間神社・子聖神社
『下野神社沿革誌』と多少異なる縁起が『栃木県神社誌』に書かれている。それによれば,600年以上前は丸山の麓に鎮座したが,応永十四年1407八月三日に現在地に遷座。明和八年1771に焼失したが安永五年1776九月十六日に再建された。昭和25年1950に拝殿新築。
平成四年の石鳥居額と拝殿額に「星宮大明神」
本殿左手に石祠四基と「奉上星宮大明神」と刻まれた灯籠らしき柱。本殿真裏にも石宮一基。
本殿右手に明治三十二年1899石宮,二連の石祠,覆屋内に石祠二基。
例祭:10月第四日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻六・37丁
芳賀郡市羽村大字多田羅字本町鎮座 村社 星宮神社 祭神 磐裂神・根裂神 建物本社四尺四方 拜殿間口三間奥行二間 雨覆間口二間半四方 鳥居一基 末社三社 氏子三十五戸總代二員石川宗重郎苅部松吉 社掌佐藤龍康仝所住
本社の起元は今本社山と唱ひる處に祀りしか嚆矢にして後安永五年1776村の中央の清地の今の地に神殿改築し一村の鎭守と崇敬す 社域四百五十坪平坦の地にして樹木鬱蒼神寂ひて雅致あり
星宮大明神
星宮大明神 本殿が見える
拝殿内右手 拝殿内左手
本殿左手 奉上星宮大明神
本殿裏 御神木 本殿右手
大正の旗杭
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県芳賀郡市貝町上根736

祭神:磐裂神・根裂神
境内社:八坂神社・稲荷神社
旧地名:芳賀郡市羽村大字上根 現在の本殿は慶安二年1649再建のもの。
平成23年七月建立の石鳥居。拝殿内中央額に「星宮大神」,その左は「星宮神社」
境内右手に上根地区コミュニティセンターと大字上根自治公民館。入口左手に地蔵堂。
例祭:11月第三日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻六・38丁
芳賀郡市羽村大字上根鎮座 村社 星宮神社 祭神 磐裂神・根裂神 建物本社間口五尺奥行一間 華表一基 氏子六十三戸。本社創立不詳 社域六百七十六坪平坦の地にして字相の内に在り
拝殿内
本殿裏 本殿右手
地蔵堂
招魂社

招魂社

[しょうこんしゃ]

栃木県芳賀郡市貝町上根1532

国土地理院の神社マークがついている。奉納社号標に市貝町戦没者英霊殿とある。これが正式名称か。町営市貝温泉口交差点を南に入ってすぐ右手に鎮座。
戦没者英霊殿  

 

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