星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県河内郡上三川町三村176

祭神:磐裂神・根裂神 境内社:八幡・八坂・稲荷・雷電神社
寛永十年1633代官乙幡伴右衛門・大野清兵衛によって創建される。延享三年1746検地帳に「虚空蔵」として記録されている。五分一の星宮神社と同じ縁起である。三村は往古上三川城の別館があったところで下三川と称した。社の東部に舘原の名が残っている。現行の社殿は昭和61年1986改築のもの。
例祭:11月14日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻五・5丁
河内郡上三川町 大字三村 鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂命 根裂命 建物本社間口一間奥行一間二尺 拜殿間口二間奥行一間半 末社三社 氏子十八戸 本社勧請年月詳ならす 社域六百七十七坪平坦の地に在り
一の鳥居 長い参道
二の鳥居 拝殿
星宮の二文字 拝殿
本殿 拝殿左
社殿左手裏 明治二十五年1892 右手裏
本殿裏手 これは古い
宝暦十一年1761 明治二十一年1888
稲荷

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県河内郡上三川町川三本木541

祭神:保食神 配神:八坂・天満・大杉神社(大物主命)
境内社祭神:八坂大神・稲荷大神・天照大神・八幡大神・天水分大神・大山咋大神・天津大神
中村庄司小太郎朝宗,軍功により当郷三千貫を賜り,山城伏見より御分霊を勧請して創建。上三川の稲荷神社は倉稲魂命でなく保食神を祀る。宝暦五年1755現在地に遷宮。現在の社殿は平成9年の改築。
鳥居右手に石塔多数。正徳五乙未1715の「奉供養十九夜念仏…」など。文化十三丙子歳1816「奉納西国供養塔」は道標も兼ねている。欠けた石塔の台座も道標になっている。他に明治三十九年1906「徴発軍馬碑」
平成元年幣殿拝殿新築記念碑 例祭:11月14日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻五・42丁
河内郡大字三本木 鎭座 村社 稻荷神社 祭神 保食神  建物本社間口三尺奥行四尺 拜殿間口一間半奥行三間半 末社二社 氏子二十戸 兼社掌上野喜重 本社勸請年月詳ならす 社域六百五十四坪平坦の地に在り 境内には松杉森然として繁茂し神寂ひて雅致あり
社号標 鳥居右手
拝殿
正一位稲荷大明神 本殿 拝殿左手
平成元年幣殿拝殿新築記念碑 拝殿右手
鳥居右手
正徳五乙未1715
男体山が見える 鎮座の杜
星宮

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県河内郡上三川町坂上544

祭神:磐裂神・根裂神
境内社:稲荷神社(保食神)・雷電神社・琴平神社
『下野神社沿革誌』記載の宝治三年1249創建説の他に,それよりはるか以前に酒部郷造が創祀し,その後衰頽していた社を頼業が再興したとの説も残る。天香山命を祭神として「酒部神社」と称したことがあった。その後,虚空蔵を配祀し,維新に際して星宮神社と改称した。
鳥居手前に文化十三年1816二十三夜供養塔。社号標脇に三基。となりに馬力神。平成23年に鳥居を新築し,旧鳥居柱が脇に横たわっている。
屋根修繕・拝殿幕新調などの記念碑に「坂上星ノ宮地名」と「ノ」が入っている。その左は神輿庫。
境内社が平成19年に整備された。
例祭:11月14日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 星宮大明神 阪上 円明寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻五・4丁
河内郡上三川町大字坂上字大門口鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂命 根裂命 建物本社間口一間一尺奥行一間三尺 拜殿間口二間奥行三間 末社四社 氏子八十六戸 兼社掌上野喜重
本社創立は寶治三年1249にして宇都宮城主従五位上掃部介頼綱の男横田上三川の兩城主越中守従五位下四郎左衛門尉頼業の勸請にて崇敬の社なりしも廃城の後は坂上山王山兩村の鎭守たり 往時別當は同村寶蔵院にて代々奉仕し明治維新に際し復飾して勤續す 后上野社司の兼務とはなりぬ 社域一千四十坪平坦の地に在り 境内には古杉老檜蔚然として生ひ茂り幽邃にして雅致あり
鹿沼聞書は推定。坂と阪が異なり,都賀郡に分類されている。
長い参道 拝殿
神輿庫
左手 本殿左手裏
多数の石宮
広い境内地 二十三夜供養塔 入口の大イチョウ
鳥居手前 鳥居跡

 

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