星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県河内郡上三川町多功1519

祭神:櫛明玉命 配神:大物主命・経津主命・豊城入彦命
境内社:八幡神社・愛宕神社・稲荷神社・熊野神社・琴平神社・二荒神社
宇都宮五代城主頼綱の四男多功石見守弥五郎左衛門尉宗綱によって宝治二年1248に創建される。『下野神社沿革誌』とは一年違い。慶安元年1648星宮天瀧山別当大聖寺となる。栃木県の星宮神社祭神としては珍しい櫛明玉[くしあかるたま]命を祀る。
日光西街道から南に向かって参道が通っており,一の鳥居をくぐり右に90度曲がると二の鳥居。
例祭:11月19日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻五・43丁
河内郡雀宮村大字多功字城内鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂命 根裂命 經津主神 豊城入彦命 建物本社間口三間奥行三間 拜殿間口四間奥行三間 末社二社 華表一基 氏子百三十四戸 社掌萩野矢信慶同村同大字住
社傳に曰く 後深草天皇の御宇寶治三年1249の創立にして宇都宮右馬頭頼綱の七男多功孫左衛門尉宗綱の勸請なり 后享保十年1725十月神位宗源宣旨を以て正一位を授けらる 社域三百六十五坪平坦の地に在り 境内森然社宇巨壯にして風致幽邃なり
日光西街道から 一の鳥居
神楽殿 国有境内地無償譲与記念
本殿 拝殿脇
石祠11基
平成19年施工土止記念 社殿の北側
旧手水石
星宮神社2

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県河内郡上三川町梁481-2

祭神:磐裂命・根裂命 配神:素盞嗚命・倉稲魂命・猿田彦命
289/620 境内社:神社
天文1532以前の創建とまで分かっている。享保九年1724に神祇官領卜部氏より正一位星宮の称号を賜る。明治四十四年1911に上梁と下梁の神社を合祀して現在地に遷宮。
「昇格記念・村社星宮神社」社号標に「明治村大字梁」とある。多功村に属していたが明治二十四年1891から明治村,昭和30年1955から上三川町の大字。『下野神社沿革誌』の「雀宮村」は不明。一の鳥居脇の旗杭に「石鳥居移転記念・昭和五十年1975二月」とあり,位置を変えたのだろう。つぎに額付きの二の鳥居。拝殿内の額に「正一位星宮大明神」
例祭:11月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻五・43丁
河内郡雀宮村大字簗鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂命 根裂命 建物本社間口一間半奥行二間 拜殿間口三間奥行二間 氏子七十戸 本社勸請年月詳ならす 社域四百九十七坪あり
拝殿内 正一位星宮大明神
立派な本殿 屋根瓦が保存されている
昭和八年1933二月手水石 昭和六十二年参道敷石工事記念碑
鎮座の杜
熊野神社

熊野神社

[くまの神社]

栃木県河内郡上三川町川中子1457

祭神:伊邪奈岐大神
境内社祭神:八坂大神・稲荷大神・天照大神・八幡大神・天水分大神・大山咋大神・天津大神
建暦元年1211の創建と伝わる。川中子総鎮守。
本殿右手にお堂が建っている。手前左手に石像など。一基は「奉造立石佛…延宝三乙卯1675」とそうとうの貴重品。となりは文化三年1806の「聖徳太子・湯殿山・山神宮」。
例祭:11月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻五・42丁
河内郡雀宮村大字川中子鎭座 村社 熊野神社 祭神 伊弉諾命 建物本社間口三間奥行二間 華表一基 末社二社 氏子八十八戸 本社創立年月詳ならす 社域四百四坪を有す
一段高くなっている
本殿 拝殿上部
右手に石祠 本殿裏手
本殿右手にお堂
お堂 お堂内 お堂左手
延宝三乙卯1675 鳥居脇
徴発馬紀念碑 西から
天神

天満神社

[てんまん神社]

栃木県河内郡上三川町川中子608

祭神:菅原道真公
寛元二年1244二月,宇都宮右馬頭頼綱の七男・多功孫右衛門によって創建される。度重なる暴れ田川の洪水で社殿と古杉古檜も流失し,現在は田川左岸の堤防下に石宮を祀り,天神様と呼ばれて信仰されている。
「川中子の田圃の一本杉」を目印に村落に入っていくと道路沿いに旗杭があり,石塀のお宅の右奥に石鳥居が見える。個人の崇敬社かと思ったが,お隣りの方にお尋ねすると天神様で,杉の根元に石宮が8基ずらりと祀られていた。
石鳥居は大正十三年1924十一月建立。昔は木鳥居があった。
御神木の杉に宇都宮平出の雷電神社神璽を拝受して掲げる。
川中子一区で中落合。住民は川中子総鎮守の熊野神社氏子でもある。
湯島天神は川中子よりも新しく正平(南朝)十年1355に道真公を勧請しているので,天暦元年947創建の京都北野天満宮から御分霊を勧請したのだろう。太宰府天満宮は延喜十九年919の創建。
例祭:11月15日
目印の旗杭 奥に石鳥居
旗が残っている 旗竿
全部で八基
田川から見た鎮座の杜
川中子の田圃の一本杉
熊野神社

熊野神社

[くまの神社]

栃木県河内郡上三川町川中子990

祭神:伊弉諾命
川中子608の熊野神社の真南。大きな石宮と左右に石祠が一基ずつ祀られている。
となりに川中子二区公民館。このあたりを小糠内といい,石宮があることを天神様お隣りのお宅で教えていただいた。感謝。
例祭:11月15日
玉垣に囲まれている
昭和十六年1941家畜供養塔 南方を望む
川中子二区公民館
琴平

琴平神社

[ことひら神社]

栃木県河内郡上三川町上蒲生2023-1

祭神:大物主命
上三川北小学校東南の住宅地に鎮座。詳細不詳。拝殿額に「琴平神社」
例祭:不明
琴平神社
鳥居向かいの石祠
星宮神社3

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県河内郡上三川町鞘堂128

祭神:磐裂命・根裂命
境内社:5社
宝治二年1248の創建。
国道四号線沿いの広大な森に鎮座。『下野神社沿革誌』では87坪だったが,『栃木県神社誌』平成18年版では509坪と記録されている。社殿の左右と背後に広がる森はもっと広いが,境内地つづきの私有森なのかもしれない。
四号線沿いに朱塗の鳥居,社号標。拝殿額は大正六年1917。右手に石宮が五基並んでいる。
拝殿裏に不明の石祠。さらに後方に猿田彦命を祀る庚申さま石組。裏手右奥には雷電神社と疱瘡稲荷神社。 例祭:11月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻五・44丁
河内郡雀宮村大字鞘堂新田鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂命 根裂命 建物本社間口一間四尺奥行二間 末社一社 氏子十六戸
本社創立年月詳ならす 社域八十七坪あり
大正六年1917額
本殿 境内社五社
本殿裏
雷電神社 疱瘡稲荷
疱瘡稲荷 鳥居跡 庚申さま
広い森
旧社号標 国道四号と鳥居
甲神社

甲神社

[かぶと神社]

栃木県河内郡上三川町下神主[しもこうぬし]508

祭神:日本武尊
境内社:愛宕神社・天満神社・疱瘡神社・大杉神社・八坂神社
貞観四年862,宇都宮明神の神主に日本武命の託宣がおりる。東征の途中で冠丘に駐在した際に授与した冠が埋没しているので探し出して祀れと。亀卜で冠を発見し,社殿を造営して冠神社と名付けて奉祭した。これによって当時横行していた盗賊の難が去ったという。中世頃から甲の字をあてたらしい。半世紀ほど前には冠丘という人がいたという記録があるが(『栃木県神社誌』旧版),現在もそれはかわらない。
田川右岸の田園地帯に鎮座。貞観二年860に宇都宮にはじめて神主が定められ,本村を官領として関連の邸を建てた。神主村の呼称の起源である。すぐ北の丘陵に「上神主・茂原官衙遺跡」があり,発掘された多数の瓦の一枚に「神主マ牛万呂」の文字が書かれていた。現在の宇都宮市瓦谷で焼かれた瓦である。
[→瓦史料リンク]
例祭:11月19日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻五・43丁
河内郡雀宮村大字下神主鎭座 村社 甲神社 祭神 日本武命 建物本社間口二間奥行二間 拜殿間口二間奥行九尺 末社三社 氏子十七戸
本社傳に曰く 景行天皇の御宇日本武命東夷征伐として東国下向の時本村に宿陣し給ふ時里民悉く奉仕せしを以て其褒賞として甲一領を下賜せらる 后里民詞を立此の甲を納めて甲神社と尊稱し日本武命を祀り一村の鎭守神と崇敬す 社域五百五十坪清洒の地に在り
石階がある
檜皮葺本殿
村社甲神社
境内は一段高くなっている
鎮座の杜
浅間神社

浅間神社

[あさま神社]

栃木県河内郡上三川町上神主[かみこうぬし]389

主祭神:木花咲耶姫命
配神:高龗神[たかおかみのかみ](『栃木県神社誌』新版にはこの記述なし)
旧地名:河内郡上三川町上神主富士山台
延暦元年782九月十七日の創建。
上三川霊園の北,宇都宮線の東,北関東自動車道の南300mの森の中に鎮座。せんげん様と呼ばれている。看板にも「せんげん神社古墳」なのだが『栃木県神社誌』のルビが「あさま」になっているのでそれに従った。
入口が分かりにくいが,「国指定史跡上神主・茂原官衙遺跡」の看板を見つけて入る。ちょっと不安になる細い山道を分け入ると,鬱蒼とした森の入口に春日造の鳥居が見える。
社号標に「村社浅間神社」
本殿覆屋は石造。
大正十年五月の石鳥居。 大正八年十一月吉日の旗杭。
上三川町教育委員会の立てた看板があり,神社が浅間山古墳の中央に建てられていることが分かる。
本殿:流造亜鉛葺 拝殿:流造亜鉛葺
例祭:11月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻五・43丁
河内郡雀宮村大字上神主鎭座 村社 浅間神社 祭神 木花開耶姫命 建物本社間口一間一尺奥行一間半 氏子十九戸
本社創立年月詳ならす 社域一千二百八十五坪を有す
浅間神社古墳解説
玉垣内に狛犬
東側の田園
星宮神社4

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県河内郡上三川町五分一334

祭神:磐裂神・根裂神
境内社:雷電宮・大杉神社(大物主命)・八幡神社
寛永十年1633代官乙幡伴右衛門・大野清兵衛によって創建される。延享三年1746検地帳に「虚空蔵」として記録されている。三村の星宮神社と同じ縁起である。
田川左岸に鎮座。森のすぐ西に堤防。大正四年1915の社号標。朱塗の鉄鳥居は水田に面している。鳥居脇左右に石祠。拝殿手前左手の覆屋に石宮。その向いに石祠。
例祭:11月14日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻五・3丁
河内郡上三川町大字五分一鎭座 村社 星宮神社 祭神磐裂命 根裂命 建物本社間口三尺奥行五尺 拜殿間口二間奥行一間半 末社四社 氏子十九戸 兼社掌上野喜重
本社創立年月詳ならす 社域四百二十二坪を有す
鎮座の杜
拝殿内左手 戸が開いていた 本殿
勝善神か 鳥居左手
鳥居右手 参道左手
田川の堤防が見える
大日

大日堂

[だいにちどう]

栃木県河内郡上三川町下蒲生429

大日如来・天照大神を祀るのだろう。中に石宮一基が見える。右手に十九夜など石像三基,石塔一基。
詳細不詳。

 

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