十二社神社

[じゅうにしゃ神社]

栃木県鹿沼市上田町1876

主祭神:天之御中主神・高皇産霊神・神皇産神・耳美葦牙彦白男神・天之常立神・国馬国常立神・豊斟渟神・天照皇大神・天之忍穂耳神・瓊瓊杵神・彦火火出見神・鵜葺屋葺不合神
天文元年1532創建。天神七代,地神五代を祀る。鳥居脇の由緒書きは読みにくくなってしまったが,神名と本殿彫刻について書かれている。上に貼られているワープロ文字には板書とは別の由緒が書かれている。
拝殿の昭和六十年1985奉納額2枚のうち一枚は「十二社神社改築記念」,もう一枚は「十二社大権現四百五拾年記念」と書かれている。江戸期には十二社大権現と称した。大きい額は「十二社權現」,その左は昭和五十六年1981「鳥居改築記念」
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 十二社大権現 鹿沼 大聖院

十二社神社 由緒書き
押原鎮守説が書かれている 十二社權現
本殿側面浮き彫り
白雲山 イチョウの大木
左手の神輿庫
天満宮

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県鹿沼市天神町1716

主祭神:菅原道真公 境内社:厳島神社
右手奥に天保六年1835石燈籠。明治弐十四年1891石橋敷石寄附芳名碑。
鳥居右手の厳島神社は天文年間1532-55の創建。退色し始めているが天神町自治会の立てた解説板をご覧頂きたい。願掛けすると器量だけでなく,およそ女性の求めるあらゆる願いがかなう,さらにお金にも不自由しない,というので願掛けしてみたが,男には効果がなさそうだ。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 天満宮 西鹿沼

天満宮と読める 天保六年1835一対
厳島神社 由緒書き
神輿庫
稲荷神社

坂田稲荷神社

[さかたいなり神社]

栃木県鹿沼市上材木町1728

主祭神:豊受姫神
天文年間1532-55の創建。宝永六年1709ころは坂田山(拳骨山)頂上にあった。大正十四年1925石鳥居。旧鳥居は文化二年1805建立であったが今はない。天保五年1834石燈籠。祭神は『栃木県神社誌』昭和39年版による。
奉納額多数 本殿
天保五甲午年1834
鹿沼の中心部を見下ろす
稲荷神社

蝉ヶ淵稲荷神社

[せみがふちいなり神社]

栃木県鹿沼市末広町1070

主祭神:豊受比売神
詳細不詳。祭神は『栃木県神社誌』昭和39年版による。
平成三年石鳥居手前に大正十一年1922「蝉淵日限?稲荷神社改築寄附芳名」碑。かつては石鳥居が2基あった。
白雲山など
改築寄附芳名
稲荷神社

久兵衛稲荷神社

[きゅうべえいなり神社]

栃木県鹿沼市上田町1906

主祭神:倉稲魂命
詳細不詳。嘉永五年1852,嘉永七年1854石燈籠。文久二年1862石燈籠。明治三十四年1901馬力神。
嘉永六年1853,安政六年1859石鳥居
石鳥居・嘉永六年1853など
石燈籠・嘉永五年1852など
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県鹿沼市戸張町1805

主祭神:磐裂神・根裂神 境内社:三峯神社・厳島神社
市役所から御成橋に向かって進むと道路沿い左手に鎮座。北となりに弁天様。
「本殿一棟」解説看板以上に付け加えることはない。
解説看板
見事な浮き彫りが
背面
御山神社

御山神社

[おやま神社]

栃木県鹿沼市御成橋町1-2255

主祭神:大己貴神・田心姫神・味耜高彦根神 境内社:八坂神社・御嶽山神社
日光二荒山神社の御分霊を勧請して寛正三年1462に創建と伝わる古社。
例祭:5月1日
三峯神社

安房三峯神社

[あわみつみね神社]

栃木県鹿沼市麻苧町1552

主祭神:伊弉諾命・伊弉冊命・天太玉命
麻苧町自治会館の屋上に鎮座。
安政六年1859に秩父三峯神社の御分霊を勧請して今宮通りの現在屋台蔵があるところに創建。戦後,安房神社を合祀して「安房三峯神社」と改称した。 解説看板を参照。麻苧は[あさう]。慶応二年1866石燈籠。
案内板右手の社号板は消えかかっているが「安房三峯神社」
解説看板
本殿 東から
二荒山神社

二荒山神社(男体山)

[ふたあらさん神社・なんたいさん]

栃木県鹿沼市下横町1303

主祭神:田心姫命・大己貴命・味耜高彦根命
元禄年間1688-1704の創建。今はない真言宗持宝院境内にあった。隣りに屋台蔵,後ろは公園。
本殿
解説看板
荒神神社

荒神神社

[こうじん神社]

栃木県鹿沼市鳥居跡町1436-16

主祭神:奥津日子神・奥津日女神 境内社:千萬稲荷神社
新鹿沼駅前に鎮座。左の赤屋根の祠が荒神神社,右の青屋根が千萬稲荷神社。
いつごろからこの地にあったのかは不詳。駅開業の2年後,昭和六年1931に社殿を造営。
例祭:10月25日
解説看板
入口
駐車場から
二荒山神社

二荒山神社

[ふたあらさん神社]

栃木県鹿沼市鳥居跡町1008

主祭神:奥津日子神・奥津日女神 境内社:千万稲荷神社
新鹿沼駅前例幣使街道沿いに鎮座。鳥居跡は[とりいど]。源頼朝が日光神領として押原六十六郷を寄進した。神領の入り口に当たるこの地に日光山の「遠鳥居」を建てた。その後鳥居はなくなるが,跡地に植えられた4本の欅が巨木に育ったが3本が枯れ,昭和22年9月の台風で最後の一本も倒壊し伐採された。その跡地に昭和32年1957日光二荒山神社から御分霊を勧請し創建された。昭和三十二年四月十日「社殿再建記念碑」が立っているので昭和32年以前に小さな祠があったのかもしれない。石鳥居も同年同月の建立。入口の柱には「旧一ノ鳥居跡」と彫られている。
例祭:10月25日
社殿再建記念碑
解説看板
裏手の解説板
白山神社

白山神社

[はくさん神社]

栃木県鹿沼市蓬莱町1876

主祭神:伊弉諾命・伊弉冊命
鹿沼まちの駅から例幣使街道を西に徒歩5分ほどの左手に足利銀行があり,そのすぐ先のやぶそばの東となりに鎮座。
重厚な石宮。昭和四年1929手水石。昭和十四年1939石鳥居。覆屋の左右には石燈籠があったが倒壊してしまった。天保三年1832の文字が読める。平成15年2003の狛犬が奉納されており,現在も手厚く信仰されているのが分かる。
   
 
右手の石燈籠台座
左手石燈籠 天保三の文字
昭和四年手水石
神社

不明社

[?神社]

栃木県鹿沼市銀座一丁目・掬翠園内

久保町の交番向いに「屋台のまち中央公園」があり屋台倉三庫と売店,入口に芭蕉像の立つ「掬翠園」がある。掬翠園は平成10年オープンの鹿沼の新しい名所でネットにたくさん写真が載っている。とくに紅葉の時期がみごと。巨岩がふんだんに使われた稀にみる日本庭園。神社のようなお堂は「るり堂」 鹿沼史談会が平成21年に建てた芭蕉句碑には「芭蕉鹿沼一拍三百二十五年記念」とあり,出光美術館蔵の芭蕉の真筆を刻んでいる。芭蕉は元禄二年1689三月二十九に鹿沼に一泊している。
この庭園の北西に石鳥居が隠れており,彫刻の施された木製祠が祀られている。281年前の「享保二十乙卯天1735」の石燈籠が一対あり,相当の歴史だ。移設されたのでなければ,神社の脇に長谷川唯一郎氏が掬翠園を造営したか。あるいは長谷川家の崇敬社であったか,案内板の台は残っていたが本文がなくなっていて分からなかった。
  案内板がはずれていた
享保二十石燈籠 享保二十乙卯天 鳥居が隠れている
本殿
鹿沼の彫刻はすごい
本殿背後 芭蕉句碑
石倉手前に鎮座 鳥居が見える 公園入口
二荒山神社

二荒山神社

[二荒山神社]

栃木県鹿沼市銀座1丁目1280

屋台のまち中央公園のすぐ南に鎮座。となりに薬師堂と銀座二丁目自治会館。二丁目になるらしいが上記住所でたどりつける。駐車してある車が邪魔です。しかも2台も。形状から神社とは知らないのかもしれない。
江戸の始め頃まで真言宗正徳院があった。薬師堂はその名残で,厨子に薬師如来金色像,手前に金色の日光・月光菩薩,左右に六神ずつ十二神将の着色木像が納められているが,暗いのでこの写真が限度。左手の石蔵には大般若経600巻が納められている。
二荒山神社は,この正徳院境内にあったものが祀られているのだろう。
ここから南下してすぐの距離にもやはり廃寺となった真言宗持宝院にあった二荒山神社が鎮座する。
薬師堂手前に「俳聖芭蕉翁書簡之碑」
「御文書忝存候一昨日も如公より御使參り又發參候まゝ取込御返書可く申上候 君やてふ我や莊子の夢心 これは伏し見せ候處拜顏可仕御意に候兎角他行致兼候こまり入候此間の書状も明日出し申候其つもりちかき内御入來候歟待入申上候早々以上 十七日/はせを/保三郎様」
今宮神社裏手にある石碑と同じ句。昭和33年1958に鹿沼の鈴木保三郎氏宅から発見された真筆。
車が邪魔 神さまに尻を向けてる二台 薬師堂
芭蕉句碑
 
像が見える 石蔵
椿森

椿森神社

[つばきもり神社]

栃木県鹿沼市下田2丁目1052-16

府所町の狐ヶ森稲荷神社より御分霊を勧請して慶応三年1867中田町菊池平内屋敷に創建され,明治四十二年1909郭内に遷座。戦後青木医院の南隣りに再建された。明治四十三年1910建立の遷座記念碑を参照。といっても写真では読めそうもない。いずれ解読します。
本殿下の扉に椿の絵。境内にも椿が植えられている。
後ろに見えるのは上都賀総合病院。完全逆光ですみません。
 
 
椿の絵 遷座記念碑
青木医院駐車場から
願満稲荷

願満稲荷神社

[がんまんいなり神社]

栃木県鹿沼市寺町1379

まちの駅の南にある雲龍寺の墓地の南に接して鎮座。細い路地で車は入れそうもないので,まちの駅から徒歩で。寺町自治会奉納の額に「正一位願満稲荷大明神」
朱塗の木製鳥居は昭和48年1973初午再建。大正十二年1923の「石鳥居寄附連名」碑があるので以前は石鳥居があった。
昭和26年1951石燈籠一対。社殿左手に石宮。鳥居左手に「勝善神」
ご近所の方が清掃にいらしていた。
二神祀られている
願満稲荷大明神額 左手
石鳥居寄附連名 御神木切株
雷電神社

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県鹿沼市泉町・千手山公園内

昭和37年1962建立の石宮。「雷電神社」と刻まれている。平成14年2002石鳥居は「北部地区農業実行組合」による奉納。鳥居から鹿沼の町が一望のもと。
左手の石祠は「三峯神社」
公園には下野台三十一番札所の紫雲山千手院の仁王門と千手観音堂が建っている。
頂上まですぐ
三峯神社
街を見下ろす 観音堂方向
仁王門 千手観音堂 観音堂の龍
大日堂

大日堂

[だいにちどう]

栃木県鹿沼市下田町1401

元禄三年1690にお堂が建てられ,現在も「田町の大日さん」と呼ばれて信仰を集めている。古地図には「一乗院」あるいは「行人」で載っている。
入口右手の白い大きな建物は下田町屋台倉庫。
裏手の「下田町自治会館」右手に「八坂神社」があり神輿が納められている。
「享和四子年1804」十九夜供養塔,二十三夜供養塔,白雲山など。
昭和48年本堂増改築記念碑。昭和六十二年1987「大日堂境内玉垣御拝改修記念碑」。これにならい「大日堂」とした。 西隣りに「開運地蔵尊」がある。手前の大木下に新しい石祠があり,お堂手前には小さな朱鳥居と石宮が祀られている。
右は屋台倉
享和四年など
八坂神社
開運地蔵尊 小型鳥居
秋葉神社

秋葉神社

[あきば神社]

栃木県鹿沼市西鹿沼町81

光太寺本堂の左手に鎮座。大正十四年1925石鳥居。光太寺十八世正順の筆による「秋葉山」額。右手軒に大正十四年1925射術連中奉納額。左手軒の板書は読めず。
鳥居右下の池に石祠。
光太寺は鹿沼の街を見下ろせる山腹にある大寺院で,「芭蕉の笠塚」のある寺として有名である。曽良の随行記に「鹿沼に泊る」とあり,光太寺一拍説が有力である。ここに古い笠を置き,新しい傘で日光に向かう。芭蕉没後,翁を偲んで「笠塚」を建立した。後年「芭蕉居士 嵐雪居士」と刻んで新調したものを笠塚と呼んでいる。左隣りにある石碑は享保十三年1728「百里供養碑」。芭蕉は専門家がたくさんおいでなので,小生とくに付け加えることはない。
秋葉山
右は本堂 本堂との間に石祠と池
笠塚   笠塚解説
芭蕉居士/嵐雪居士 百里供養碑解説
2015奉納の芭蕉像 チェーンソーで杉を彫った 作者は小林哲二氏
町が見下ろせる
玉松神社

玉松稲荷神社

[たままついなり神社]

栃木県鹿沼市西鹿沼町56

光太寺の南隣りに山があり,その山腹に鎮座。道を誤ると民家を通過することになってしまうので注意が必要。光太寺駐車場からすぐのところに小型ながらりっぱな木製祠があり,ここを回り込むように下がりながら「左折」する(写真の黄色の経路)。突き当りを右折し,空地を右に見て進むとなんとなく山の上り口のような場所に至る。そのまま登って行くと朱鳥居が見えてくる。
夢想神伝流居合の達人の寄贈による朱鳥居が鮮やか。鳥居多数。拝殿手前に昭和七年1932石鳥居,拝殿額も昭和七年。「稲荷」がつかず「玉松神社」とある。奉納額の日付が二月初午なので稲荷神社である。鳥居額はどれも「玉松稲荷神社」となっている。県内には玉松のつく神社は他にない。
玉垣は昭和九甲戌年1934奉納。明治十二年1879手水石。
地理院地図に神社マークがついている。詳細不詳。
黄色が道順
読める書体の「玉松」
両部鳥居も
手水舎
街中が見下ろせる
忠魂碑

忠魂碑

[ちゅうこんひ]

栃木県鹿沼市今宮町・御殿山公園内

野球場の西上部に石鳥居が見える。忠魂碑は日露戦争に出兵した上都賀郡出身の英霊を祀る。日清戦争凱旋碑もある。御殿山は鹿沼城跡。
薬師堂

薬師堂

[やくしどう]

栃木県鹿沼市西鹿沼町1231

国土地理院の地図に神社マークがついているので訪ねてみると薬師堂だった。きちんと旗杭もあり,これで神社とまちがえたのだろう。地理院の神社マークでは他に益子町前沢にはお堂があったし,同じく前沢の別の神社マークは唐澤山思宗寺跡で,神社ではなかった。地理院の目的は地形図をつくることだったので,マークのみで社号はないし,神社を記録するつもりもなかったのだろう。店舗や民家と異り,神社はなかなか壊さないので目印とした。もっとも近年は道路新設やダム,ゴルフ場建設で遷宮させられる社もあるが。

 

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