日吉神社

[ひよし神社]

栃木県鹿沼市池ノ森858

旧地名:上都賀郡北犬飼村大字池ノ森
祭神:伊弉諾命 伊弉冉命
境内社:天照皇大神社・大山祇神社・豊年神社・八坂神社・雷電神社
桜塚交差点を南に入って,栃木県では少数派に属するうどん専門店「いちょう庵」脇を西に入って、そのまま直進すると突き当たりに未舗装の細い道があるので迷わず森を直進すると日吉神社の脇に出る。大きな神社。
下の方に鳥居が見えるので本来の参道はすぐ分かる。
寛保二壬戌天1742の石燈籠。明治四年1871の狛犬。
神楽殿は昭和33年造営。 拝殿左手に土俵があり、その左に「厳島神社」の石祠。もうひとつは「雷電神社」で寛政二年1790創と筆書きされた神札に大雷神の文字。
拝殿右手にも寛政二年1790創と書かれた神札の納められた「雷電神社」
拝殿真裏にずらりと石祠が並び,中央の猿田彦大神の木製祠の中に立派な金精大明神さまが。天保十一年1840子正月と彫られているので178年立ちっぱなし!
両脇に「万延元年1860庚申塔」「文化十三丙子年1816子待供養塔」「安政六己未年1859」「天保三年1832」「嘉永三年1850」「寛政十二年1800」「文化六己巳年1809」「文政五壬午年1822」などか読める。
脇の入口に「文化二乙丑年1805」石像。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 山王大権現 池森 竜元寺
*『下野神社沿革誌』巻三-34丁(明治三十五年1902)
上都賀郡北犬飼村大字池ノ森字山王鎭座 村社 日吉神社 祭神 大山祇命 建物本社間口一間 雨覆間口二間奥行三間 拜殿間口三間奥行二間 末社四社 石燈籠二基 石華表一基 石獅子二基 水盤石一個明治廿六年十一月十五日瓦井太平高椅太一郎奉納 寳物古鏡一面 氏子五十戸総代三員 社掌矢口寅吉同郡北押原村大字鹽山住
本社は寛正二年1461十一月十五日の創立にして瓦井左京之介の勸請なり 往古は山王大権現と稱し創立以来寛永四年1627六月まで瓦井家にて守護たりしか同年七月より別當龍元寺を置き奉仕せしむ 後慶應二年1866六月瓦井高橋齋藤の三氏上京して神祇管領長上に請ひ宣旨を以て正一位都賀日吉大權現の社號を賜はらる 社域一千八百九坪高燥の地にして三十餘階の石磴を躋り境内には古杉老松落々と繁茂し幽邃にして雅致あり
舊記に曰く瓦井左京之介は都賀郡上田村の人なり時寛正二年十月領主宇都宮從四位下野守兵部大輔明綱御鷹野先にて瓦井左京之介當所拜領開墾に着手し池ノ森村と名付其節地鎭神として同年霜月十五日當所に勸請仕其後御社數度作替此宮は宝永三戌1706の四月總氏子にて思寄天エ中泉村忠右衛門當所吉兵衛にて造營仕候
一御神位之儀前々年より奉願候得共路用金子出來不申相延申處普門院の進めに依て御社地の内にて伐木致し文全拾三両御拂御地頭仁木伊織様御添書にて別當龍元寺上京元文二年九月十八日を以て御神位相叶恐悦至極に奉存依之上屋并に拜殿普請思立思寄を以て大工上田村惣左衛門安塚村惣助當所勘右衛門にて造營出來仕則當月今日御遷宮仕候
 元文二年巳十二月五日 宇右衛門
 外氏子五十六人
祈願文
天下泰平國土安穏御地頭武運長久百穀成熟總氏子息災延命子孫繁榮火水難緒病相遁産子實体に公儀内儀を相背き不申家業を精出し相勤る様御守護奉願候若し氏子等悪事をなし我儘に奢る者又は人の物を盗取る者悪口かけ事を申し人の障りをなす者は早速御神罰を奉祈候
右諸願相叶萬後末世村内長久に夜守日守奉祈願候恐惶敬白
     下野國都賀郡池ノ森村
  元文二巳年十二月五日 願主瓦井宇右衛門 秀正花印
  正一位山王大 權現御神殿ヘ
  元禄の鳥居 「都賀日吉大權現」額
神楽殿 手水舎 寛保二年1742石燈籠
明治四年1871狛犬 二拜二拍手一拜
神庫と土俵 厳島神社 雷電神社
男體山 不明
右手の雷電神社 本殿真裏の石祠群 200年前くらいからの石祠が並ぶ
天保十一年1840金精大明神
正式な入口 東からの入口 広大な境内地
愛宕神社

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県鹿沼市藤江町1518

祭神:軻遇突智命 境内社:厳島神社
旧地名:上都賀郡南押原村大字藤江
現在は鹿沼カントリークラブになってしまった伊吹山に鎮座。山裾のじゃり道を入っていくと旗杭収納の朱色のトタン屋根が見えてくる。杉にまぎれて鳥居が見える。狛犬は「嘉永五壬子歳」1852のもの。鳥居の先に敷石の長い参道がつづき,最後に大谷石の石段が見えてくる。上り切るとくぐり屋があり,正面に拝殿。「正一位愛宕大権現」の額。
左手に「厳島神社」石祠。右手に出羽三山の石塔2基、天照皇大神宮・豊受大神宮・熱田大神の石塔。
立派な神楽殿では太々神楽が奉納される。
『栃木県神社誌』昭和39年には「主祭神:火産霊神・天児屋根命・大日孁貴命」と記録されている。 もちろん火産霊homusuhiは『日本書紀』に「一書に曰く,伊弉冉尊,火産霊を生みたまひし時に、子に焼かれて神退ります」とあり,軻遇突智のことである。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 愛宕大権現 藤江
*『下野神社沿革誌』巻三-38丁(明治三十五年1902)
上都賀郡南押原村大字藤江鎭座 村社 愛宕神社 祭神 軻遇突智命 祭日陰暦正月廿四日九月廿四日 建物本社間口九尺奥行同板葺 雨覆間口二間奥行四間石葺 拜殿間口四間奥行二間麻柄葺 神樂殿明治三十四年九月廿四日造營 末社五社 石鳥居一基 石燈籠十基 氏子八十戸總代四員 社掌矢口寅吉同郡北押原村大字鹽山住
本社創立年號詳にせす寛海宝印の勸請なりと傳ふ 徃古本社は太郎坊愛宕山大権現と稱し徳川將軍代々崇敬して拾石の朱印を賜はり下馬札を下賜し銃獵を禁せらる 元文二年1737十二月十三日を以て宣旨正一位を授けらる 別當普門院を置き奉仕せしむ 寳物には鬼神丸と稱す國重の名刀あり(元禄四年1691五月藤江竹右衛門満政の奉納) 殊に衆庶信仰の社にして徃時日光社參の時は公家及ひ紳士の輩參拜あり 社域一千五十五坪にして伊吹山の丘陵に鎭し石磴数階を躋れは老松古杉蓊欝として林をなし神井の水光掩映して風色甚愛すへし
入口鳥居の嘉永五年1852狛犬
参道の石燈籠 石段左右に石碑 石段右手の御神木
石段を上がるとくぐり屋 正一位愛宕大権現
拝殿前の狛犬 右手に神楽殿
厳島神社 出羽三山など
由来書石碑 入口 左手の車道から
浅間神社

浅間神社

[あさま神社]

栃木県鹿沼市藤江町814

主祭神:木花開耶姫命
旧地名:上都賀郡南押原村大字藤江
黒川を東北道が越えるあたりの田園地帯に鎮座。2013年3月現在は道路整備工事中のため通行止めが多く行きにくい。付近の畔に停めて徒歩で行くが道は整備中なので水路を渡るのに回り込む工夫がいる。
八角の藁座を履いた石製明神鳥居に浅間神社の額。盛土の上に奥行きのある社殿。額に「浅間大神」。中に石製本殿。脇に「昭和五十三年・富士浅間神社・石段改修記念」額。
社殿左右に石祠が五基ずつ計十基並ぶ。
裏手に不思議な石塔が。「富士○ 目眼神社」と読めるが不明。まさか間に字があったとは思えない継ぎがしてあるが。浅間>せんげん>千眼の「眼」は分かるが、「目」はなんだろう。じっと見つめていたら何やら目がよく見えるようになったような気が…
鳥居額 石燈籠2対 本殿額
本殿 左手に五祠 右手に五祠
目眼神社と読める 横から 向こう側を東北道が走る
琴平神社

琴平神社

[ことひら神社]

栃木県鹿沼市藤江町1336-3

祭神:大物主命
宇都宮から鹿沼にバスで行く用事があり,バスの便を調べていたら「琴平神社前」の停留所があることが分かったので出かけてみた。6号線で鹿沼インターから上石川を抜け,東北道をくぐるとすぐ左手にバス停があり,そのとなりに鎭座。車で通過していると気がつかない。鳥居裏手に東北道が走っている。どこにも記録されていないので,詳細は不明。
本殿石宮
鎭座の杜 バス停 後ろを東北道が走る

 

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