鹿沼市上石川の神社6社・下石川の神社3社
上石川に6社,下石川に3社見つかりました。
「根裂神社」上石川544「熊野山・天神社」上石川601「愛宕神社」上石川2060
「柴宮神社」上石川646「日吉神社」上石川1171「大杉神社」上石川1257
「磐裂神社」下石川345「今宮神社」下石川345「稲荷神社」下石川2327

根裂神社

[ねさく神社]

栃木県鹿沼市上石川544

主祭神:磐裂命・根裂命・天津瓊瓊杵命
配神:大日孁貴命・素盞嗚命・大山祇命・国常立命・火産霊命・罔象女命・大雷命
境内社:稲荷神社・大杉神社
上石川字宮。121号線で上石川交差点を800m南下して石川小学校前の細道を斜めに入ると鳥居が見える。境内裏手に北犬飼中学校。
創建当時の古い石が残っており「大同三年808/星空(宮?)大明神」と刻まれている。創建の証拠のある県内屈指の古社である。
元久年間1204-06に祝融の災にあい荒廃したままであったが,文禄二年1593に再建され,関ヶ原の戦後,慶長八年1603頃に社殿を造営。
大正九年1920に拝殿と幣殿を新築して現在に至る。
大正元年191212月31日,字中の磐裂神社並びにその境内社大杉神社・足尾神社,植竹の皇大神宮,字寺前の皇大神宮,東原道下の八坂神社を合祀。 大正八年19198月15日,字和田の愛宕神社並びにその境内社八坂神社を合祀。
大正五年19164月1日,字稚子沼の水神社(下記熊野山神社の「俊道禅師之碑」に刻まれている社),雷神社を合祀。
江戸の昔には星宮大明神であった。
例祭:12月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 星宮大明神 石川 柏崎氏
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
星宮大明神 石川村鎮座 祭主柏嵜氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 3巻36丁
上都賀郡北犬飼村大字上石川字宮鎭座 村社磐裂神社 祭神 根裂命・磐裂命・天津瓊々杵命
本社は往時星宮大明神と称し本村には三川あり 其水源に生したる玉石三箇明星体あるを採りて星宮と斎き祀ると傳ふ 文祿年間本社再建す 明治二年社号を改めて根裂社社と称す 社域五百三十坪靜淨の地に在り

 
根裂神社額
本殿裏手から 左手の石祠
石祠   震災だろう
嘉永三年1850石燈籠 かなりの巨木  
ユニークな水吐龍 裏手の北犬飼中学校
熊野山神社

熊野山神社・天神社

[くまのさん神社]

栃木県鹿沼市上石川601

121号線の東,永林寺となりの林に三社鎮座。それぞれに鳥居が建てられている。北側の社の扁額は「天満大威徳天神」。
永林寺南参道入り口に立つ明治二十八年1895の「俊道禅師之碑」に,嘉永五年1852に本堂を建築した事績に続いて,境内に菅神庿を建て,和田に愛宕祠を再建し新築石階数級,境内及字和田愛宕神社と字兒子沼水神社に杉檜を数千株植林したことが刻まれている。「菅神庿」は天神廟のことで,もちろん菅原道真公に関係がある。
中央が熊野山神社。右手が天満大威徳天神。左手の石垣付きの社は不明。
熊野神社右手に「火除明神」石塔。 石碑に石階数級とある愛宕神社は下に掲載した。鹿沼流通センターの北部に鎮座。そちらの嘉永四年棟札に石雲山俊道の名が書かれている。まぎれもなく「俊道禅師之碑」に刻まれた石雲山永林寺の俊道和尚である。
「水神社」はここより北の方の字児子沼kogonumaにあったが上記根裂神社に合祀された。160年の杉桧の林が残っているとすれば児子沼公園あたりにあったか。
天神社前に「慶応紀元x丑」「九月二十五日」1865の石塔二基。
右手の社 慶応元年1865石燈籠 天満大威徳天神 三社見える
中央の推定熊野神社
熊野神社屋根 三社見える 左手の社
八角の鳥居柱 ここは社号不明
永林寺南参道から 左端が分かりにくいが鳥居三基 永林寺南入口に石碑
貴重な記録が読み取れる 曹洞宗石雲山永林寺 永林寺北側入口・杉の向こうに神社
愛宕神社

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県鹿沼市上石川2060

鹿沼流通センターの北部,中央通りから免許更新代行の脇を東に入ってすぐ。上石川大塚6号墳の頂上に鎮座。
「奉本社再建立願主石雲山十三世大岳俊道老納也・干時嘉永四亥年1851六月廿八日棟祭竟」
永林寺南参道入り口に立つ明治二十八年1895の「俊道禅師之碑」に,ここ字和田の愛宕社のことが書かれている。
現在の社は平成二十四辰年一月十七日の再建。 左手には八坂神社の石祠が石段付きで祀られている。石祠に「上石川西坪氏子一同・昭和二十四」の文字。
石鳥居右手に石像二基。台座に「右なんとか左なんとか」と道標のような文字が刻んであるが読めない。
本殿右手に杉と瘤つきの巨木が一体になって聳えている。
永林寺の石碑に書かれている石階 真新しい本殿が輝く
左手の石祠 八坂神社と読める 鳥居右手の石像
右と左しか読めない 一見の価値あり 瘤もすごい
土俵か    
発掘の跡   中央右の森に鎮座
柴宮神社

柴宮神社

[しばみや神社]

栃木県鹿沼市上石川646

とても珍しい名の神社で栃木県にはここだけ。岩舟町静戸591の宇都宮神社が往古に柴宮大明神と称したことが分かっている。そちらの主祭神は大己貴命と事代主命。甲府市善光寺の柴宮神社祭神は櫛稲田姫命,脚摩乳命,手摩乳命。
さらに古めかしい石鳥居の柱が八角柱である。これも珍しい。屋根の寿の文字も珍しい。
社殿右手裏に石祠。石燈籠は昭和51年。 永林寺のすぐ北東の小高い丘陵に鎮座。ほんとうに静かなところだ。
古風な鳥居   八角の鳥居柱
  裏手に石祠
きちんと祀られている  
壽は珍しい 杜に鎮座
日吉神社

日吉神社

[ひよし神社]

栃木県鹿沼市上石川1171

鹿沼では日吉神社祭神は大山咋神
鹿沼インターのすぐ南,インター通りの一本南の通りから見える。ここの南東900mに柴宮神社,南西700mに根裂神社。南1キロに永林寺・熊野山神社。
左奥に日光連山 日吉神社額
ここにフェンスはないだろう
社柱に日吉神社
 
大杉神社

大杉神社

[おおすぎ神社]

栃木県鹿沼市上石川1257

日吉神社と永林寺・熊野山神社のちょうど中間の田園地帯に鎮座。
根裂神社宮司の永田さんに教えていただきました。感謝。
貫のはずれた石鳥居の南に永林寺が見える。鳥居から見て上石川一区集落センターが拝殿の位置にあり,その北裏に大谷石の神庫がある。中に神輿が納められている。
神庫わきに石祠・石燈籠・石塔があり,「天保九戊戌季1838九月吉日・日向埜惣兵衛」「明治二十五年1892十一月吉日・甲子大黒天」などが読める。詳細不詳。
水田の向こうに永林寺
八角形柱 石蔵の中に神輿
北側の石燈籠
磐裂神社

磐裂神社

[いわさく神社]

栃木県鹿沼市下石川345

主祭神:磐裂命・根裂命・経津主命 配神:大日孁貴命・素盞嗚命・大山祇命・大雷神 境内社:大杉神社
121号線で上石川交差点を2.5km南下すると左手に大きな杜が見える。田をはさんだ右手の杜に鎮座。細い道を入って杜に沿って進むと小川に橋が架かっていて車が1台停められる。そのまま上ると文政十三年1830などの石塔や地蔵尊が並べられている。121号線から入る道もある。入り口の下石川公民館の看板と社柱が目印。下石川宮内。
本殿裏手に文政十三年1830「勢至大菩薩・金剛愛染尊」
田をはさんだ南方向に見えるここよりも大きい杜には今宮神社。
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 3巻36丁
上都賀郡北犬飼村大字下石川鎭座 村社磐裂神社 祭神 磐裂神・根裂神・經津主神
本社創立詳ならす天保九年十二月十五日本社再建す社域百五十七坪字宮の内に在り
右手に下石川公民館  
真横から   石垣が2段
御輿倉   左端文政十三年1830
  121号線から
121号線 右手の杜に磐裂神社,左手の横に長い杜に今宮神社
今宮神社

今宮神社

[いまみや神社]

栃木県鹿沼市下石川345

121号線で上石川交差点を2.5km南下すると左手に大きな杜が見える。この杜に向かって細い道を入ると左手の小川に橋が架かっていて車が1台停められる。目印は何もないが杜の中にほのかに小ぶりの社殿が見える。
鹿沼では今宮神社祭神はつぎの三柱:大己貴神・田心姫神・味耜高彦根神
ここから南の方向,田の向こうに見える杜には磐裂神社。
  遷宮今宮大権現の木札。大神通が不明
右手に石祠   樹木に溶け込んでいる
日光連山が見える 鎮座の杜 磐裂神社方向から
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県鹿沼市上石川2327

鹿沼インターをくぐってインター通りの延長,昔は楡木街道と呼んでいたと思うが,上石川交差点の次の次「桜塚十字路」角に鎮座。
桜の枝に「正一位稲荷大明神」の幟。石祠内に「稲荷大明神」の神札。維新前は大明神であった。
名所櫻塚碑のひとつには「昭和十一年・上都賀郡北犬飼村大字上石川一同」
すぐ北に南上野の松山神社の杜が見える。
稲荷大明神の文字 名所櫻塚碑2基 右手の森に松山神社

 

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