加蘇山神社

[かそやま神社]

栃木県鹿沼市上久我3440

旧地名:上都賀郡・加蘇村大字上久我字石裂[おざく]
祭神:磐裂命・根裂命・武甕槌命 境内社:日留神社・月山神社 境内地:64万4千坪
『日本三代實録』記載の社。「卷卅四元慶二年878九月十六日戊申 以散事從五位下藤原朝臣因香爲權掌侍。是日。授…下野國賀蘇山神…從五位下」
山一つ南西の入粟野の「賀蘇山神社」も『日本三代實録』記載の社で,粟野口から入って当社と共通の奥宮に至る。「加蘇山神社」「賀蘇山神社」いずれも国史現在社である。
加蘇山神社は2か所に分かれている。最初にたどり着く道沿いの境内には「加蘇山神社遥拝所」「神楽殿」「社務所」がある。
神楽殿の左手奥に格子戸があり,ここから2つめの加蘇山神社に行く。その手前の細い道路を車でなんとか入ることができる。本殿はこちらに鎮座する。この社のたたずまいはなんとも神秘的で美しい。
鳥居の右柱に「石裂山大権現鳥居」
大正四年1915社号標「加蘇山神社」の側面に「下野國上都賀郡加蘇村石裂山鎭座」
鳥居左手の明治十三年1880石柱に「加蘇山神社御山内」
昭和四十二年七月吉日の鳥居。
天保十二年1841辛丑四月吉日の石燈籠。
加蘇山神社の千本カツラ樹齢1000年は「鹿沼見て歩き」をぜひご覧ください。
加蘇山神社奥の院は「Travel.jp」をご覧ください。
例祭:10月16日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 石裂山大権現 上久我 湯沢
*『下野神社沿革誌』巻三-27丁 明治三十五年1902
上都賀郡加蘇村大字上久我字石裂鎭座 郷社 加蘇山神社
祭神 磐裂命 根裂命 武甕槌命 祭日春秋両度 建物本社二間四方 拜殿間口二間奥行九尺 中ノ宮間口一間半奥行一間五尺 参拜人休憩所間口三間奥行二間 下ノ宮間口四間半奥行五間 神饌所間口二間半奥行二間 額殿間口三間奥行九尺 神樂殿間口四間奥行三間半 神樂拜觀所間口六間奥行三間 社務所間口五間半奥行三間 参拜人宿所間口十五間奥行八間半二階付 神橋長三間巾一間 唐銅盥漱盤長三尺五寸巾二尺 同覆舎間口七尺三寸奥行六尺 石水盤三個 唐銅燈籠二基 石燈籠八基 石五層燈籠一基 鐵階子四挺長三間より一間半 鐵鎖六尺千本餘長五間より三間迄量五十貫目より五貫目迄諸國信者奉納 末社廿一社内月山神社間口五尺奥行七尺承應年中1652~55一品親王宮建立にて山内の頂上に鎭す 日留神社間口七尺奥行一丈 其他天然岩窟及ひ石祠 寶物 御神像一軀日光法親王奉 神鏡径一尺五寸准三宮一品公辨親王納 御簾二張日光御門主宮奉納 太刀四振長二尺六寸より二尺三寸迄 鉾一本 鎧一領 人像及ひ山水畫二軸 神面五個 氏子二百廿五戸 信徒十一萬二千三百人 社司湯澤義原同村同大字住 社掌荒井時一郎 田原宏 湯澤眞弘各同所住
本社創立年月遼遠にして詳かならすと雖も 陽成天皇の御宇元慶二年878九月十六日神位を賜はりしは三代實録に明にして下野國加蘇山神社これなり 境地周圍二里餘にして往古は神領二百町餘歩を附せられ加蘇野郷の惣社にして神官五戸を/湯澤田原荒井氏/置き奉仕せしむ 本社は武勇及ひ五穀守護の神なるを以て永承年中源頼義奥羽征伐の時本社に戰勝を祈り鎧太刀等を奉納あり 后天文年中皆川城主皆川山城守廣照深く崇信し神馬太刀を納めて武運を祈願せし社にて徃昔より士民信仰ありて社殿頗る隆盛なりき 而して后永録年間に至り久我式部なるもの加蘇野郷に舘を築き其勢に乘し本社の社領をも没収せらる 當時加蘇野を改め久我村と稱す 故に本社も漸々衰頽に赴きたりしに承應年中1652~55日光宮一品法親王入御の際本社の衰微を聞食され深く歎かせ本社及ひ世襲の神官を御直参とし専ら保護せらる 次て王政維新となり明治十年六月郷社に列せらる 社域六十四万四千七百五十四坪の大境内には老樹蓊蔚として繁茂し就中嚴上に矗立せる古檜及ひ千本桂と唱ふるもの二株あり周圍三十五尺に餘り何れも千有餘年を経過したるを以て神代木と称せり 本社は高嶽幽巖の中に在り登ること一里餘嶮道を辿り鐡梯を踏み漸くにして本社前に至る數多の鐡鎖あり此れを手繰りて本社に逹するを得る 本宮の周圍は皆神工鬼鑿の奇巖靈石屏風の如く壁立し樹木欝蒼蕭瑟として風色幽邃たり眞に人をして敬神の念を起さしむ故に本社は下野有名の神社にて諸國の信徒登拜する者幾万なるを知らす誠に神の御稜威の尊き所以哉
*『下野国誌』巻三 嘉永三年1850
尾鑿大権現 都賀郡袁佐久山の半腹に,岩窟二所ありて,共に神祠あり,一所ハ麓を粟野村と云,但し南面にて,神主齋藤壹(壱)岐と云,一所ハ麓を久賀村と云,是ハ東面なり,是所にハ御師と唱ふるもの五人あり,湯澤豊後,同藤大夫,同新大夫,同権大夫,荒井靱負ハ寺なり,祭神は石列ihasaku根列ノ神なりと云,粟野口にてハ尾鑿山と書き,久賀口にてハ石裂山と書く,ともに袁佐久と唱ふるなり,尾鑿と書くたに心得ぬを石裂と書くハなほおぼつかなし,石列神によらバ,石裂をよしありといふべけれども,石を袁と訓むもあたらず,或人ハ伊波の反阿となるを,初五相通にて於佐久と訓むならむといへり,さてハ於なれバ袁の假字kanaにかなハず,さて彼所の湯澤真龍か云,是ハ三代實録にみえたる加蘓山神なりといへり,そハ久賀村に隣narabiて,加薗kazono村あれバなり,三代實録に元慶元年九月十六日戊申授下野國賀蘓山神従五位下とあり
美しいたたずまい
社号標 鳥居額
下野國上都賀郡加蘇村石裂山鎭座 500年超
冠木門 拝殿
手水舎
天保十二年1841石燈籠
正面額殿 額殿に多数の額
銅葺本殿
奥社登拝門・左の杉は500年超
登拝門から 双幹の巨木「子宝の杉」800年超
登拝門脇の双幹の巨木・800年超 鳥井脇の双幹の巨木・500年超
鳥居を見下す 鳥井脇の双幹の巨木
恐ろしげな文字が 奥宮へは本格装備で
240号線沿いの加蘇山神社。こちらには遥拝所,神楽殿,社務所などがある。ここで戻ってしまうと500年,800年などの古杉は見られない。車で五分ほどなのでぜひ上記の本殿に立ち寄って欲しい。
昭和四十二年1967鳥居 祭神
左端が神楽殿 遥拝所
神楽殿 神楽殿
本殿に向かうための木戸 秋の境内

 

 鹿沼市の神社目次へ 
 ページトップ