加蘇山神社

[かそやま神社]

栃木県鹿沼市上久我3440

旧地名:上都賀郡・加蘇村大字上久我字石裂
祭神:磐裂命・根裂命・武甕槌命
鳥居の右柱に「石裂山大権現鳥居」
大正四年1915社柱「加蘇山神社」の側面に「下野國上都賀郡加蘇村石裂山鎮座」
鳥居左手の明治十三年1880石柱に「加蘇山神社御山内」
昭和42年7月吉日の鳥居
天保十二年1841辛丑四月吉日の石燈籠。
加蘇山神社は2か所に分かれている。最初にたどり着く境内には「加蘇山神社遥拝所」「神楽殿」「社務所」がある。神楽殿の左手奥に格子戸があり,ここから2つめの加蘇山神社に行く。ふつうは社殿裏手の道路を車で入る。
神楽殿を正面から眺めることの出来る石裂山荘には「うえ田」というおそばやさんがあった。現在はさらに山奥に移転して営業している。小生は栃木でいちばんのそば屋さんではないかと,ひそかに応援している。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 石裂山大権現 上久我 湯沢
*『下野神社沿革誌』巻三-27丁 明治三十五年1902
上都賀郡加蘇村大字上久我字石裂鎭座 郷社 加蘇山神社
祭神 磐裂命 根裂命 武甕槌命 祭日春秋両度 建物本社二間四方 拝殿間口二間奥行九尺 
・・・略・・・本社創立年月遼遠にして詳かならすと雖も 陽成天皇の御宇元慶二年九月十六日神位を賜はりしは三代實録に明にして下野國加蘇山神社これなり境地周圍二里餘にして往古は神領二百町餘歩を附せられ加蘇野郷の惣社にして神官五戸を/湯澤田原荒井氏/置き奉仕せしむ・・・略・・・次て王政維新となり明治十年六月郷社に列せらる社域六十四万四千七百五十四坪の大境内には老樹蓊蔚として繁茂し就中嚴上に?立せる古檜及ひ千本桂と唱ふるもの二株あり周囲三十五尺に餘り何れも千有餘年を経過したるを以て神代木と称せり本社は高嶽幽巖の中に在り登ること一里餘嶮道を辿り鐡梯を踏み漸くにして本社前に至る數多の鐡鎖あり此れを手繰りて本社に逹するを得る本宮の周圍は皆神工鬼鑿の奇巖靈石屏風の如く壁立し樹木欝蒼蕭瑟として風色幽邃たり眞に人をして敬神の念を起さしむ故に本社は下野有名の神社にて諸國の信徒登拜する者幾万なるを知らす誠に神の御稜威の尊き所以哉
*『下野国誌』巻三 嘉永三年1850
尾鑿大権現
都賀郡袁佐久山の半腹に,岩窟二所ありて,共に神祠あり,一所ハ麓を粟野村と云,但し南面にて,神主齋藤壹(壱)岐と云,一所ハ麓を久賀村と云,是ハ東面なり,是所にハ御師と唱ふるもの五人あり,湯澤豊後,同藤大夫,同新大夫,同権大夫,荒井靱負ハ寺なり,祭神は石列ihasaku根列ノ神なりと云,粟野口にてハ尾鑿山と書き,久賀口にてハ石裂山と書く,ともに袁佐久と唱ふるなり,尾鑿と書くたに心得ぬを石裂と書くハなほおぼつかなし,石列神によらバ,石裂をよしありといふべけれども,石を袁と訓むもあたらず,或人ハ伊波の反阿となるを,初五相通にて於佐久と訓むならむといへり,さてハ於なれバ袁の假字kanaにかなハず,さて彼所の湯澤真龍か云,是ハ三代實録にみえたる加蘓山神なりといへり,そハ久賀村に隣narabiて,加薗kazono村あれバなり,三代實録に元慶元年九月十六日戊申授下野國賀蘓山神従五位下とあり
左端が神楽殿 拝殿 神楽殿
左奥から本殿へ ここから本殿
恐ろしげな文字が
美しいたたずまい 一の鳥居
鳥井脇の双幹の巨木・500年超 二の鳥居
拝殿
手水舎 正面額殿
額殿に多数の額
奥社登拝門・左の杉は500年超 双幹の巨木「子宝の杉」800年超

 

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