熊野神社

[くまの神社]

栃木県鹿沼市富岡397

旧地名:上都賀郡・菊澤村大字富岡
祭神:伊弉諾命 伊弉冉命
境内社:天照皇大神社・大山祇神社・豊年神社・八坂神社・雷電神社
国道121号線の富岡鎮座。
平成十六年2004の「熊野神社社務所再建記念碑」には簡単な神社由来と詳しい年表が刻まれている。
「当社は和歌山県の熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社からなる「熊野三山」を勧請したものである。創建年代は確認出来ないが、社頭には杉の御神木の杉の切り株(推定樹齢約500年)があったので、古来から地域の人達の信仰があったことが伺われる」
天保二年1831に武子・富岡両村の惣社として社殿再建が始まり(社殿亀腹石刻銘),天保七年1836に現在の社殿が竣工し遷宮を執行している。
社殿装飾彫刻図柄について年表の記載は次のとおり。
「右側胴羽目は伊弉諾尊と伊弉冉尊 裏側胴羽目は雨の岩戸開き 左側胴羽目は八岐の大蛇退治 左右の脇障子は千木勝男木起り この脇障子の図柄は 浮世絵師葛飾北斎が文化一一年(1814)以来刊行を続けた「北斎漫画」第八編に掲載されている」
年表には芭蕉も登場する。
「元禄二1689 俳聖松尾芭蕉の「おくのほそ道」紀行に随行した曽良の旅日記には
一 同晩鹿沼ニ泊マル 一 四月朔日前夜ヨリ小雨降

とあるので芭蕉と曽良は武子富岡両村が維持管理する松並木街道を日光へ向かって行った」
「熊野神社境内地譲与・次石神社創立記念碑」には熊野神社創立は天徳二年と記録されている。次石神社は北西の山中に鎮座。山奥なので,ここに記念碑を建てた。
本殿左手に豊受大神と天照皇大神宮の木製祠。右手に大山祇神社の木製祠。
「貞享四甲卯天1687十二月吉日」の石燈籠 。これは県内でも古い方。
「元禄十六年癸未1703十一月吉良日 氏子一同」の石製鳥居。もう一本の柱に「奉造立鳥居天下泰平氏子繁栄願成就 富岡村」
「天保九戊戌年1838十二月吉辰」の狛犬。地元の方によると鳥居脇にもっと古い江戸初期の狛犬があったが盗難に遭ってしまったとのこと。腹が立つ。
鳥居右手に八坂神社の神輿倉。昔は祭日に担いだが今は引き出すだけだという。
*『下野神社沿革誌』巻三-18丁 明治三十五年1902刊
上都賀郡菊澤村大字富岡鎮座 村社熊野神社
祭神伊弉諾命伊弉冉命 祭日陰暦正月七日
建物 本社間口六尺奥行六尺栃葺 雨覆間口三間奥行四間杉皮葺 御饌所間口三間奥行二間茅葺 石鳥居元祿十六年十二月建立一基 石燈籠五基 石犬獅子四基 末社六社 寶物鏡一面 社有財産田一反三歩 氏子四十戸総代三員 社掌宇梶里房同村同大字三十四番地住
本社は天徳二年958十一月十五日の創建にして白川末流修理大夫の勸請なり 后正和四年1315十一月十五日富岡武子兩村鎭守熊王子大権現と稱し兩村の鎭守神と尊崇す 正徳元年1711十二月五日神位宗源宣旨を以て正一位を下野國都賀郡富岡武子兩村鎭守熊王子大権現に授けらるとある 又延享四年1747中富岡武子より御供田を奉納せること明かなれは兩村の鎭守神なるは疑ふべからずと雖も今わ富岡一村の鎭守とはなりぬ 神職は往古より宇梶家にて奉仕せり 今の本殿は天保四年1833十一月十五日の再築竣工して遷宮を行ふと云ふ 社域八百六十七坪の地にして四方開濶蒼々たる田甫にあり 境内には杉檜蓊蔚森然中央に輪奐たる本社儼然として鎭し神々たる風景愛すへし
*本殿の再建は天保四年1833としている。石碑年表の天保七年は拝殿等を含めた全体の再建年か。
  元禄の鳥居 元禄十六年
鳥居柱の文字  
本殿彫刻 本殿左手 八坂神社神輿倉
社務所再建記念 次石神社の由緒が書かれている 明治十四年雷神宮巳七月吉日
狛犬の台座に天保九歳  
左奥が貞享四年石燈籠 推定「宝永六年」1709の石燈籠
古そうな石燈籠
次石神社

次石神社

[つげし神社]

栃木県鹿沼市富岡1253

主祭神:天手力雄神
熊野神社北西の山腹に鎮座。
三品塗装店の脇を入ると,利根川水系平野沢の看板の先に車停めの鎖が張ってあり、手前に駐車して登り始めると、左手に小ぶりの稲荷神社石祠。すぐ先右手上方に石祠が三基。手前の古そうな石祠が次石神社の遥拝殿になっており,隣りの杉に梵天がくくりつけられている。その隣りの二基が三峯神社。神札で社号が確認できる。さらに進むと右手に自然石の石祠が二基。文字はない。
次に道が二手に分かれ右に進むと沢の中頃の倒木の蔭に石祠。社号は確認できない。小生はこの石祠につられてこのまま進んでしまったが、これは見当違い。三峯神社の次は左手に進むのが正解。しばらく幅広の山道を登り、また二股になるのでここで右手に登っていく。ひたすら進むとやっと鳥居が見えてくる。平成二十年の鳥居額に「次石神社」。昔は石製明神鳥居が立っていたが、倒木で崩壊してしまった。鳥居亀腹石と柱が残っている。
次に山腹に幅8mほどの巨大な岩が見える。左手に回り込むと先にまた巨大な岩が見え、凹みに木製祠が二基祀られている。けっこうな山登りなので感動モノである。流造亜鉛板葺,間口四尺奥行五尺。大きい方が次石神社で、[つぎいし]でなく[つげし]と呼んでいるとご教示いただく。『栃木県神社誌』昭和39年版には境内地6900坪!と記載されている。左手の同じ様式の祠は不明。
ここからさらに上ったところに御嶽神社の祠があり,梵天を立てるという。
熊野神社にある「熊野神社境内地譲与・次石神社創立記念碑」に
「次石神社由緒 創立年代不詳ナレドモ口碑ニ依レハ天文年間ナリト云フ古クヨリ農業守護神トシテ崇メラレ年々旧三月十五日の例祭ニハ各村々ヨリ梵天ヲ奉納シ五穀豊穰ヲ祈ルヲ吉例トセリ昭和二十一年神社制度變革ノ際手續洩レトナリタルヲ以テ二十五年八月一日新ニ設立ノ形式ヲ履ミ仝年十一月九日認可セラレタリ」
*
小生のホームページをご覧いただいている富岡橋近くの方が案内してくださいました。感謝。実は数日前に探しに行ったときには見当違いの山に登ってしまい,発見できず,今回再訪問して一人で探していたところ,山中で偶然お会いでき、参拝することができました。
今回も最初は一本北の道に迷い込んで倒木や蔦をくぐり抜け頂上近くまで登ってしまい、さらに険しくなり,体力にも自信がなくなってきたので,あきらめて下り、途中で南側に回り込んでみたところ、石くれの地べたが一変して土に変わり,次石神社はこちらのどこかかなと探し始めたところ,下の方に人影が見えてお声をかけた次第です。小生の車が見えたので自転車で追いかけてくださったとのこと。回り込まなかったらお会いできませんでした。神の御加護です。
大岩の窪みに鎮座  
左手 判読できない 梵天
神社手前の巨岩 平成20年鳥居
車止めの手前の看板 最初に見える稲荷神社 右手の石祠
次石神社遥拝殿 右の杉に梵天 三峯神社 自然石祠
不明の石祠 読み取れない年号が彫られている
誤って上った山 この岩の向こう側に御嶽神社 中央奥の山に次石神社
愛宕神社

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県鹿沼市富岡752

主祭神:火産霊神
熊野神社から行川を渡り西の方の山腹に鎮座。
例祭:1月24日
富岡農村集落センターを過ぎると左手に狛犬のいる「薬師堂」があり,少し行って墓地の先を左手の山の方に向かう。民家の入口に車を停めさせていただき、お訪ねすると,山に入っていけば鳥居が見えるとのこと。確かに見えました。しかし鳥居から見上げると階段も何もなく傾斜は45度を超えていそう。右手の沢から回り込もうと上り始めたが、途中で険しすぎて断念。さらに右手に無理やり登ってやっと尾根のようなところに出て,たどり着いたのが鳥居から上ってくる途中の参道。もちろん道のない参道で鳥居ははるか下で見えない。そこから40度くらいの傾斜になるので一息ついてから挑戦。木製祠が見えてくる。
石燈籠に「宮脇組・坂下組」の文字。本殿内に神像が祀られている。
*
小生のホームページをご覧いただいている富岡橋近くの方が愛宕神社の存在を教えてくれました。熊野神社前の豊田園芸のおばさんが場所をご存じでした。感謝。
樹木に紛れて鳥居 かなりの角度
山頂に社が見えた! 宮脇組・坂下組
神像
愛宕神社手前の薬師堂 薬師堂狛犬 石燈籠
この先を行川が流れる
八幡宮

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県鹿沼市富岡249-2

主祭神:譽田別命
例幣使街道富岡のT字路を西に入り,ほどなく右手上方に石塔群が見える。そこを右に入って舗装が途切れたところに駐車して太陽光発電施設に向かって直進,突き当りの道なき道を左に入ると行川左岸に広場があり,奥に古風な石鳥居。7月,御広前は一面緑の草に覆われている。
古そうな石鳥居の左の柱には「貞享四年丁卯1687中冬良▢」と刻んであり,なんと330年前の貴重品。右の柱に「奉寄進八幡宮鳥居一▢豊田氏」の文字。
元禄以前の鳥居が残っているにもかかわらず,どの資料にも見つからなかった。
大きめの石燈籠は文字が見つからず。本殿右手に石製三重の塔。
入口には12基の石像と石宮一基。元文二丁巳1737十九夜念佛講中,馬頭観世音,庚申塔など。
小生のWebをご覧いただいているYUIさんが教えてくれました。感謝。
 
貞享四年1687石鳥居 鳥居足もと
貞享四年丁卯 奉寄進八幡宮
  三重塔 塔の背後
 
鎮座の杜 夏草の中に 左の杜の向こうは行川
ここから歩く 発電所看板 太陽光発電
入口の石像 石祠一基
  台座に三猿
馬頭観世音 ここを右に入って八幡宮へ

 

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