姫宮神社

[ひめみや神社]

栃木県鹿沼市草久717

旧地名:上都賀郡・西大芦村大字草久[くさぎゅう]
祭神:稲田姫命 境内社:多賀神社(少彦名命)・愛宕神社(火産霊命)・山神社(大山祇命)・稲荷神社(倉稲魂命)・八幡宮(譽田別命)
古峰原街道から鹿ノ入[かのいり]橋で大芦川を渡り村落に入る。鳥居下に一台だけ駐車できる。きれいに整頓された神社。
普段は見ることができないが本殿周囲に稲田媛[『日本書紀』では媛の字だが,当社は姫]に因む八岐大蛇退治などの精緻な彫刻が施されている。鹿沼の彫刻師石塚吉明による弘化四年1847作。
本殿裏手に平成12年に整備された境内社五基が並んでいる。それぞれ大理石の社号標が付けられている。
創建からそろそろ500年になる。
例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 姫宮大権現 上草久 石原氏
*『下野神社沿革誌』巻三-22丁(明治三十五年1902)
上都賀郡西大芦村大字草久鎭座 村社 姫宮神社 祭神 稻田姫命 建物本社間口四尺五寸奥行七尺八寸 拜殿間口一間半奥行一間 末社五社 華表一基 氏子百四十七戸 社掌兼務石原敬之同村大字同住
本社は大永年中1521~28藤原大和日向國より姫神を迎ひて假に宮殿を建て祀りしか濫觴にして后數年を經て近隣の村民大に信仰せり 后天正三年1575十二月本社を改築し后寛永十五年1638再建 后弘化四年1847宮殿の規模を大にし改造し同年三月十八日を以て全く落成し正遷宮の盛式を行ひたり 現今の宮殿是なり 社域百二坪にして境内高潔を極め古樹蔚々蒼々と繁茂し深邃にして且雅致あり
石垣が美しい    
猿田彦大神 勿不浄之輩入神門 姫神にふさわしい額
明和元年1764石鳥居 石燈籠があった
  昭和十年1935額 平成3年1991由緒沿革額
昭和十年1935拝殿等改築記念額 ここまでで撮影限界 精緻な彫刻
昭和26年1951石燈籠 左手  
裏手の境内社
  慶応三年1867か?男體山
厳嶋神社
西大芦護国神社

西大芦護国神社

[にしおおあしごこく神社]

栃木県鹿沼市草久435-2

旧西大芦村出身の英霊121柱を祀る。古峰原街道沿いに社号標。駐車場がないので苦労するも,ご近所の方のご好意で参拝。感謝。
左手に鳥居付きで「稲荷神社」,寛政四年1792の石燈籠が奉納されているので,稲荷神社鎭座地に護国神社を創立したのだろう。昭和32年6月2日に鎭座祭を執行した。
護国神社右手の石宮は「蠶景山神社」,養蚕に関係するか。さらに右手に立派な「古鹿山不動尊」,石燈籠が奉納されている。東の端に「雷電神社」石宮。祭主神舟神社とある。
例祭:4月20日
旗杭 御影石鳥居 石段を上ると本殿
鳥居右手 鳥居左手奥に稲荷神社
稲荷神社額 いい雰囲気 本殿右手
本殿左手 寛政四年1792石燈籠 寛政四年と読める
きつね狛犬 狛犬
蠶景山神社 雷電神社
古鹿山不動尊冠木門 古鹿山不動尊
不動尊 不動尊の狛犬 古鹿山不動尊
不動尊から大芦川方面を 右手に馬頭尊など
古峯神社方面 大芦川方面 古峰原街道沿いの社号標
古峯

古峯神社

[ふるみね神社]

栃木県鹿沼市草久3027

旧地名:上都賀郡・西大芦村大字草久
主祭神:日本武尊 境内社多数
通称「古峰ヶ原神社」。境内地3,688坪。標高700メートルの高地に鎭座。弁慶の白米五升借用書が保存されている。『栃木県神社誌』巻頭別格扱いの大社なので,小生が特に付け加えることはない。詳細はこちらの公式HPを
例祭:5月27日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 日光三社大権現 古峰原 前鬼隼人
*『下野神社沿革誌』巻三-23丁(明治三十五年1902)
西大芦村大字草久古峯ヶ原鎭座 無格社 古峯神社 祭神日本武命 祭日大祭十月十五日小祭毎月一日十五日二十八日
建物本殿間口二間奥行八間屋根茅葺 石烏居一基延享五辰年1748四月福田仁右衛門奉納相の澤地に建設 石燈籠二基寛政五丑年1793十月江戸‏/今東京下谷箕輪町峯原左司馬奉納建設地同上 こま犬一對江戸講中奉納建立地同上 石鳥居高さ一丈八尺開さ一丈二尺 神號扁額堅四尺二寸横幅二尺二寸附一基寛政九酉年三月江戸峯原左司馬發企に係り數十名共同奉納中河原地内建設 こま犬一對寛政九酉年奉納人前同設立所同上 社前紫銅燈籠二基文政七年九月上野國高崎連雀町鞘町紺屋町外八町共同奉納 石丁杭五十七基内三基大天保八酉年1837埼玉縣北足立郡鴻巣町魚市塲講中奉納 石造盥漱盤一基明治二年月岩代國西白河郡櫻町須釜喜平太同信太郎外四名奉納 社前備附鐵製水桶木製水桶八個内鐡二個木六個明治九年五月武蔵園荏原郡品川町東京附▢講社和泉久太郎吉仲淸次郎外廿二名奉納 紫銅燈籠二基明治十一年九月東京四ッ谷講社林已之吉清水源藏飯田定次耶水車八十郎外百八十七名奉納 石燈籠一基明治廿一年二月磐城國磐前郡西郷村講社奉納 紫銅燈龍一基明治三十年四月宮城縣仙臺市永代講社江剌万兵衛松川源吉外十名奉納 紫銅盥漱盤一碁松平但馬守内栗原萬外數名共同奉納 紫銅燈籠一基羽前國村山郡糠之目村川口村外十九村大光院法光院外敷名共同奉納 寳物古鏡径三寸七分同三寸八分二面 大身鎗身長二尺二寸五分▢二尺五寸七分一振 刀剣長二尺五寸五分二振
武蔵坊辮慶借用證書一通其文に曰く
    當用ニ付申入候白米五升暫可恩借者也
    仍面如此畢
      十日  辮 慶
       神主左近殿
神鏡周囲二尺七寸一面寛政元年江戸新吉原田口氏奉納 同周囲三尺一面安政六年江戸通油町枡屋薪助深川中村屋長吉奉納 同周囲同一面明治十九年三月羽前國田川郡鶴ヶ岡三日町新房新兵衛奉納 銀盃周囲九寸一個明治三十年一月秋田縣平鹿郡川西村大字松井田高橋藤太奉納 太鼓直径一尺八寸五分八年辰九月江戸下谷三ノ輪町峯原左司馬奉納 同一個年月不詳大三方直径三尺一個年月不詳 岩代國坂下町高久學十郎奉納 以上奉納物の重大なるものにて其他は無数 信徒數萬人總代三員 社掌石原敬之同村大字同三〇七番地住
本社の社地は社掌石原敬之所有邸内に係し四顧岭々たる連巒老松古杉蓊蔚遠扌+越として社前には思川の源流滾々として氤氳淸涼を以てす 殊に充夏の候炎熱の何物たるを知らす 秋交満山の紅風錦を描き歩し去り歩し來るの風韻頗る幽邃閑稚にして本社に詣たる人をして轉た仙境に入るの想を感せしむ
社傳に曰く古峯神社は祖先藤原隼人京師より本地に落居し家門を開き石原を氏とし日本武命を邸内に古峯神社と鎭祭するを以て起原とす 中古鎌倉幕府の時代入峯修行僧‏/‏日光開山勝道上人出流山より日光へ苦行修法の遺行を云ふ/石原家に投宿し同僧の依頼ありて雪中通路の案内を託され爾後恒例となる故に其後日光山に在る金剛童子の像を新たに造り修行僧之を携帶して日本武命の神殿に安置し金剛峯權現と稱す 蓋し當時神佛混淆僧呂の威嚴旺盛なるに由らすんはあらさるなり 明治二年神佛分離の令あるや金剛童子は日光山に還佛し單に祖先隼人崇祀する所の日本武命を古峯神社と號稱したるものなり
 附言本社の神體と稱するものは祖先石原隼人落居の際携帯せし日本武命東征中の御服の片袖を奉崇せしものなりと傳ふ然れとも今口碑に存するのみ且隼人或は尊の臣屬ならんとも云へり
緑記に曰く建久中本國那須郡一村落の城内に於る山雀群集厥麗幾萬なるを知らす稲粟を侵食し汔んと枯槁に埀んとするの状を呈し闔村の民深く之を憂ひ日夜酸苦以て之を驅除の計を轉らすと雖も繁殖日に劇しきを加へ策の施すべきなく何如ともする能はさるものヽ如し 會村老一夜夢に白衣の老翁に逢ふ 老翁村老に謂曰く頃來村民の焦眉する災害たるや之を驅逐せんと欲せは亦曷本州都賀郡古峯の大神に祈請せさる乎と 村老夢醒て村民に告くるに該事を以てし村民代表者をして古峯大神に詣らしめ災地に施すに神符を以てす 幾ほと無きに災孽倐ち消滅に歸し初めて寝食を安することを得たりと云ふ 爾來此彼に於て神靈の赫たる不少追次四方に喧傳し衆庶の信仰日に月に加ふるに至る云云中略
右手に第三小札所 シンボルの天狗が 重厚な外拝殿
精緻な彫刻
石段を上ると拝殿
石段手前の第四小札所 6km手前の一の大鳥居 昭和九年架橋あざあなはしから
 
途中の金剛山瑞峯寺 到着
前日光つつじの湯方面へ行ける 一の鳥居 一之鳥居額
二の鳥居 三の鳥居
四の鳥居 峰字の額 五の鳥居
六の鳥居 社号標
  古峯園へ
古峯園へ渡る 大芦川 茶店脇川沿いに小祠が見える
稲荷神社   稲荷神社左手

深山巴の宿

[じんせん・ともえのしゅく]

栃木県鹿沼市草久

主祭神:日本武尊 勝道上人 大天狗・烏天狗
古峯神社から徒歩1時間半登る。大剣ヶ峰の北東に当たる。もちろん車で舗装道を行くことができる。古峰原高原の少し先で,道路脇に駐車スペースがある。「熊注意」の看板を見て入っていくとほどなく木鳥居,左手に解説看板と付近地図。二の鳥居をくぐって下ると池に橋。三の鳥居の先に石碑,四の鳥居奥の檜の大樹下に石宮。
右手の箱に奉納されているのは天狗の掌うちわ。右手に剣を持っている像は金剛か。座像は分からない。
真向いにも石宮が五基祀られている。詳しいことは分からない。
明治初期まで修験者は現在の古峯神社を祀っていた石原氏宅に一泊し,巴の宿まで登って冬は28日間,春は11日間にわたり参籠勤行してから男体山を目指した。北方に地蔵岳,夕日岳,薬師岳が連なり,籠岩を経て中禅寺湖に至る。国家神道の社として古峯神社が登録されるのは明治十二年1879六月である。
詳しくは次の【鹿沼市の公式Web】を。
深山巴の宿
鹿沼市のつけたルビは[じんぜん]だが『栃木県神社誌』平成18年版の古峯神社の項では[じんせん]となっているので,ここではそれにならった。
本殿前の四の鳥居 本殿
天狗のうちわ
御神木 天明二年1782石燈籠
昭和三十六年1961石碑 本文
向かい側に石宮 うちわ 右:明和七年1770
昭和四十八年1973石碑本文 道路沿い入口 鳥居が見えてくる
一の鳥居
二の鳥居
三の鳥居
二の鳥居 5月17日のヤマツツジ

通順坊平巴の宿

[つうじんぼうだいら・ともえのしゅく]

栃木県鹿沼市入粟野1508

古峯神社から家富連山トンネルをくぐって,途中の分岐を21世紀林業創造の森方面の標識に従って入って行くとほどなく,もうひとつの巴の宿がある。古峯神社のほぼ真南に当たる。
通順坊平巴の宿
通順坊平巴の宿は粟野町林業センター21世紀林業創造の森の北。道沿いに粟野町→鹿沼市教育委員会重要文化財標識(平成8年指定)と解説看板が立っている。鹿沼市のWebに[つうじんぼうだいら]のルビがあり,それ以外に読みが見つからなかったのでそれにならった。順を[じん]と読む理由は不明。
いずれの巴の宿も勝道上人が山岳修業をしたところ。
 
  「巴之宿」の文字
 
 
 
 
熊注意! 平が抜けている

 

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