尾出山神社

[おでやま神社]

栃木県鹿沼市上永野1534・山口

旧地名:上都賀郡・粟野町上永野宮原1534/上都賀郡・永野村大字上永野
祭神:大己貴命・田心姫神・味耜高彦根命
尾出山神社は永野川上流に2社。大越路トンネル手前を199号に入る。しばらくいくと「たろっぺ茶屋」さらに進むと山口公民館,キャンプ場があり左手に山口の尾出山神社。『下野神社沿革誌』に記録されたのはこちらの方。
境内に神楽殿があり,10月10日前後の日曜日の例祭に関白流風流系獅子舞が奉納される。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位尾出山大明神 上永野 亀田伊勢
*『下野神社沿革誌』巻三-46丁 明治三十五年1902
上都賀郡永野村大字上永野鎭座 村社 尾出山神社 祭神 大己貴命・田心姫神・味耜高彦根命 祭日陰暦正月七日/九月七日/ 建物本社間口一間半奥行一間半栃葺 拜殿間口三間奥行二間 神樂殿間口三間奥行二間半杉皮葺 華表一基 石獅子二基天保五年1834植竹七兵衛奉納 征淸記念碑一基 石鳥居二基 寶物古書二通 木椀四個天正八年1580の奉納也 異狀鹿角数本 氏子百八十三戸・総代四員 社掌茅原祐助同村大字同十六番地住
本社創立遼遠にして詳ならすと雖も天正八年1580九月の再築にして今尚儼然として古色輪奐たり殊に神位宗源宣旨正一位を授けらる 社域四百二十坪にして西に高山岭々たり東に永野の川流其音勹+乎訇として雷鳴の如く南一面開濶眺望に佳なり境内には老樹蓊蔚にして幽邃なり

天保五甲午年1834九月の狛犬 右は文政十二年己丑1829霜月吉日
山門をくぐる くぐって右手 寛政七年乙卯年1795九月七日
くぐって左手 左手に神楽殿
左手に1社 右手に1社
くぐり屋 中央に鳥居が見える
尾出山神社

尾出山神社

[おでやま神社]

栃木県鹿沼市上永野1883-2・与洲・落合

旧地名:上都賀郡・粟野町上永野落合1883-2
祭神:大己貴命・田心姫神・味耜高彦根命
こんなところにそば屋があるかという山奥に「百川本そば」があり(2015/12現在・閉まっていた),向かいに薬師堂,200m先に奥社にあたるふたつめの尾出山神社鳥居が見える。
社殿北東奥にご神体の尾出山933mがある。
与洲のモミと呼ばれるモミの巨木が見事。樹齢400年くらいか。
ちなみに,ここを右に入って少し恐ろしげな道を行き止まりまで行くと,おいしい山水の汲める場所がある。さらに寺沢林道を進んで,尾出山の登山道につながる。
この尾出山神社は山の麓にあり,この山の頂上に天照皇大神宮が鎮座する。長寿院方向に入るとすぐに鳥居が見える。
山口,落合両尾出山神社の三祭神は日光二荒山神社と同一である。日光修験の三峯五禅頂コースの出流山入峯の次が相沢宿で,次が不動嶽金剛堂つまり尾出山である。このコースは横根山,勝道上人が修業した深山巴宿を経て古峰原に到る。尾出山神社奥社祠堂銅扉に「奉施入不動嶽石社願主勝蔵坊秀厳・永喜二年(私年号で1527年)」と刻まれている。日光修験の神仏混交から奉祭された与洲の尾出山神社は,もと長寿院境内にあり,明治元年1868に佐明地の高田氏の社地寄進を受けて遷宮した。天正十年1582の創建とされているのは奥社の創建でなく拝殿の建立時期だろう。実際は石祠の奉納された1527年をさかのぼることはまちがいない。日光修験から考えると長寿院は鎌倉勝長寿院に関係するだろう。山口の尾出山神社の創建は永禄元年1558とされているが,控え目かもしれない。
  左は社務所
右の石燈籠は大正六年1917四月十五日 小型の石燈籠は弘化四未二月吉日1847
 
本殿左手に二社 本殿右手・大物主命
3人で囲めないかも 樹高30mはある 拝殿前の石版
昭和37年の旗柆に八坂神社の文字 薬師堂
天照皇大神宮

天照皇大神宮

[てんしょうこうたい神宮]

栃木県鹿沼市上永野1883

主祭神:天照皇大神
上記の尾出山神社鳥居を正面に見て左に入るとすぐ右手に石鳥居が見える。正面は長寿院。石鳥居足下に「寛政元己天1789」の石塔が横たわっている。鳥居から急な石段が延々と延びているのが見えて気後れする。せっかくここまで来たので登って見た。数えなかったが,数百段上がると少し土の山道に代わり,さらにまた延々と石段が続く。つづら折りの道はなさそうだ。石段を積み上げていく作業はたいへんだったに違いなく,頭が下がる。
社殿は杉に囲まれた頂上に鎮座している。扉の隙間から拝見すると,正面に木製祠があり,左隣りにも小振りの木製祠。両端に木彫に見える神像が祀られている。
長い石段
途中の石段 かすかに見えてきた 最後の石段
頂上に鎭座
扉上部の隙間から かろうじて
社殿下は切り立っている 鳥居左手
長寿院 正面の山に鎭座
不明社

不明社

[?神社]

栃木県鹿沼市上永野1994

尾出山神社鳥居を正面に見て右折して細い山道を行くと左手に石鳥居。八幡宮だろうか?
大正十四年1925石鳥居。「二十三夜塔」
本殿
二十三夜塔
不明社

不明社

[?神社]

栃木県鹿沼市上永野398

上記大宮神社の北東の田園地帯に鎭座。覆屋内に木製本殿があり,手前に小振りのトタン葺き木製祠が三基祀られている。本殿と木製祠に「魔除け之麻」が奉納されている。このあたりは麻の産地であった。生命力の強い麻は「神宮大麻」に象徴されるように汚れを祓う清浄の植物として信仰された。
本殿の魔除け之麻
右手境内社の魔除け之麻
町の方向 左手に長野川 鎭座の杜
八坂神社

八坂神社

[やさか神社]

栃木県鹿沼市上永野735

主祭神:素盞嗚命
旧地名:上都賀郡粟野町大字上永野字宮原
字鳥井跡に鎮座したが,明治元年1868現在地に遷宮。背後の山の麓を長野川が流れる。
今宮神社

今宮神社

[いまみや神社]

栃木県鹿沼市上永野2452

主祭神:大己貴神・田心姫命・味耜高彦根命 境内社:山神社・稲荷神社・厳島神社
旧地名:上都賀郡粟野町大字上永野
仁平三年1153五月創建。
現在はコミュニティセンターになっている旧永野中学校の校庭の北山中腹に鎭座。以前はこんもりとした杉木立に囲まれていたが,写真のように全部伐採されて丸裸の斜面にぽつんと鎮座する。
左手の木製祠には「雷電大神」,右手には「倉稲魂命」が祀られている。
文化六己巳1809石燈籠。文政八酉歳1825狛犬。天保十五年1844または天保二年1831の石燈籠と手水石。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』(1800年頃)
安蘇郡 正一位 大権現 上永野 亀田伊勢
*『下野神社沿革誌』巻3-47丁(明治三十五年1902)
上都賀郡大字上永野鎭座 無格社 今宮神社 祭神大巳貴命 田心姫命 味耜高彦根命 祭日陰暦九月十九日 建物本社間口一間半奥行二間栃葺 雨覆間口三間奥行三間 末社六社 鳥居一基 寶物戸矢子ノ矢ノ根 社有財産田畑反別三反六畆二十八歩 信徒三十九戸總代池澤源五郎▢塚作▢ 社掌同上
社傳に曰く本社は仁平三年1153五月の創建にして藤原秀郷の末裔本郡寺尾不磨山城主戸矢子七郎有綱の勸請にして日光三社大權現を本社に遷座し本城の鎭護神と齋奉て今宮大權現と尊稱し戸矢子七郷の大鎭守と定めたり 七郷とは永野より東南永野川の沿岸千手郷まてを云ふ 后有綱唐澤城に徒り其子孫佐野氏なり 爾后二百二十年を歴て佐野氏社殿を再築して新たに別當を置き本社に奉仕せしむ‏/明月坊寶徳寺と號す是則年號の二字をとりて名くと云ふ爾来三十四代利貞維新に至り復飾して宮本と改む‏/后永正十年1513佐野越前守秀綱社殿を修理し社領永五貫文を寄附せらる 當時棟札に永正十年癸酉年願主佐野越前守秀綱‏/奉行大貫山城守代官杉枝伊賀守百性山際▢六郎藏水九郎須阿久津又太郎戸矢子七郷/と記しあり 后又今村大膳の修繕あり 后天正年間小田原の城主北條氏直襲來し唐澤城を攻むる時佐野修理亮宗網の家臣山上道牛に命して今宮權現に戦捷を祈り靈驗著しきにより御供米を増献せりと 天正十八年四月豐臣大閤小田原征伐の時宗綱の嗣左衛門佐氏忠は小田原に屬し遂に亡ひしかは同年五月今宮權現社領も没収せられく 尋て天徳寺了伯佐野家の遣領を繼き同十九年社領従前の如く寄附せられしも佐野修理太夫信吉の代慶長十八年佐野家國除せられ其領地は徳川將軍の代官支配と為れり 后又元和年間宇都宮本多上野介正純の領知となる 斯く領主地頭の變革するにも掛はらす戸矢子郷の氏子は勸請以来恒例の祭祀怠らさりしも同七年五月四日氏子等祭禮の座席を争論し遂に訴訟せしより宇都宮本多の老臣武井九耶右衛門の武断にて社領を没収せられしより七郷の氏子祭禮の式典をも絶へて自然地元澤坪の崇祀のみに至れりと云ふ 徃古は公衆崇敬の社にして祭禮も又盛大なり 大門も大道路に通徹して今尚ほ鳥居戸馬塲等の古跡存せり 社城民有社地六十坪共有山林九反五畆歩の地接にありて老杉古榊蔚々蒼々として物凄し
三神
雷電大神
倉稲魂命
杉の切り株
境内を小学校にしたのだろう 校庭に直結していた
中央に見える
八幡神社

八幡神社

[はちまん神社]

栃木県鹿沼市上永野2497-4

主祭神:譽田別命 境内社:稲荷神社
旧地名:上都賀郡・粟野町大字上永野字予州
永野小学校の脇を入ると奥に鳥居が見える。右手に小学校のプール。
明治三十二年1899石鳥居。平成17年狛犬。
正徳元年1711の創建。
高さがある
本殿の鈴
右側面
絵があった? 左側面
 
最初の石宮 旧石宮
本殿左手 本殿右手
杉が間引されている
正面奥に見える
真新しい旗竿
鳥居から見たプール プール下の石塔
熊野神社

熊野神社

[くまの神社]

栃木県鹿沼市下永野1251

主祭神:伊弉諾命・伊弉冊命 配神:天照皇大神 境内社:稲荷神社・大杉神社
「寛保三癸亥1743九月十五日」石燈籠。「文化六己巳1809」石燈籠。 鳥居右手に昭和43年1968「石段改築記念碑」,その右は昭和24年1949「境内地譲与記念碑」,さらに右手に「大杉神社」社殿左隣りは「鹿島宮」,平成18年の社殿移転,鞘堂改修の「御修理記念」木札が納めてある。
杉の巨木が見事。
例祭:12月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』(1800年頃)
安蘇郡 正一位 熊野大権現 永野 吉祥寺
*『下野神社沿革誌』巻三-46丁(明治三十五年1902)
上都賀郡永野村大字下永野鎭座 村社 熊野神社 祭神 伊弉諾命・伊弉冊命・天照皇大神
建物本社間口一間六寸奥行二間 拜殿間口三間奥行二間 末社三社 華表一基 氏子百四戸總代五員 社掌大舘兼道同村大字同住
本社は奈良別王の勸請にして安蘇川原に鎭座しけるを承平二年932七月大洪水の時本村熊野窪と云ふ山中に移遷し熊努宮と改めて宮居造營しける後佐野家莊園たりし時天照皇大神を合祀し熊野神社と改稱す 神主には大舘氏を以て代々奉務せしむ 寛文年中社僧吉詳寺奉仕せり 寶暦二年1752より大舘一家にて奉仕勤續せり 社寶には古鏡二面神代鏡石一個大甕一個矢之根二本を蔵せり 社城一千百三十坪字山根に在りて古杉亭々と高く聳ひ前には田圃を隔てヽ永野の淸流淙々たり 地方頗る山地にして三方に高嶽を繞らし山河の景色實に名狀すへからす水亦淸且冽にして一仙境たり
たいしたことなさそうに見えたが 近づくと ものすごい質量
途中から双幹になっている ご覧のとおりの巨大さ
丈が高い
本殿
左手奥に鹿島宮 鹿島宮
右:大杉神社
大宮神社

大宮大明神

[おおみや神社]

栃木県鹿沼市下永野592

主祭神:大己貴神・田心姫命・味耜高彦根命
本殿額は「大宮大明神」と読める。土地の方は「明神さま」と呼んでいる。 字久分[きゅうぶ]の30数軒が奉祭する。ゼンリンの地図では社殿は上永野になってしまうが,鳥居は下永野になる。氏子の方の概念では明神を境に上下永野に分かれる。久分鎮守なので神社は下永野に属する。拝殿前の石燈籠に久分と下永野の文字が刻んである。
大きな本殿の側面には神獣の彫刻が施されている。
明治四十一年1908石鳥居。昭和十四年1939旗杭。昭和十五年1940石燈籠。
参道右手に猨田彦大神。2015年12月に見た時より18年1月には少し傾いた。
例祭:4月15日 10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』(1800年頃)
安蘇郡 大宮大明神 下永野 大宮山城
2015年12月 猿田彦大神
2018年1月 2015年12月 2018年1月
久分の文字の見える石燈籠
下永野と刻まれている 大宮大明神
彫刻で覆われた本殿
大きな本殿
2015年12月 18年1月・注連縄が違う
鎮座の杜 鳥居南に野州麻紙工房 工房脇のパン屋さん
大宮大明神への入口,199号線沿いの永野郵便局前に地蔵尊と庚申塔,馬頭観世音などの石塔六基。看板の野州麻紙工房は大明神のすぐ南にあり,鹿沼麻を使った和紙を漉いている。となりのパンがおいしいらしいがお休みだった。
199号線をほんの少し西に進んで臘梅の里手前に耳神社が祀られている。文化四年1807または弘化四年1847の石像。合わせてサエの神・道禄神。上部の欠けた石塔に「靈」字。中央の石宮が不明。
郵便局前の石塔
耳神社 道禄神
御嶽山

御嶽山神社

[おんたけさん神社]

栃木県鹿沼市下永野82

主祭神:国常立命
弘仁三年812空海上人によって北辰ヶ岳御嶽山が開山されたと伝えられる。関東巡錫はもっと後で,日光とかかわるのが820年頃だが詳細不詳。三峰山大神・御嶽山大神を祀る。藤英悦による板絵が拜殿左右に架けられている。
山中に多数ある神社は「山歩きTREKKING」のページをご覧ください。栃木県の山々を登っておられる方のWebです。
二の鳥居 不明の己巳?
社務所改築記念碑
天保六年1835狛犬
たろっぺ茶屋手前の立派な個人の神社
子育地蔵尊
尾出山神社手前の子育地蔵尊
石燈籠もある
左手
右手
  下永野1671に愛宕神社があることが分かっている。しかし1671番地が地図からたどれないので見つけられません。小振りの石宮だけの社で『栃木県神社誌』平成18年版に写真が載っています。ご存じでしたらぜひご教示ください。 <連絡先>

 

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