奈佐原神社

[なさはら神社]

栃木県鹿沼市奈佐原町516

主祭神:大己貴命 境内社:愛宕神社・八坂神社・小出神社(小出大助大人)ほか8社
宝永二年1705霜月十五日の創建と伝わる。弘化二年1845と嘉永四年1851の奈佐原宿大火により社殿も記録もすべて消失。天保十四年1843改築造営。昭和32年1957拝殿新築(寄附者芳名額あり)。昭和36年1961末社改築遷座祭を行った。平成5年1993に屋根改修(寄附者芳名額あり)。
「正徳六丙申年1716三月吉日」石燈籠,「安政七年1860」石燈籠。
覆屋に「弁財天」「八坂神社」「小出神社」「雷電神社」「豊年神社」「金毘羅神社」「稲荷神社」8社祀られている。すると手水舎右手の石鳥居のある社は愛宕神社か。
境内社の石燈籠にも「正徳六丙申1716」の文字が見て取れる。狛犬は天保十一年1840。男體山には三面に漢字がびっしり刻まれている。
例祭:12月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』(1800年頃)
都賀郡 大権現 奈佐原 地蔵院
*『下野神社沿革誌』巻三-33丁(明治三十五年1902)
上都賀郡北押原村大字奈佐原鎭座 村社 奈佐原神社 祭神 大己貴命 建物本社間口三尺奥行同 末社四社 氏子九十戸
本社創立年月詳かならす 社域六百三十三坪字西原平坦の地に在り
拝殿新築記念碑
境内社8社
正徳六丙申年1716 境内社
境内社内 天保十一年1840狛犬
正徳六丙申1716
男體山 二十三夜など
楡木神社

楡木神社

[にれぎ神社]

栃木県鹿沼市楡木町1376

主祭神:磐裂神 配神:日本武命・武内宿禰命
境内社:杵築神社(大国主命)・稲荷神社・山神社・水神社(水波乃賣命)・厳島神社
江戸までは星宮大権現あるいは星宮大明神と称したが明治二年1869楡木神社に改称した。数度の火災で文献がすべて消失し,創建等は不明である。
小籔川に架かる石橋を渡ると石垣の上に立派な社殿が建つ。
天保六乙未歳1835一の鳥居脇に昭和十年1935参道補修記念碑。
明治貳己巳1869らしい二の鳥居をくぐると,広前が整備されており手水舎,狛犬,石燈籠,社務所改築記念碑などがきちんと配置されている。さらに石垣が構築されていて,その上に玉垣が組まれている。
石段を上ると拝殿前に天保六年1835狛犬。右手の昭和50年1975改築記念碑の裏に由来が彫られている。
右手の境内社に大正十三年1924石鳥居。稲荷神社ともう一社祀られている。
例祭:11月19日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 星宮大明神 楡木 仲之進
*『下野掌覧』万延元年1860
都賀郡之部 正一位 星宮大明神 楡木村鎮座 祭主仲之進
*『下野神社沿革誌』巻三-37丁(明治三十五年1902)
上都賀郡南押原村大字楡木字西山鎭座 村社楡木神社 祭神 磐裂命 相殿日本武命・竹内宿禰命 祭日陰暦九月廿九日
建物本社間口一間奥行一間栃葺 雨覆間口三間奥行四間 拝殿間口五間奥行三間 石木華表二基 石燈籠二基 常夜燈鐡燈籠二基 石獅子二基 末社六社 手洗盤一基 水舎一棟 神田一反三畝九歩 氏子二百六十戸總代七員 社掌矢口寅吉住所同上
本社創立年月遼遠にして詳かならす 往古は星宮と稱し祭神磐裂命なりしか後日本武命武内宿禰を合祀せり 抑本社の由緒及ひ合祀祭神由來を尋るも數度の燒失により舊記悉く灰儘に歸し其由緒を記すに由なく只古老の口碑に傳ふるには古ヘ高貴の御方及ひ其臣僚等上國に於て戰死せし人々の遣骨を遺臣等奉し來り此境に葬り其祖先の神なる日本武命武内宿禰を本社に合祀し其冥輻を祈り遂に此地に土着したるものなりと云ふ 故に他郷より當地に移住するものは此大神の雍護により今に至るまて皆家富み子孫繁榮すると云ふ 又本境に歛めある石翕古昔屢發掘せしことあり而るに其都度必す悪疫流行し又火災に遭遇するを以て氏子臣民等恐れて之を發掘するものなきも今より凡百年前に當り氏子等芝居を奉納せし時社境を擴めんとて地を掘りけるに石翕に掘當て大に恐れて直に土を掩ひ素の如く安置しける 後安政年間境内に石垣を築かんとて地を削りしに又石翕を發掘したりしも又之を埋めたり 後明治八年1875本社拜殿野火のために祝融の災に罹りたるを以て氏子等黽勉して同十三年十月本社拜殿を再建せんとて地形を引均したる時又之を發堀したり故に其發堀せし所より距る十間許北の高地に改葬して塚を築き樹を植て之を標とせり 其發堀せる石翕の模様は方一尺二寸厚六寸位其一面を直經六寸位半圓形に窪めたる切石上下あり之を合せ其中に骸骨を納め同形にして大なるもの數十個整然として配列し其中央の一翕には素焼の瓶あり中に遺骨を納め短刀と覺しき鐵屬ありしも腐飾して明僚ならすと云ふ 又翕を埋めたる上には松杉を植ひ其根石翕を周匝せられ石質既に朽損に垂んとして一見其年代の古きを徴すヘし 惜むらくは舊記は今を去る百六十年以前散逸し/一説には本社の舊記は下都賀郡赤津村大字大▢川津某方に保存しあると云ふも不明なり/由來を知るに由なく今回氏子總代野中登一郎氏卒先し小林廣作田中彦吉早乙女堅蔵上野誠一郎上野昇平桐生録三郎の諸氏と相議り本社の由緒を確めんとて東西に奔走し百方力を盡し捜索せしも舊記見當らす是氏子の遺憾とする所なり依りて姑く口碑の儘を録して博古の士の藻鑑を埃つ 本社は大字/本楡木町と稱/の西方字西山の中腹に鎭し社域六百九十四坪淸洒の地にして衆庶崇信の社なり 享保十六年1731二月廿七日を以て宣旨正一位を授けられ正一位星宮大権現と稱し神主には島田備前守より累代奉仕す 明治二年1869社號を改め楡木神社と稱し村社に列せらる
二の鳥居 不明の己巳?
社務所改築記念碑
天保六年1835狛犬
楡木神社由来
一の鳥居下
右端に境内社
琴平神社

琴平神社

[ことひら神社]

栃木県鹿沼市楡木町1376

主祭神:大物主命
楡木神社と同じ丘陵の北方に鎭座。どこにも記録されていない。塩山の大内神社を探している途中で偶然見つける。小薮川に架かる金毘羅橋を渡って山裾のくぼんだあたりにそれらしい入口が見える。山道を登って行くと鳥居が見えてきた。くぐって石段を上ると落ち着いた境内右手上方に覆屋。きちんと整備されており,敷石の参道を進んでさらに石段を上ると木製の本殿。社号を示すものはない。
かつては鳥居をくぐった正面の大岩のところに社があった。かなりの巨岩なので,ここが大内神社かと錯覚した。石段も埋もれて残っている。狛犬も埋もれていたので掘り起こして撮影しておいた。大内神社はここから200mくらい北の似たようなシチュエーションに見つかる。ここは楡木町だがとなりの大内神社は塩山町。
鳥居発見 右上方に本殿
整備されている
手入れされている
鳥居方向を見下ろす
左手倒木あたりに鎮座していた かつての鎭座地
巨岩ふたつ 神社遺跡
狛犬 石段跡
巨岩を見下ろす 中央奥が入口 金毘羅橋
大杉・雷電神社

大杉神社

[おおすぎ神社]

栃木県鹿沼市楡木町787

主祭神:大雷神
石鳥居額に「雷電神社・八坂神社・大杉神社」が併記されている。手水石に「雷電宮」と刻まれているので八坂神社と大杉神社を合祀したのだろうか。あるいは大杉神社に雷電宮から移設したか。詳細不詳。
文化五辰年1808の石燈籠。年代不明の白雲山に楡木の文字。
付近の293号線沿いにあるそば店「よし乃家」に「楡木大杉神社夏まつり」のポスターが張ってあった。祭典委員は「楡木開運町・日之出町・寿町自治会」で,いずれも神社の南に位置する。
お店の方が店前で,すぐ南に見える信号を指さし,神社の場所を教えてくださった。感謝。
雷電宮の文字
中央:白雲山 文化五年1808石燈籠
大日様

大日神社

[だいにち神社]

栃木県鹿沼市楡木町56-11

楡木小学校のすぐ南の田園地帯に鎮座。入口の立札に<千葉省三の作品ゆかりの地・大日様(ボンデン山)・「虎ちゃん日記」などの舞台>と書かれている。日之出町鎮守。天照大神を祭神とするだろう。
鳥居が民家に接しているので正面から全体は撮影できない。本殿左手の小祠は「八坂神社」
社殿右手に天保十三壬寅1842「勝善神」
昭和五十九年1984「大日神社新築記念」板書が奉納されている。これにならい社号を大日神社とした。
左は八坂神社 大日神社新築記念
勝善神
ぼんでん 道沿いの標識 鎮座の森

 

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