稲荷神社

[いなり神社]

栃木県鹿沼市野尻332

旧地名:鹿沼市野尻台332/上都賀郡加蘇村大字野尻
祭神:大己貴命 配神:大己貴命・猿田比古命・大宮能売命(大宮比売)・久久野知命(句句廼馳)・須佐之男命
境内社:神武天皇神社・八雲神社・宝社・熊野神社
境外社:雷電神社・地神社
下日向交差点を西に進んで大芦川を渡ると右手に。
明治二十九年1896に合祀した「八坂神社」の社号が旗杭脇の案内板に併記してある。拝殿左の柱に稲荷神社,右の柱に八坂神社。拝殿額に両社併記。
建久元年1190に石川氏人が伊勢熊野の稲荷大明神を勧請。『栃木県神社誌』昭和39年2月11日発行の解説に"古書に曰く「地旧雲、静社殿厳然神靈有威,点民分運,数百高木装」"とある。点民分運が不明。
萬延二年1861辛酉二月の手水石。天保四巳年1833十一月吉祥日石燈籠。文政十年1827石燈籠。境内社石祠は明治十三年1880につくられている。境内社:社社号標は平成十年。 合祀された八坂神社は「野尻の天王さん」と呼ばれ,八坂神社大祭には太々神楽が奉納された。太々講信仰者は二千人を超えた。
古記録に「文化五年1808丑年五月吉祥日京都八坂神社から勧請建神也。邑内安全疫病防除祈所」と記録され,勧請人名主として「石川源右衛門,石川判右衛門,石川要蔵,石川常八,石川清蔵」五名が記載されている。石川判右衛門の判が半になっているが文政十年1827石燈籠にその名が刻まれている。近くに野尻の町の駅があり,梅酒をつけるために梅を買ったら袋に生産者名として石川克行さんの名札が貼ってあった。
1902年頃の社域は228坪、1964年頃は178坪で別に境外地が481坪あった。『栃木県神社誌』記載の境外社は現在は稲荷神社鳥居のとなりに祀られているが元はもっと離れた所に鎮座していたのだろう。
入口の白雲山は寛政八丙辰年1796
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 稲荷大明神 野尻 石川氏
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
正一位稻成大明神 野尻村鎭座 祭主石川氏ナリ
*『下野神社沿革誌』巻三-29丁 明治三十五年1902
上都賀郡加蘇村大字野尻鎭坐 村社 稻荷神社 祭神倉稻魂命 少彦名命 建物本社間口五尺五寸奥行一間二尺 氏子三十三戸
本社創立不詳 社域二百二十八坪字臺の幽淸の地に在り
二の鳥居
左右柱に社号  
古そうな狛犬
明治四辛未年1871きつね狛犬 昭和36年狛犬
男体神社 雷電社 神武天皇社
地神社 左:八雲大神 右:牛頭天王 熊野神社
宝社 左:神楽殿
神楽殿 文政十年1827 石川半右衛門の文字
天保四年1833 入口
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県鹿沼市野尻332

上記稲荷神社の東の山の入り口に石鳥居が見える。登っていくと石祠が4基祀られている。左端が天満宮。中央が稲荷神社。
 

 

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