大内神社

[おおうち神社]

栃木県鹿沼市塩山町1886

主祭神:日本武尊  境内社:八坂神社・松王神社・稲荷神社・厳島神社
例祭:12月15日
東武日光線楡木駅の西に,小薮川が流れ,その向こうに南北に丘陵が横たわっている。南半分は楡木町,北半分は塩山町に属す。北に塩山神社,南に楡木神社が鎮座し,いずれも立派な神社である。この二社に挟まれて小ぶりながらしっとりと美しい神社が二社あり,楡木町北端の琴平神社,そしてここ塩山の大内神社である。112年前の『下野神社沿革誌』に詳しい解説があるので,そちらにゆずりたい。写真のとおりのお伽話にでてきそうな神社である。
江戸までは「雲石不動尊」と呼ばれていた。拝殿があったことが記録されているが今はない。一間四方あった本殿も小ぶりに建て替えられた。
昭和六十年1985石鳥居。少し読みにくいが「天保二年?1831」と「文久二戌年1862」石燈籠。小滝がまだ細々と流れ落ちている。御利益があるとのことなので含んでみたが,冷たく土の香りがする。
なお,栃木県には道鏡の関係で孝謙天皇の伝説が残り,下野市上大領には孝謙天皇神社が鎮座する。重祚して称徳天皇と呼ばれ神護景雲四年770八月に平城京で崩御。順番では,天皇崩御の後,下野国に配流された道鏡が亡くなるのが宝亀三年772四月で,天皇が下野に御幸なさることは不可能。孝謙天皇下野崩御説も,創建の口伝にも混乱がある。遠い平安時代の創建ということが伝わっているのだろう。
例祭:9月第2日曜日
*『下野神社沿革誌』巻3-33丁(明治三十五年1902)
上都賀郡北押原村大字鹽山字大内籬鎭座 無格社 大内神社 祭神 日本武命 祭日陰暦正月元日九月十八日 建物本社間口一間奥行一間 拝殿間口三間奥行二間 木華表一基 石燈籠二基 信徒百余戸總代四員 社掌矢口寅吉住所前同
本社勸請古老の傳說に曰く 人皇四十七代孝謙天皇寶亀三年772中當國に御幸在せられし時 天王の守神と稱する雲石不動尊を本社に納め勸請せしものにて夫より地を大内坪と唱ひ境地を大内籬と稱して往古より衆庶の信仰厚かりしか明治維新の際大内神社と改號し日本武命を祀る 社域四百六十坪にして本社の裏には奇巌屏風の如く壁立し/雲石岩と稱し高二十五尺幅十二尺/峭拔削るか如く神工鬼鑿に成れる巨孔中間にありて其壮觀云ふ可からす 境内には老樹蔚然と繁茂し中にも周圍三十二尺の古杉矗立して天に聳ひ側には飛泉ありて其音鼕々として杉風に相和し宛も仙境にあるか如し 瀧に近つけは岩滑かにして苔封し冷風颯として衣を吹徹し三伏の候と雖も寒冷肌に迫る 故に人呼て淸冷瀧と稱す 水極めて甘洌にして之を飲み之を浴すれは能く人病を治すと言傳ふ
御神木の杉
大岩を背に 雲石岩
清冷瀧 右手の石段
石段の上に境内社4社 滝から
東方向 鳥井脇にコブつき杉 写真中央を目ざす
それらしい雰囲気 鳥居が見えてくる
参道 参道の奥に朱色の社殿 太鼓橋
橋の右手 しっとりと落ち着いている 岩の向こうにゴルフ場
塩山神社

塩山神社

[しおやま神社]

栃木県鹿沼市楡木町1677

主祭神:田心姫神・湍津tagitsu姫神・市杵島姫神 境内社:八坂神社・大杉神社・菅原神社・厳島神社
江戸までは女體三社大明神と称したが維新に際し塩山神社に改称した。『下野神社沿革誌』では「女胎大権現」と胎の文字を使っている。天保十三年の項では「女體三社大明神」の表記。『下野掌覧』は維新前の刊行だが,すでに明神・権現ではなく「女體三社神社」で記録している。真偽は未解決。三女神は『日本書紀』第六段・素盞嗚尊と天照大神の誓約で誕生する「みはしらのひめかみ」
拝殿側面に「鹽山女體三社大神」の明治三十年1897奉納額。大正十五年1926「塩山神社拝殿新築記念」奉納額。
拝殿新築の際,文久年間1861~64に再建された前殿は直会殿として境内右手に残された。 拝殿左手に「石山天満宮」石宮。右手の5社のうち「大杉神社」と「八坂神社」が分かる。
石鳥居は平成二十年建立。112年以上前の『下野神社沿革誌』記述の景観がそのまま残っている。
例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 女体三社権現 塩山 板長大夫
*『下野掌覧』万延元年1860
都賀郡之部 女體三社神社 鹽山村鎮座 祭主板長太夫
*『下野神社沿革誌』巻3-32丁(明治三十五年1902)
上都賀郡北押原村大字鹽山字宮内鎭座 村社 鹽山神社 祭神 田心姫命 湍津島姫命 市杵島姫命 祭日陰暦十一月十五日
建物本社間口一間奥行 間栃葺 雨覆間口四間奥行 間 前殿間口五間奥行三間麻柄葺 末社十社 木鳥居一基 寳物 鏡/亘九寸/一面/矢口氏奉納/ 氏子百余戸總代四員 社掌矢口寅吉同村同大字一一番地住
社傳に曰く本社は神護景雲年中767~770本國日光山に鎭座せる田心姫命湍津島姫命市杵島姫命を遷座し日光山女胎大権現と尊稱す 万治年間1658~61鹿沼城主安倍備中守崇敬ありて本社を再建せり 後天保七年1836中境内の古松に落雷し爲に本社破壊したるを以て同年十月本社建換造營せり 同十三年十月十日を以て神祇管領長上殿より宗源宣旨を以て女體三社大明神の神號を賜はらる 後文久年間1861~64前殿を再建す 後明治元年1868社號を改め鹽山神社と稱す 社域六百九十四坪高丘の地にして西南北の三方には山林を負ひ東は蒼々たる田圃に望み境内古樹雜生し深邃ニシテ風色頗る秀麗なり
沿革誌では塩山の塩の字を鹽でなく「土+鹵+皿」で植字していて入力できないので「鹽」で代用した。
道路から見える 石製両部鳥居
石祠二基 東武線方面
かなたに社殿が見える
昔の拝殿
社務所改築記念
左手 左手奥
本殿裏 右手に四基
鳥居方向 東武線が通過
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県鹿沼市塩山町1178

主祭神:磐裂神
ちょうど満開のソバ畑の奥の山裾に鎮座。遠くからは見えない。作業中の方に,まだ丈の低い杉林の先にあることを教わって進むと,朱色の木鳥居が見えてくる。右手の石像は左端から「正徳六年1716」,「宝暦十二年1762」,「享保十九年1734」とそうとう古い。 石燈籠に「正徳六丙申年1716・奉造立石燈籠二世安楽祈攸・四月十二日」の文字。300年前だ。
石段
昭和55年新築らしい 本殿
石板が敷かれている 手水石 正徳六年1716石燈籠
正徳六年1716 左手
左手 右手
もうひとつあった 旧鳥居跡
鳥居を見つける 鳥居右手
途中の石積み 写真中央に鎮座

 

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