星宮神社

[ほしのみや神社]

宇都宮市鐺山町128

境内社[八龍神社]

主祭神:瓊瓊杵命 境内社:八龍神社
後陽成天皇の御代1586-1611の創建と伝わる。鳥居脇の由緒立て看板には天正十七年1589創建とある。正徳元年1711ころは虚空蔵を名乗り,持福寺の支配下に置かれた。宝暦九年1759十一月に氏子持ちとなり,星宮大明神を名乗り,明治維新に際して星宮神社と改称した。(『鹿沼聞書』に別当持福寺と記録されているので『鹿沼聞書』は1759年以前に収録を開始していることが分かる。宝暦九年の根拠は『栃木県神社誌』昭和39年版による)
鐺山の交差点の500mほど東左手の山中に鎮座。
拝殿右手に木製の鳥居が立ち,石祠2基,石像2基,石塔1基が並んでいる。このひとつが八龍神社か,あるいは社殿内に相殿として祀られているか不明。右手前には石製金精様が大小4基立っている。
明治四十二年1909石鳥居。明治四十四年1911石燈籠。昭和五十四年1979旗杭。
鳥居左手に鐺山町公民館。
旧地名:鐺山町向畑 例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 星宮大明神 鐺山 持福寺
*『下野神社沿革誌』巻6-44丁(明治三十六年1903)
芳賀郡清原村大字鐺山鎭座 村社 星宮神社 祭神 天津瓊々杵命
建物本社三尺四方 雨覆間口九尺奥行二間 末社一社 華表一基 氏子六十二戸
本社創立不詳 社境二百六十二坪を有し 字向畑の清瀟の地に鎭す

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境内社の「八龍神社」は宇都宮市鐺山町(西山)450にあった。祭神は綿津見命。『栃木県神社誌』昭和39年2月11日発行には記録されている。
享保六年1721に星宮神社の摂社として創祠され,竜田彦神と竜田姫神を奉斎していた。
「龍神社」と呼ばれ鬼怒川を上下する船人に信仰されたが,明治初年ごろより神仏分離令にもかかわらず仏教風の「八龍神社」と称するようになり,ワタツミを奉斎して水神として崇拝されてきた。
当時は間口一間奥行き一間の流造。氏子は200戸,境内地は229坪であった。
明治四十二年1909石鳥居 由緒
星宮神社 右手奥に木製鳥居
金精さま
明治四十四年1911
南に水田を見下ろす 鐺山町公民館 鎮座の山
八坂神社

八坂神社/大杉神社

[やさか神社/おおすぎ神社]

栃木県宇都宮市鐺山町406

祭神:素盞嗚命
石井の鬼怒橋を東に渡って鐺山の交差点からすぐ左手に鎮座。享保年間1716-35社殿を造営。八坂神社と大杉神社の額が並んで架けられている。詳細不詳。
八坂神社/大杉神社額
126号線沿い
清原神社

清原神社

[きよはら神社]

栃木県宇都宮市鐺山町1850

栃木県農業大学校の123号線をはさんで北,居は等工業団地の南西の住宅地に鎮座。
清原神社 清原神社
昭和63年記念碑 開拓二十周年記念碑
旗杭 清原自治公民館
鐺山の交差点北東の竹下町830には高龗神社が鎮座する。竹下町398には永仁六年1298清原朝臣芳賀左兵衛尉高俊が飛山に弥棄,芳賀,竹下氏の氏神社として創建した大己貴命を祭神とする「館神社」があったが,昭和52年に高龗神社に合祀された。また,神明宮がつぎの記録に残っているがいまは見つからない。
『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡 神明宮 竹下 常念寺

 

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