星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県さくら市南和田606

旧地名:塩谷郡喜連川町大字南和田606
主祭神:経津主命 配神:磐裂命・根裂命 境内社:稲荷神社・加茂神社・愛宕神社・浅間神社
社号は「磐裂神社」から「星宮神社」に改称した
25号烏山矢板線が114号線と交差する三差路を西に行って江川を渡り,最初の信号を左折してすぐ右手の山腹に鎮座。
新調の旗杭が道路脇に立ち,石製鳥居が見える。
一直線に石段を上ると社殿。
2012年11月7日には外側にはどこにも社名を示すものはなかったが,2013年2月3日に再訪したところ拝殿に「星宮神社」の額が掲げられていた。
右手に愛宕神社と稲荷神社の石祠。左手に富士神社と浅間神社がひとつに祀られた木製祠と不明の石祠。昭和三年狛犬。 朱鳥元年686の創立といわれるので,要は創建不詳の古い神社。文政八年1825九月再建。昭和22年に修理が行われ,大社造の萱葺が昭和50年代にトタン葺きに改修されている。
明治35年の『沿革誌』と『栃木県神社誌』昭和39年2月11日発行では「磐裂神社」で記録されている。
拝殿内の昭和51年10月2日付け栃木県神社庁の感謝状宛名は「南和田 磐裂神社殿」
昭和52年発行の『喜連川町誌』には「磐裂神社」
拝殿内の和紙に書かれた年代のない由緒書きには「星宮神社」。同じく拝殿内の屋根改修の板書には「大字鎮守様星宮神社」と書かれている。昭和五拾の次が読めない。五拾壱か五拾二年だろう。
ここから推測するに昭和51-2年1974-5には「星宮神社」とも呼ばれはじめていたことが分かる。
『栃木県神社誌』平成18年7月12日発行が図書館で製本中で調べられなかったが,鹿沼の根裂神社宮司さんのご好意で読ませていただいたところ,「平成五年(1993)10月8日」に「星宮神社」に社号変更したことが書かれていた。 社お隣の方のお話しでは,現在は「星宮」というが「磐裂」も記憶にあるとのことだった。いずれの社号でも祭神に不整合は生じない。下都賀郡壬生町と鹿沼市の磐裂根裂神社の場合は,逆に星宮から磐裂根裂に変更されている。ここ南和田の場合は,おそらく江戸時代には「星宮大明神」で,維新に際して「磐裂神社」と改称し,平成に「星宮神社」に戻したのだろう。(参項:喜連川町と氏家町が合併してさくら市になったのは2005年3月28日)
*『下野神社沿革誌』巻八-13丁 明治三十五年1902
那須郡上江川村大字南和田鎭座 村社磐裂神社 祭神磐裂命根裂命 建物本社間口二尺奥行二尺七寸 拜殿間口九尺奥行二間 末社四社 氏子十八戸 社掌斎藤最仝郡湯津上村仝大字蛭田住 末社四社 氏子十八戸
本社勧請年月不詳社域三百十八坪字東山に在り

2012年11月2013年2月3日星宮神社の扁額
背後に山林南の水田から明治三十一年1898鳥居
石段を上る拝殿右手 左:稲荷神社,右:愛宕神社富士神社と浅間神社
大正四年1915拝殿内下の方左の額を拡大:磐裂神社殿
拝殿内右手左の板書を拡大:星宮神社本殿
拝殿内:正面紙に星宮神社の文字水田を見下ろす
旧旗杭入口のほほえみ仏鎭座の山

 

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