さくら市鷲宿の鷲宮神社・鹿嶋神社,於麻武稲荷神社,鷲宿庚申様,境権現
旧喜連川町の北西部,内川・245号線沿い鷲宿の神社。2012年11月現在,5社を確認しました。
鷲宮神社 鷲宿1326 鹿嶋神社 鷲宿588 鷲宿庚申様&不明社 鷲宿793
於麻武稲荷神社 鷲宿2800 境権現 鷲宿3661

鷲宮神社

[わしみや神社]


栃木県さくら市鷲宿1326

祭神:武夷鳥命
旧地名:塩谷郡喜連川町大字鷲宿1326
社柱に「大正四年1915十一月十五日指定」「神饌幣帛料供進社」「村社鷲宮神社」
石燈籠に「文政四年1821」が読める。
狛犬台座に「昭和貳年二月」「石工手塚??」
拝殿額に「護皇基」
左手に大谷石製で朱塗り扉の御輿倉。
自然石の「熊野神社」「熊野山」
昭和37年「伊勢神宮参拝記念」碑,「昭和55年「富士頂上浅間神社参拝記念」碑
『鹿沼聞書』では鷲宮大明神,半世紀後の『下野掌覧』では鷲宮星宮と記録された。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 鷲宮大明神 (空白)
*『下野掌覧』万延元年1860
鹽谷郡之部 鷲宮星宮 鷲宿村鎮座 祭主村上氏ナリ **『下野神社沿革誌』巻七-14丁 明治三十五年1902
鹽谷郡喜連川町大字鷲宿鎭座 村社鷲宮神社 祭神武夷鳥命 祭日陰暦九月十九日 建物本社間口四尺五寸 奥行四尺 饌殿間口三間奥行九尺杉皮葺 拝殿間口三間奥行二間萱葺 木鳥居一基 石燈籠一基 祭器庫間口九尺奥行六尺一棟 氏子百十三戸総代六員 社掌村上健彦同町同二十一番地住
本社創建年月は遼遠にして詳ならす殊に天明年中祝融の災に罹り記録等悉皆烏有に屬す故に明記するものなし…略…社域百五十坪内川の沿岸に在りて往昔は廣大なる境内なりしも内川大洪水の都度々々境地流失して今僅の現地あるのみ 本社は鷲宿の西北部に位し艮より巽方には山嶺屈曲し西より東南には倉ケ崎の山脈綿亘し内川は大字中央を貫き境下を流れ淙々として鳴り三方の白櫻多く花時には恰も雪に埋るゝか如し秋は連山の紅葉錦を抽き冬夜は一團の月東巓より昇り其影内川に映し西方には黑髪の山峰峨々として雲表に聳へて崔㟴たるを望む四時の風色頗る秀麗なり
文政四年
拝殿額
御輿神倉熊野山熊野神社
内川方面背後の内川側から
鹿嶋神社

鹿嶋神社

[かしま神社]

栃木県さくら市鷲宿588

祭神:武甕槌命
旧地名:塩谷郡喜連川町大字鷲宿
鷲宿171番地・平山観光りんご園裏の山頂に鎮座。鳥居額に「鹿嶋大神宮」
鳥居をくぐると二股に分かれる。直進して登坂すれば境内社にたどり着く。ただし45度くらいの急坂で階段もなにもないので転落の危険がある。
左手に入ってしばらく登ると左手に石段が見える。ここを行けば本殿にたどり着く。右手に上れば境内社へ。
息を切らしてしばらく上ると社殿が見えてくる。とても静かな境内だ。杉の幹の間から,はるか下方の稲刈りを終えた田が見える。かなりの高度だ。 社殿は左右に分かれており,右手に木製の祠が見える。左手は神倉かも知れない。境内社も含めて詳細は不明。
*ここは最初の参拝の時には,ご本殿までたどり着けませんでした。途中から雨になり,胸高の草も延々と続き,登坂が困難になりました。真下のお宅のおばあさんにお話しをお聞きできました。鹿嶋神社と呼んでいます。11月19日が祭日で,その前に草刈りなど整備がなされ,甘酒がふるまわれるそうです。土俵もあるということでした。11/22に再挑戦してきましたが土俵は今はありませんでした。
奥の山上に鎮座鹿嶋大神宮左手に進む
11/19以前の参道石段を見つけて上るやっと社殿が見えてきた
とても美しい鳥の声だけが聞こえる
右手の本殿左手不明はるか下方に田園が
石段の右手を登る境内社2社祀られている
登り口右手の石祠入り口中央の紅葉の切れ目の向こうの
山頂に鎮座
鷲宿庚申様

鷲宿庚申様&不明社

[?]

栃木県さくら市鷲宿793

旧地名:塩谷郡喜連川町鷲宿
鷲宮神社の北の道を東に進み大日向CC入り口を入って,矢口公民館の先右手に「鷲宿庚申様」のお堂が立っている。
「喜連川町指定文化財 石造青面金剛菩薩??庚申塔二基・所有者鷲宿矢口庚申講」の木製標識。
多数の庚申塔が残されている。今回は暗くなりすぎてよく確認できなかったが「享和二戌1802十二月」など200年以上前の石塔もある。これだけ集まっているのはこのあたりでは珍しい。
さて,お堂の右手に丸太の階段があり,上方に鳥居が見える。小雨の中を登っていくと小ぶりながら瓦葺きの社殿があり朱色の本殿が納められている。拝殿額は破損していて文字は読めない。右手に着色石祠が二基。どこにも文字は見えない。訊ねる人も見当たらず,社号は不明である。ご存じの方,ご教示いただけますとありがたいのですが。
本殿読めない右手に2社
ほの暗い鳥居から見下ろす
坂の途中右手お堂右側に階段
指定文化財標柱庚申塔群享和二戌
於麻武稲荷神社

於麻武稲荷神社

[?]

栃木県さくら市鷲宿2800

旧地名:塩谷郡喜連川町鷲宿2800
鹿嶋神社の真南,内川を渡って74号線沿いに鎮座するバランスのいい神社。石製一の鳥居,朱着色鉄製二の鳥居,白壁の瀟洒な社殿。拝殿内には石祠本殿。
大正九年1920九月「稲荷神社碑」に「稲荷神社再建記 社殿之荒廃有識之士惜之」に始まる漢文が刻んである。秋元重光撰文・要田寛書。
これを受けて平成七年三月鷲宿下原結社一同撰文佐藤正大「於麻武稲荷神社改築記念碑」に「旧祠は,大正十年に吾々の祖先が建築したものである。…世は進み生活は変っても,於麻武稲荷神社は,下原結社住民の心の寄りどころとして,永久にこの地に鎮座ましまし,御加護を垂れ賜わることを確信するものである…」
学識豊かな氏子さんたちが敬神の伝統を綿々と受け継いでいるのが分かる。
近くのお宅を5軒訊ね回ったが,社名がよく分からない。みなさん「おいなりさん」と呼んでいる。60代の方がお一人,「不確かだが,[おおまえ]稲荷」とおっしゃっておられた。この方に近くの「疱瘡神」を教えていただく。
一の鳥居二の鳥居
本殿
稲荷神社再建記改築記念碑
近くの疱瘡神田の中に鎮座
境権現

境権現

[さかいごんげん]

栃木県さくら市鷲宿3661

旧地名:塩谷郡喜連川町鷲宿
48号線で喜連川工業団地を抜け,大日南CCを過ぎた三差路の信号右手に鎮座。
木製鳥居の奥に小ぶりの覆屋があり震災で崩れてしまった石祠が2基納められている。境権現の木札が残っている。詳細は分からない。

 

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