磐裂根裂神社

[いわさくねさく神社]

栃木県下都賀郡壬生町安塚1772

主祭神:磐裂神・根裂神 配神:大日靈貴命・武甕槌命・火産霊命・建御名方命
旧地名:壬生町大字安塚字坂下
121号線栃木街道淀橋南交差点の南西に見える「亀塚古墳」に鎭座。通称「いわねさん」,恵方巻風習発祥の社で「福巻寿司発祥の地」の石柱が恵方神社脇に建っている。
元亀元年1570本殿造営。明治七年1874九月二十九日に安塚神社に昇格し,磐裂根裂神社と改称。『栃木県神社誌』昭和39年版の社伝では「安塚神社」に昇格と同時に改称しているように読める。安塚神社の前の社号は『鹿沼聞書』記録の安塚がこの地を指すのであれば江戸期には星宮大明神。別当が神宮寺なので間違いないだろう。安塚405にもう一社磐裂根裂神社があるが,旧地名が長田であり,規模からもこちらと比定した。
安塚南原949にあった白山神社(祭神:伊弉諾命・伊弉冊命 境内社:稲荷神社)は平成12年11月に,こちらに合祀され本殿の裏手右に祀られている。白山神社の由緒に「坂下古屋敷に住家をなしたが水害があるため南原に移った。その時に石川県河内村三宮の白山比咩神社の分霊を祭った」とあるので[しらやま神社]である。
この「白山神社」は大化の改新以前の創建と伝わる下野古社19社の一つなので,忘れられないように書き加えておく。
ここから121号線を西に上田交差点に行くと上田の磐裂神社。そこから1.5キロ北上すると鹿沼市上石川の磐裂神社。さらに1キロ北上すると根裂神社。西に行くと中泉の磐裂根裂神社。磐裂神・根裂神が集まっている。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 星宮大明神 安塚 神宮寺
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 4巻25丁
下都賀郡南犬飼村大字安塚鎭座 村社 磐裂根裂神社 祭神 表筒男命 底筒男命 祭日陰暦三月廿九日/九月廿九日 建物本社間口二間奥行二間半瓦葺但文化十三年1816再建槻造四方彫物付 石鳥居一基 石唐獅子一對奉納人川野邊吉藏 手洗石奉納人栃木町塚田屋周吉鈴木七左衛門佐藤忠藏 末社七社 氏子百三十戸惣代三員 社掌鈴木貞三郎仝村仝大字住
社傳に曰く本社は本村開闢と共に勸請せし由なれとも創立年號詳ならす 往古は星宮大神と稱せしか維新の際社格改定と共に 磐裂根裂神社と改稱して村社に列せらる 因みに云ふ本村は元和年間1615-24迄は仝(<今)字古屋敷と云ふ處に人家ありしか水害の為めに今の宿内に移住せし事明かなり 故に今の社地に其際宮殿を遷坐す 別當は安福山神宮寺にて維新の初めまで奉仕せり 嘉永二年1849三月を以て神祇伯より正一位の神階を進めらる 社域二百一坪字宿内街道の西側にあり 本社巨大壯観美麗にして東小學校に望み後ろに大森林を負ひ境内には老杉蓊欝北に竹木林を控へ東南北には人家櫛比し平地と雖も淸風の颯々たるを聞けり
『下野神社沿革誌』では祭神が一世代新しくなっている。社殿造営と社号変更の時期も異なる。さらに白山神社の由来が混入しているようだ。これは『栃木県神社誌』のデータ提供側が混同しているかもしれない。「宿内」は現在地の古名なので『沿革誌』はここの社の記述にまちがいないだろう。やはり昔は星宮大明神であった。
「東小学校を望み」とある小学校は未調査。現在見えない。
史跡亀塚古墳
井戸?
古墳をめぐる七福神案内板 七福神の一番目
左から八坂・稲荷・天満宮 右端:白山神社
八坂神社 大杉神社
若宮神社 夢福神
亀塚に因んで 夢福神長寿神水 県内九社が書かれている
恵方神社 2013年は南を向いている 2012年は北を向いていた
社務所 西の入口から 東の入口から
栃木街道沿い 栃木街道から 鎮守の杜
磐裂根裂

磐裂根裂神社

[いわさくねさく神社]

栃木県壬生町安塚405

主祭神:磐裂命・根裂命
おもちゃのまちの北,姿川の西300m。田園地帯の森に鎭座。古墳様の盛土の上に建てられている。すぐ北に神明神社。
入口が分かりにくいが,このあたりでは大きな森なので見つけやすいだろう。車は参道入口に停める。
明治三十二年1899鳥居。大正三年1914手水石。明治八年1875石燈籠。
文政二天1819雷電塔のとなりの社は平成六年改築。
明治三十二年鳥居額
磐裂根裂神社額
左手 左:雷電塔,右:不明社
左:御輿倉 鳥居脇の石塔
 
入口 鎮守の杜

 

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