宇都宮市中心部の神社
宇都宮駅西部の繁華街・東武駅・県庁・市役所近辺の神社を訪ねてきました。
二荒山神社(ふたあらやま・馬場通り1-11)は規模が大きいので別のページで紹介します。「八幡山公園近辺」と「稲荷神社」も別項にしました。高龗神社は別の項にまとめて紹介しました。

八幡宮

[はちんまんぐう]

栃木県宇都宮市南大通り1-4-5

祭神:応神天皇 境内社:稲荷神社・猿田彦神社
旧地名:宿郷町1
JR宇都宮駅から駅前通りを渡り南東方向,田川の手前。
宿郷町の一部は昭和49年に「南大通り」に町名が変更された。
安倍貞任討伐に向かう源頼義義家親子が戦勝祈願した草結の宝殿を康平五年1062以降に改築して八幡宮にしたことから,別名「草結八幡宮」。昭和20年の米軍無差別空襲によりすべて消失し仮宮のままであるが,346坪の広い境内はそのまま残っている。 『下野神社沿革誌』では祭神は応神天皇の実名とされる譽田別命で記載。
例祭:9月第一日曜日 345坪
*『下野神社沿革誌』巻五-50丁 明治三十五年1902
河内郡宇都宮市大字宿郷鎭座 村社 八幡宮 祭神譽田別命 建物本社間口五尺六寸奥行三尺四寸 末社四社 氏子六十六戸
社傳に曰く後冷泉天皇の御宇天喜年中源義家奥州征伐の勅命を奉し奥州下向の時將帥宇都宮に淹久す時本社草結賽殿に詣て賊滅を祈願す 遂に康平五年壬寅十一月廿九日賊貞任を誅して奥州悉く平け凱旋の歸途草結の寶殿に賽し改造して輪奐たる宮殿となせしと云ふ 故に今に里俗草結八幡宮と云ひ博ふ 社域三百四十三坪平坦にして淸洒の地に在り
拝殿 本殿
稲荷神社・猿田彦神社か 付近の不明社1 付近の不明社2
八坂神社

八坂神社

[やさか神社]

栃木県宇都宮市今泉4-16-28

祭神:須佐之男尊 配神:国之常立尊・天照皇大神・菅原道真公
境内社:八幡宮・多賀神社・祈雨止雨神社・淡嶋神社・厳島神社・三峯神社・雷電神社・年徳神社・稲荷神社・菅原神社・竃神社・松尾神社・八衢神社・風神社 境外社:神明祖霊社
康平年間1058~65に粟田関白宗円が宇都宮に城を築くにあたり丑寅の鬼門除けとして今泉郷に創建。神明宮と称した。江戸期に三度消失。明治三十九年博労町から1906今泉字七里川に遷座。
明治四十三年1910博労町の八坂神社と合併して神明宮から八坂神社に改称した。同年,字北河原の菅原神社,字旭河原の旭神社を合祀。博労町の名は今はないが篠原家住宅の近辺。
平成10年社殿の造営に着手し12年に遷座式。
手水石に「天保十四癸卯年1843六月吉日・下中組連中」
昭和三十四年1959参道敷石奉納記念碑 社殿右手のイチョウの下を奥に進むと石祠三基,左端の変わった形が甲子大神,右端が稲荷大明神で,真ん中に高龗神社などの合祀社が祀られている。ちなみにここの宮司さんは下戸祭の高龗神社社掌も兼務なさっている。「天明八年1788戊申十二月」石燈籠一対。
社殿左手の大谷石の蔵の脇に天満宮。その裏手に「五百四十年十月日」と読める旧鳥居柱が保存されている。五百四十が不明。現在の鳥居は明治四十五年1912四月建立。鳥居の寄進を受けたのは宝暦十年1760,明和二年1765,火災後の明和九年1772と短期間に三度。石製かどうかは分からない。
社務所右手の「神明水」は目に効くらしい。すくって飲んでみると冷たくて気持ちがいい。
例祭:2月最終日曜日・7月15日・11月23日 637坪
例祭日に神田明神伝来の出雲流神楽が奉納される。天王祭の一週間,歴史を題材にした飾り物を境内に掲げ,囃子を奏し神輿を繰り出す。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡 神明宮 今泉 薛田大和
*『下野掌覧』万延元年1860都賀郡之部
神明宮 今泉村鎮座 祭主葭田氏ナリ
*『下野神社沿革誌』巻五-50丁 明治三十五年1902
河内郡宇都宮市今泉字天王鎭座 村社 八坂神社 祭神素盞嗚命 建物本社間口三尺奥行三尺 拜殿間口二間奥行二間半 末社三社 氏子百七十一戸
本社創立詳ならす 社域二百十三坪を有す

由緒沿革 神楽殿 神楽殿内
手水石 参道敷石奉納碑
イチョウの根本
社殿右手 天満宮
不明の柱 神明水
飲んでみた
宇都宮城守護神社 奥州街道沿い
菅原神社

菅原神社

[すがわら神社]

栃木県宇都宮市天神2-2-7

祭神:菅原道真公・大日孁貴命 境内社:稲荷神社
旧地名:中河原町987
田川のすぐ西,旭中学校の南。昭和49年に中河原町から天神に町名変更。
一条三丁目の天満宮が宇都宮城の西の守護神に対して,こちらは東の守護神。
例祭:5月27日 177坪
  由緒書き
宮の細道立て看 本殿左手に稲荷神社
三峯神社

三峯神社

[みつみね神社]

栃木県宇都宮市大通り5-3-2

R宇都宮西口を出て大通りを西に進み田川を渡り次の信号を右折し,田川に架かる橋の手前左手に鎮座。裏に妙正寺。元は上河原町で昭和49年に大通り五丁目に変更された。
大正十五年1926の社号標には「三峰山神社」,右手の石柱に「橋爪五郎墓」
拝殿額は「三峰山神社」,鳥居額は「三峰神社」,明治四十五年1912の手水石には「三峯神社」
「二荒山神社にかかわる悲話」は未調査。
三峰山神社の文字
右のふたつが墓 三峯神社の文字
三峯神社

三峯神社

[みつみね神社]

栃木県宇都宮市一番町1-13

JR宇都宮西口を出て大通りを西に進み田川を渡り次の信号から二番目の路地を左折して比企病院の西側に鎮座。元は大町で昭和49年に一番町に変更された。大町通りにその名が残る。
詳細は不明。
鳥居向かいに公園があり,おしどり塚がある。
おしどり塚
おしどり塚解説    
三峯神社

三峯神社

[みつみね神社]

栃木県宇都宮市三番町2-11

JR宇都宮西口を出て大通りを西に進み田川を渡り次の信号を左折して200mほど行くと右手に。元は押切町で昭和49年に三番町に変更された。現在の旭橋も押切橋と呼んだ。菊水祭に掲げられた幕には「三峯神社・押切町」の文字が残る。
詳細は不明。
琴平神社

琴平神社

[ことひら神社]

栃木県宇都宮市曲師町4-63

祭神:大物主神 境内社:稲荷神社・足尾神社・道隆神
二荒山神社を背に,昔の名=仲見世通りを南下してオリオン通りを渡ってすぐ右手に鎮座。
江戸中期の創建らしい。
昭和二十年1945の米軍による無差別民間攻撃によって,このあたりは火の海となり,琴平神社も全焼した。石燈籠も被害を受け戦後60年を経て損傷著しく,寄進を受けて再建した旨の平成20年の銘板が右手の燈籠台座に取り付けられている。
町名の[まげし]の由来は天和年間1681-4に檜や杉板を曲げて櫃hitsuや桶okeをつくる曲物師が移り住んだことから。初期には棬師と書いた。
宮の細道立て看   道隆神 足尾神
猿田彦神社

猿田彦神社

[さるたひこ神社]

栃木県宇都宮市宮町3-18

祭神:猿田彦大神
旧地名は宮島町で昭和49年に変更されて宮町にされてしまった。宮島を宮に変更する必要は行政区画上もなんの理由もないのだが。だれが決めたのやら。
大通り1丁目交差点を北に入り最初の路地を左に行くとすく右手に。「猿田彦大神」と「稲荷大明神」の社号標が左右に建っている。宮島町児童公園奥の正面が猿田彦神社。拝殿内に享保六年1721猿田彦大神の扁額。境内左手に朱色鳥居の稲荷神社。
撮影日は2012の菊水祭初日。下町渡御供奉役がここの猿田彦の面を被って鳳輦渡御の先導をつとめる。
菊水祭の日 猿田彦大神額と猿田彦面 猿田彦大神
稲荷大明神 左手に稲荷神社 入口
水天宮

仙浪水天宮

[せんなみすいてんぐう]

栃木県宇都宮市・千波町8-1

祭神:水波伸売命(罔象女神のこと)
宇都宮役野北西,田川右岸に鎮座。田川を背にお参りする形になっている。
伊弉冊命が軻遇突智命を生んでその火に焼かれ亡くなる前に二神を生む。「其の終りまさむとする間に,伏して土神埴山姫と水神罔象女とを生みたまふ」(『日本書紀』神代上第五段一書第二)
罔象女は[みつはのめ]。『古事記』では彌都浪能賣神[みつはのめのかみ],闇御津羽神[くらみつはのかみ]。その後祭神としては「水波伸売命」「水波之女命」「水速女命」などとも表記される。水をつかさどる神で,暴れ川「田川」に悩まされた住民が昭和22年1947のキャサリン台風による大洪水災害後の昭和28年1953に創建した。
塙田町,清水町の一部が1974年の住居表示実施により千波町になった。
田川と水天宮 昭和32年1957額 昭和28年1953額
神明宮

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県宇都宮市一条3-4-24

祭神:大日孁貴命 配神:迦具土神
旧地名:宇都宮市大黒町1672
東武宇都宮駅の南西,蓬萊大黒通り沿いに鎮座。町名は変更されてしまったが,道路名に「蓬萊大黒通り」として残っている。
由緒沿革は不明。
例祭:1月15日 5月15日 9月15日 49坪
神明宮 古そうな石祠
菅原神社

菅原神社‏/天満宮

[すがわら神社]

栃木県宇都宮市一条3-5-32

祭神:菅原道真公
東武宇都宮駅の南西,蓬萊大黒通り沿いに鎮座。旧地名:蓬萊町1636番
天神二丁目の天満宮=菅原神社が宇都宮城の東南の守護神に対して,こちらは西南の守護神。
拝殿左手に石祠5社。氏子の方にお聞きしたところ,東日本大震災で壊滅したが,中国に発注してすべて新調。このうち1社は個人の崇敬社だったらしいが,それも復活させたという。
拝殿額は「天満宮」だが『栃木県神社誌』(昭和39年2月11日発行)記載の社号は「菅原神社」。維新の際に「宮」が使えなくなって変更させられた社号のまま現在に至っているのだろう。天満宮から北野神社に改称したところもある。国家神道から自由になって隠しておいた旧社号額を架け直す社も多いので,そのうち天満宮に戻るかもしれない。
例祭:5月25日 184坪
二宮金次郎石像  
宮の細道立て看 稲荷石祠5社 「一金千圓也」石碑
須賀神社

須賀神社

[すが神社]

栃木県宇都宮市泉町4-12

祭神:素盞嗚命
県庁前通りを北上し釜川を渡ってすぐ左折,真福寺手前右手に鎮座。
社号標右手の文字は「壽町氏子中」
詳細は不明。
須賀神社 壽町氏子中
神明宮

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県宇都宮市泉町3-5

上記須賀神社の60m東に鎮座。社号標に「鎭守神明宮」とある。泉町鎮守である。
由緒沿革は不明。
三峯神社

三峯神社

[みつみね神社]

栃木県宇都宮市小幡1-3-19

祭神:伊弉諾命・伊弉冊命
大通りから旧日光街道清澄通りに入ってほどなく左手に鎮座。
左社号標に「三峯神社」,右社号標に「八坂神社」
由緒書きに「当三峯神社は天保三年1832武州三峰山(火防の神)の分身を頂き建立奉祀したのが始まりとされています」
拝殿額は「三峯神社」
鉄柵で保護された石燈籠は昭和12年のもの。
由緒  
琴平神社

琴平神社

[ことひら神社]

栃木県宇都宮市清住1-3-30

祭神:大物主命
境内社に戌亥天神菅原神社・三峯神社
県庁の西にある下野新聞社の西側坂を上って最初の路地を右に。旧日光街道清澄通り桂林寺入り口が正式な参道。鳥居,続いて左手に清住不動尊。正面が琴平神社。立派な神楽殿を備え,昭和31年の「宮比講太々御神楽奏楽記念碑」が建っている。宮比流は二荒山神社と同流派。
もとは桂林寺に縁の深い「菅原神社」の境内社で小さい石宮であった。隣りに住んでいた武田好彌氏が明治初年頃に東国より訪ねてきた琴平神社を崇敬する若松鐡五郎氏とともに社殿改築に尽力する。好彌氏は佐貫に参拝して同地で病死し,妻とり子氏が明治九年1876に琴平神社の神社加列を官に請願して認可を得,私有地72坪を奉納して社殿を新築した。養子の吉造氏も敬神の念厚く,太々神楽講を組織し,神楽殿を造営する。明治二十五年1892に清住町民に管理を依頼し今日に至る。菅原神社は社殿右手に祀られている。
例祭:10月10日 境内地:319坪(元の菅原神社246余坪+奉納地72余坪)
*『下野神社沿革誌』巻五-51丁 明治三十五年1902
河内郡宇都宮市淸住町鎭座 無格社 琴平神社 祭神大物主命 祭日陰暦三月十日十月十日 信徒六十戸 社掌重田敬宇都宮市淸住町 建物本社間口四尺奥行四尺板葺 拜殿間口三間奥行二間栃葺 神樂殿間口三間奥行三間 鳥居一基
社傳に曰く勸請年月詳ならす 往古より菅原神社の傍に少さき石宮に斎き祀れるなり 此境内に接續せる武田好彌か深く信仰祈誓せしに屡靈驗の著るしくありしを聞傳て遠近の人々詣するに至る 茲に明治の初年東國の人若松鐡五郎なるもの武田好彌を訪ひ來りて曰く我れは琴平神社を尊崇すること年久し故に種々の神恩を豪りし事あり君も又琴平神社を敬すると聞く故に來りて接するなりと 好彌も亦其信心の厚きを感賞し互に神恩の厚深なるを語りて止まず滞留すること數十日終に好彌と兄弟の交誼をなすに至れり 之に依りて相互に戮力同心して當社殿を改築せん事を謀りしなり 是より先き生國にて土方職をなせし時領主城中に土木の事あり 鐡五郎其工事を請負城中に出入地固めに従事し人夫と共にきやり拍子の歌を嘔唱す 其音聲の瞭くを城主某の令嬢聞へて心動き戀慕の情發し鐡五郎に相見んことを切に欲せられ折しも鐡五郎工事の爲に奥庭に來りしを幸ひに令嬢忽に鐡五郎を見留め密に出て近つき告くるに其情實を以す 鐡五郎大に驚き其義に於てなすべからさるを説くも令嬢言を容るの色なく茲に於て鐡五郎意を決し相携て走る 領主大に怒り命を遠近に傳へて捜索甚た嚴なりしかは數日を出てずして捕らる鐡五郎嚴刑に處せんとす期日に至る前一夜領主某の枕邊に神あり告て日く鐡五郎を刑する時は必す三日を出てずして汝も叉亡ふべしと云 故に汝は誰なるやと云ふも敢へず金色の幣となりて天空に登ると夢覺めて驚き有司を召して鐡五郎を尋間せしに鐡五郎曰く有る無し只常に琴平神社を崇敬すると答ふ 領主手を拍て果して之なりと終に鐡五郎の罪を赦し問はさりしとはなりぬ 是誠に平素信仰する琴平神社の救護なりと愈信心して祈誓すらく叉生涯女人に交通を斷ち直に旅装を整ひ讃岐國琴平神社に詣り祈誓する數日護身の神符を請ひて斎し常に奉戴して怠ることなしと云ふ 鐡五郎遂に病を得て宇都宮にて死す將に瞑せんとするに及ひ好彌に云ふて曰く予死する後は魂魄必す讃岐の琴平山に至るべしと言終りて冥す 鐡五郎歿するまて生國叉災害に罹りし處を告けさりき時字都宮某寺住職宗用の爲めに京都に上り事終りて將に歸宮せんとして東海道を下る某宿に至れは鐡五郎旅装して上り來るに逢ひ住職曰く汝何れに行く答て讃岐の琴平神社に詣せんとす貴僧幸に歸宮の日此地に逢遇せしことを我か叔父に傳られよ殊に我叔父の家は貴寺の旦徒なれば將來懇篤の交信を望む某僧諾して互に東西に別るゝ歸宮の日直に叔父の家に到り鐡五郎の傳言を通知するに叔父某曰く此必ず別人ならん彼れは既に死去せり指を屈して算するに貴僧の會偶せし日は死后の三日目に當る此に於て互に驚愕して須らくありて是必す鐡五郎の靈魂ならんと云へ居りしに好彌此事を聞へて正に靈魂なり彼れ先きに冥する時我に告くるに死すれば必ず琴平山に行き魂を止めんと遺言せりと 信徒等此事實を聞傳ひ奇特を唱へて止ます故に鐡五郎の靈を奉招して祭典をなす 好彌又程なく讃岐に参拜し同地に於て病歿す故に本宮の近傍の寺院に葬りたり 其后武田好彌の妻とり子亡夫の遺志を繼きて明治九年中琴平神社の神社加列を官に請願して公の認可を得自己の所有地七十二坪余を奉納して民有社地となし宮殿を新築す 亡武田好彌嗣子なし依て同町小池吉造の二男を養ひて相續せしむ叉小池吉造も深く信仰し百般の整理に力を盡し神楽殿を新築し大々神樂講社結成等に其他種々功勞ありしも元來商業者にて忙しきを以て同廿五年中将來の保存方法萬事を淸住町へ倚頼し町民一般の負擔となす 社掌を推薦し重田敬を以て乗務せしむ 明治年中本縣知事樺山夫人敬神の心深く毎に本社に詣せられ數十株の根を献納せられ境内に植付今特に盛隆にて春時に至れば絢爛たる万朶白雲の如し ニ荒山招魂社の櫻樹と相映し艶色の競ふるに至る 故に社掌重田敬か櫻の彌や盛りに茂るを喜ひて此の由縁を永遠に残さんとて社頭の櫻と云ふ歌の題を撰び樺山夫人を始め有志に乞ひて和歌を蒐集す 詠歌數多あれと煩を略きて其一二を出す
樺山直子
手向にし神のいかきの若櫻八千代をかけてさき榮ゆらん
おもひつゝ神にさゝくる花櫻千代萬世の春に匂はん
重田敬
すかすかしみかきの花の色をこそ手向し人の心とは見れ
梅園春雄
若櫻神のこゝろにかなひてそうへます君を千代まもるらん
本社境内七十二坪余高燥の地にして東は釜川の流れを望み南北菅原神社の境内に接し櫻樹蓊蔚として囲繞し景趣頗る深邃にして常に賽人多くために提灯額面及常夜燈數際りなく献納あり
*『下野神社沿革誌』巻五-50丁 明治三十五年1902
河内郡宇都宮市淸住町鎭座 無格社 菅原神社 祭神菅原道真公 祭日陰暦正月廿五日 信徒九十五戸 社掌重田敬宇都宮市淸住町 建物本社間口四尺奥行四尺瓦葺 末社五社 水盤屋一棟
社傳に曰く応永三丙子年1396宇都宮下野守持綱の母桂林院殿禪尼深く信仰せられ松峯町松峯山桂林寺境内に勸請せられしか今を離る三百年前宇都宮城改築の節今の淸住町へ桂林寺と共に移轉遷座せしむ 以來桂林寺の鎭守神とし代々崇敬し宮殿の修理を加へしか明治元年1868兵燹の爲に拜殿其他の社宇悉く消失し只本社のみを残せり 明治五年神佛分裂の制度に随ひ桂林寺境内を分割し菅原神社の境内地となし宇都宮二荒神社の攝社とし淸住町の負擔に屬せしか今の社掌重田氏を推擧し縣知事の認可を得て獨立して無格社となる 境内は淸住町通り往還より三十間東側にあり社域二百四十六坪高峻の地にして梅櫻枝を接て相連なる 東は直に斷崖數十尺の下に釜川の流れを隔て塙田戸祭の耕地を越へ八幡山を望み宇都宮市街は栃木縣廰を始め二荒山及ひ招魂社南に向ひは監獄署宇都宮舊城址を下瞰する等殊に絶景なり 毎歳の祭典には賽人麕集して境内ために雑沓を極む
清澄通りから 神楽殿 拝殿額
宮の細道立て看 旧鳥居刻印を転記した板書 拝殿左手の三峯神社
拝殿右手の菅原神社 清滝不動尊
滝尾神社

瀧尾神社

[たきお神社]

栃木県宇都宮市滝谷町20-22

祭神:田心姫命 境内社:猿田彦神社・稲荷神社・水神社(罔象女神)
旧地名:宇都宮市西原町字滝谷1397
栃木街道と平成通り滝尾町交差点の東北道路沿いに鎮座。作家水上勉氏寄贈の桜が植えてある。
滝の権現さまと呼ばれて親しまれ,宇都宮七水の一つが境内にあった。
昭和11年に社殿を改築。由緒に「境内は清泉湧出し旱天も涸れず厳寒も凍らず付近の者用水とした。…その水は流れて水田に注ぐ。宇都宮七水の一なり」とある。ああ,昔のことだ。
例祭:4月17日 322坪
*『下野神社沿革誌』巻五-50丁 明治三十五年1902
河内郡宇都宮市西原字瀧谷鎭座 村社 瀧尾神社 祭神田心姫命 建物本社間口一間奥行一間半 拜殿間口二間奥行一間半 氏子二十二戸 社掌萱生英尊
本社創立詳ならす 社域三百三十四坪を有す
  宮の細道立て看
稲荷神社
猿田彦大神 名水の名残池
滝尾神社

滝尾神社

[たきお神社]

栃木県宇都宮市鶴田3215-3

祭神:田心姫命
住所は鶴田であるが上記滝谷町瀧尾神社の交差点を挟んで斜め向かいに鎮座。権現様と呼んでいる。広い境内地だったが,現在はこじんまりした三角地になってしまった。詳細は不明。
 
龍神社

龍神社

[りゅう神社]

宇都宮市・下戸祭1-13-17

高龗神社境外社・祭神[高龗神]

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
高龗神社の鎮座する山の西の端に鳥居付きの小社が見える。高龗神社の境外社の「龍神社」である。祭神は「高龗神」。
『栃木県神社誌』旧版で,「境外神社」と表記しているが,本社の鳥居から30mくらい離れているので「外」になるのだろう。
実際,鳥居をくぐった内側にあるという感じではない。
合祀して遷座したのか,もともとこの地にあったのか不明であるが,本社の方は明治6年にこの山に遷座しているので,それ以前からここにあった可能性が高い。

ここは二荒山神社のある山の西300mくらい離れた小さい山で,町中より高い位置にあるので,昔なら鳥居から富士山が一望できたにちがいない。日光の男体山はいまでも見ることができる。
近くには伏見稲荷,蒲生神社,須賀神社など。

樹木の向こうに高龗神社
     

 

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