高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・鶴田町1261

使用文字[龗・靇]

主祭神:高龗神,闇龗神

祭神は『栃木県神社誌』では「高龗大神」[たかおかみのおおかみ]
配神:闇龗[くらおかみ]大神,素戔嗚神(『栃木県神社誌』旧版では2神とも配神ではなく主祭神に並列)
羽黒山の東に広がる田園地帯。宇都宮環状線と楡木街道の交差点北東。
現在は住宅が建ち並び,区画整理で道路が何本も敷かれつつあるが,ほんの20年前はあたり一面田んぼしかなかった。2014年までに境内の樹木は切り払われて写真の面影はない。
拝殿額文字は「高龗神社」正式。額の隣に祭神として「高龗大神(上り龍),闇龗大神(下り龍),素戔男神」の文字が板書されている。「たかお」「やみお」とルビがふってある。掲額は昭和46年,鶴田町氏子一同。祈雨祈晴の最強コンビが祀られている。
「やみお」はもちろん誤りで,「くらおかみ」が正しい。「たかお大神」も「たかおかみ」と読めなかったために神社の通称をルビにしてしまったのである。
*『鹿沼聞書』によれば江戸期にはまだ[タカオカミ神]と称し,神仏分離で高龗神社に改称した。
「すさのお」の「さ」の字は小生には判読できず。佐でも戔でもない。
その左の昭和43年の奉納額は正式な口3つ付き。
拝殿の昭和4年,昭和15年の奉納額は正式な口3つ付き,昭和17年奉納額の文字は「雨+龍」口なし。
口3つなしの字はもう一か所入り口の鳥居の左に立つ昭和2年の社柱に見える。
「おかみ」字は同一神社内でもこうして混在してしまっている。理由は龗字の画数が多すぎるからである。奉納されるとなかなか誤字に文句をつけられないという事情もあるだろう。
また,数を調べていくうちに分かってきたが,口をはぶいても雨+龍を使っているところはまだまだ上等の由緒正しい高龗神社である。
「雨+罒+龍」は口三つだと石に刻字しにくいための工夫と考えることもできるので,正字として扱っていいだろう。
なお『栃木県神社誌』平成18年版では,宇都宮市の高龗神社の祭神名は高龗神または高龗大神の表記に[たかおかみのかみ]「たかおかみのおおかみ]のルビを振っており『日本書紀』の読みを採用し,社号の読みは[たかおじんじゃ]で統一している。
寛政10年1798の石灯籠。文久4年1864の男体山と読める自然石。立派な男根石柱などがある。
境内社に大正二年2月17日に合祀した無各社の「高龗神社」と「八坂神社」。その後鶴田長沼水神様と羽黒山を加える。水神由来は平成14年のもので,ここでは口3つ付きの正式な龗が使われている。
応永元年1394創立の古社。
本殿:流造亜鉛葺 幣殿:流造亜鉛葺 拝殿:流造亜鉛葺
二百十日前後の第一日曜日に天棚天祭を行う。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡,高於加美神,鶴田村民
**『下野神社沿革史』5巻38丁(明治35年1902刊)
河内郡姿川村大字鶴田鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口三尺六寸奥行三尺 末社二社 氏子十三戸・総代員 社掌 本社は字長峰に在りて社域百八十六坪淸洒の地に鎭座す
雨龍の文字 拝殿額は正字 祭神と由緒
拝殿内は正字 八坂神社
大きめの金精様 水神 側面に由来書 水神由来には正字の高龗神社
中央が寛政十年 男體山 男體山背面 文久四年
鶴田村
2007年2月撮影
2007年6月撮影
飯田町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・飯田町1111

使用文字[罒]

主祭神:高龗神

鹿沼街道が東北道を渡ったあたりを北に。中部自動車教習所の北。
このあたりも素晴らしいながめの田園地帯。龍神を祀るにふさわしい所。
さらに北方に古賀志山がある。
額は板に金文字で「雨+罒+龍」
本殿にはきちんと幣が手向けられている。
「文久元年九月十九日・御祭禮氏子」1861の石燈籠。示はネ。
狛犬の台座に「慶應二歳寅四月吉日・富町?氏子中」1866の文字。
年代不詳の古い旗杭。
珍しいものとして,近くで採れる大谷石の五連の社が左手にある。
判明している境内社:愛宕神社
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本殿:木造トタン葺 拝殿:トタン葺
例祭:11月3日
こじんまりした森に鎮座
慶応二歳1866 富一町?
きちんと祀られている 五社祀られている
旗杭 文久元年1861
駒生町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・駒生町1350 こまにゅう

使用文字[罒尾]

主祭神:高龗神

旧地名:宇都宮市駒生中久保1350
祭神は『栃木県神社誌』では「高龗大神」[たかおかみのおおかみ]
大谷街道宝木小学校の西。ぎょうざの正嗣の斜め向かい。
街道の奥にはまだまだ広大な田園が残っている。
道路沿いの鳥居には大谷石の額があり,風化して読みにくいが「駒生山・高尾神社」。これは江戸期の『鹿沼聞書』に「高尾神」と記録してあり,その名残だろう。維新に際して高龗神社に改称した。
材質の大谷石の産地はここから少し西に行ったところにある。
地元の方の話ではもともとは雨冠の難しい字で「たかお神社」と呼んでいるとのこと。『下野神社沿革史』では高龗神社と記録。
神社隣りの駐車場の看板は「雨+罒+龍」の字。
その後,平成二十三年十一月吉日と彫られた新しい鳥居が奉納され,口みっつ付きの正字で「高龗神社」の額が掲げられた。
高さ2メートルほどの小ぶりながら均衡のとれた美しい社。
由緒に「当社の御祭神は雨を主催し,五穀の豊饒を祈る神である。農民にとっては最も大切な神で,旱天の続く時は降雨を祈り,また,霖雨の時は晴れ,その心霊を貴船神社から勧請奉斎」とある。
境内社に倉稲魂大神の稲荷神社,大山祇命の大杉神社。
本殿:流造亜鉛葺 例祭:11月3日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡,高尾神,駒生村民
**『下野神社沿革史』(明治35年1902刊)5巻36丁
河内郡城山村大字駒生鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口一間奥行五尺 末社一社 氏子七十四戸・総代員 社掌栗原千族
本社勸請年月及ひ由緒等詳ならす
大谷街道沿いの新鳥居 旧鳥居 新鳥居の額
旧鳥居額は高尾神社だった 2009年6月撮影の二の鳥居 2007年1月撮影の二の鳥居
こちらは正字の高龗神社
二の鳥居方向
文化八未十二月吉日1811 中左村?
左手の石祠 右手の石祠 本殿側面彫刻
本殿の見事な龍
田下町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・田下町380

使用文字[なし]

主祭神:高龗神

新里街道から多気山方面へ。長林寺を右手に見て岩原町交差点を直進。姿川を渡って右手の山に鳥居が見える。 ゼンリンの地図では「板倉雷電神社」, MapFanとgoo地図では「古峯神社」になっている。
田下町公民館前のお宅と,神社前のお宅の方に確認すると,ここは高龗神社。難しい龍の字とおっしゃっておられたのと,神社庁に登録してあるとのことでまちがいなく高龗神社。『角川地名大辞典』田下の項には口三つ付きの高龗神社と出ている。
「こうれい」神社と呼ぶ人もいるという貴重なお話をお聞きすることができた。まさに「おかみ」字である。また,日常的には「高おの鎮守さま」と呼んでいるとのこと。

社殿の後ろに朱色の「古峰神社」と白色の「板倉雷電神社」が並んでいる。他に社名を示す文字が残されていないので,「板倉雷電神社」が地図に採用されたわけである。ちなみに「板倉」は「群馬県邑楽郡板倉町」をさす。
『栃木県神社史』には「高龗神社」として写真入りで掲載されているが,現在の社殿は荒れ果てていて,写真の面影はない。神社を維持していくのはたいへんなのだろう。
社殿から鳥居越しに多気山が見える。多気山にあるのは真言宗持宝院多気不動尊。聞書に記録されている。
平成3年に道路拡張で南の山裾を削ったため,鳥居は少し上(北に)に移動したらしい。 田下町の東隣りは大谷なので,右が「奉」左が「納」の字の旗杭らしきものも,一の鳥居も大谷石製明神造。したがって大正の鳥居柱文字はすでにくずれかかっている。読み取れる文字は:
「大正十四年九月十九日之建」「創立五?運?電?記念田下青年團」 これに新たに「道路拡幅の爲此所に移転 平成三年二月」が彫り加えられている。 二の鳥居には文字なし。
「嘉永二年酉1849十二月吉日」の石燈籠3基。
ここから500メートル北に新里町甲の高尾神社。
本殿:流造トタン葺 拝殿:トタン葺 例祭:10月第1か第2日曜日
*聞書によれば江戸期には[タカオカミ神]と称していた。維新の神仏分離で高龗神社に改称した。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡,高於加美神,多気,持宝院
**『下野神社沿革史』5巻36丁(明治35年1902刊)
河内郡城山村大字田下鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口四尺奥行五尺 拝殿間口三間半奥行二間 末社一社 氏子二十八戸・総代員 社掌栗原千族
本社創立年月詳ならす 社域六百三十二坪高燥の地に在り
大谷石の鳥居 二の鳥居 板がはがれている
左古峰山,右雷電神社 嘉永二年と読める 背後から
文字のない境内社 鳥居の向こうに多気山 高圧線鉄塔の右側に鎮座
新里町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・新里町甲165

使用文字[靇]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
とても美しい神社。
多気不動尊・大谷石の産地の近く。背後に杉林と竹林。
屋根を大谷石で葺いた高さ2メートルほどの社が3つ並んでいる。平成17年に新築。
手入れも行き届いている。
近所のおばaさんにたずねると昔から「たかお」と呼んでいるとのこと。
上の写真の中央の社の真後ろに石祠があり,御奥宮の平成17年11月神札が収められている。手書きで雨+龍口なしの高龗神社の文字。
三連の社の左に鏡が納められ,中央に木彫の御神體が安置されているという。弘化三丙午歳1846年製の玉體御安箱の木蓋が残っている。右端は稲荷神社らしい。
3基の石祠に文字は見えない。
「白雲山・講中三拾二人灯籠 文化十四丁丑年 四月大吉」1817が唯一読める。
左手前の手水石も大谷石。風化していて読みにくいが明治時代のもの。
本殿:流造 例祭:11月第1日曜日
*『下野神社沿革史』(明治35年1902刊)5巻34丁
河内郡 國本村 大字戸祭鎭座 村社 高龗神社 祭神 多加淤加美
祭日陰曆九月廿九日 建物本社間口四尺奥行五尺栃葺 鳥居一基 氏子五十四戸・総代三員 社掌
本社創立年月詳ならす 社域九百坪あり
右端は稲荷神社 中央に御神躰 中央裏手に奥宮 右に小さく見えるのが奥宮
左端に鏡 大谷石の奥宮 高龗神社の文字
年号は見えない 左端が白雲山石灯籠 大谷石製の屋根
2007年1月午後3時撮影 2009年8月正午撮影
大谷石の手水石 石祠大小2基 石祠1基
2009年8月撮影 鳥居の向こうに多気山
鳥居左手に馬力神 竹やぶの向こう側に鎮座
桜田御囃子会の準備か,社叢北 中央に社殿が見える 中央の森に鎮座
簗瀬町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・簗瀬町1-18-20

使用文字[龗・靇・尾]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
宇都宮駅の南1km,簗瀬小学校の南。簗瀬は[やなぜ]と濁音で発音する。
鳥居の額は正式な字,写真左枠はその部分拡大。ハシゴ高。簗瀬公民館にもなっている社務所の木看板文字も正式。
しかし,昭和の「高龗神社改修整備寄付御芳名」石碑は「雨+龍」。 緑のみ車の向こう側ののっぽの建物が拝殿。そこの額も「雨+龍」。 なんと大正四年十一月十日の石灯籠には「高尾神社・社掌なにがし」と刻んである。社掌はもと祠掌のことで社務の一切を取り仕切った方。
*鹿沼聞書によれば宝暦ころには「高尾大明神」であった。維新の神仏分離によって社号を高龗神社として登録した。戦後の神道指令以前の大正期にもまだ「高尾」が生きていたのだろう。
もちろん高龗を「たかお」と呼んでいたためではあるが。**沿革誌は高龗神社と記録。
境内で干し納豆を製造中のおばさんも「たかお神社」と教えてくれて,「もってくかい」と一袋おみやげまでいただきました。感謝。
カッパのように頭に水溜のある狛犬が2頭。
境内社に素戔嗚命の八坂神社
本殿:入母屋造銅葺 例祭:11月29日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,正一位高尾大明神,簗瀬,光徳寺
**『下野神社沿革史』5巻50丁(明治35年1902刊)
河内郡宇都宮市大字簗瀨鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口二間奥行二間半 末社一社 氏子五十五戸・総代員 兼社掌角田十郎
本社創立詳ならす 社域二百九十一坪平坦の地に在り
額は正字 拝殿額は口なし雨龍 見事な龍
社務所も正字 ここに尾が使われている
口なし雨龍 河童狛犬
河童狛犬
上戸祭町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・上戸祭町330

使用文字[尾]

主祭神:高龗神

栃木街道(桜通り)が日光杉並木に入る手前の西。環状線の南。
開発されて田畑は消えた町の中の神社。50年前は田園地帯だった。
平成18年刊の『栃木県神社誌』では[おかみ]字の高龗神社となっている。
沿革誌も高龗神社で記録。
本殿額は「高尾神社」になってしまった。他に社名を示すものは見当たらない。
左手に狛犬が16体保存してある。
「高地蔵大菩薩供養塔」
「妙吉安産子育高地蔵尊」が境内左手に。
頭を悩ませる古い石塔が築山の上に。「至徳四丁卯八月x日」と読める。北朝の嘉慶元年に至徳が重なっていれば1387年なので,県内の高お神社境内にある読み取れる文字の年代としては,調査済みのところでは最古の石塔になる。「聖金剛佛子 妙言貞禅」も読み取れる。
境内社に水波乃女命の水神社,素戔嗚命の八坂神社,大山祇命の湯殿神社
本殿:流造亜鉛葺 例祭:11月23日
*『下野神社沿革史』5巻50丁(明治35年1902刊)
河内郡宇都宮市大字戸祭鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口五尺奥行一間 鳥居一基 氏子四十二戸・総代員 社掌 本社は字西原に在りて社域九百四十一坪平坦の地に在り

本殿 高尾神社
そうとう古いようだ
めずらしい手水石 高地蔵大菩薩供養塔 文政十一天1828?
安産子育地蔵尊 妙吉安産子育高地蔵尊
下戸祭町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・下戸祭1-13-17

使用文字[龗,雨+龍]

主祭神:高龗神

宇都宮市戸祭町275
配神:倉稲魂神
宇都宮市の中心部,県庁の西,中央署の北西となり。
入口の鳥居額は風化が激しく読みにくいが,「高龗山神社」
口3つ付いているようだ。「山」が付くのはここが始めて。
拝殿の奉納額は「雨+罒+龍」で高龗神社,山なし。
「戸祭産石土碑 明治二十一年三月 藤田安義撰并書」の中ほどに「高龗神」の文字(赤点部),口なし。
「天保十五甲辰十一月吉日」1844の二の鳥居。
「安政三丙辰年四月吉日」1856の男體山石燈籠。
明治九年の御神燈。
大正六年の狛犬。
明治三十三年十一月吉祥日の藤田素堂書の「拝殿新築献納奉名」碑。
「大正五年七月五日」の笠石塔など。
拝殿左奥に石鳥居付きの石祠群が5基。赤い小鳥居があるのが伊邪那岐命の三峰神社。その右が順に大国主命の大杉神社,須佐之男命の八坂神社。左右両端は不明。

一の鳥居に向かって左手はずれに境外社として高龗神を祀る「龍神社」がある。
大正二年5月6日に稲荷神社を合祀している。
由緒沿革によれば天慶三年940宇都宮城築城の際に創立。字宮前に鎮座していたが,明治維新で字戸祭が二分したため,明治6年9月29日に現在の鎮座地中城に遷座したとある。現在の社殿は昭和56年のもの。
**沿革誌の祭神表記から高龗は[タカオ]と呼んでいたことが分かる。栃木県内では「高淤加美」「高於加美」の表記の方が多い。
高龗加美[タカオカミ]は珍しい。
*聞書の「高尾神」の尾については「おかみ考」をご覧いただきたい。
本殿:流造銅版葺 拝殿:流造銅版葺  例祭:11月28日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡,高尾神,下戸祭村民
**『下野神社沿革史』5巻49丁(明治35年1902刊)
河内郡 宇都宮市大字戸祭字中城鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗加美 祭日陰曆九月廿九日 氏子三十六戸・総代八員 社掌小田切光信同市大字同三十六番地住 建物本社間口二間二尺奥行二間 末社五社 石華表一基
社伝に曰く當社は戸祭備中守の創建にして世々の城主崇敬の社なり境内百六十五坪にして本社巽方に向ひ高隆の地にあり 東北は連山南開豁にして宇都宮市街を一瞰し社殿宏壮石の華表は明治廿八年1895の新築にして頗る巨大なり 亦石燈籠左右に並列し景趣幽邃なり

高龗山神社
天保十五1856鳥居
口なしで高龗神と読める 拝殿
口変形
安政三1856 昭和12年参宮記念
境内社
龍神社
竹下町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・竹下町830

使用文字[龗 罒]

主祭神:[高龗神]

旧地名:宇都宮市竹下町戸崎830
宇都宮の東,鬼怒川のすぐ東に「飛山城趾公園」がある。「烽家」tobuhi-yaの文字が見える古代の土器が発掘されたところ。烽火tobuhiは「のろし」のこと。公園から南へ坂を下った先の小山に「たかお神社」。
御影石の明神鳥居の額に「高龗神社」
写真ではわかりにくいが龗字がちょっと略してある。雨の下の口3つが皿のようなヨコメ,アミガシラ,罪の上のかたち罒に刻んである。「雨+罒+龍」。縁起を刻んだ石柱も同じ字体。石に刻字する際の工夫だろう。
平成に移転してきた舘神社由緒のステンレス板には正式な口3つの字が使われている。
鳥居2基,大谷石の燈籠。
人気もなく拝殿は扉が閉まっていて確認できない。
神社の下のお宅でおききしたところ「たかお神社」と呼んでいるとのこと。
*聞書によると江戸期には[タカオカミ神社]と呼んでいたことが分かる。維新前も「神社」号を称していためずらしい例でもある。
文治年間1185-90頃に丹生川上神社より勧請,戸崎の地に産土神として奉祭したとの口伝あり。境内社に舘神社,八坂神社。
本殿:流造板葺 拝殿:切妻造 例祭:11月3日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡,高於加美神社,竹下,常蔵寺
**『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)6巻44丁
芳賀郡淸原村大字竹下鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口三尺四方 雨覆一棟 華表一基 氏子四十六戸・総代員 社掌 本社創立不詳社域三百六十八坪淸洒の地に在り
高龗神社御由緒 文政八年1825鳥居
館神社由緒
境内社
東刑部町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・東刑部町750 ひがしおさかべ

使用文字[龗・尾]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神 配神:日本武尊,大雷神
西刑部の高龗神社から西へ1.4km。
大きな欅keyakiがそびえている。樹齢550年以上。高さ25m, 幹回り8.5m, 見事である。
拝殿の額が「正一位高尾大明神」。維新の神仏分離で大明神を神社に,祭神を日本書紀の表記にして高龗神社で登録したが,神道指令で国家統制から自由になり,隠しておいた江戸時代の額を掲げたのではないだろうか。
鳥居の脇の大正十三年一月の石柱には「村社高龗神社」と正字が彫ってある。
拝殿の中にも左端に筆文字のくずした奉納額に雨カンムリの字が見えるが暗くて細部まで見えない。
昭和九年の石碑には「産土神高雨+龍神社神田」。
由緒沿革に「朱雀天皇の御宇承平三年933三月に創立,古老の伝に鎮守府将軍東明殿の族刑部直業俊が大和丹生大明神を勧請して旱魃には即ち黒馬を以てこれを祀り,霖雨には即ち白馬を以てこれを祀りて百穀守護の鎮守神として崇拝せしものなりと伝う」
丹生大明神とは丹生川上神社の古称で,祭神は高龗神である。栃木県内屈指の,このあたりでは最古の高龗神社。
境内社・祭神に琴平神社,稲荷神社,三日月大神,猿田彦大神。
本殿:流造トタン葺 拝殿:トタン葺 例祭:11月20日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,正一位高尾大明神,東部,宝連院
**『下野神社沿革史』5巻8丁(明治35年1902刊)
河内郡瑞穗野村大字東刑部鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口三尺五寸奥行三尺 末社二社 氏子八十四戸・総代員 社掌
本社は字東宮に在りて社域三百十九坪平坦の地に在り

聞書に東部とあるのは東刑部のミス
拝殿額は高尾大明神 社柱は口つき正字
口なし雨龍
西刑部町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・西刑部町329 にしおさかべ

使用文字[龗]

主祭神:高龗神

旧地名:宇都宮市西刑部中329
主祭神:高龗大神[たかおかみのおおかみ](このあたりの上桑島,下桑島2社,もうひとつの西刑部は竹内家で宮司を兼任なさっており,[たかおかみ]と正式の読みに[大]をつけて統一して祭神を登録されている。すると万所の石燈籠の[尾]を[龗]に刻字しなおしているのは竹内さんの功績かも知れない)
新4号から真岡方面に行き,刑部橋を右折。中坪天神前を左折してすぐ。
神社名を刻んだものがなにもなく,隣りの方におたずねすると,たかお神社。
「むずかしい字でな,悩んだことがあったな」「雨書いて龍ですか」「そうそう,尾っぽ書いちゃうとこもあるな」「雨の下に口が3つじゃないですか」「そうそう,拝殿の奥に額があるが,かすれてる」
というわけで,なぜかほっとする。ガラスを通して拝殿の中をのぞいたが,たしかに文字はほとんど消えている。
ここを中心にした2km圏内に高龗神社が9社ある。
『鹿沼聞書・下野神名帳』は「高尾大明神」と尾で記録している。維新に際して龗字の高龗神社に改称した。
本殿:入母屋造トタン葺 拝殿:入母屋造トタン葺 例祭:11月20日
* 『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高尾大明神,西刑部,密蔵院
**『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)5巻7丁
河内郡瑞穗野村大字西刑部鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口一間一尺奥行五尺 拝殿間口三間奥行二間 末社六社 氏子四十三戸・総代員 社掌荒川大定同村同大字住
本社勸請詳ならす 社域百二十三坪を有す

西刑部にはここから北に500mの万所の地にもう一社高龗神社がある。
旧地名の「西刑部中」は『栃木県神社誌』旧版による。中道か? 高尾大明神については「おかみ考」をご覧いただきたい。
すでに読めない 石祠が並ぶ
西刑部町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・西刑部町847

使用文字[龗・罒・靇]

主祭神:高龗神

旧住所:宇都宮市西刑部万所内846
主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
新4号をくぐって真岡に向かい,西願寺の先を右折,万所信号左折すぐ。
拝殿の明治40年1907の額は「高+雨神社」,拝殿内の昭和21年屋根改修記念額には「雨+罒+龍」
ここには宝暦六年1756と天保三年1832の三猿や現在の鳥居の1.5倍はありそうな前の鳥居の大谷石遺物,大谷石の参道など貴重なものが多いのだが,「おかみ」に特筆すべきことがあり,こちらを紹介する。
上の写真の石灯籠の文字は「高尾」に見える。しかし近づくと口3つ付き「龗」に修正されている。左右対になっているもう片方も「尾」が塗りこめられて「龗」に彫りなおされているのが見てとれる。
はじめ,誰かがいたずらで「尾」に彫り変えたのかと思ったが,字配り,線の太細を合わせて見ると,どうやら最初は「尾」文字で奉納されたようだ。
どなたか神社の由来に詳しい氏子の方がおられて,社格を重んじて彫り直したと推測する。平らに磨き直して彫る予算までは取れなかったのだろう,正字を残そうとするご苦労が見て取れる。
『鹿沼聞書・下野神名帳』では[タカオカミ大明神]と記録しているので,『日本書紀』の読み方で社号を呼んでいた。江戸末期の『下野掌覧』では「高龗大明神」と記録され,江戸期から『古事記』または『日本書紀』の表記が使われていた,栃木県では珍しい例のひとつ。維新に際して明神号を改め,高龗神社に改称した。
本殿:入母屋造トタン葺 拝殿:切妻造トタン葺 例祭:11月20日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高於加美大明神,西刑部,清水甲斐
*『下野掌覧』万延元年1860刊
河内郡之部 高龗大明神 西刑部村鎮座 祭主清水氏ナリ
*『下野神社沿革史』(明治35年1902刊)5巻7丁
河内郡瑞穗野村大字西刑部鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口三(ヌケ)奥行四尺 拝殿間口二間奥行二間 末社三社 華表一基 氏子八十六戸・総代員 社掌荒川大定同村同大字住
本社は本大字の鎭守神にして字萬所内の淸地に在り社域八百六十七坪あり

200年以上前の『鹿沼聞書』に高於加美大明神[タカオカミ大明神]と記録されている。「高尾」ではない。維新の神仏分離の際に大明神を神社にあらため,さらに日本書紀の祭神表記にして社号登録したことが分かる。
西刑部にはここから南に500mの地にもう一社高龗神社がある
龍字の月が見える うまく修正されている
奉納額は口なし雨龍
大杉大明神 天保九年1838 大谷石の美しい参道
大青面金剛供養塔
寛政十二1800 宝暦六1756 天保三年1832
旧鳥居
東木代町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・東木代町352 ひがしきのしろ

使用文字[龗・靇]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ] 配神:日本武命,大雷神
東刑部の高龗神社から直線で1km南。田んぼの彼方に東刑部の神社が見通せる。
木代でキノシロ。東は宇都宮市に,西は上三川町に編入された。西木代の高龗神社までは1km。田んぼの真ん中にある。
「村社高龗神社」は正式。ところが額は「雨+龍」
「享保十四年1729十月十九・庚申供養・xx村講中」の六手像。これは最下段に見ざる言わざる聞かざるの三猿。その上に悪鬼。剣を右手にしているので不動尊か。
左側に「法x平等利益」の観音風石像レリーフ。xは通常は「界」だが判別できない。
由緒沿革に,寛仁二年1018創立。木代総領・葛城宿禰・秀時が山城の貴船神社から勧請,郷土百穀守護と一族の守護を祈願して崇拝したとある。栃木県内屈指の古社。
『鹿沼聞書・下野神名帳』は「高尾大明神」と尾で記録している。維新に際して龗字にした。
境内社:愛宕神社(軻遇突智命),大杉神社,八坂神社,琴平神社
拝殿:流造トタン葺 拝殿:トタン葺 例祭:11月20日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高尾大明神,東木代,観音寺
正字 口なし雨龍
中央彼方に東刑部の高龗神社
下桑島町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・下桑島町451

使用文字[龗]

主祭神:高龗神

旧地名:下桑島町字沼尻
主祭神:高龗大神[たかおかみのおおかみ]
瑞穂野北小のすぐ東。121号線桑島橋を左折して辰街道に入る。次の信号を直進。次の信号の右角。朱塗りの鳥居が見える。
銅製の額文字は彫りが浅く読みにくいが,きちんと口3つが見える。
朱塗りの本殿には鮮やかな着色彫刻。登り龍は青龍,正面は赤が残っている。
昔の鳥居らしきものの残骸が本殿裏手に積んである。石祠7基が整然と並ぶ。さらに右手にもうひとつ。
朱色屋根の覆屋に収められている3連の境内社は琴平神社,大杉神社,八坂神社。
「文化六己巳天 中根 十一月吉日 二十三夜供養塔」1809
『鹿沼聞書・下野神名帳』『下野掌覧』は「高尾大明神」と尾で記録している。維新に際して明神号をやめ龗字の高龗神社に改称した。
本殿:流造石葺 拝殿:トタン葺 例祭:11月23日
*『栃木県神社誌』2006のP.229の写真はP230の上桑島の写真と入れ違い。

*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,正一位高尾大明神八竜大明神,下桑島,増淵氏
*『下野掌覧』万延元年1860刊
河内郡之部 正一位高尾大明神 下枽嶌村鎮座 祭主増淵氏ナリ
*『下野神社沿革史』5巻7丁(明治35年1902刊)
河内郡瑞穗野村大字下桑島鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口二尺五寸奥行三尺 末社二社 氏子十七戸・総代員 社掌
本社は字池尻に在りて社域四百六十坪を有す

江戸期には高尾大明神または高龗大明神だったが維新に際して「高龗神社」に改称した。
下桑島にはこの西700mにもう一社高龗神社がある。聞書,沿革誌に記載されているのは,ここ辰街道沿い。
用水が流れている 拝殿
口三つ付きの正字 道路側から 鮮やかな本殿
拝殿手前左手 中央菅原神社 背後から 左端=寛政二?1790
左から2つ目=文化六1809年 昭和50年の狛犬 石燈籠は寛政四年1792
寛政四壬子年1792 河童狛犬
本殿裏手
裏手の石祠群 旧鳥居柱 六月良日立の文字
琴平,大杉,八坂神社
下桑島町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・下桑島730

使用文字[龗 ]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗大神[たかおかみのおおかみ]
新4号から121号線を真岡方面に行き,清水内橋を左折。一面田んぼの広がる正面少し右手に森が見える。
ここの龍字がおもしろい。昭和七年の奉納拝殿額・明治四十年の社柱とも「立」「ヒ」の部分が「大」になっている珍しい書体。口は3つきちんと付いている。
明治四十年の社柱には「河内郡瑞穂野村大字下桑嶋鎭守」
この柱の「村社」部分は塗りこめて消されている。(その後,ほとんどの社号標の「村社」は削られていることが分かった)
ヒイラギの巨木の左手に「明和元・庚申供養塔」1764「天明xx霜月吉天・x十三夜供養塔」1781-89が2基並んでいる。
さらに左に「x念佛供養 延享三丙寅十月十九日」1746
頭の掛けた石像の左に「馬頭観音塔 當所講中 霜月一日 天明五乙午年」1785
拝殿手前に鈴木さんと植竹さんの苗字だけがかろうじて読める石燈籠2基。
右手に六地蔵。
拝殿右横に石祠が7基。ひとつ逆さになっているが「嘉永二年酉十二月」1849の文字。
八坂神社,琴平神社,大杉神社が境内社になっている。
ここの東600mに下桑島451の高龗神社が鎮座する。
とても気持ちのいいところだ。
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本殿:木造瓦葺 拝殿:瓦葺 例祭:11月3日
額文字と同じ書体 口三つ付きの正字の社柱 拝殿
左端の馬頭観音塔1785
右は延享三1746
六地蔵 北東から
逆さに嘉永二年1849 南を望む
丸い木はヒイラギ 南から
中央が神社
上桑島町

高龗神社

宇都宮市・上桑島870

[たかお神社]

使用文字[龗・靇・尾]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗大神[たかおかみのおおかみ]
瑞穂野北小の北。鬼怒川緑地運動公園すぐそば。鬼怒川の土手が見える。
真新しい鳥居の赤字は祭器の口なし「雨+龍」
社務所の看板は口3つ。
拝殿額は「正一位高尾大明神」***
「平成の大改修落成記念碑」はぴかぴかの石にくっきりと祭器なし「雨+龍」
左手に「雷神社」の立派な石祠。台座に「明治三十七年旧十一月廿三日・浦宿世話人一同」1904
右手に「文政十一年子十月吉日・裏宿講中・二十三夜供養」1828 養の字は羊+艮を左右に配置。
入り口に「左うつの宮・右石井x」の馬頭観世音。背面に大きな字で「村内安全」天保四癸巳1833
境内の左奥に鳥居つきの境内社が4社並んでいる。祭神は不明。
現在の氏子によって見事に整備されている。高龗神社は大型は大室くらいのもので,ほとんどが小振りで,ここは小生にはとても立派な神社に見える。
本殿:木造トタン葺 拝殿:トタン葺 例祭:11月20日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,正一位高尾大明神,上桑島,成就院
**『下野神社沿革史』5巻7丁(明治35年1902刊)
河内郡瑞穗野村大字上桑島鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口五尺奥行九尺 末社二社 氏子百十六戸・総代員 社掌
本社創立年月詳ならすと雖も往古より鎭守神と崇敬す社域五百四十二坪平坦の地に在り

***維新の神仏分離の際,高龗神社で登録したが,国家統制から自由になって平成の拝殿額に「高尾大明神」が復活した。ただし聞書は高龗をほとんど高尾で記録している。「おかみ考」をご覧いただきたい。
3種類混在 口なし雨龍 口なし雨龍
なんと,こちらは高尾 社務所は口付きの正字
浦宿世話人一同 右は文政十一 裏宿 文政十二1829
天保十二 天保十二 雷神社
天保四癸巳1833
右石井 左うつのみや
茂原町

高龗神社

宇都宮市・茂原町1072 もばら

[たかお神社]

使用文字[龗・靇・雨龍]

主祭神:高龗神or天之水分大神

配神:誉田別尊
境内社:天照大神・大国主命・八坂大神・稲荷大神
新幹線と田川の間。茂原団地。
*『下野神社沿革史』では祭神を高龗神で記録している。
*『宇都宮市六十周年誌』では祭神を高龗神・譽田別命と併記している。
*『栃木県神社誌』では旧版新版とも社号は[おかみ]字の高龗神社で,祭神は天之水分大神,創立年は1211建暦元年二月と記している。これは「下反町」「羽牛田」の高お神社を兼務する宮司さんによって書かれていて,三社共通でまったく同じである。

年代不明の社柱には「村社高雨+龍神社」
ここはかなりおもしろい。
拝殿に額が3枚かけてあり,文字は3種類。
中央の平成元年の奉納額には口3つ付きの立派な書。史雲書とある。
その左の昭和七年額は口3つなし。
右端は傑作。はじめてお目にかかりました。大正四年1915奉納。
「高雨龍神社」5文字。苦労がしのばれる。
拝殿内の昭和三年額は口なし「雨+龍」
大正元年の石祠が崩れかけている。
石灯籠に明治四十四年1911の文字。この年,八幡宮を合祀。
新版の由緒沿革に,建暦元年1211二月創立。五穀豊饒を祈願し,雨乞いの信仰を集めてきたとある。昭和58年1983に幣殿と拝殿を改築。
本殿:流造亜鉛葺 拝殿:流造亜鉛葺 例祭:11月19日に近い日曜日
*『下野神社沿革史』5巻40丁(明治35年1902刊)
河内郡雀宮村大字茂原鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口一間半奥行一間半 末社三社 氏子五十二戸・総代員 社掌
本社は宇(ママ)多功神に在りて社域八百二十五坪を有す
3種類のおかみ字 口なし
見事な正字 口なし 県内唯一の傑作
口なし 大正元年1912
羽牛田町

高龗神社

宇都宮市・羽牛田町209 はぎゅうだ

[たかお神社]

使用文字[靇]

主祭神:高龗神or天之水分大神

境内社:八坂大神・八幡大神・稲荷大神
旧地名:宇都宮市雀宮町羽牛田209
新幹線と田川の間。雀宮真岡線。
*『下野神社沿革史』は祭神を高龗神で記録している。
*『宇都宮市六十周年誌』では祭神を高龗神と記している。
*『栃木県神社誌』では旧版新版とも社号は[おかみ]字の高龗神社で,祭神は天之水分大神,創立年は1211建暦元年二月と記している。これは「下反町」「茂原」の高お神社を兼務する宮司さんによって書かれていて,三社共通でまったく同じである。

石柱には「献納村社高雨+龍神社」背面に「大正拾x年拾貮月拾貮之建・xx羽牛田氏子一同」石に彫られた文字もほんの百年でかすれてくる。ひびが入って読めない箇所も。そうなると近年は石碑に干支を彫り込まない場合があるので年代推測が難しくなっている。
他に文字は見つからず。
畑の向こうに新幹線の架線が見える。
地元では鎭守さまと呼ばれている。
新版の由緒沿革によれば,上横田・東横田・上御田・下反町・御田長島とともに田川の氾濫に悩まされたため,水神を祀った。
本殿:流造亜鉛葺 例祭:11月15日に近い日曜日
*『下野神社沿革史』5巻40丁(明治35年1902刊)
河内郡雀宮村大字羽手(→牛)田鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口四尺奥行四尺 華表一基 氏子十九戸・総代員 社掌
本社創建年月詳ならす 社域二百四十五坪を有す
下反町

高龗神社/高尾神社

[たかお神社]

宇都宮市・下反町370 しもそりまち

使用文字[尾]

主祭神:高龗神or天之水分大神

境内社:八坂大神・八幡大神・稲荷大神
宇都宮結城線と新幹線の間。田川沿い。
昭和44年11月20日の旗杭には赤字で「高尾神社」,他には文字なし。
*『下野神社沿革史』は祭神を高龗神,社号を高尾神社で記録している。
*『宇都宮市六十周年誌』では社号は高龗神社で,祭神は「高龗神・倉稲魂命・大山祇神」,創立は康正二年1456,明治四十四年1911生駒神社,湯殿神社を合祀と記録している。
*『栃木県神社誌』では旧版新版とも社号は[おかみ]字の高龗神社で,祭神は天之水分大神,創立年は1211建暦元年二月と記している。この記述は「羽牛田」「茂原」の高お神社を兼務する宮司さんによって書かれていて,三社共通でまったく同じである。

新版の由緒沿革によれば,田川の水害や,干ばつに苦しむ村民の守護神として崇敬された。「文政四1821年五月二日,神祇管領卜部良長,下野国河内郡反町村鎭守高尾大明神勧請鎮座」と書かれた木箱が保存されているという。『下野神社沿革史』でも社号を「高尾神社」としているので,これによって社柱に「高尾神社」と刻んだのであろう。
『下野神社沿革史』では高尾神社で記録され,祭神は高龗神となっている。 すると高尾大明神を維新に際して「尾」のまま高尾神社に改称した珍しい例となる。「尾」でいいかもしれない。
天保三年1832(壬の欠け字から推定)の鳥居。
不動像二体。
階段がきちんと付いている石祠がある。
本殿:流造亜鉛葺 幣殿:流造亜鉛葺 拝殿:流造亜鉛葺 例祭:11月15日に近い日曜日
*『下野神社沿革史』5巻40丁(明治35年1902刊)
河内郡雀宮村大字下反町鎭座 村社 高尾神社
祭神 高龗神 建物本社間口七尺奥行七尺 拝殿間口三間奥行三間 氏子三十二戸・総代員 社掌
本社創勸請月詳ならす 社域四百九坪にして平坦の地に在り


天保三年1832の文字





竹林町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・竹林町651

使用文字[龗]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
配神:熊野神,稲荷神(倉稲魂命のことか)
福田屋百貨店の北,新幹線高架のすぐ東。まだまだ畑が広がる。鳥居ひとつ。
社務所の木看板は正式口3つ付き。神社由来の木立て札も正式。
呼び名は立て札に「たかお」とルビがあり,主祭神は高龗神[たかおかみのかみ]とルビ。
「江戸時代,竹林淡路守この地を開き,氏神として五穀豊饒を司り,地域の無事息災家内安全を祈り,霊験あらたかなこの神を氏神として勧請し奉祀せるが最初なりと云う。以来氏子の崇敬厚きを加え,今日に至っている」
境内社に八坂神社,祭神素戔嗚命。
鳥居,拝殿表には額なし。内部の奉納額は雨+龍。
古い文字は狛犬の台座に大正四年。
江戸期から大明神でなく「神社』を名のっていた珍しい例。
本殿:流造板葺 拝殿:流造銅板葺 例祭:10月19日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高尾神社,竹林,宝連院
**『下野神社沿革史』5巻12丁(明治36年1903刊)
河内郡豊鄕村大字竹林鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口四尺奥行五尺 拝殿間口九尺奥行二間 末社二社 氏子五十九戸・総代員 社掌
本社は字本村に在りて社域二百八坪を有す
由緒書看板
祭神は正式な呼び方 口3つ付き正字
奉納額は口なし雨龍
石井町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・石井町2486・新鬼怒橋

使用文字[靇・尾]

主祭神:高龗神

宇都宮市内から茂木に通じる石井街道で鬼怒川を渡る手前の左側道路沿いに。
昭和二年二月十九日建立の社柱には「村社・高雨+龍神社」
現在の拝殿額は「正一位高尾大明神」。
『鹿沼聞書』に高尾大明神と記録されている。維新に際して高龗神社に改称した。その後,神道指令で国家統制から自由になって昔に掛けておいた高尾大明神額を持ち出したのだろう。
もともと高龗であったという説もある。『栃木県神社誌』昭和39年発行によれば,享保三年1718に石井1110の高龗神社とともに神祇管領長上卜部兼敬より賜った奉額は「正一位高龗大明神」だったという。
上古に衣川kinugawa駅家umayaが創祀し,衣川神社といい宇都宮氏が代々崇敬した。大島に鎮座したが明和三1766の洪水で神殿古文書ともに流出し,現在地の東絹川原に遷座。「島名大島は祭神に縁の淤賀美島といったものが転化したものなりという」と書かれており,250年以上前から祭神は「タカオカミの神」であった。
『鹿沼聞書』の高尾大明神表記については「おかみ考」をご覧ください。
実に立派な狛犬が4基。先代のエキゾチックなペアが右手に奉納されている。
鳥居は昭和五十七年七月建立。右手に天の欠けた円柱が保存されているのは,あるいは鳥居の柱か。
手水石は明治四十二年九月。
神社の東側100メートルのところに鬼怒橋の堤が見える。
境内社:八坂神社(須佐之男命),庚申社(猿田彦尊),浅間神社(木花開耶姫),疱瘡神社(疱瘡神),田神神社(田心姫),稲荷神社(保食神)
本殿:神明造木羽葺 幣殿・拝殿:トタン葺 例祭:11月29日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高尾大明神,石井二,一ハ照光寺,一ハ,医王寺
左手に鬼怒川
高尾大明神 口なし
右の道路は鬼怒川を渡る橋
石井町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・石井町1110

使用文字[靇]

主祭神:高龗神]

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
上桑島から直線1キロ北西。
昭和三年の石柱には「村社高雨+龍神社」
拝殿額は縦に割れている上にかすれているが,雨+龍。
「明治廿七年1894七月石井氏子中」の斬新な石燈篭。
田んぼの真ん中。
現在の社殿は明治五年改築のものらしい。
享保三年1718に石井2486の高龗神社とともに,神祇管領長上卜部兼敬より「正一位高龗大明神」の奉額を賜っているが火災で焼失。このときのオカミが尾であったか龗であったのか残念ながら分からない。
聞書にも二つあると書かれている石井の高龗神社のうち辰街道から西をこちらの社の氏子としている。
子規の句碑があるが小生には読めない。
見識のある方お教えください。
本殿・幣殿・拝殿:神明造瓦葺 例祭:11月29日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高尾大明神,石井二,一ハ照光寺,一ハ医王寺
**『下野神社沿革史』5巻8丁(明治35年1902刊)
河内郡平石村大字石井字鎭守林鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口一間一尺奥行四尺 拝殿間口五間半奥行二間半 末社二社 氏子百十七戸・総代員 社掌
本社創建年月詳ならすと雖とも社殿巨壯にして輪奐たり社域五百四十二坪平坦の地に在り

村社高龗神社 読みにくいが高尾神社
明治十一年1878 明治二十七年1894石燈籠
読めない
下栗町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・下栗町331-2

使用文字[雨+龍]

主祭神:高龗神

宇都宮市・下栗町331-2
主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
横川南小学校の南,東大川と江川にはさまれた肥沃な田園地帯に鎮座。谷田川ぞいの大塚神社の東方400mあたり。
東西に伸びた盛土上に大谷石製の石祠。
石製鳥居に「嘉永五年1852壬子X月吉祥日」。
社柱左脇に「講和記念 元宇都宮市長入江操」の文字。達筆の社号標は昭和15年12月31日から15年12月27日までの4年間市長を務めた入江さんの書である。
社柱右脇には「昭和二十七年十一月二十日」1952年。
石段,石祠ともに大谷石製。石祠にも「講和記念」と刻んであるので,社柱と同じ1952年新築である。
本殿石祠右手前に石祠が3基。文字は見えない。

ここはどの本にも記録されていないが,明治維新の14年前に鳥居を建てている。嘉永五年1852以前の創建であるが詳細は不明。
下栗地区には他に下栗神社,大塚神社,猿山神社,丸山稲荷,八坂神社,金刀比羅神社,天満宮と,元下栗のさるやま町に菅原神社が現存する。
大谷石の階段 嘉永五年1852鳥居
高龗神社 雨+龍字である くっきりと文字が残っている
石祠が3基
上質の大谷石
広大な田園地帯
平出町

高龗神社/稲荷神社

[たかお神社]

宇都宮市・平出町3676

使用文字[雨+龍]

主祭神:高龗神・倉稲魂命

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
宇都宮市東部,環状線と4号線が交差する平出工業団地交差点の南東,ニトリのすぐ南に鎮座。新4号が南北に走り,すぐ東側は一段低くなり,鬼怒川まで広大な田園になっている。高龗神社は段丘の境の新4号につながる上り坂の途中にある。
道路を新たに通すにあたり,石宮を新築した。石鳥居の建造年は平成13年1月。お隣りの氏子の方の先代の努力によるという。昔からここに神社はあったが,由緒は分からないとのこと。
鳥居額には神字を抜いて「高龗社/稲荷社」と彫られている。
おかみ字は口みっつを省いた「雨+龍」字。
近年のどの記録にも載っていない高龗神社で,宇都宮市東部の神社をめぐっていて偶然発見した。「聞書」記載がここにあたるか。これで栃木県内の高お神社は107社現存することになる。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡 高尾大明神 上平出 薬王院
雨+龍
左:高龗神社 雨+龍字である 東方向を見下ろす
木立の先に新4号線 坂の途中に鎮座
針ヶ谷町

高龗神社

宇都宮市・針ヶ谷町255

[たかお神社]

使用文字[罒]

主祭神:日本武尊

旧地名:宇都宮市針ケ谷町石川255
本日は徒歩で3時間。自衛隊の西の畑の中に見つける。神社名を示すものは境内には見つからなかったが,閉まっている拝殿の格子からのぞくと,中央の奉納額に「雨+罒+龍」の高龗神社額。昭和三年参?月十九日と読める。その左の額は見事な筆で,雨の下に3回筆を置いているのが見て取れる。「願主青柳常三郎・愛山謹書」の文字。
裏手にすばらしい彫刻がある。「下野国河内村針谷・造立不動尊・元文二年1737」と台座に刻まれている。不動から察するに右手に持っているのは剣,左手には羂索。踏みつけているのは悪鬼か。しかし,この像は子どもに見える。丸みを帯びた曲線の造形は当時にあっては相当のニューウエーブ。全面の衣の刻みも技術が高い。271年前に茶目っ気のある天才がいた。
この右には「嘉永五年1852九月・針谷村・x川x中(石川氏子中?)」と読める童子像がある。くずれかけているがなかなかのもの。
歩いて神社をさがしてみると,なかなかたいへんで,車とカーナビの威力をつくづく思い知らされることになった。もちろん江戸時代になかった印刷地図もすごいが。
由緒沿革によれば,針ケ谷の豪農青柳源兵衛によって寛正二年1461に創建され,石川神社と称した。宝暦五年1755再建。安政二年1855改築し「高龗大明神」と改称。現在の社殿は明治元年のもので,明治6年に社号を大明神から「高龗神社」に改めている。
境内社に大日孁貴命の神明宮,中筒男命の龍神社。
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本殿:流造トタン葺 幣殿:流造トタン葺 拝殿:流造トタン葺
例祭:11月上旬の日曜日
拝殿内左手の額 拝殿内中央額
本殿
元文二年1737造立不動尊 嘉永五年1852
広い畑の中に鎮座
石那田町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・石那田町1493

使用文字[罒]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
日光街道から鹿沼の文挟に通じる道に入って右手。花工房のそば。
かなり広大な神社の森の中に鎮座。
年代不詳の石鳥居の額文字は「雨+罒+龍」
他に社名を示す文字は見つからない。
「寳暦四甲x年1754十月」の石塔。
境内社:稲荷神社(倉稲魂命),豊受姫神社(豊受姫命),琴平神社(猿田彦命)
境内社のこぶりの狛犬がめずらしい。二匹ともこちらを向いている。
由緒沿革には弓削道鏡が宝亀八年777日光参拝の途中に石那田を通りかかり,大旱魃の惨状を目の当たりにして,仲根坪の田川の龍神に降雨祈願をする。すると6月7日の昼から8日に渡って大雨が降りそそいだ。村人感謝し9月16日その龍神を勧請して高龗神に合祀して創立する(この表現不明)。
社殿も宝亀八年創建,明治26年焼失し,翌27年再建今日に至る。
二宮三谷の高龗神社延暦6年787より10年前,なんと奈良時代の古社である。奈良創建と思しきは他に茂木町小山の高雄神社がある。
本殿:流造亜鉛葺 幣殿:亜鉛葺 拝殿:銅板葺
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,正一位高尾神社,石名田,手塚山城
*『下野掌覧』万延元年1860
都賀郡之部 正一位高尾神社 石名田村鎮座 祭主手塚氏ナリ
*『下野神社沿革史』5巻22丁(明治36年1903刊)
河内郡篠井村大字石那田鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口一間奥行五尺 雨覆一棟 末社二社 石華表一基 石燈籠四基 氏子七十五戸・総代員 社掌石鉈主馬同村同字同住
本社創建年月遼遠にして祥ならす往古は社殿壯麗なりしも惜らくは明治廿六年1893三月廿六日祝融の災に遭ひ灰燼に帰したるにあり 同廿九年十一月本社再建す 社域千八百二十五坪平坦の地に在り 本社巽方に向ひ境内には老松古樹亭々として高く聳ひ風色嫣然として掬すへし 神職は往古より石鉈家にて代々奉仕せり

江戸期から明治22までは石名田村,石那田とも書いた。[いしなた]と清音で読む。沿革誌記載の社掌が石鉈さんである。『鹿沼聞書』と『下野掌覧』の神主は手塚氏で,沿革誌本文の「神職は往古より石鉈家にて」と齟齬がある。未解明。
口変形の正字 かわいい駒狗
宝暦四年1754 かなり広い境内林
岩曽町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・岩曽町882

使用文字[龗・雨+龍・尾]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
配神:大日孁貴命・猿田彦命
竹林から800m北,新幹線高架のすぐ東。こちらも周囲は畑。
鳥居が四基。入り口と二つ目の鳥居に正式口3つ付きの額がつけてある。
境内社に権現神社と八坂神社。それぞれに鳥居。『栃木県神社誌』新版では権現神社の代わりに八坂神社を境内社にしている。
神社由来が御影石に。主祭神は高龗神。正式口3つ付きで彫られている。
「高龗神社は古来より當字六五八番地に奉斎し年々祭祀を営みしが境内狭隘にして不便ありしため文政年間は枇杷橋地内に社殿を移転し明治十七年に本殿並拝殿の改築をし今日に至っている。昭和五十五年二月十六日宇都宮市豊郷地区青年団調査」
(文政年間=1818-1830)
拝殿内の奉納額は雨+龍。奉納高尾大明神の洋風墨絵が掲げてあり文字が混在している。奉納なので仕方がない。拝殿裏にもほぼ同文の以前の由来板が壊れかけている。こちらも正式字。
大谷石などの崩れやすい材質の塔が多く,文字が読み取れるのは「弘化四丁1847三月」の石塔のみ。天地逆に積まれている。あとは昭和十七年の狛犬。
本殿:流造亜鉛葺 拝殿:入母屋造 例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高尾神社,岩曾,西光院
**『下野神社沿革史』5巻12丁(明治36年1903刊)
河内郡豊鄕村大字岩曾鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口二尺五寸奥行二尺 雨覆一棟 氏子三十二戸・総代員 社掌
本社由緒詳ならす 社域四百八十一坪あり
鳥居左の勝善神・馬頭観世音
高尾大明神 雨龍の高龗神社額
八坂神社 権現神社
昔の由緒書きが裏手に
左手に新幹線高架が見える
下川俣町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・下川俣町1477

使用文字[龗]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
岩曽から北へ800m,環状線の北,新幹線のすぐ西。山田川のすぐ西。
広大な田園地帯。日光連山,那須連峰が一望できる。
平成十二年の鳥居の額文字は口3つ付きの正式「高龗神社」。
文久二年1862九月の石燈籠。明治四拾五年三月廿四日の三連摂社。
境内社に八坂神社(須佐之男命),八坂宮(八幡大神)2社が分かっている。
拝殿内に「高龗神社のおこり」が額に掲げてある。ここの文字も正式。
「高龗神は荒御魂の荒神でありその御姿は恐ろしい龍である。この神は風や水を司り,この神が怒れば雷鳴と共に暴風を呼び洪水を起し人々を威怖させる。しかし風水の調和は土地を潤おし洪水の後には肥沃な土砂を残すなど人々に豊作をもたらすなど農耕の神として古代から信仰された鎮守の神として広く祭られました。
由縁社貴船神社(京都市左京区鞍馬貴船)である。高龗は伊邪那岐神が剣を抜き迦具土神を三段に斬り殺した時に化生した三柱神の一神。高は闇(渓谷の意)に対して山峰の意。龗は水を掌る竜神闇龗と共に祈雨止雨の神として信仰され奈良県吉野郡丹生川上神社上社に高龗神,下社に闇龗神が祀られている」

ここを中心に1キロ圏内に高龗神社が合計8社ある。
本殿:流造銅板葺 幣殿:流造銅板葺 本殿:入母屋造銅板葺 例祭:10月19日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高霊”→高龗神社,下川俣,大乗院
**『下野神社沿革史』5巻11丁(明治32年1902刊)
河内郡豊鄕村大字下川俣鎭座 村社 高龗神社
祭神 淤賀美神 祭日陰曆九月十九日 建物本社間口四尺奥行四尺 雨覆間口九尺奥行九尺杉皮葺 拝殿間口三間奥行二間萱葺 末社四社 石華表一基 石燈籠四基 氏子三十戸・総代三員 社掌河内主膳同 村同大字十九番地住
本社創立は遼遠にして詳ならすと雖も文政七年1824三月を以て神祇管より幣帛を賜る 社域三百坪平地にして四境は洋々たる田圃の中にあり 秋の發穗の細波”瀲”灔として岸を打ち(ママ)が如く其の風光の美景色の佳宛然海邊にたゝつみ大洋を見るか如し 境内には古杉老樹森然として高く聳ひ西に山田川東に御用川を控ひ日夜滾々たる音を聞き頗る淸風快爽なるを覺ゆ

”聞書の霊はもちろん龗の誤植。龗字で記録されたのは他には曲畑の「高龗大明神」のみ。さらに大明神でなく神社で記録された珍しい例。
””さざなみの立つさま,サンズイでなく王+歛(ノブンでなく欠)で植字してある。
口3つ付き正字
男体山が見える 口3つ付き正字
川俣町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・川俣町461

使用文字[龗罒]

主祭神:高龗神

旧地名:宇都宮市上川俣町461
主祭神:高龗神 配神:大山祇神,大雷神
新幹線のすぐ東を環状線の北方向へ入って突き当たりを右に曲がると鳥居が見える。中山鳥居は珍しい。
社柱は「雨+龍」村の字が削られている。
拝殿額は「雨+罒+龍」
平成六年の神社改築工事の篤志寄付者芳名の板には正式口3つ付きで「高龗神社」
明治二十五年三月十五日建立の鳥居。
ここの狛犬はかなり大きい。
拝殿右手に境内社8社が整然と並ぶ。年代を刻んだものはない。
明治四十四年四月二十日に権現山の湯殿神社,雷電神社を合祀している。
本殿:流造トタン葺 幣殿・拝殿:流造トタン葺 例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高尾神社,上川俣,広蔵寺
**『下野神社沿革史』5巻11丁(明治35年1902刊)
河内郡豊鄕村大字上川俣鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口四尺奥行五尺 末社一社 氏子二十二戸・総代員 兼社掌河内主膳同村同大字十九番地住
本社創立詳ならす 社域五百三十五坪を有す
口なし雨龍 口変形正字
口3つが簡略化されているが正字 ここは口3つ付き正字
長岡町

高龗神社

宇都宮市・長岡町1198

[たかお神社]

使用文字[靇罒]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
配神:大日孁貴,猿田彦命
境内社:大日神社(大日孁貴),八坂神社,稲荷神社,神明社
日光街道と環状線の交差点から東に行くと「長岡百穴」があり,その500m先に鳥居が見える。
慶應二年1866の鳥居をくぐって石段を上る。均整のとれた拝殿が林を背景に建つ。
中の本殿は正和四年1315造営と伝えられ,現存の社殿としては県内屈指の古社殿。

『鹿沼聞書』*によれば200年以上前には[タカオ]ではなく[タカオカミ大明神]と呼ばれていた。『下野神社沿革史』**祭神表記は「多加淤神」なので100年前くらいから[タカオ神社]と呼ぶようになったことが分かる。維新の神仏分離で社号を日本書紀の表記を採用し「高龗神社」として登録した。

注連縄の上の古そうな額の文字は「雨+罒+龍」。
右手前の昭和五十三年玉垣改修記念碑には「雨+龍」。額文字は無視されてしまった。龍字の最後の三画も2本に省略。氏子さんと書家の力関係か。書家は雨に口3つなんてあるわけない,龍のヒゲは2本と言い張ったのだろう。まだ「竜」の方がましだった。御影石なので今後は雨龍にされてしまうのが残念だ。
年代不詳の石燈籠がおもしろい。紅葉や鹿が彫ってある。
明治四十年二月二十六日に字権現山の大日孁貴神社,字百穴の古道則神社,字南上の神明宮を合祀した。
「長岡町字大橋九十四番地先,向川の水辺にあって,男体山登拝祭のみそきにゆかりする洗足石」を後世に残すために平成の向川改修工事を機に神社左手に移してきたことを記す碑がある。
本殿:流造石葺 例祭:11月3日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高於加美大明神,長岡,篠原摂津
*『下野掌覧』万延元年1860刊
河内郡之部 高龗大明神 長岡村鎮座 祭主篠崎氏ナリ
*『下野神社沿革史』5巻12丁(明治35年1902刊)
河内郡豊鄕村大字長岡鎭座 村社 高龗神社
祭神 多加淤神 祭日陰曆久我地九日 建物本社間口二尺奥行二尺五寸石葺 鳥居一基 氏子三十二戸・総代員 社掌小堀長十郎
本社勸請年月詳ならす 社域百坪淸洒の地に在り

口変形 こちらは口なし
環状線方向
洗足石の碑
関堀町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・関堀町545-1

使用文字[雨+罒+龍]

主祭神:高龗神

旧地名:宇都宮市上関堀540
田原街道豊郷中の北隣り。
主祭神:高龗神
拝殿の後ろに田川から引いた用水路が音たてて流れ,田園が広がる。真後ろ遠方に高原山が見える。
旗杭は「昭和七年九月十五日」
鳥居は「寛政六甲寅年○九月大吉祥日」1794
右手の平成五年十月の関堀町上氏子一同による「高龗神社改修建設記念」碑の文字は「雨+罒+龍」。
拝殿内天井に掛かっている明治以降の奉納額は「高尾神社」
高龗は高尾で代用されたのであろう。
「昭和三年十一月・上関堀氏子一同」の石塔。
左手境内社の鳥居は「慶應三(丁=欠字)卯年四月吉日」1867
境内社の後ろに「XX年九月」しか読み取れない古そうな社。明治か? 木の名札もまったく読めない。
背後から見て左から二番目から「山の神権現」「なり神」「おかま様」の名札がはめこんである。
『栃木県神社誌』旧版記載の境内社は稲荷神社(倉稲魂命)と鷄神社
本殿:流造銅板葺 例祭:旧9月29日
*『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)5巻12丁
河内郡豊鄕村大字關堀鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口一間奥行一間二尺 拝殿間口二間半奥行三間 末社三社 氏子二十一戸・総代員 社掌
本社は字下の河原に在りて社域二百八十八坪平坦の地に鎭座す


(下野新聞社「栃木県万能地図」「au one地図」「ゼンリン地図いつもガイド」「MapFan」「goo」「navitime」「google」はすべてこの神社を「星宮神社」としているが,社殿修復の記念石碑には「高龗神社」と明記してあるので,どこかが間違えて掲載した社名を各社が引き写した可能性が高い。『神社名鑑』『栃木県神社誌』でも,ここは高龗神社)
しっかりした鳥居。1794 改修建設記念碑 関堀町上 神社名が判明する
寄進した人は「尾」を使った 拝殿 本殿
上関堀 境内社の鳥居1867大政奉還の年 古そうだ
なり神と読める 木札の文字も消滅 西側から
鳥居は2基 背後に広大な田園が広がる 裏の景色 右端高原山
岩本町

高龗神社

宇都宮市・岩本町478

[たかお神社]

使用文字[龗・罒・靇]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
配神:大山祇神,磐裂神,根裂神,伊邪那岐命,伊邪那美命,天照大神
境内社:高龗神社(高龗神,明治40年3月に豊郷村岩本字北ノ入鎮座を合祀),八坂神社,羽黒神社,稲荷神社,大国神社,浅間神社
藤原宇都宮線・北山霊園のある山の東斜面。
石段の上り口に口3つ付き正式の文字の立て看板がある。主祭神は高龗神と記してあるが,こちらの文字は「雨+罒+龍」
拝殿内の奉納額2枚とその下の「奉鎮祭・高龗神社拝殿一宇」の文字は「雨+龍」。左手の「奉納・高龗神社拝殿」板書は口みっつつきの正字。
末社見取図は「雨+龍」であるが,はじめてお目にかかった。14の境内社にすべて名称がついている。これはめずらしい。境内社にはいつも悩まされるので,とてもありがたい。
神社清掃当番もきちんとしていて,手入れの行き届いた神社である。
拝殿は山の石窟を利用してくりぬいた岩にうまく建っている。小型の本殿もくり抜いた岩に鎮座。
拝殿の「高龗大明神」額はおもしろい。「明治二年巳九月吉日」と刻んである。
維新の神仏分離で大明神も神社に変更されるが,明治二年1869には明神号がまだ残っていたことが分かる。岩本の覚性院が廃寺になるのが明治五年1872なので,そこまで大明神号も生きていたかもしれない。
明治初年までここは「高龗大明神」であった。『鹿沼聞書』では「高龗大明神」も「高尾大明神」と記録してしまったことが分かる。高龗は江戸期からすでに[タカオ]と呼ばれていたことも分かる。『下野掌覧』も『鹿沼聞書』を踏襲している。
明治五年までには「高龗神社」として登録された。沿革誌にはもちろん神仏分離後の社号が記録されている。
本殿:石祠 拝殿:流造銅板葺 例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高尾大明神,岩水,篠崎摂津
*『下野掌覧』万延元年1860刊
河内郡之部 高尾大明神 岩本村鎮座 祭主篠塚氏ナリ
*『下野神社沿革史』5巻12丁(明治35年1902刊)
河内郡豊鄕村大字岩本鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口二尺二寸奥行一尺八寸 拝殿間口二間奥行一間半 末社四社 氏子二十四戸・総代員 社掌
本社創立年月詳ならす 社域三百九十六坪あり

聞書に岩水とあるのは岩本の誤植。
口3つ付き正字 ありがたい境内社の案内
明治二年 口なし雨龍 本殿 本殿の上 口なし
平成八年拝殿建築記念 目がまん丸の狛犬
境内社が並ぶ 本殿右手の境内社
拝殿 境内社鳥居
羽黒山神社
もうひとつ丸目の狛犬 東部を望む
下田原町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市下田原1411

使用文字[龗]

主祭神:高龗神

旧地名:河内郡河内村下田原龍開1411 河内郡田原村大字下田原字龍開1411番
主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
配神:大山祇命,倉稲魂命,大物主命,磐裂神,根裂神
山田川の東の田んぼの中に大正15年3月の社柱だけがぽつんと立っている。ここに「奉納・村社高龗 琴平山神社」と刻んである。文字は「雨+罒+龍」。田を渡ると山田川が流れている。その西の山に神社があるかもしれない。試しに登ってみると中腹に宇都宮陶芸倶楽部。そこからさらに登っていくと,視界が開ける。さらに登ると一の鳥居発見。左手に「大廣前」の手水石。「奉献龍開」と刻んである。
階段を登ると二の鳥居。「文化三年十月吉日1806」
神楽殿を備えた立派な神社である。
拝殿右手に「高龗神社改築記念」昭和53年6月1日の石塔。こちらは口の無い「雨+龍」
拝殿前左右に石塔がずらりと並ぶ。
「寛政九丁巳龍神?五月」1797
「文化五戊辰」1808
「文久元年九月」1861などが読み取れる。
拝殿額は「龍開琴平神社」
平成二年に伊勢神宮から贈られた61回式年遷宮奉賛の感謝状には「河内町下田原・高龗神社殿」と書かれている。
拝殿と神楽殿の間を入っていくと「xx神社」と二文字が読めない自然石。琴平でも高龗でもない。
大正4年までは琴平神社と称した。9月2日に高龗神社,湯殿神社,稲荷神社,星宮神社と合併し高龗神社と改称。
『栃木県神社誌』新版では高龗神社に4社を合併したと記述が揺れている。[未解決]
北山霊園東の高龗神社から真北に約1キロ。東南700mに爪間の高龗神社。
----------------
本殿:流造銅板葺 拝殿:入母屋造銅板葺  例祭:旧10月10日
*『下野掌覧』万延元年1860刊
河内郡之部 高尾大明神 下田原村鎮座 祭主手塚氏ナリ
江戸期には高尾大明神または高龗大明神だったが,維新に際して「高龗神社」と改称した。
背後の山頂に鎮座
200年前の鳥居・文化三年
雨龍
神楽殿
本殿右手裏
爪間町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・下田原町2555(爪間うるま)

使用文字[靇]

主祭神:高龗神

旧地名:河内郡河内町下田原爪間
大塚の北800m,新幹線のすぐ東。畑の中に鳥居が見える。
昭和二十二年の鳥居額文字は「雨+龍」
大塚とおなじく小さな石の祠があるのみ。
「昭和二十一年九月二十九日・下中一同建之」
愛嬌のある?龍のレリーフ。
覆屋がなく,木製祠か石祠のみが立つ形態は栃木県の高龗神社では,めずらしいもので,大塚,駒生,新里甲,下栗とここ爪間5社のみ。貴重な社である。
口なし雨龍
昭和21年 下中一同 すぐ南
下小池町

高龗神社

宇都宮市・下小池町1227

[たかお神社]

使用文字[龗・罒]

主祭神:高龗神

旧地名:宇都宮市下小池町字宮ノ下27
主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
境内社:稲荷神社(倉稲魂命),新渡神社(素戔嗚命),山神社(大山祇神)
日光街道の西,篠井ニュータウンを抜けた田園地帯に386mの雷電山があり,その東山裾に鎮座。雷電にぴったりの高龗神社。
鳥居脇の消えかけた由来書と拝殿内の額に確認できる文字は「雨+罒+龍」
「当社は久寿二年(1155)x月十五日源頼政朝臣(51歳)下野国那須野亜狐狩に下降の折当地に至り絹川大洪水にあい此の地に逗留せし時御狩満足の祈願として香取弦目の御祈祷の社檀地として勧請したのが当神社である。
亦此の地は天水の地故,田用水の爲め水分の神である高龗神を勧請し御神躰は天正四年1576常池坊の作が現存する。現在の社殿は元禄十二年1699の再建。寛永年間神道管領卜部朝臣藤原吉速卿の書たる額面あり」

水分の神というのは分かりやすい。創建が850年以上前,社殿も300年を超す古社である。
明治45年11月に下小池の琴平神社,愛宕神社を合祀している。
鳥居をくぐって大谷石の石段を6回上がる。
拝殿内は暗かったが,格子の間からフラッシュを焚いてパソコンで確認すると,由来書とは別の額が掲げてあり「正一位高龗神社・正七位戸田齋國敬書」と読める。おかみ字は罒が使われている。
天明七1787丁未暦四月吉祥日の奉納石燈籠には口3つ付きの正字でくっきりと「高龗大権現」と彫られている。この石燈籠はめずらしく大権現がついていることと,220年前の「高龗」の文字が確認できる点でとても貴重なものだ。
入り口に寛政十二1800の石塔。「奉納坂東西國秩父當國二百箇所供養塔」と刻まれている。
文化六年1809四月の石燈篭。
文化十一天1814の男體山燈籠。
3年に一度8月中旬に天棚を設け天祭を行っている。彫刻屋台は唐破風造の二階建て。
本殿:流造木羽葺 拝殿:入母屋造りタン葺 例祭:11月15日
*聞書の小池は都賀郡に分類されている。記述の順番から判断すると,ここ下小池にあたる。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡,高尾神社,小池,村井佐仲

*『下野掌覧』万延元年1860
都賀郡之部 高尾大明神 小池村鎮座 祭主村井氏ナリ
**沿革誌には「下小池」は見つからず。往古は上小池村と下小池村とを合わせて小池村と称した。江戸期から明治22年までは上小池村と下小池村があり,それ以降は篠井村の大字に上小池があるので,沿革誌の上小池にも高龗神社があったのかもしれない。参考のためにつぎに紹介しておく。
『下野神社沿革史』5巻23丁(明治35年1902刊)
河内郡篠井村大字上小池鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口四尺奥行五尺 末社三社 石燈籠四基 華表一基 氏子六十七戸・総代員 社掌
本社創立年月詳ならす 社域五百七十六坪淸洒の地に在り 境内には老樹亭々として中空に聳ひ神寂ひて雅致あり
拝殿内 口変形
正一位高龗神社
高龗大権現 天明七年1787
男體山
古そうな狛犬
奉納坂東西國秩父當國二百箇所供養塔
篠井町1948

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・篠井町1948

使用文字[罒の龗・尾]

主祭神:高龗神

旧地名:宇都宮市篠井町宮腰1948
主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
日光街道から船生街道に入り,600m行って車1台分の細い道を入る。樹齢200年を超すイヌシデの巨木がある。
入り口の鳥居額に「雨+罒+龍」の「高龗神社」
拝殿内の額には「正一位高尾大神」と龗と尾が混在している。
明治三庚午年十月の十九夜塔。
もともとは「高雄権現」であったが,明治の神仏分離で「高龗神社」と改称する。
「雄」の方が先だったことが江戸時代初期からこの社の祭主をつとめていた「東海寺」の記録に残っている。
7月に二階建て彫刻屋台を組んで天祭を行っていたが,屋台破損により休止。
境内社:稲荷神社,琴平神社
本殿:神明造トタン葺 拝殿:入母屋造トタン葺 例祭:11月15日

*聞書の尾は音を表すのみ。左の目次の下の方『鹿沼聞書下野神名帳』をご覧いただきたい。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡,高尾大明神,篠井村民

左拝殿額 右鳥居額
五重の塔
イヌシデ
篠井町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・篠井町1476

使用文字[龗]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
日光街道から船生街道に入り,ヒーロー篠井サーキットの北。
道が未舗装で狭く,雑木でドアに擦り傷がつく。
「元禄十二年己x十二月」1699の神明鳥居が杉木立の中にひっそりと佇む。『栃木県神社誌』では元禄十四になつているが四の部分がつぶれていて読めない。「己」が右上に見えるので左の卯が見えなくなった己卯の元禄12年ではないだろうか。辛巳の巳一文字なら14年だが,いずれにしても古い鳥居。
鳥居をくぐるとゲートボール広場があり,その奥に屋根の美しい社殿。社名を示すものはない。
拝殿内にも額は見えない。表彰状を撮影してパソコンで確認すると,口3つ付きの高龗神社の文字が2か所に読み取れる。発行元が栃木県神社庁宇河支部長と宇河総代会長になっているので,お墨付きの高龗神社。
「男體山・文政十三年庚寅年七月吉祥天」1830の石燈籠。
「万延元庚申年八月吉日」1860の御神燈。
旗杭の足許にかわいらしい狛犬が。
境内社:奥之院(大物主命),稲荷神社(倉稲魂命),琴平神社(大国主命)
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7月に二階建て彫刻屋台を組んで天祭を行っていたが,屋台焼失により休止。
本殿:流造木羽葺 拝殿:入母屋造銅板葺 例祭:11月23日
聞書には上篠井,下篠井の2社が載っている。ここは上篠井。沿革誌には篠井のみで,特定がむずかしい。狛犬数と境内地の大きさからこちらとする。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡,高尾神社,上篠井,中塚某
*『下野掌覧』万延元年1860
都賀郡之部 高尾大明神 上篠井村鎮座 祭主手塚氏ナリ
*『下野神社沿革史』5巻23丁(明治35年1902刊)
河内郡篠井村大字篠井鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口四尺二寸奥行一間二尺 末社二社 石燈籠四基 華表一基 氏子五十七戸・総代員 社掌
本社は字宮原に在りて社域一千四百三十七坪淸洒の地にあり
『聞書』高尾神社,『下野掌覧』高尾大明神と社号が異なる。いずれも「神社」と「大明神」を区別して記録しているので,どちらが正しいか判断できない。「高尾」は共通なので,維新に際して『日本書紀』の「おかみ=龗」字をとって「高龗神社」と改称した。
元禄十二1699 暗いですが…
口3つ付き正字 美しい社殿
男體山
文政十三年1830 万延元年1860 万延元年1860
大網町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・大網町263

使用文字[罒+竜]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
日光街道から大網入り口を入り,直進して突き当たりを左折して田んぼの中を行くと明神鳥居が見える。
特筆すべきは社柱の「おかみ」字。雨+罒の下に尻尾の形の甲,つまり竜から立をとった形。
竜かと思ったが,どう見ても雨の下は四角で囲まれている。口ふたつに見える。
昭和8年に彫られている。龍よりも象形文字としては竜の方がしっぽがはっきりしていることもある。
珍しいので永く保存して欲しい。
「安永癸巳歳1773願主當村生xx大乗妙典日本六拾六部迴國供養塔 九月吉祥日 永林沙壽尼 永岡松伊 同 全右工門」という不思議な石塔。諸国を巡礼してきた尼様が生国大網に戻って高龗神社に供養塔を建てた。
「文政十丁亥年八月十五日」1827の石燈籠。(浅学にして正文=政と読むのを始めて知る。その後,元禄もタテに分解して示ヨ水と彫られているのをいくつか見ることになる)
干支のシステムは年号および数字が読み取れないときにも威力を発揮する。
この形式の逆としては「供養」の養が左右に組み合わされる,つまり艮が羊の右に来て一文字に彫られている石塔をけっこう見かける。

文化三1806の千手観音像。
文化十1813の十九夜供養像。
嘉永四辛亥1851の石燈籠。
境内社:山神社(大山祇命),稲荷神社(倉稲魂命)
万治二年1659創立。
近年はあまり行われないが,天祭,風難除けの風祭神事が残されている。
本殿:神明造トタン葺 拝殿:入母屋造トタン葺 例祭:旧9月19日 風祭8月25日
*『下野神社沿革史』(明治35年1902刊)5巻31丁
河内郡富屋村大字大網鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口五尺奥行一間二尺 末社三社 氏子十八戸・総代員 社掌外鯨升鄕社智賀都神社々司
本社創建は万治二年1659にして產土の神と崇敬す社域七百六十六あり
栃木県唯一のおかみ文字
拝殿内に多数の額 ここは雨龍
文政十
嘉永四年 社殿左手に2基 社殿右手に1基
南に田園が広がる
川田町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・川田町1122

使用文字[靇]

主祭神:高龗神

旧地名:宇都宮市東川田1122
宇都宮駅と宇都宮大学の間を4号線で南下して左側に。4号線の喧騒からかけ離れた環境が田川沿いに広がる。
水鳥が水面を水を切って飛び抜ける。カラスとアヒルが鳴きかわし,カモが歩いている。
渋滞で名高い川田入口を東に貫通する工事が行われている。
平成元年の鳥居額は「高雨+龍神社」
ただし,龍の最後の3画が2本しかない。平成になって最後の1画を抜いた意味は?
昭和から平成の小学校漢字教育からは,意図的に1本抜かない限り,見落とすことは考えられない。
意図があるなら石に彫って説明する義務があると思うが。
口3つの字の存在すら知らない書家と氏子の力関係だとすれば,石に彫られて残る人的災害を誰が食い止めるのか。気に入らないデザインにクライアントはもっと文句をつけていいし,表札の誤字などもってのほか。1画の違いで藤本が藤木になってしまう。うまいへたの問題ではない。正字あってこその書であり,許されない変形があることを書家は知るべきだ。
明治三十六年旧九月再建築のみごとな石造りの本社がある。
明治廿九年の境内社。
大正四年九月十九日の狛犬。
昭和七年の石燈籠など。
境内社は素戔嗚命の八坂神社。夏祭りには神輿渡御が行われている。
明治41年4月7日に字東原の猿田彦神社,6月11日ら字新堀外午の猿田彦神社を合祀している。
本殿:石祠 例祭:11月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高尾大明神,東川田,千手院
**『下野神社沿革史』5巻10丁(明治35年1902刊)
河内郡横川村大字東川田鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口二尺八寸奥行四尺四寸 末社一社 氏子五十三戸・総代員 社掌 本社は字神前に在りて社域二百七十七坪を有す

芦沼町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市芦沼町970

使用文字[龗・靇]

主祭神:高龗神

旧地名:河内郡上河内町大字芦沼970/河内郡上河内村芦沼字林添
主祭神:高龗神[たかおかみのかみ],軻遇突智命
上阿久津から鬼怒川の反対,西側を少し北上すると田んぼの中に,見事な三本の杉がそびえ立つ森が見つかる。
きちんと手入れされた立派な神社である。通称東芦沼神社。
拝殿扉も開いている。実は祭りでもないのに扉の開いていた高龗神社はここが初めてである。そのうえ本殿には野菜がお供えしてあった。宮司さんと近隣の方のお心とご苦労がしのばれる,気持ちのいいところ。森を透かして日光連山がくっきり。
社柱は「高雨+龍」
拝殿左手に旧拝殿が神庫として保存されている。
応仁元年1467の創立を記した御影石の由来には正式な口3つ付きで「高龗神社」と刻まれている。この内容がおもしろい。「主祭神・軻遇突智命(火の神なり)」とある。さらに続けて:
「当地鎮護の神たり晴雨を司り給う旱魃等ありし際は氏子等社頭に参集し雨乞祈願をなす。風あり河辺に神輿を迎え奉り雨乞祈願をなす時は慈雨忽ちにして来ると雖も水害を伴うところあるため古来より行う事稀である」
この当地鎮護の神の霊験の示すところ,高龗の神にほかならない。
さらに拝殿前の「町指定有形文化財第九号・高龗神社本殿」の解説には「高龗神を祀り東芦沼地区の鎮護神として人々に崇敬されている。・・・なお祭神は軻遇突智命(火の神)である」とある。二神がきちんと区別されているが,理由は不明である。
なお,**『下野神社沿革誌』記載の祭神は高龗神。『栃木県神社誌』では新旧版とも主祭神は高龗神となっている。どう扱うべきか迷ったが併記することにした。
拝殿額・奉納額あわせて4枚は「雨龍」
宮司さんの奉納した石燈籠には「雨+口みっつ+龍」の正字。
寛永七1630寛文七1667寛政七1795のいずれか,おそらく1667の境内社。
元治元年甲子1864男体山
右手に天明二年1782と読める富士浅間大神の社など8社がならぶ。計15末社。
安政三年1791辰六月石塔。
本殿:流造木羽葺 幣殿:切妻造亜鉛葺 拝殿:入母屋造銅板葺 例祭:10月19日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,正一位高尾神社,芦沼,福田出雲
*『下野掌覧』万延元年1860刊
河内郡之部 高尾神社 蘆沼村鎮座 祭主福田氏ナリ
*『下野神社沿革史』5巻16丁(明治35年1902刊)
河内郡絹島村大字芦沼鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口四尺五寸奥行一間 拝殿間口二間半奥行一間半 末社四社 氏子百十七戸・総代員 社掌
本社創立は應仁元年1467にして社域三百六十坪を有す

由緒書 口みっつ付正字
額が4枚
本殿解説 整然と保存されている
男体山・湯殿山 すごい杉
写真で見るより太い 一見の価値あり
右手に鬼怒川
下小倉町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市下小倉町2243

使用文字[龗]

主祭神:高龗神

旧地名:河内郡上河内町大字下小倉2243/河内郡上河内村下小倉宮ノ下
主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
鬼怒川に架かる氏家大橋の西に広がる田園地帯。芦沼の高龗神社の北西に鎭座。参道から日光連山がくっきりと。
大正四年の社号標は「雨+龍」
平成13年の神社拝殿修理・境内整備記念碑は正字で口3つ付き。
拝殿額も正字。拝殿内部は見えない。
先代の狛犬が保存されていて,腕が落ちているのだが,線刻の表情が愛嬌があってユニーク。小型の方も丸くてかわいらしい。
石燈籠が整然と並んでいる。古いもので大正四年。
社殿を背に,道路沿いに廿三夜,地蔵尊など七基が並んでいる。
境内社もきちんとしている。
境内社に八坂神社(素戔嗚命),稲荷神社(倉稲魂命),雷神社
本殿:流造板葺 拝殿:入母屋造鉛板葺 例祭:10月第3日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高尾大明神,中小倉,手塚伊豆
*『下野掌覧』万延元年1860刊
河内郡之部 高尾大明神 中小倉村鎮座 祭主手塚氏ナリ

250年後の現在,中小倉の地名はなく,南部の下小倉に組み込まれた。社掌の手塚伊豆は下小倉の稲荷神社,上小倉の小室大明神,今里の黒羽山大権現も兼務していたことが鹿沼聞書に記録されている。
江戸期には高尾大明神だったが,維新に際して『日本書紀』の表記を採用し「高龗神社」と改称した。したがって呼び名は昔から[たかお]である。
社号標 拝殿額
拝殿修理・境内整備記念碑
鳥居から
手水石
稲荷神社 八坂神社
雷電神社
旗杭に奥羽三山の文字
宮山田386

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・宮山田386

使用文字:[靇]

主祭神:多加於迦美命

旧地名:河内郡上河内村宮山田386 上河内町宮山田386
主祭神:多加於迦美命[たかおかみのみこと]
祭神名は『栃木県神社誌』旧版1964年版では『古事記』ふうにきちんと記載されている。*『下野神社沿革誌』の祭神表記と同じである。
ところが2006年新版では,なんと「迦美」を削られて「多迦於神」になってしまった。「たかおかみの神」はついに「たかお神」にされてしまったのである。
これは宮山田の2240にあるもう一社も同じ宮司さんによって同様の扱いを受けている。ただし宮山田2240では旧版で「高龗神命」と神命がたぶっている。神=迦美なのではないかという救いが残っている。
羽黒山のすぐ西。小高い丘に鎮座。
高雨+龍の立て札が入口に。
天保十三1842の鳥居と石塔。
拝殿右手にも高雨+龍の立て札。
拝殿内に文字は一切なし。
下方に山あいの田が見下ろせる。
鳥居をくぐったところに広場があり,木製のベンチが中心を囲むように設置され,整備が行き届いている。
ここの参道は枕木かもしれない。
「享保五庚天1720・月念佛供養・八月十六日」石像。
ひらがなで「きしん」と彫られた「十??供?」像。
年代不詳「聖徳太子」「庚申塔」など5体が鳥居下左手に並ぶ。

『栃木県神社誌』旧版に「永正十一年1514夏大旱魃にて水田及び井水に至る迄悉く枯れ,五穀は凋渇死せんとす。此ノ時神祇副使伊予守 藤原基定 本村水田ノ一隅の丘陵なる清浄なる地に高龗神を奉招して祈雨を乞うこと三昼夜遂に時雨頻りに降り五穀も爲に蘇生し,神の御稜威の著しきを人皆感じ,同年十一月を以て社殿を創立」とあり,まさに「たかおかみの神」の神威が描かれている。『下野神社沿革誌』の記述と同じである。
現在の社殿は寛政元1789年十月に再建したもの。
本殿:流造木羽葺 拝殿:入母屋造トタン葺 例祭:11月15日(旧暦)
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高尾大明神,宮山田,小林左近
*『下野掌覧』万延元年1860刊
河内郡之部 高尾大明神 宮山田村鎮座 祭主小林氏ナリ
*『下野神社沿革史』5巻18丁(明治35年1902刊)
河内郡羽黑村大字宮山田字神の山鎭座 村社 高龗神社
祭神 多加淤加美 祭日陰曆十一月十五日 建物本社間口四尺奥行五尺栃葺 雨覆間口二間半奥行三間 石鳥居一基 社有財產 田壹反三畝十八歩 氏子七十戸・総代員 社掌小林淸一郎同村同大字六十八番地住
本社創建は永正十一年1514十一月にして神祇副使正七位小林伊豫守の勸請なり 因に云ふ永正十一年1514の夏大旱魃にて水田及ひ井水に至るまて悉く干涸して五榖は云ふまてもなく凋枯し蒼生も既に渇死せんとす 此時神祇副使伊豫守藤原基定本村水田一隅の丘陵なる淸浄の地に神籬居へて高龗神を奉招して祈雨を乞ふこと三晝夜遂に時雨頻りに降り五榖も爲に蘇生するに至る 神の御稜威の著しきを人皆感し同年十一月を以て社殿を創立して其恩頼を報賽せしか后本村の鎭守神と崇敬せり 后寛政元年1789本社再建し今の社殿此れなり 社域四百八坪官有神地及ひ五十五坪民有社地にて東は水田を隔てゝ羽黑山に對す 南は一体の田圃にして西に山岳聳ひ北は民屋連る 本社は東に向ひ馬塲に入れは拾餘間の石磴を登りて石の鳥居あり又五十餘間の石階を登れは本社に至る 境内には老杉古檜蓊欝として喬木陰森天日を漏らさす晝尚暗く神寂ひて雅致あり

江戸期には高尾大明神または高龗大明神だったが,維新に際して「高龗神社」と改称した。
本殿 天保と読める 天保十三年1842
左手
見事な根っこ
享保五年1720 聖徳太子 庚申塔
宮山田2240

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市宮山田2240

使用文字[不明]

主祭神:高龗神

旧地名:河内郡上河内村宮山田2240
主祭神:高龗神命[たかおかみのかみのみこと]
祭神名の表記は『栃木県神社誌』旧版1964年版では神と命がだぶっているが,『日本書紀』の表記をとっていた。このころは[タカオカミ]の命だったので神命と書いたのだろう。
ところが2006年新版では,『古事記』ふう表記に戻された際に「迦美」を削られて,「多迦於神」になってしまった。
「たかおかみの神」はついに「たかお神」にされてしまった。
これは宮山田の386にあるもう一社も同じ宮司さんによって同様の扱いを受けている。

羽黒山の麓,ゆず園のそば。急な石段を上る。
文字は何も書かれていない。近所の人にたずねるも,「たかおさま」なのだが文字は不明。ただ尻尾ではないとおっしゃる。
本殿側面に龍が描かれている。
昭和10年の狛犬。
もっと古そうな勝善神,三十三夜御鎮座石塔があるが,年代は確認できない。
境内社:文明年間に河内郡羽黒村宮山田にあった高龗神を祭神とする高龗神社を合祀して境内社としている。
由緒沿革によれば,文明年間1469-87に小林基定が氏神として創立し,弘化年間1844-48に村の鎭守とした。社殿は弘化三年1846に再建したもの。
本殿:木羽葺 拝殿:トタン葺 例祭:11月1日(旧暦)
本殿 本殿側面
座像?
勝善神 左:二十三夜供養塔
上大塚町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市上大塚町85

使用文字[龗]

主祭神:高龗神

旧地名:河内郡河内町大字大塚新田85 河内郡河内村大塚85
主祭神:高龗神[たかおかみのかみ],『栃木県神社誌』旧版では豊城入彦命
川俣の北800mにある。田んぼの中の細い道を行くと小高い丘に大谷石の鳥居が見える。
問題はたどり着くまでの道幅がインサイトの車幅ぎりぎりというか,車輪幅より狭いので,運転が難しいこと。
さらに野犬が吠えかかってくるのでスキを見せないこと。
「高龗神社古墳」の説明板が立っていて,口3つ付きで「たかお」とルビが振ってある。
説明看板には,「このあたりには6世紀頃の大小多数の古墳があったが,現存するのはここの円墳のみ。大塚,塚原,十三塚などの地名に名残をとどめている」とある。
明治19年に東北本線の敷設により塚の中央部を崩したところ下部に鉄板のような場が発見されたとの記録がある。鉄板のように固いなにかか,鉄板に見えた石板なのか,もはや定かでない。
鳥居をくぐると石段が15段あり,その先に小さな石の社があるのみ。
明治三十七年旧?九月二十と読める。1904年再建の石祠。
右手に境内社が3社。
鳥居脇に「十九夜」石塔,右頬に手をついた像が二体。文字はない。
周囲は広大な田園地帯で,日光連山,那須連峰がくっきりと一望できる。
本殿:石祠 例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高尾大明神,大塚,密奥寺
**『下野神社沿革史』5巻14丁(明治35年1902刊)
河内郡田原村大字大塚新田鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口二尺五寸奥行三尺 末社一社 氏子九戸・総代員 社掌 本社勸請年月詳ならす 社域二百廿八坪を有す

立伏町

高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市立伏町142 りゅうぶく

使用文字[靇・尾]

主祭神:高龗神

旧地名:河内郡河内町大字立伏142 河内郡河内村立伏久保屋敷
主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
下田原の北東3km,田原西小のすぐ西。「りゅうぶく」
道路脇の平成8年の鳥居額は「雨+龍」
石段途中右手におそらく天保時代1830-44の手水石。となりに木製の祠と男體山。
石段を上ると木造の長屋門があり,そこをくぐると拝殿。
朱塗りの本殿に「正一位高尾大明神」*の額。神仏分離で撤去させられた額を国家統制から自由になって掛け戻したのだろう。かなりの年代物だ。
神紋・左三ツ巴が境内社屋根に刻んである。
昭和の「奉納 高龗神社」額が別に保存されており,こちらは雨+龍。
背後に杉の山が広がり,南を見下ろすと田園が広がる。
本殿覆屋右手に石祠2基,裏手に3基。さらに奥に3基。
境内社稲荷神社,浅間神社,権現神社の他に不明社5社とされているので,木製を除くと数は合っている。
享保十二年1727釈迦?
文政七甲天1824観音
弘化四x天1847千手観音
尻尾を巻いて耳も垂れた愛嬌のある狛犬。
ところで地名の立伏は「竜伏[りゆうふく]」柱礎石据え付け初め儀式に関係あるのだろうか。
本殿:切妻造銅板葺 拝殿:切妻造亜鉛板葺 例祭:11月第2日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高尾大明神,立伏,五宝院
**『下野神社沿革史』5巻14丁(明治35年1902刊)
河内郡田原村大字立伏鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口四尺五寸奥行三尺八寸 拝殿間口五間奥行二間 氏子二十八戸・総代員 社掌
本社創立年月詳ならす 社域百九十六坪あり
高龗神社 本殿
正一位高尾大明神
くぐり家 絵馬型額
奉納板絵
背後の山腹に石祠
古そうな狛犬
何だろう
御田長島町

高尾神社

[たかお神社]

宇都宮市・御田長島町439 みたながしま

使用文字[尾]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
境内社:御霊神社(大日孁貴),愛宕神社(火産土命),八坂神社(素戔嗚命)
創立不詳。新幹線と田川の間の水田に鎮座。寛政にはすでにここに祀られていた。目視できる南方の小山に雷電神社。
『栃木県神社誌』に尾字の高尾神社で掲載されている。
鳥居手前右手に「高尾神社」社号標。鳥居の先に2007年にはなかった真新しい石燈籠がずらっと並んでいる。トタン葺きだった拝殿も銅葺きの立派な社殿に建て替えられた。平成21年の造営である。
『宇都宮市六十周年誌』には祭神としてさらに菊理姫命・大山咋神・素盞嗚尊加わり,明治四十四年1911に大杉神社・八坂神社・白山神社・湯殿神社を合祀したと記されている。
寛政二年1790の庚申供養塔,文政八年1825馬頭尊など多数の石塔・石祠が拝殿右手にまとめて保存されている。。
拝殿右手の小ぶりの鳥居の昭和53年額束に「宝暦三年喜国神社鈴木源之丞」の文字。
さらに右手に「鈴木源之丞供養塔」山崎よしたか作「嗚呼・籾摺り源之丞」の歌詞。
-------------
本殿:流造銅板葺 拝殿:流造銅板(トタンか?)葺 例祭:11月18日
2007年の境内 高尾神社
平成21年造営
昔の拝殿内
高尾神社竣工記念碑 拝殿左手 喜国神社から
石祠群
??田村行者 左:寛政二年1790
南の石祠
雷神か 喜国神社鳥居
鳥居額 鈴木源之丞供養塔
籾摺り源之丞歌詞 鎮座の杜
下横田町

高尾神社

[たかお神社]

宇都宮市・下横田町336

使用文字[尾]

主祭神:高龗神

上三川のすぐ西,御田長島の東。宇都宮南高校の南に位置する。ジョイフルホンダの南西の田んぼの中にたつ。鳥居額は「高尾神社」。
左手に境内社が4社ならんでいて,最大の社の右奥に半分埋もれた石に「高尾神社」と刻まれている。
記録で分かる境内社に稲荷神社(宇賀魂命<倉稲魂命)がある。
『宇都宮市六十周年誌』には,さらに祭神として国之常立尊と火産霊命を加え,明治四十三年1910に高龗神・横田神社・御嶽神を合祀と記されている。
入口右手に大谷石の残骸が積んである。近年整備されて鳥居などが新築されたようだ。建造年は刻まれていない。拝殿は平成2年の改築。
鳥居右手に「青面金剛塔 宝暦四甲戌」1754。
昭和11年の手水石。この他には拝殿内にも文字はない。
水田に囲まれた気持ちのいいところ。水田はすぐ西を流れる田川から水を引いている。
本殿:流造銅板葺 拝殿:流造銅板葺 例祭:11月17日
(ここはsembeさんに教えていただきました。感謝)
*『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)5巻40丁
河内郡雀宮村大字下横田鎭座 村社 高尾神社
祭神 高龗神 建物本社間口二尺奥行二尺 拝殿間口三間奥行三間三尺 末社一社 社掌
本社創勸請月不詳社域百六十七坪平衍の地に在りて氏子三十六戸を有せり
大谷石が積まれている
青面金剛
縦に「高尾神社」
水田に囲まれている
下ケ橋

高尾神社

[たかお神社]

宇都宮市下ケ橋町1973 さげはし

使用文字[尾]

主祭神:高龗神

旧地名:河内郡河内町大字下ケ橋1973 河内郡下ケ橋宮前1973
主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
2キロ四方を1時間かけて探したが見つからず,4人の方にお聞きしても天棚で有名な西川橋の馬頭観音は教えてくれるが,高尾神社は知らないという。あきらめかけて「西下ケ橋えのき公園」で義経が泊まった「養膳寺跡」と「西下ケ橋彫刻屋台」の解説看板を読み,裏に回ってみると近隣散歩コースの看板に写真入りで載っていた。
西鬼怒川とJR変電所・新栃木変電所の間の田んぼの中に見つける。
草を踏み分けて正面に出ると石鳥居の額に「高尾神社」
*聞書に記録されている高尾が維新の神仏分離でもそのまま高尾で残った珍しい例。
石燈籠に「明和九壬辰二月期日」1772と読み取れる。もう1基は「奉納御寶前 安永三年六月吉祥日」1774
北に羽黒山,高原山が望める広大な田園地帯。
本殿:流造板葺 幣殿:切妻造亜鉛葺 拝殿:入母屋造亜鉛葺 例祭:11月第3日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高尾大明神,下橋,養膳院
**『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)5巻15丁
河内郡古里村大字下ケ橋鎭座 村社 高尾神社
祭神 高龗神 建物本社間口五尺奥行一間一尺 拝殿間口三間奥行二間 華表一基 氏子六十二戸・総代員 社掌
本社創建年月詳ならす 社域六百二十九坪を有す

 

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