羽黒山神社

[はぐろさん神社]

栃木県宇都宮市今里町1444

主祭神:宇迦之御魂命・菊理媛命 境内社:天満宮
旧地名:河内郡上河内町大字今里
羽黒山458mhの頂上に鎮座。康平年間1058-65の創建。文政元年1818頃消失。文政十三年1830再建。江戸中期に起源をもつ収穫祭・梵天祭が有名。昨年秋の梵天が7月29日現在,拝殿左手に立てられている。
大きな神社で,小生が付け加えることはない。
展望台から100キロ先の東京スカイツリーが見えるとという。
例祭:11月23日
最初の狛犬
杉の巨木 二つめの狛犬
夫婦杉 夫婦杉
夫婦杉 やっと社殿に
中央:梵天 手水舎 三つめの狛犬
拝殿
拝殿内
拝殿軒 本殿解説 本殿彫刻
本殿左手の板絵 本殿
ガラス越しボケたが神輿 由緒沿革
梵天
子宝之杉
天満宮 鐘楼
鐘楼脇の三代杉
文政三年1820再替の文字 社務所
鳥居手前
鳥居右手 巨大な株 密嶽神社への標識
密嶽神社

密嶽神社

[みつたけ神社]

栃木県宇都宮市宮山田2803

主祭神:倉稲魂命
旧地名:河内郡上河内町大字宮山田
羽黒山神社の社務所脇に「密嶽神社0.3KM」の標識が立っている。石段を降りて進むと途中左手に下る分岐があるが,直進して鉄塔方面を目指す。NHK-FMの送信アンテナと建設省の羽黒山無線中継所があり,その下方に朱色の屋根が見えてくる。300mで今里から宮山田に地名が変わる。
元亨二年1322「羽黒山三社大権現」として創建。寛延三年1750に消失したので宝暦二年1752に再建した際,社前を開鑿すると岩の下から清水が湧き出たので「水嶽大権現」と呼ぶようになった。天保八年1837再び消失,天保十一年1840再建。維新に際して「密嶽神社」と改称。本殿両側面と背面に農事のレリーフ。
途中の道から富士山が見えるという。
例祭:11月23日 通称:隠居羽黒山
宝暦二年に水が湧いた岩か
巨大な切株 となりの切株
注連縄が張ってある 無線中継所 NHKアンテナ
富士山が見える穴 羽黒山神社方向
スカイツリーが見える方向 茶店前の聖徳太子尊 田楽茶屋

*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻五-17丁
・羽黑村大字今里羽黑山鎭座 郷社 羽黑山神社 祭神 宇迦之御魂命
祭日陰暦三月七日十月七日 建物本社間口奥行栃葺 幣殿一棟 拜殿間口奥行栃葺 假社間口奥行 饌殿間口奥行 鐘楼間口奥行石葺 末社二社 古碑一基 石五層塔一基 石唐獅子二頭 木鳥居一基 石燈籠四基 社有財産田あり 氏子五十八戸 社司笹沼稻太郎 社掌土屋鐡衛
本社は康平年中の創建にして宇迦之御魂命を祭る 宇都宮城主奥平大膳太夫光重崇敬の社なり 后奥平氏は出羽の山形へ移封せられ年を經て再ひ宇都宮を領せん事を羽黑山の大神へ祈誓し遂に慶安年中宇都宮城主に再封せらる 光重其時出羽の羽黑山の御分靈を本社に合祀し爾來奥平家代々崇敬の社にして寶物を献し宏壯の社殿を再築せり 此より衆庶の數敬益々起る 本社は今里宮山田舊兩村境界に關るを以て寛政年中葛藤を生せしか里正笹沼長左衛門の盡力に依り后十三年を經て社地を三町餘北方に擴む 文政の始め本社拜殿祝融の災に羅り建築半はに至り再ひ野火の爲に悉く焼盡せり 氏子再三の改築費に苦しむも奥平氏越前の今治に移封せられしも后の領主戸田家も本社崇敬せし故に兩城主より若干の金員を寄附せられ氏子及ひ信仰者有志の寄附を以て文政十二年四月再建竣功し社殿成り神靈を遷し奉る 造營の大工は山本飛騨‏/‏芳賀郡高根澤村人/彫物大工は神山政五郎星野政‏/‏安蘇郡富澤村の人/なり本社の境内羽黑山‏/‏一名河内山と云ふ/は本郡中央に位し𥿻川の西岸に吃立せる山嶺にして直立千四百九十七尺本社へ登る道路四筋あり今里より登るを本道ロと云ふて登り十八町なり 南方は關白より登る途中七曲の坂路あり 西より登るは宮山田口にて北は小室よりす本道ロを登り十二町半に嶮岨なる坂あり土俗此處をからつそと唱ひり 此より三町半登れは百三十三階の石階ありて此に登るに鐡綱五十餘間を張りあり‏/明治廿八年1895中鹽谷郡氏家町上組中の奉納なり‏/參詣人の便に供す 廣前には男女兩坂とて二道の石磴‏/‏男坂二十三階女坂三十階/あり亦十國平らと云ふあり‏/‏隣國十ヶ國見ゆる所也/立鳥帽子石の名石あり 東境には鬼怒の長流蜿々として山麓を榮回して宛も白蛇の蟠蜿るか如きを望む 近くは四境の諸部落篠井地方の諸山眼下にあり 遠くは東に鷲子及ひ常陸の諸山西北には那須嶽鶏足黑髪山庚申及白根山上州の赤城山駿河の芙蓉峰をも雲際に望むを得る 社域一万四千二百九十八坪あり境内には老杉古樹蓊欝蒼々として‏/松杉一丈二尺以下五尺圍以上ニ百六十二本松杉苗木三万饌六百株‏/矗立し風光頗る明媚なり
    本境眺望無量なるを社掌土屋氏よみて  斯もよき眺め所は千早振かみ代に神や作りをきけ舞

・河内郡羽黑村大字宮山田鎭座 無格社 密嶽神社
祭神稻倉魂命 大己貴命 少名彦命 祭日陰暦三月七日十月七日八日 建物本社間口一間奥行一間栃葺 雨覆間口三間奥行三間 拜殿間口二間奥行二間半 社番詰所一棟 信徒七十戸 社掌小林淸一郎 社有財產郡村宅地貳反五畝歩
本社は元亨二年1322の創建にして羽黑山三社大權現と稱せしか山嶽の頂上に三神を祭祀するを以て后改めて三嶽大権現と稱す 寛延三年二月野火の爲に本社拜殿鳥有に歸す 宝暦二年1752九月拜殿再建せんとして社前を開鑿すれは頂上なる巌石の下より淸水漫々と湧出す 故に此れより水嶽大權現と改稱す 天保八年正月再ひ野火の災に羅る 同十一年九月建立す 明治元年社號を改めて密嶽神社と改稱す 社域七百五十坪山項の境にして登ること十五町なり 本社は巽方に向ひ本殿の周圍には農人か春の播種より秋の牧獲するまての形状を刻し施すに五彩を以てす燦然人目を驚かす 境内には松杉檜の若木蒼々として林をなし高雅幽凄眺望の佳地にして東北の山麓に繞らすに鬼怒の大流長蛇の奔る間に白帆片々として斜陽に映し南は常野の渺々たる野を望み眸を轉して西を望めは日光石裂庚申の諸山雲表に聳ゆるを視て浩然の氣を養へ風色の美之に過きむや

 

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