関白山神社

[かんぱくさん神社]

栃木県宇都宮市関白町667

主祭神:鎮守府将軍藤原朝臣利仁公
旧地名:河内郡上河内村関白
293号線中里原の交差点から北に63号線に入って1.3kmほど右手上方に鳥居が見える。
社号標が2種類あり,明治三十五年1902のそれには「高座山神社」,大正七年1918のそれには「村社關白山神社」
『栃木県神社誌』昭和39年2月11日発行には「関白山神社」として記録され,由緒沿革は『下野神社沿革史』の長文の記述をそっくり転用している。その『下野神社沿革史』では社号を「高座山神社」としている。
明治十二年創建だが,「文政十二年1829四月吉日」の文字が鳥居柱に刻まれている。
これは旧鎮座地河内郡羽黒村関白指定村社関白山神社を合祀したためだろう。『栃木県神社誌』では合祀の年を「延喜十二年912」と記録しているが,これは「創建」の誤記または誤植である。合祀したのはおそらく「明治十二年1879」であろう。「十二」が同じで編者が混乱したか。
錯綜しているがまとめると,千年以上前に村民を牛馬のごとく虐待した暴君蔵宗蔵安を都から派遣されてきた藤原利仁将軍が退治した。村民は将軍を神のごとく崇敬し,祀った。奥方も「姫神社」に祀った。時を経て明治になり,将軍の事跡が煙滅してしまうことを憂いた村民たちが八方探索し,堀の内要害(龍崖)で公の墓を発見する。官許を得て墳墓に社殿を建築し「高座山神社」として奉祭したのが明治十二年のことである。将軍を祭神とする,別の場所にあった関白山神社を合祀して,しだいに「関白山神社」と総称することになった。また,公の葬儀の奇跡を再現する関白獅子舞がここだけでなく周辺の白山神社などに伝わっている。
そして『下野神社沿革史』記載の桜の古木が墓の右手にいまも威容を誇っている。
*関白山神社で現在も8月第1土曜日に催される獅子舞は「天下一関白神kami獅子舞」と呼ばれ,1100年を越える貴重な文化遺産である。天保九年1838に関白から中里西組に獅子舞が伝授され,中里では「天下一関白流御神onkami獅子舞」と呼ぶ。
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*『下野神社沿革史』5巻20丁(明治三十五年1902刊)
河内郡羽黑村大字關白鎭座 無格社高座山神社 祭神鎮守府将軍藤原朝臣利仁靈命
本社は明治十二年1879三月の創建にして…(長文の賊討伐の武勲と創建の経緯が続く)…社域二百六十一坪高燥の地にして馬塲百二十尺三十五階の石磴を躋れは小木鬱然たり 中に老杉二株と古櫻ありて是則公の墳墓にて古碑あり 方四尺高さ六尺五層にして四方に文字あれとも摩滅して詳ならす 一方に延喜十二年912十月十八日と彫刻あるのみ
沿革史には,まだ関白に発見できない白山神社が記録されている。聞書には河内郡の白山大権現は「冬室・三沼式部/関白・笹沼氏/中里・中里見座/高沼(高松?)中里見座/逆面・弥勒院」5社が記録されている。
*『下野神社沿革史』5巻19丁(明治三十五年1902刊)
河内郡羽黑村大字關白鎭座 村社白山神社 祭神菊理姫命
建物本社間口四尺奥行四尺 拝殿間口三間奥行二間 末社二社 氏子四十二戸
本社創建年月詳ならす 社域四百八十坪瀟洒の地に在り
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡 白山大権現 関白 笹沼氏
拝殿 本殿
山側斜面に 関白山神社
山の上り口の鳥居 高座山神社
山側鳥居から見下ろす 道路沿いの鳥居
関白神獅子舞 藤原利仁公墓
桜の巨木
白山神社

白山神社

[はくさん神社]

栃木県宇都宮市中里町1692

主祭神:伊弉諾命・伊弉冊命 境内社:白山神社
旧地名:河内郡上河内村大字中里
「天下一関白流御神onkami獅子舞」が催される。上記の関白町関白山神社に伝わる藤原利仁公の悪賊討伐にまつわる獅子舞が中里西組に伝授されたのは天保九年1838のことであった。
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*『下野神社沿革史』5巻19丁(明治三十五年1902刊)
河内郡羽黑村大字中里鎭座 村社白山神社 祭神伊耶那岐命伊耶那美命 祭日陰暦九月九日
氏子百十五戸・總代三員 社掌中里乙吉同村大字同十六番地住 建物本社間口六尺五寸奥行六尺栃葺 拝殿間口五間奥行三間檜皮葺
社傳に曰く人皇五十三代淳和天皇の御宇天長二年825三月の勸請なり 其后延喜十二年912鎭守府将軍藤原利仁敕命を蒙り當國に下向し高座山の賊蔵宗蔵安を追討せる時當社に戦勝を祈り各靈境と共に崇敬あり 社域二百四十三坪境内高燥の地に位し社殿宏壮医師の華表ありて杉樹竹林囲繞雑生して稍深邃の趣あり
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡 白山大権現 中里 中里見座
400mほど西の中里町2041に「西組公民館」があり,石祠と聖徳太子石塔が立っている。脇に神庫があり「天下一関白流御神獅子舞[てんかいち・かんぱくりゅう・おんかみ・ししまい」の看板がある。8月15日に,まずこの公民館に集まり,いったん白山神社に詣でて「鎭守参りの舞」を奉納し,再びこちらに戻って獅子舞を演じる。
左:聖徳太子 天下一関白流御神獅子舞
後方を東北道が走る 西組公民館右手に鎮座
姫宮神社

姫宮神社

[ひめみや神社]

栃木県宇都宮市中里町925

主祭神:鎮守府将軍藤原利仁公夫人
旧地名:河内郡上河内村大字中里925
河内町教育委員会の立てた看板に「天下一神獅子由来の巻」とあるのは隣村の関白町関白山神社に伝わる悪鬼退散の獅子舞の縁起巻物で「天下一関白神獅子開起由来記」のこと。関白から中里西組に獅子舞が伝授されたのは天保九年1838のことであった。悪鬼退治獅子舞は下記の沿革史に書かれている夫藤原利仁公の賊退治伝説に基づく。
もともとは「姫神社」であったがいまは「宮」がつく。小ぶりな神社ながら,なかなかに奥深い歴史を伝える。
*『下野神社沿革史』5巻21丁(明治三十五年1902刊)
河内郡羽黑村大字中里字浮島鎭座 無格社姫神社 祭神鎭守府将軍藤原利仁公夫人 祭日陰暦九月廿九日
氏子信徒十戸・總代三員 社地總代三員 社掌岡村音吉同村同大字住 建物本社間口三尺奥行二尺三寸 鳥居一基
社傳に曰く延喜十二年912當國高座山の賊藏宗藏安等黨を結ふて郡邑を侵し貢物を掠む 鎭守府将軍利仁敕を受け東下し賊を討伐し國民撫按の爲め此地に滞留せし時に京師より夫人來りて茲に逝去せり 故に此地に葬奉り姫神の社と崇敬せり 社域民有第二種六十五坪境内至って低地にあり 適霖雨にて河川溢れと田甫を侵害するも社地に侵入することなく亦溜水することなし 故に里俗呼ひて浮島の社と稱するなり 社宇に往古より傳りたる古風の獅子舞の神樂等ありて衆庶の崇信する社なり
白山神社

白山神社

[はくさん神社]

栃木県宇都宮市冬室町542

主祭神:菊理姫命 境内社:白山神社
旧地名:河内郡上河内村大字冬室
上記関白山神社の真西に鎮座。冬室公民館の左手に石祠と「文政七甲申年1824八月」と刻まれた一対の石燈籠が残るのみ。
*『下野神社沿革史』5巻19丁(明治三十五年1902刊)
河内郡羽黑村大字冬室鎭座 村社白山神社 祭神菊理比賣命 建物本社間口四尺奥行四尺 華表一基 氏子四十戸
本社創立年月詳ならす 社域三百四十六坪にして字梅の内に在り
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡 白山大権現 冬室 三沼式部
文政七年1824 かつては杉が繁っていた 冬室公民館
白山神社

白山神社

[はくさん神社]

栃木県宇都宮市高松町235

主祭神:伊弉諾命・伊弉冊命
旧地名:河内郡上河内村大字高松235
293号線沿いの山中に鎮座。鳥居右の社号標に「高松白山神社」と刻まれている。
鳥居をくぐって長い石段を登る。二の鳥居は「弘化三年1846」
社殿内部の額には「高松山神社・白山大権現」と彫られている。
社殿左手に「天照大神・八幡大神・春日大神」と出羽三山の石塔。
*『下野神社沿革史』5巻20丁(明治三十五年1902刊)
河内郡羽黑村大字高松鎭座 村社白山神社 祭神菊理姫命
建物本社間口四尺奥行四尺  拝殿間口三間奥行二間 末社二社 氏子四十二戸
本社創建年月詳ならす 社域四百八十坪瀟洒の地に在り
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡 白山大権現 高沼 中里見座
聞書には河内郡の白山大権現は他に「冬室・三沼式部/関白・笹沼氏/中里・中里見座/逆面・弥勒院」4社が記録されている。高沼とあるのは高松か?
高松白山神社 二の鳥居
石段右手 さらに石段がつづく
どっしりした狛犬 古い石燈籠
高松山神社・白山大権現
龍の彫り物 板絵
社殿左手 さらに左手
246号を見下ろす
琴平神社

琴平神社

[ことひら神社]

栃木県宇都宮市中里町900

主祭神:大物主命
旧地名:河内郡上河内村大字中里
絵天井と多聞天木像,厨子,護摩台ならびに社木の山桜が村指定の文化財であった。
聖太子守まで読める
八坂神社 「金毘羅」と書かれている。 こちらは「琴平神社」
多聞天厨子絵天井護摩台 絵天井 巨木が倒れていた
大きな岩が埋められている
雷電神社

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県宇都宮市中里町677-5

主祭神:大雷神
旧地名:河内郡河内村大字中里字東山688
293号線沿い。石段を上がって鳥居右手に新しい石製社号標。本殿右手に石宮がある。旧本殿なのか境内社なのかは不明である。
不明社

不明社

[?神社]

栃木県宇都宮市中里町

293号線沿いに鳥居が見える。氏神さまか。

 

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