日枝神社

[ひえ神社]

栃木県宇都宮市福岡町1333-1

大同二年807石燈籠

主祭神:大山祇命
大同二年807創建と伝わる。燈籠一対に「大同二年九月十五日」と刻まれているという。初回にはうまく撮影できなかったので2018年8月5日早朝に再度確認に行ってきた。氏子さんたちが草取りをして帰るところで,境内はすっきりきれいになっていた。
正徳五年1715の一の鳥居をくぐり石段を上りきったところに朱塗の両部鳥居が立ち,左右に古めかしい石灯籠がある。左手は摩滅が激しいが,右手はまだ原形を止めている。左右とも宝珠が残っている。右手は,わらび手も笠と一体で残っている。右手の円窓のある火袋は後世の補修,左手の窓のない火袋も後世のものだろう。中台,蓮弁,竿は建立時のもの。右手の装飾のない六角の基礎部は建立時のものかもしれない。
まず文字を探してみた。左手は節の上に「大同‏/二 」節の下に「十五日‏/氏子中」の文字のみ確認できる。右手は竿の節の上部に「大同‏/二年」,節の下に「九月十五日‏/氏子中」と刻まれている。1500社以上神社をめぐってきたが,にわかに信じがたい文字だ。栃木県の場合火災流失等で古文書もろとも消失した古社が創建を大同二年と自称する習慣があるが,現物の銘を見ることになろうとは想像すらしていなかった。二時間ほど見つめてみたが,「王」や「食」「うかんむり」のような文字もあるかもしれないがさすがに小さい文字はつぶれているかもともとないか判然としない。
右手は大同二年でなく大同元年とも読めるが,左手はどうやら「二」のようだ。なんと1211年前になる。小生知る限り栃木県内最古の石燈籠。日光二荒山神社の唐銅製化灯籠は正應五年1292で600年近く後になる。
栃木県には他に日光市矢野口の星宮神社に「天応二年782三月十五日奉勧請星宮大明神」の木札が現存する。これがたぶん県内最古の資料。また鹿沼市上石川の根裂神社に「大同三年808/星宮大明神」と刻まれた玉石が保存されている。
『下野神社沿革誌』は「惜むらくは由緒の詳ならさるを悲むへし」と記録したが,創建時の証拠のある数少ない古社で,よろこぶべし。
当麻寺の石燈籠が奈良時代前期と言われるが年代を示す文字は見えないようだ。二番目に古い熊本浄水寺址に延暦二十年801石燈籠の竿下部が残っている。有名な春日大社柚木石燈籠は平安時代後期なので,当社のものよりかなり下る。
当社の石燈籠は神社に奉納された年代の分かるものとして日本最古となるだろう。国の重要文化財指定が優先的に受けられるはずだが,辺境の栃木県にあるので見過ごされている。
また六角灯籠は1200年代につくられるようになるとの意見もあるが,807年にすでに六角であり,やはり灯籠研究も奈良京都中心になるので栃木の田舎が無視されてもこれまた文句のいえるものではない。
大谷街道沿いの石鳥居に「山王大権現守護所・奉建立石神門天下泰平當所繁盛・正徳五乙未天1715晩秋十五日」と彫られている。拝殿内額に「正一位山王大権現」。江戸時代には山王大権現と称した。
現行の本殿は享保五年1720ころの造営。
社号標台座に狛犬が彫られている。正徳四甲午天1714石燈籠。正徳四甲午天1714手水石。推読[享]保六辛?▢1721狛犬。慶応三年1867石燈籠。大正九年1920石階。昭和四年1929国有林拂下記念碑。
往古道路開通以前は参道は百メートルを越え,老木がずらりと立ち並んでいたという。
例祭:成人の日/11月3日 532坪
沿革誌は祭神を大山咋命と記録した。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡 山王大権現 福岡 福寿院
*『下野神社沿革誌』5巻36丁 明治三十五年1902
河内郡城山村大字福岡鎭座 村社日枝神社 祭神大山咋命 建物本社間口四尺五寸奥行一間一尺 拜殿間口二間半奥行一間四尺 末社七社 氏子四十八戸
本社創立は大同二年807正月十五日にして舊社たること明かなれとも惜むらくは由緒の詳ならさるを悲むへし 社域五百二十二坪境内には杉檜蔚然として幽致愛すへし

この一対が大同二年
左手 右手 この角度から銘が見える
大同‏/二年・九月十五日/氏子中 左手 大同‏/二▢・十五日/氏子中
左手基礎部は補修 右手の基礎部 六角
格狭間 六角
蓮弁 後世の補修? あるいは建立時のオリジナル
わらび手 宝珠
火袋は左右で異なる 左手 左手の宝珠
摩滅が激しい 右手と同じ模様
正徳五年1715鳥居 台座に狛犬 山王大権現守護所
奉建立石神門 正徳五乙未天1715 額2枚
本殿 正一位山王大權現
拝殿右手 拝殿左手
台座に年号
多氣山が見える 古賀志山が見える
国有林拂下記念碑
熊野神社

熊野神社

[くまの神社]

栃木県宇都宮市福岡町1219

主祭神:伊弉諾命 境内社:八坂神社・山神社・二荒神社
大谷街道で赤川を渡ってすぐ右手の高台に鎭座。入口に,かすれているが「熊野神社」「福岡町の薬師堂・天棚」の矢印案内板。
ゲートボール場として使われるのだろうか,広々とした境内の左手奥の白い建物が天棚収納庫で,その左手に熊野神社石祠がある。右手はずれにあるのは薬師堂。多氣山が間近に横たわる。
大同四年809創建の古社。 熊野神社石祠台座に「明治七甲戌1874五月十日建之」
天明八年1788の石燈籠。文化六己巳天1809の石燈籠。鳥居つきで文化十癸酉龍集1813男體山。手前に埋もれている円柱は,文化十とあるので,おそらく石鳥居の柱だろう。
薬師堂脇に明和三年1766念仏供養塔,二十三夜供養塔。
例祭:7月14日 4月初丑山神社梵天祭 8月14-16日八坂神社天祭 530坪
紅葉の樹木下に鎮座 熊野神社石祠
手前:文化六年1809 男體山:文化十年1813
文化十年1813 天明八年1788 天棚収納庫
広い境内 左奥に男体山 薬師堂
薬師如来 左明和三年1766念仏供養塔 案内板
根本神社

根本神社

[こんぽん神社]

栃木県宇都宮市福岡町1495

主祭神:大山祇命
杉根の浮き出した参道を登ると岩場の斜面に石塔が点在する。なかなか厳かな空間。詳細不明。
石塔に「悪蟲供養塔・明治八年1875福岡村中」。安政七庚申1860石燈籠。
根本神社石祠
見下ろす
手水石 悪蟲供養塔
神明神社

神明神社

[しんめい神社]

栃木県宇都宮市福岡町867

主祭神:天照大神
本殿内の石版に「神明」の文字。その下に「宮」ではなく「神」の字の上部が見えるので神明宮ではなく「神明神社」
ぐるぐる探し回ったので位置が分からなくなったが,赤川ダム入口の駐車場の近くで,多氣山が間近に見える。豪農のお宅の庭の一部らしき木立の中に鎮座する。石祠計6基。狛犬3対。石燈籠4対。
右手の社前の狛犬も,参道の狛犬もユニークな顔立ち。
右手と左手に石燈籠つきの境内社が3社あり,いずれかが稲荷神社。
狛犬台座に明治十七甲申年1884。享和二年1802。享保三戊戌1718石燈籠。明治十七年1884,明治二十一年1888石燈籠
神明神社 宮でなく神字の頭が見える
愛嬌のある造形
右手の境内社
左手の境内社 左手奥の境内社
多氣山が見える 左端に鳥居
権現神社

権現神社

[ごんげん神社]

栃木県宇都宮市福岡町1024

通称:権現様
下野萩の道の雲雀鳥屋[ひばりがとや]のかなり急な北斜面に鎮座。正式名称その他詳細不明。
重厚な石祠だ。その左に残されているのは以前の本殿か。
昭和八年1933の石製鳥居。明治二十年1887石燈籠。もう一対は不明。
燈籠2対 本殿 旧本殿か
背後の山は雲雀鳥屋
見下ろす 写真中央に鳥居
三面観世音 福岡町1163
熊野神社のすぐ西,二股に分かれる道を左に入ってすぐ右手。解説板が建てられているが経年変化で文字は完全に消えてしまった。石像はまさにお顔が3面。
不明社 福岡町314
熊野神社の向かい側を少し南に入った道沿いに注連縄が見えた。大正五年1916の石祠1基と石燈籠。
さらに南下して左折すると古賀志町の星宮神社と同形式の朱色の鳥居。石祠4基と石燈籠。
観音堂 三面観世音
三面 お堂背後に多氣山
道路沿いの注連縄 石祠1基と石燈籠
さらに南の個人の崇敬社 石祠4基と石燈籠
稲荷神社

稲荷神社/仁王尊

[いなり神社]

栃木県宇都宮市福岡町91

主祭神:倉稲魂命
古賀志山の手前,70号線左手に鎮座。明治四十四年1911建立の立派な石鳥居が木立に埋もれていたが,最近枝を払っていただいている。鳥居正面の大ぶりの石宮には仁王尊が祀られている。火事泥棒除けに千葉の芝山仁王尊の写しを奉斎。明治十五年1882に石宮を造営。石葺きの屋根は見事。側面に木製の絵馬や木札が張ってあるがかすれて読めない。
大正三年1914狛犬。大正三年1914御神燈。明治二十七年1894石燈籠。
右横に馬頭観世音奉納石燈籠と仁王尊よりも古い時代の,枝村今七さんの立てた弘化二乙巳1845十月吉日の合掌石像。
例祭:旧正月十六日
右隣りには稲荷神社。石宮は昭和九年1934十月に再建された。耳の欠けた狛犬はおきつねさまのようだ。大正十一年1922石燈籠。
明治四十四年1911鳥居 鳥居奥正面
絵馬が架けられている
重厚な石屋根
大正三年1914狛犬
弘化二1845
稲荷神社
鎮座の杜 ガードレール下を清流が

 

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