宝国神社

[ほうこく神社]

栃木県宇都宮市宝木本町1480

主祭神:伊弉諾命・伊弉冊命 配神:天照大神・素盞嗚命・大己貴命・事代主命・少彦名命・日本武命・建御名方命・経津主命・倉稲魂命・火産霊命・大山祇命
日光街道野沢のあたりを晃宝通りで西に800mほど進んだ右手。大谷石土台にぬっくと立つユニークな仁王像が出迎える。五社から集まってきた狛犬が拝殿前に3対,拝殿左右に2対。狛犬について知識がないが日光青龍神社の明暦四年1658狛犬に形態が似ているので相当古いのではないだろうか。宝木と細谷の神社は群馬県邑楽郡[おうらぐん]から移住してきた集団が寛文十一年1671にそれぞれの字に同時に創建しているので,そのころのものかもしれない。
お隣の方のお話しをお聞きすることができた。大震災で本殿が細かく落ちてばらばらになってしまったが,経師屋さんにたのんで一かけら残らず「それはもうびっくりするほど」見事に修復してもらったという。拝殿右手廊下に被災した額が保存されている。 『栃木県神社誌』昭和39年版によると明治四十二年1909に「二良塚,五里道,足次,西岡,山崎」五字の社を合併し,明治四十四年1911に現在地に遷座し宝国神社と改称した。
境内の「合祀記念碑」には「六所神社・熱田神社・西岡神社・諏訪神社・八坂神社・香取神社」六社合併の官許を得たのは明治四十三年1910で,翌明治四十四年1911遷宮式を奉行し「高倉神社」を併合したことがが刻まれている。この石碑建立を計画したのは『下野神社沿革誌』記載の社掌小堀長十郎で,碑文を書いたのは「栃木県師範学校長足立常正撰竝書」とある。明治末ころにはまだこのような漢文を書けるうえに筆の達者な方が戸祭町松原にあった師範学校長をなさっていたのである。1行目にある「二荒山神社宮司戸田忠友篆額」というのは石碑上部の「合祀記念」文字をさす。
合併された神社のうち『下野神社沿革史』に記録されているのは次の5社。
『下野神社沿革史』5巻32-34丁(明治三十五年1902刊)
*河内郡國本村大字寶木字五里道鎭座 村社 熱田神社
祭神 日本武命 相殿一座別雷命 祭日陰暦九月十九日 建物本社二社間口四尺五寸奥行五尺五寸石葺 雨覆一棟 石鳥居一基 石燈籠八基 石唐獅子二基 氏子二十六戸・総代三員 社掌小堀長十郎同村大字五里道十四番地住
本社創建は寛文十一年1671にして小堀長左衛門藤原清長の勸請なり…略… 其后の再建は享和二年1802なり 社域六百六十七坪平地にして境内には老杉●(直)立天に聳ひ若杉森然たり 南には常陸の筑波山を望み西に多氣鞍掛の間に泰然と聳ゆるものは黑髪の高峰 北には羽黑高原及ひ那須岳の諸山を望み東に鴨川の源あり水音鏜鞳として湧出するありて境内の淸風颯々として風致愛すへし
*河内郡國本村大字寶木鎭座 村社 諏訪神社 祭神 建御名方命 本社は字山崎に在りて社域八百二十二坪を有す
*河内郡國本村大字寶木字西岡鎭座 村社 西岡神社 祭神天照皇大御神 社域四百十四坪平坦の地に在り
*河内郡國本村大字寶木字足次鎭座 村社 高倉稲荷神社 祭神倉稲魂命 社域二百六十五坪清洒の地に在り
*河内郡國本村大字寶木字鎭座 村社 六所神社 祭神 伊弉諾命 伊弉冊命 天照皇大御神 素盞嗚命 大己貴命 事代主命 祭日陰暦九月十九日 建物本社間口四尺奥行四尺栃葺 鳥居一基 氏子二十三戸・総代三員 兼社掌小堀長十郎同村大字五里道十四番地住 本社創立年月日由緒沿革詳ならす社域四百五十坪字二良塚に在り
『下野神社沿革史』には國本村に村社が14あったと書かれている。そのうちの5社が宝国神社に合祀され,字六軒の「六軒神社」がいまのところ行方不明である。六軒は護国神社の北西一帯だが,そのあたりに見つかるのは神明宮のみ。
*『下野神社沿革史』5巻33丁(明治三十五年1902刊)
*河内郡國本村大字寶木鎭座 村社 六軒神社 祭神天照皇大御神 本社は字六軒に在りて社域五百四十八坪平坦の地に在り
奥:石彫工新里村半田仙蔵 右端:嘉永二年1849
本殿
左手の石祠群 石祠群手前の狛犬
合祀記念碑明治四十五年1912 嘉永六年1853 被災した額
右手の社 見事な龍 古そうな狛犬
水神社

水神社

[みず神社]

栃木県宇都宮市宝木本町1295

主祭神:川神霊 境内社:琴平神社
上記宝国神社北東300mに鎮座。
鳥居額に「水神社」,石祠の中に「?神靈」一文字目が見えないが川だろう。石祠の屋根に○に水。
左手の昭和四年1929「水利記念碑」は悟里道用水の沿革を永遠に伝えるために刻まれている。
鳥居左手に悟里道公民館。悟里道新田は田川右岸に広がる洪積台地でのちに野沢新田となる。
昭和四年1929の「水利記念碑」には「河沼流水をみず住民の渇望之れ久し…大正三年1914起工以来協心戮力萬難を排し…大正六年1917十月新溝を流して滾々たる清流滔々として走るを見るに至る 住民歓喜抃舞べんぶして咸厥の治功称揚す 之れ則悟里道用水の創始なり」その後大正八年1919第二溝渠,大正十四年1925下金井の地下水を引いて第三溝渠を完成して「荒蕪の地は化して美田となり」と彫られている。
江戸期明治期は水に恵まれず粟,蕎麦などの雑穀でしのいでいたが,大正末期から昭和初期になってようやく水田をつくれるようになった。水神社はこのような土地に創建されたのである。
大正六年1917本殿
水利記念碑
左:悟里道公民館
智賀津神社

智賀津神社

[ちかつ神社]

栃木県宇都宮市宝木本町1929

主祭神:大己貴命・倉稲魂命
由緒沿革不詳。鳥居の先には社務所のような建物があるが,本殿はこの真裏の玉垣に鎮座。苔むして緑に溶け込んでいる。
石祠に「大己貴・田心姫・倉稲魂」他五神が刻まれているが最後の「彦」しか読めない。 上記水神社の北600mにあり,この地も水不足に悩まされ,「用水開鑿百年祭記念塔」の裏には安政二年1855から用水開鑿に着手し安政六年1859竣工と彫られ,功労者に二宮尊徳と吉良八郎の名が刻まれ,二良塚・西岡・足次・高谷村・藤岡の各庄屋の名があげられている。
この石碑のすぐ西10mほどのところに透明な水が石垣もない水路にいまも流れている。この水音をぜひお聞きいただきたい。
本殿 森に溶け込んでいますが 石祠に複数の神名が
用水開鑿百年祭記念塔 着手安政二年1855 社殿左手の用水
用水の西に広がる竹林 本殿
六所神社

六所神社

[ろくしょ神社]

栃木県宇都宮市宝木本町2083

主祭神:伊弉諾命・伊弉冊命
配神:天照皇大神・素盞嗚命・大己貴命・事代主命
境内社:稲荷神社・琴平神社・猿田彦神社
上記智賀津神社の北東400mに鎮座。
寛文十一年1671上野国邑楽郡藤岡町から移住した集団が故郷の六柱を勧請して創建。
*『下野神社沿革史』5巻34丁(明治三十五年1902刊)
河内郡國本村大字寶木鎭座 村社 六所神社
祭神 伊弉諾命 伊弉冊命 天照皇大御神 素盞嗚命 大己貴命 事代主命
建物本社間口七尺奥行六尺栃葺 鳥居一基 氏子十三戸・総代三員 社掌小堀長十郎同村大字五里道十四番地住
本社は字藤岡に在りて社域七百三坪を有す
拝殿内に譲与許可書 手水石
拝殿左手 拝殿右手
鳥居の向こうに用水

 

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