稲荷神社

[いなり神社]

真岡市・君島259

主祭神:倉稲魂命 境内社:八坂神社・神武神社・水神社・大杉神社
創建不詳。安政六年1859に再築の本社彫刻は『下野神社沿革誌』の著者風山広雄をして「一小村の村社にし稀社と言うべし」といわしめている。由緒は同書とほぼ同一。
天祭の風習があった。現在も行われるかは不明。二月初午祭に種籾交換。
昭和三年1928石鳥居。
祭日:11月9日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 正一位 稲荷大明神 君島 村民
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・11丁
芳賀郡山前村大字君島字瀬戸河原鎭座 村社 稻荷神社 祭神 稻倉魂命 祭日陰暦二月初午日 建物本社四尺四方檜綿葺 拜殿間口三間奥行二間 幣殿間口六尺奥行九尺杉皮葺 拜殿間口二間奥行三間杉皮葺 華表二基 氏子二十五戸惣代四員 社掌豐田智房同村同大字住
本社創建年月詳かならす再建は慶安元年1648及ひ元祿五年1692三月安政六年1859三月(今の本社)の再築にして大に其美觀を増す 本殿は濱縁向拜付にして承塵欄間破風等には人物及ひ草木鳥獣等を刻し外柱には松竹梅の籠彫りにして精緻巧麗洵に人目を眩す 一小村の村社にし稀社と云ふへし 正徳六年1716閏二月十五日宣旨を以て正一位を授けらる 社域三百三十八坪平坦の地にして古杉森々繁茂し後に小貝の清流水音鼕々と共に神威の高きを覺ゆ
一の鳥居 本殿解説 二の鳥居
正一位稲荷大明神 本殿
拝殿内 見事な彫刻
背面 改築記念碑
手水舎 古い手水石 右手の境内社
三社 石祠 石祠
石祠 石祠
御神木の杉
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

真岡市・青谷247

主祭神:磐裂神・根裂神 境内社:皇大神宮・白山神社・月山神社・山神社・小聖神社(少彦名命) 平成七年に登録:国造神社・厄神社・氏神社・庚申社
平成七年に大改修・建替を行っている。
創建不詳だが『栃木県神社誌』平成18年版によると元禄三年1690の古絵図に「星宮,山神様,こひじ里様,こんひ羅社,薬師様」が記録されている。このうち山神様,こひじ里様が境内社になっている。
約200年前の『鹿沼聞書・下野神名帳』には,すぐ西の須釜の星宮神社も同じ亀山村民によって奉祭され,いずれも大明神ではなく早くから神社の称号を用いていたことが分かる。
「文政四年1821石坂〜」碑。
鳥居右手の「天照皇大神」は元は東の山中にあったがゴルフ場造営のため平成七年境内地に遷座した。天岩戸と呼ばれた岩はもっと大きかったという。
このあたりは東が行き止りで,イノシシに悩まされている。雉子も生息する。小生はイタチを目撃。なんとクジャクが飛来するという。
すぐ西に天明五年1785「奉建立十○○」,「大乗妙典日本廻國○○」などの石塔が保存されている。
祭日:12月13日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 星宮神社 青谷 村民
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・12丁
芳賀郡山前村大字青谷字北浦鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂命根裂命 建物本社三尺四方 拜殿間口三間奥行二間 末社五社 氏子八戸 本社創建不詳 社域七百六十三坪清洒の地に在り
拝殿右手
平成20年参道石段改修碑 文政四年1821
拝殿
ガラス越しに本殿
本殿屋根
石祠 二社
鳥居右手 遷宮碑
かつて鎮座した山
付近の石塔 天明五年1785
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

真岡市・須釜66

主祭神:磐裂命・根裂命
『栃木県神社誌』平成18年版から「ノ」つきの「星ノ宮神社」で掲載されているが,平成七年の寄付者芳名板書には「星宮神社修築」とあり,拝殿額も「星宮神社」なので,それにしたがった。
すぐ後ろに小貝川。
祭日:11月9日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 星宮神社 須釜 村民
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・12丁
芳賀郡山前村大字須釜鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂命根裂命 建物本社九尺奥行二間 氏子四戸惣代二員 社掌豐田智房住所仝上 本社創立不詳 社域四十七坪田圃の中に在り
「ノ」なし 本殿
「ノ」なし 左手
小貝川土手
鎮座の杜
 
三木神社

三木神社

[みき神社]

真岡市・根本72

主祭神:豊城入彦命 境内社:八坂神社
市の自然観察センターがある根本山山麓に鎮座。
宇都宮二荒山神社より豊城入彦命を勧請して北東の能仁寺となりに創建。江戸末期に南西の現在地に遷宮した。三木明神と称し[さんき]と呼んだらしい(『栃木県神社誌』昭和39年版)。維新の後,三木神社という時期もあったが,現在は宮がついて三木宮神社と称す(『栃木県神社誌』平成18年版)。
しかし,石段上り口右端に「三木神社」,拝殿内に「奉祝三木神社鳥居落慶・昭和六十一丙寅1986」とあり,土地の人はいまも三木神社と宮なしで呼ぶので,ここでは三木神社で掲載する。
石段を上がった左柱のところに「文化十三年1816石坂建立」碑。
平成九年に祇園祭神輿を新調。山頂に八坂神社があり,還御祭に「お山入り神事」を行う。
能仁寺入口に市の駐車場があるのでそちらに駐車して歩く。
祭日:11月10日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 三木大明神 根本 能仁寺
奉祝三木神社鳥居落慶
額があった 拝殿・石段・本殿
本殿
後ろから 境内社
文化十三年1816 入口
三木神社の文字 ここを入る 付近の石塔
ここに駐車できる 能仁寺
三宮神社

三宮神社

[さんのみや神社]

真岡市・小林551-1

主祭神:伊邪奈美命・速玉之男命・豫母津事解之男命 境内社:八坂神社・稲荷神社・天満宮・八幡宮
創建等不詳だったが,『栃木県神社誌』平成18年版から延暦年間782-806字三宮に創建説が採用される。享保二年1717神祇官領卜部謙敬より宣旨。享保四年1719現在地に遷宮。明治十年1877社殿を大造営。大正四年1915神楽殿造営。平成十二年神楽殿を新築,記念額が架かっている。
例祭に太々神楽を奉納する。祇園祭に神輿渡御。大杉祭にお山入り神事。
社号表記は「三の宮」「三ノ宮」「三宮」が混在している。呼び方は変わらない。
大正四年1915石製一の鳥居。平成二十二年「道路拡幅による鳥居移動等の改修紀年」社号標に「太太神楽十一段二十九座」
明治四十年1907石製二の鳥居。
本殿右手に大杉神社。大杉社碑には「昭和六十二年1987御遷座三百年祭記念事業」と刻まれている。 境内社三連の木製祠に稲荷神社,八坂神社,八幡宮。
昭和十年1935狛犬。 境内西端に昭和三年1928南無阿弥陀佛。天明七年1787二十三夜供養塔。天保八年1837二十三夜供養塔。
祭日:11月10,11日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 正一位 三宮大明神 小林 全福寺
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・12丁
芳賀郡山前村大字小林字久根内鎭座 村社 星宮神社 祭神 伊弉冊命速玉男命豫母都事解男命 建物本社間口一間奥行九尺 拜殿間口三間半奥行三間 末社四社 鳥居一基 社有田二反五畝歩 氏子六十戸惣代三員
本社創立詳かならす 元三宮と云ふ所に勸請在りしを元祿年間1688~1704飯島半五郎の宅地三石六斗を割き社地に献納し今の地に奉移し別當善福寺を建て奉仕せしめ明治十年1877中飯塚彇平飯島半平龜倉利平等率先盡力して今の本社拜殿華表等を再築せりと 社域九百十六坪平坦の地にして古樹小杉森然として幽邃なり
「の」なし
拝殿 「ノ」つき
拝殿内
三の宮 神楽殿
神楽殿記念額 大杉社
大杉神社 大杉神社の彫刻
左手の境内社 新旧手水石
神輿庫 左手
境内左端 天明七年1787 お堂内

 

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