貴船神社

[きぶね神社]

真岡市・堀内1166

主祭神[高龗神]

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
配神:大雷神+大山祇神+菅原道真
大田和郷の総鎮守である。文政二年1819松尾神社を,文政十二年1829天満宮を造替。
八坂,琴平,大杉,星宮三社を合祀している。
さらに明治四十四に星宮神社合祀。
関東平野の真っ只中,井頭公園の2km南,周囲は田園が広がる。
両部鳥居の左右に池を配して日本庭園風に造園してあり,東に用水が流れている。とても気持ちのいいところ。
大正九年二月の社柱には「指定村社貴舩神社」ふねの右側つくりはハム,拝殿額はムロ
田を背景に石祠が並んでいる。右端は「祭神大物主」右から2つめは「大杉神社」あとは不明。
本殿:流造亜鉛板葺 拝殿:切妻造瓦葺 例祭:3月23日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1902 巻六-4丁
芳賀郡大内村大字堀内字貴船鎭座 村社 貴船神社 祭神 高龗神 大雷神 大山祇命 菅原道眞命
建物本社間口二間奥行九尺萱葺 拜殿間口四間奥行二間 華表二基 幣殿間口二間奥行二間半 寶物大刀二振 氏子六十一戸惣代六員 社掌今井勇仝住所
本社は往古より大田和郷の一社にして雨を主宰せる神なれはとて旱魃の時は近郷より老若となく詣てゝ雨を祈るに霊験著しく人皆感せさるはなし 本社は明治十八年1885の再建にして今井知義の代なり 社域百八十五坪平坦の地にして末社三社を有し社境頗る瀟洒なり
三嶋神社

三嶋神社

[みしま神社]

真岡市・西沼485

八龍神社祭神[高龗神]

主祭神:大山祇命,磐裂神,根裂神
江戸期には西沼和久村の鎮守。
境内社の「八龍神社」の祭神が高龗神[たかおかみのかみ]である。
南側のお宅で確認したところ,鳥居をくぐって左手の朱色の社を「八龍さん」と呼んでいる。このようにはっきりと境内社が判明する神社は少ない。小さい石祠がほとんどで,ない場合も多い。社名はもちろん刻まれていない。近所の方も氏子の方も主祭神を知らない場合も多い。
もと真岡町田町にあった八龍神社を大正3年に移転した。
八龍神社は昭和56年に改修されている。
八龍神社の嵐除祈願の「八龍祭」では「千度〜,万度〜」と唱和しながら御神木の回りを8回廻る。各周ごとに注連縄を巻きお神酒入り竹筒と御幣束を差す。
三嶋神社の鳥居は大正10年建立。
本殿:流造銅版葺 拝殿:寄棟造瓦葺 例祭:11月19日
次は現在社が確定できない西沼の神社で祭神は合っている。三宮が三嶋に変わるだろうか。
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1902 巻六-12丁
芳賀郡山前村大字西沼鎭座 村社 三宮神社 祭神 磐裂命根裂命 建物本社三尺四方 華表一基 氏子五十戸
本社創立不詳 往時は徳川將軍より社領を附し別當樂法寺を置き奉仕せしむ
はかま付き とてもバランスがいい
三嶋神社
鷲宮神社

鷲宮神社

[わしのみや神社]

真岡市・鷲巣524

阿夫利神社祭神[高龗神]

旧地名:芳賀郡二宮町大字鷲の巣524
主祭神:武夷鳥命takehinadoriのmikoto
鬼怒川のすぐ東の田園地帯に鎮座。広々しすぎていて見つけにくいが,長沼小中学校をさがして,その南西あたり。
「鷲宮神社の由来」看板に「末社 阿夫利神社(あふりじんじゃ) 祭神 高龗神(たかおのかみ)」とある。口みっつ付きの正字。ルビは栃木県ふうになってしまった。[たかおかみnoかみ]とは読まなくなっている。
「阿夫利神社」は伊勢原市大山鎮座が有名で,大山祇大神,高龗神,大雷神を祭神とする。軻遇突智に関わる神々である。
「寛保元辛酉八月吉日 奉納御寶前 新田講中」1743の石塔
鳥居の外に「享保二」1712などの石塔が4基,そろそろ300年になる。
本殿:流造板葺 例祭:11月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 鷲宮大明神 鷲巣 福生院
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

真岡市・上江連486 旧二宮町

境内社祭神[高龗神]

主祭神:高皇産霊神 配神:磐裂神,根裂神
境内社:石尊社(高龗神)・稲荷神社・御室稲荷神社・天満宮・伊勢社・同神大社・日天社・熊野社
境内神社の石尊神社の祭神が「高龗神」。これはすぐ近くの二宮町西大島の星宮神社と同じ。
ほかに天満宮,伊勢神社,日天神社,同神大社,熊野神社,稲荷神社,御室稲荷神社
鬼怒川東岸の田園地帯。宝永七年社殿造営,享保三年再建するも,享保八1718年8月15日の五十里湖決壊により鬼怒川が氾濫,はるか下流の二宮にも影響が及び,社殿壊滅流亡す。
享保八年10月13日に早くも再建,その社殿が現在のもの。貴重な社殿。
五十里湖決壊というのは鬼怒川温泉の上流域が地震によって堰き止められ自然のダムが形成されて湖になってしまう。そのダムが決壊して多量の水が下流を襲う。五十里海嘯と呼ばれ栃木県では平野部でも恐れられた。
その後も平成27年9月の決壊など現在に至るまで鬼怒川流域は度重なる洪水に悩まされている。水を司る高龗神が祀られる切実な理由があったのである。
拝殿額は「正一位星大明神」
大正十四年の旗杭と鳥居と石燈籠。
拝殿左手に木造の社。裏手に石祠が8つ並んでいる。その右にさらに2基。離れてもう1基,計11基。
本殿:流造亜鉛葺 例祭:11月15日
正一位星大明神 本殿
隣りは水田
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

真岡市・西大島278 旧二宮町

境内社祭神[高龗神]

鬼怒川東岸の田園地帯。真岡市鷲巣524鷲宮神社の南300mに鎮座。
主祭神:高皇産霊神,磐裂神,根裂神 配神:三鳥田全宮大神,素戔嗚命
鳥居額に「星宮神社 三島神社」と併記してあり,本殿も2社。
天保二年辛卯1831に再建したことが分かっている。
境内社の石尊神社の祭神が「高龗神」。これはすぐ近くの二宮町上江連の星宮神社と同じ。
ほかに天満宮,住吉神社,熊野神社,稲荷神社,三峯神社となっているが石祠は1基のみ。 拝殿左手にかなり古い供養塔が並んでいる。左から
「十九夜供養 大嶋村女人講中 文化十三丙子年三月吉日」1816
「下野x大x村十九夜講中 享保三戌天三月x日」1718
「天和二壬戌年」1682
「庚申塔 万延元庚申年」1860
離れて右手に
「十九夜塔 元治二丑 二月吉日」1865
本殿:流造板葺 例祭:11月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 熊野星宮大明神 大島 村民
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1902 巻六-7丁
芳賀郡長沼村大字西大島鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂命根裂命 建物本社間口三尺奥行四尺 雨覆間口二間奥行九尺 華表一基 末社一社 氏子二十戸
本社創立不詳 社域三百八十七坪字谷堀に在り
星宮神社・三島神社 本殿
熊野神社

熊野神社

[くまの神社]

栃木県真岡市飯貝1097

八龍神社祭神[高龗神]

主祭神:伊弉冊尊・速玉之男尊・事解男尊
大内中学校の北,五行川沿いの森に鎮座。大同二年807創建の古社。詳しくは由緒看板写真を。
古いもので久寿二年1155と書かれた「大般若経」を所蔵する。巻522写経奥書に「於下野野州大内之荘飯貝郷,社頭大般若経再興願主尊榮律師,文永五戊辰年1268五月日」とあり,別当箕輪寺の尊榮が写経を再開し,宝徳三年1451に完成した。
「干時寛文第八戊申暦1668桃浪xxx・大願主箕輪寺圓信」「奉起立當社権現御寳前鳥居」と彫られた石鳥居。17世紀の鳥居は県内では貴重品。「桃浪」は謎。
昭和十四年1939狛犬。明治十六年1883手水石。 社殿右手に平成23年角柱の朱色鳥居が立ち,境内社石宮が6社並ぶ。このうちのひとつが明治四十三年1910に合祀された「高龗神」を祭神とする「八龍神社」である。字上ノ田にあった。祭神名のルビは正式で[タカオカミのかみ]と気持ちがいい。末社由緒看板を参照。栃木県内の他の高龗神社107社については,このページ最上段の「栃木県の高龗神社」でご覧ください。
八龍神社は飯貝にもう一社,旧地名飯貝字高手尾(飯貝2023)に鎮座する。
参道左手奥の朱色両部鳥居は稲荷神社。鳥居額は明治三十三年1900奉納。300年を越す社殿で,彫り物が見事。
例祭:10月19日。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 正一位 熊野大権現 飯貝 箕輪寺
*『下野神社沿革誌』巻六-3丁 明治三十六年1903
芳賀郡大内村大字飯貝鎭座 村社熊野神社 祭神伊弉冊命速玉男命事解男命 祭日陰暦九月九日 建物本社九尺四方 拜殿間口五間半奥行二間半 幣殿間口九尺奥間二間 末社二社 石華表一基 氏子百六十六戸惣代大塚宇平太仝森吉仝庄太郎横井彌作 社掌箕輪正治仝所住
本社創立遼遠にして詳かならすと雖とも往古より武將崇敬の社にして徳川將軍より七石の朱印地及ひ除地五石を寄附せられ將軍代々崇敬淺からす 随て氏子村民の尊敬する社なり 社寶には従一位近衛篤暦の揮毫せる神號の扁額を本殿正面に掲く 奉仕は熊野山箕輪寺と稱し往古より別當たりしか維新の際復飾して勤続す 社域九百五十九坪平坦の地にして古松老杉亭々と高く聳ひ馬塲には櫻樹ありて花時には萬櫻亂發し艶雪香雲の風氣快爽なるを覺ゆ
太鼓橋の下に清流
社務所 寛文八年1668鳥居柱
宝永四年1707本殿
境内社
高龗神の文字 稲荷神社
稲荷神社鳥居額 稲荷神社
稲荷神社彫刻
五行川から見た鎮座の杜

 

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