鹿島神社

[かしま神社]

真岡市・南高岡464

主祭神:武甕槌命 配神:木花咲耶姫神・神倭伊波礼昆古命(神日本磐余彦命)
境内社:稲荷神社・八坂神社・粟島神社・大杉神社
大同三年808創建の古社。『下野神社沿革誌』の由緒に日光山開山の勝道上人生誕秘話が語られている。氏神さまはお祀りしただろうが,村の鎭守として創建されるのは生誕70年後のことになる。なお,創建翌年大同二年807の旱魃に際し勝道上人は日光山で祈雨を修法している。長文のため後半を割愛したが,大同元年806に植えた杉が1100年の巨樹となって聳え二里の遠くからも見えたと記録されていた。枝張り60メートル! 残念ながら,この100年の間に消滅してしまった。境内右手に「八百年,目通 参丈四尺(10.2m),高 約廿間(36m),昭和三十五年1960」などの文字がかろうじて読める「神木碑」が建てられている。記録違いでなければ樹齢は1100年でなく800年で昭和三十年代に消滅したようだ。現在は樹齢350年ほどの榧,比榊,榊,欅など人目を引く巨木が旺盛に生育している。
昭和十二年1937狛犬。鳥居左手に馬頭観世音,右手に生駒神社など。
境内裏手に山前小学校南高岡分校があった。現在は南高岡公民館に建て替えられた。昭和十二年1937寄贈の二宮尊徳像。校庭に南高岡浅間山ハイキングコースの看板があり,山頂に浅間神社の鳥居と石祠がある。祭典日程にある7月22日の浅間祭が行われる。
祭日:11月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 鹿島大明神 高月 榎戸甚太夫>高月は高岡か?
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・10丁
芳賀郡山前村大字南高岡字久保鎭座 村社 鹿島神社 祭神 武甕槌命 祭日陰暦正月七日八月一日九月廿三日 建物本社間口一間奥行九尺厚萱葺 拜殿間口四間奥行三間 幣殿九尺四方 末社四社 石華表一基 石燈籠一基 盥漱盤一基 石磴十余階 石旗杭二基 氏子六十戸 社掌豐田智房同村同大字住
本社は大同元年806の創立にして延享年間1744~48の再建なり 延寶九年1681地頭稲葉美濃守崇敬して若干の社頭を附せらる 明治八年1875壯麗なる本社を再建し仝十二年九月巨大なる拝殿を改築せるは皆氏子一同の盡力に依れり 奉仕は豐田智輝より代々本社に奉努せり 社傳に曰く人皇十一代垂仁天皇第九皇子池速別命を勅使として天照大御神を伊勢の五十鈴の川上に崇め奉る 命事の縁に依り東國に下向す 後○病を煩ひ一目を損し還洛する事能はす 遂に下野の高岡の里に止まり住し若田と改め郷人となる 池速別命十八代の裔孫に若田高藤麿と云いふあり 夫婦の間に子なきを憂ひ如何にして一子を得んと朝夕神佛に祈願せしも其効なきを憂ひ大に落膽し神も佛も靈なきかとあしきなき世をかこち居たり 而るに或夜高藤麿の枕邊に白髪の翁現はれ吾は此里の名もなき神なるか汝の常に子無きを憂苦するを視るに忍ひす今汝に告く汝子を得んと欲せは常陸なる鹿島の神に祈り見よ必すその験あらんと云へ終れは忽ち夢覺めぬ 高藤麿暫し茫然たりしか手を打ちて朝夕祈りし神の我を哀み給へて今宵來りて夢に教へ給ひしかな有難しと拜伏し翌朝直に旅装を整ひて出發し幾日を重ねて漸くに常陸の鹿島に着きけれは三十七日の其間御社に齋み籠り一心に祈願しけれは結願の夜夢に妻吉田氏の懐胎するを見て大に喜ひ急き歸郷し其由を妻に告けれは果して其月より子を宿り妊月満ちて天平七年735四月二十一日(5/17)正午出生せしは玉の如きの男子にて(幼名藤糸丸と稱し後佛門に歸し勝道上人と號す)健康無病にて生長しけれは夫婦の嬉ひ一方ならす…鹿島に詣てつゝ御分霊を乞請けて大同元年806正月七日を以て小高き岡の清地を撰みて宮殿を造営し鹿島大神を鎭祭して長へに一村の鎭守産土神と崇敬崇祭す…
由緒 式典日程
立派な神殿 右手
左手から 左手の境内社
屋台 右:境内社 境内社名
鳥居左手 鳥居右手
手水舎 手水石
昭和十二年狛犬 ケヤキ
比榊=ヒサカキ
ヒサカキ 本殿裏に巨杉の切株
本殿屋根 神木碑
御神木データ
神殿右手 2016/5/8の雄姿
一見の価値あり 学校跡から見た境内 裏手の学校跡
公民館 二宮金次郎 浅間山ハイキングコース案内
2016/5/8
道祖

道祖神社

[どうそ神社]

真岡市・道祖土24 さやど

主祭神:天鈿女命・猿田彦命
創立等不詳。村の名前も昔は道祖神村といった。現行の本殿は文久三年1863再建のもの。9坪の境内に松,樫,槻,榎の4本がくっつきあって御神木になっている。
最初,公民館裏手を探したが,小道を入ったところに昭和十年1935旗杭が見えて発見。新緑に埋もれていた。
向かいのお堂には弁財天が祀られている。
祭日:11月9日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・11丁
芳賀郡山前村大字道祖土鎭座 村社 道祖神社 祭神 猿田彦命天鈿女命 建物本社間口二尺二寸奥行二尺小羽葺 雨覆二間四方 華表一基 氏子七戸惣代二員 社掌豐田智房同村同大字住
本社創立年月詳かならすと雖も往古よりの産土神にして村名をも道祖神村と稱せし由なるか何の頃からか道祖土村と改むと 今の本殿は文久三年1863四月の再築にして小社なれとも外柱には昇降二龍の籠彫承塵欄間腹板には人物鳥獣等を彫刻し施すに五彩を以て燦然たり 社域九坪境内には松橿槻榎の四本本社の四周に並列し珍しきは此四本の枝互に交接し悉く懐合して頗る奇と云ひ妙と言はさんや 土俗是を名神木と云へて讃稱せさるはなし
道祖では次が記録されたが,山王権現が当社にあたるかどうか不明。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 山王権現 道祖 榎戸甚太夫
裏手
石葺屋根だった?
本殿屋根 本殿左手
本殿右手 昇龍降龍彫刻 左側面
右側面 見事な彫刻
弁財天お堂
弁財天社号標 左:神社 右:お堂
公民館から鎭座の杜 旗杭

 

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