八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県真岡市谷貝新田394

主祭神:譽田別命 配神:倉稲魂命 境内社:疱瘡神社(少彦名命)・痔神社(少彦名命)
旧地名:芳賀郡二宮町大字谷貝新田
谷貝新田[やがいしんでん]は鬼怒川右岸,上三川町三本木と境界を接する。江戸期には上谷貝村新田と称した。
由緒沿革不詳。
社殿左右に境内社の覆屋が建てられているが,中の祠は壊れてしまったようで,玉石が置かれている。
例祭:11月15日
村社八幡宮
本殿
左手 社殿左手の覆屋内 右手
社殿右手の覆屋内 本殿
天満宮

天満宮

[てんまんぐう]

真岡市・砂ヶ原1143 いさがはら

主祭神:菅原道真公
江戸期に豊直氏の家臣上野某が大阪から砂ケ原に出てきて,赤石の天満宮を勧請して創建と伝わるが,赤石はどこか分からなかった。このとき植えられた松の木が育って御神木となり聳えていたが昭和50年代(五十のつぎが読めない)に枯死したため氏子合議の上伐採して売却した旨が本殿右上の「天満宮修理経緯」に書かれている。
昭和五十三か五十五年と平成二十七年に改修している。平成十二年石鳥居。
鬼怒川左岸堤防に「にのみや野外活動センター」があり,そこから堤防の道を歩くと右手下に朱色の屋根が見えてくる。
例祭:1月25日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・7丁
芳賀郡長沼村大字砂ヶ原鎭座 村社 天満宮 祭神 菅原道眞命
建物本社間口一間二尺奥行一間二尺 氏子四十二戸
本社創立不詳 社域三百三十四坪字天神畑に在り
堤防から 中央右下に鎮座 右:野外活動センター
大杉

大杉神社

[おおすぎ神社]

真岡市・砂ヶ原274

主祭神:大物主命・別雷神・大日孁貴命
鬼怒川を航行する船に祀られていた大杉大神が大洪水の時流されてしまった。村の童子が現鎮座地辺りで発見した大杉さまを手厚く奉祭したことに始まる。それ故,児童を守護する神社として広く信仰されるようになった。
鬼怒川左岸堤防の「にのみや野外活動センター」から川の方に下りた河川敷の森に鎮座。建物がふたつ並んでいるうちの左が神社。中に三社祀られている。右は不明で「籠堂」の額。
平成七年石鳥居。平成二十五年に屋根と土台を修繕している。
例祭:11月15日
左が神社
三神祀られている 読めない
籠堂
堤防から見た鎮座の杜 西に鬼怒川
稲荷

稲荷神社

[いなり神社]

真岡市・堀込819

主祭神:倉稲魂命
長沼八幡宮の北,鬼怒川左岸に鎮座。
昭和五十三か五十五年と平成二十七年に改修している。平成十二年石鳥居。
江戸時代の『鹿沼聞書・下野神名帳』に記録された。明治から平成のどの本にも書かれていない。もちろん地図にも載っていない。こういう神社を見つけることができると嬉しくなります。実は三度目の挑戦で歩き回って古墳にも見える森の中に建物らしき暗い影が見えました。薮と草に覆われ,入口が分からず,畑から無理やり踏み込むと社殿を発見,鳥居まであって南側に入口があった。真裏から入ったことになる。金属製の旗杭も立っているので南側から探していればもう少し簡単に見つけることができた。
木板葺朱塗の本殿。その前に小ぶりの木製祠。 社殿左手に石祠三基と覆屋内に石祠一基。右端の上部の欠けた石像のみ文字が見える。「辨財天・下堀込村 ○己・施主六人」とある。推定「乙巳」でいいと思うので,弘化二年1845,天明五年1785,享保十年1725,寛文五年1665のどれかだろう。
社殿裏手に「堀込基標・栃木縣」
例祭:2月初午日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 正一位 稲荷大明神 堀込 禅定院
本殿
フラッシュで 小祠も
左手に石宮4基
乙己が見える 堀込基標
旗が立ててある 左手から入った
頂上に社殿 堂々たる両部鳥居 細い道から見える
石尊

石尊神社

[せきそん神社]

真岡市・大道泉244 だいどういずみ

主祭神:大山祇命
伊勢原の大山阿夫利神社を本社とする。文字のない紀元前の創建を称えている。鬼怒川の左岸堤防外にあり,付近の大日堂の御神体は鬼怒川大洪水で流れ着いたと言い伝えられているほどの水難に苦しめられた地である。堤防が築かれるまでは流域の変化はそうとう激しかったので,創建不詳ながら古くからこのあたりに祭祀の場があったということだろう。
江戸期には大山石尊大權現と称し,維新に際して阿夫利神社となり,平成21年の改築を機に石尊神社と改称した。かつては大エノキが聳えていたと思うが残念ながらいまはない。
なお,付近では上江連の星宮神社と西大島の星宮神社それぞれの境内社に高龗神を祭神とする石尊神社がある。
本殿左手に『下野国誌』(嘉永元年1848脱稿 嘉永三年1850刊行)を編纂した郷土の偉人河野守弘の墓がある。左手にあるのは佐藤行哉翁撰文による昭和35年1960守弘先生彰徳碑。鳥居左手の「蹊成自下」碑は平成九年建立で,上段に略歴,下段に建碑之辞が刻まれている。これは上下に分けて撮影した写真で読めます。境内のベンチ裏には版木の写真つきの解説板。反射光がありますが読めるでしょう。横書右の段にある外孫とは,顕三通桓1838-62のことで,坂下門外の変で討死した。
墓所右手ならびに社殿右手に多数の石塔。右端に昭和三十五年1960大道泉橋架設記念碑。
本殿
由緒 河野守弘の墓
守弘先生彰徳碑 上の段拡大
下の段 ベンチ裏に看板
左半分拡大 右半分拡 鳥居右手の石塔
左は鬼怒の堤防へ
お堂 お堂内
八幡宮

八幡宮

[はちまんぐう]

真岡市・上大曽455

主祭神:譽田別命
どの書物にも記載がなく詳細不詳。
大正四年1915と大正十年1921の石鳥居が接近して建てられている。平成三年・八幡宮改築記念社号標。
鳥居左右の覆屋に石板が祀られているが,摩滅が激しく小生に文字は読めない。本殿右手にも覆屋。境内左手に推定宝暦九己卯1759十九夜供養,安永四年1775十九夜供養塔,寛政九丁巳年1797二十三夜供養塔などの石像が保存されており,その後ろの覆屋に石宮が祀られ,賽銭箱が置かれている。
鳥居二基
本殿 本殿額 御神体
本殿右手 鳥居右手 読めない
左手 読めない
己卯 寛政九年1797 安永四年1775
鹿島

鹿島神社

[かしま神社]

真岡市・上大曽33

主祭神:武甕槌命・市杵嶋姫命
どの書物にも記載がなく詳細不詳。
古墳のような盛土の頂上に鎮座。しっかりした石段が積んである。
本殿屋根に「鹿嶋大明神」額が載せてあり,社号判明。
昭和四十x年・鹿島神社/厳島神社建築寄附者芳名板書が拝殿内に掲げてある。
平成六年奉納の狛犬。他に読める文字はなさそうだ。
重厚な石段
本殿 鹿嶋大明神 鹿島神社/厳島神社
星宮1

星宮神社

[ほしのみや神社]

真岡市・下大曽606

主祭神:高皇産霊神・磐裂神・根裂神 境内社:天満宮・雷神社・山神社
江戸時代の創建。詳細は不詳。
水田から見上げる小高い丘に鎮座。お堂に見えるのが本社,中は見えない。右となりに石祠。右手の覆屋に木製祠戸石宮計二社。いずれも文字がなく不明だが,左から山神社,天満宮,雷神社のようだ。さらに右手に石祠三基。そのとなりは下大曽公民館。
かつては神明造りの杉製鳥居があったがいまはない。
田植の時期には雷神社の雷旗を出して氏子交代で毎日雨乞いの参拝をしたという。
天満宮,雷神社
山神社
公民館 高い位置に鎮座
稲荷1

稲荷神社

[いなり神社]

真岡市・青田710

主祭神:倉稲魂命 境内社:加波山神社(国之常立神)・疱瘡神社(少彦名命)・秋葉神社(軻遇突智命)
明和七年1770創建。石抓稲荷大明神と称した。明治七年1874社殿再建。『栃木県神社誌』昭和39年版記載の番地は315番だったが土地改良のため昭和五十七年現在地に遷宮。社殿背後に田園が広がる。
撮影時周辺工事のため鳥居正面からは撮影できず。
例祭:11月29日
本殿
東に水田
稲荷2

稲荷神社

[いなり神社]

真岡市・青田1157

主祭神:倉稲魂命 境内社:熊野神社(伊耶那美命)・猿神社(猿田彦命)・天神社
明和三年1766九月二十九日の創建。『栃木県神社誌』昭和39年版記載の番地は168番だったが土地改良のため昭和五十七年現在地に遷宮。そのとき南の天神様と,その脇にあった古木の一本杉も移植したが,残念ながら枯死してしまい,根本が残されている。平成二十年六月二十八日覆屋新築。
例祭:11月第二日曜日
涸れた杉
星宮2

星宮神社

[ほしのみや神社]

真岡市・古山1300 こやま

主祭神:高皇産霊神 配神:市杵嶋姫命 境内社:八坂神社
明治四十二年に厳島神社を合祀した。明治二十八年1895十月十五日建立の「市杵嶋姫命」石塔がある。
平成十五年・鳥居・狛犬・八坂神社・新築事業竣工記念碑。
境内右手に背の高い石像を中心に置いて12基が整然と並ぶ。元禄十二己卯1699,宝永元年1704,寛文十二年1672,貞享四年1687など貴重な文字が読めるので,この頃にはこの地に鎮座した可能性がある。
例祭:11月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・7丁
芳賀郡長沼村大字古山鎭座 村社 巌島神社 祭神 市杵島姫命
建物本社一尺四方 氏子五十七戸
本社創建年月不詳 社域二百四十一坪清洒の地に鎭す
本殿 拝殿内に神輿
市杵嶋姫命 明治二十八年1895
元禄十二己卯1699 宝永元申天1704
寛文十二年1672 貞享四年1687 寛文十二年1672
境内北端 鎮座の杜
大日

大日稲荷神社

[だいにちいなり神社]

真岡市・古山1300

主祭神:倉稲魂命
どの書物にも記載がなく詳細不詳。
真岡市最南端は上江連の星宮神社,大日稲荷は二番目。ここは少しむずかしい。平成七年石鳥居正面の扉のある妻入りが「稲荷神社」で,90度左手のいちばん大きい建築は「薬師堂」,その間の扉のない覆屋は「大日堂」
ふたつ合わせて鳥居額のように「大日稲荷神社」と称する。
稲荷神社内には神輿が正面にあり,後ろに木製祠が祀られている。
大日堂内のいちばん大きい石板には大日如来がうっすらと彫られている。その右の4基を含めて文字は読めない。
薬師堂右手に「享保四年1719奉造立地蔵大士」「宝暦六年1756十九夜念佛供養」「享和三年1803念佛供養」など五基。 創建等詳細は不詳。
*ここから西に珍しい地蔵尊があるというのでご案内いただく。なんと道の真中にある。写真のとおり。乗用車なら通行できる。一度移設したところ災いがあったので元の位置に戻したという。火の玉が走ったというお話は聞けなかった。土台に,弘化1844〜の文字と「再建」「古山村」の文字が見える。地蔵尊の年代は不明。
*大日稲荷の東隣りのお宅がすごいことになっている。最初,このお宅に車で入ってしまい,神社の場所をお尋ねしたのだが,ものすごい数の石彫が集められている。小心者の小生などはいったいいくらかかっちゃうんだとビックリ。正直におたずねすると家一軒分じゃすまないなとのこと。ご自分でも小さいものは削って制作なさっている。大震災のときは倒れたりずれたりたいへんだったとのこと。写真のとおり一見の価値大いにあり。
稲荷神社 神輿 神輿の後ろに本殿
大日堂
享保四年1719 宝暦六年1756 享和三年1803
薬師堂
道の真中に地蔵尊
東となりのお宅
2016/5/18撮影

 

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