天子神社

[あまこ神社]

茂木町天子147


主祭神:面足omodaru命・惶根kashikone命
元禄十四年1701京都加茂神社より御分霊を勧請して創建。天子952の「天満宮」はもともとはここ天子神社の別宮であった。
「天子山第六天宮または第六天神宮」と称した。200年ほど前の『鹿沼聞書』には「天子山大六天宮」と「大」の字で記録された。維新の神仏分離で「宮」の称号は使用不可になり仏教系の第六天も許可されなかったので,地名から天子神社と改称する。祭神も神世七代の第六代の神に変更された。
天子は南の甲部と北の乙部で構成され,当初は甲乙共通で加茂大明神を奉祭していた。明治三十五年1902に2km北の乙部が草葺の祠を建てて菅原道真公を祀った。昭和二年1927になってその菅原神社と,もとの第六天神宮を合祀して甲乙両部の社は,ともに天子神社と称するようになる。
つまり天子神社がふたつあったが,昭和27年1952に北の乙部が独立して,天満宮として分離遷宮していく。
平成11年新調の鳥居には歴史ある「第六天神宮」額が架けられている。栃木県神社庁発行の『栃木県神社誌』平成18年版には「天子神社」で登録されている。
なお,地名起源にかかわる羽衣伝説が残っている。太平山山麓に鎮座する当社の古松(のちに衣掛の松)に衣を掛けて水浴していた天女の衣を隠した村男某が,嫁にして子孫をもうけたことから天子村と称すようになったという。神社に生えていた松だと時代が近すぎるので,創建よりはるか以前の昔むかしからの伝説だろう。残念ながら松は発見できなかった。日本各地に残る羽衣伝説のうち,記録されたのは8世紀の風土記が最初である。
大正十五年1926旗杭。昭和十一年1936狛犬。 例祭:11月19日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 天子山大六天宮 天子村 泉福寺
*『下野神社沿革誌』巻六・25丁 明治三十六年1903刊
芳賀郡逆川村大字天子精進塲鎭座 村社 天子神社 祭神 面足命 惶根命 祭日陰暦九月十九日 建物本社間口三尺奥行五尺 拝殿間口三間奥行二間 華表一基 氏子三十戸
本社創立遼遠にして不詳 社域四百三坪高燥の地に古樹蔚然と繁茂し幽邃にして雅致あり
拝殿内
本殿 改修記念碑
 
中央に社殿が見える
天満宮

天満宮

[てんまんぐう]

茂木町・天子952

主祭神:菅原道真公・別雷神
上記天子神社のほぼ真北2kmに鎭座。
元禄十四年1701京都加茂神社より御分霊を勧請して創建。2km南の字精進場,天子147鎭座の「天子神社」と起源を同じくする。
天子は南の甲部と北の乙部があった。当初は甲部と乙部共通で加茂大明神を奉祭していた。明治三十五年1902に乙部が草葺の社を建てて菅原道真公を祀った。古くからの社号が第六天神宮だったので,その天神からの連想で道真公を祀ったかと推測する。このときはまだ上記天子神社の氏子で昭和二年1927からは社号も同じく天子神社と称していた。昭和26-27年1951-52に北の乙部が分離して現在地の字馬場に本殿を増築し,天満宮として独立する。
昭和30年1955社殿改築,平成12年石鳥居新築。
例祭:11月25日
本殿
右手の石宮
御嶽

御嶽神社

[おんたけ神社]

茂木町・北高岡1854

旧地名:茂木町・北高岡天矢場
主祭神:少彦名神・大己貴神・覺明靈神
天子952の天満宮の東,北高岡交差点から坂を上りきった右手に鎮座。覆屋内の明治十四年1881の石板に三神が刻まれている。大宝二年702創建の木曽御嶽神社から二神を勧請して創建された。本社は国之常立神を祀るが,当社は覺明靈神を祀る。開拓の祖霊か。明治十四年あるいは江戸期の創建だろう。平成18年2006に石鳥居が奉納されている。
詳細は不明。
愛宕神社

愛宕神社

[あたご神社]

茂木町・北高岡1893

旧地名:茂木町・北高岡天矢場
主祭神:火産霊命
328 698  天子952の天満宮の東,北高岡交差点の左手の森に社が見える。近づいてみたが繁茂する夏草にはばまれ,断念。扉は外れてしまったまま。はたしてこれが愛宕神社かどうかは確定できない。『栃木県神社誌』平成18年版にモノクロ写真が載っており,似ているといえばそっくりだが,正面軒に微妙な差がある。 高岡天矢場鎭守なので別の場所にあるかもしれないが見つからなかった。詳細不詳。
祭日:11月14日
拝殿内

 

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