藤田神社

[とうだ神社]

栃木県芳賀郡茂木町神井902 もてぎまちかのい

主祭神:大己貴命 境内社:稲荷神社
熊野神社の裏山頂上に鎮座。下記熊野神社より古い時代に創建されていて,神井上の氏子によって奉祭されている。祭日も熊野神社と同じ日だが,神井の上の氏子さんにとっては藤田神社はまた特別だそうだ。
天明八年1788に再建され,嘉永二年1849に改修された。安政五年1858にも改築。昭和四年1929に雨覆拝殿を修繕。
「安政五午年1858七月十九日・天下泰平御領主御武運長久祈○・奉造立五社大明神拝殿遷宮氏子繁栄祈処・稲荷大明神五穀豊穰守護大導師明星山覚成院」神札が納められており,維新前は「五社大明神」と称したことが分かる。
かつては欅の両部鳥居ともう一基あったが今はないという。山頂は広場になっていて,現在は覆屋のみだが,かつては本殿前に社務所にあたる建物があったという。半世紀前の記録には15坪の幣殿,6坪の拝殿,4坪の上屋があったことが書かれている。
本殿は総檜の流造木羽葺間口三尺五寸奥行五尺六寸で,正面の龍は着色されていた。白色と朱が残っている。側面に浮彫り,軒も着色されていた。
本殿右下に境内社,推定稲荷神社。
熊野神社の左脇から行けるというので,神の井を右に見て登っていき,右から回り込むように頂上に近づいた所で朱色の屋根が見えてくる。
本来の参道は北側にあり,付近の個人の崇敬社には藁宝殿が祀られていた。
氏子の方々には行き方も含め,たいそう親切に教えていただきました。感謝。
祭日:11月第四日曜日
白と朱色が残っている
側面にも着色 読めない 右側面
左側面 安政五年1858神札 右手
寄付者名札 裏手
社殿が見える
熊野神社左手のシートから山へ 付近のお宮 藁宝殿
熊野神社

熊野神社

[くまの神社]

茂木町・神井112 かのい

主祭神:伊佐那美尊
逆川支流の神井川右岸に鎮座。天保十五年1844領主細川長門守が資金を出して社殿を建立し創建された。拝殿が痛んできたため明治二十四年1891に再建。神井上下共通の氏子によって奉祭される。昭和までは夏祭に北の星宮神社,裏山の藤田神社をめぐる神輿渡御が行われたが今は止んでいる。
本殿の左下に神の井戸があり,神ノ井,かんのいと呼んで地名の起源となった。川向こうの集落は地盤が岩盤のため日照りの時は水が枯渇するので,この井戸まで水を汲みに来たという。鳥居右手にも池があり,水をたたえている。
昭和十年1935石鳥居。大正八年1919石燈籠。
拝殿内に明治廿四年1891拝殿寄進連名,昭和27年1952補修報告の板書が読める。
祭日:11月第四日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・29丁
芳賀郡 茂木町 大字神井字日照田鎭座 村社 熊野神社 祭神 伊佐那美命 祭日陰暦九月十九日 建物本社一間四方 雨覆一間四尺四方 華表一基 氏子四十五戸 社掌岩崎吉三郎住所仝上 本社創立不詳 天保十五年1844三月十九日再建 社域三百二十二坪平坦の地にして後は山脈相連り境内には神井と稱する井戸あり其水淸冷にして如何なる早魃なるも涸ることなし神井の村名此より起れりと云ふ
昭和十年1935石鳥居
大正八年1919石燈籠 拝殿内
上:明治廿四年1891拝殿寄進連名 平成の改修木札
本殿
左手奥に井戸
神の井戸 本殿から見た池
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

茂木町・神井343 かのい

主祭神:磐裂神・根裂神
寛政元年1789九月十三日に再建されている。大正十二年1923失火により全焼するも氏子の努力と浄財により同年末に本殿拝殿を始めとし,付属品一切を含めて再建する。
拝殿右手の石宮には愛宕神社と稲荷神社が祀られている。石宮の神札から八雲神社の宮司さんが兼任なさっていることが分かる。
江戸時代には星宮大明神と称し,維新に際して星宮神社と改称した。
大正十四年1925旗杭。
123号線神井交差点を入るとすぐ左手に墓地が見える。そこから山に入ってすぐに社殿が見えてくる。
星宮大明神
本殿
右側面 左側面
左手 右手
愛宕・星宮神社 八雲神社宮司の文字
鳥居から
社殿が見える

 

 茂木町の神社目次 
 ページトップ