八雲神社

[やくも神社]

栃木県芳賀郡茂木町・茂木1609 もてぎ

主祭神:素盞嗚命・稲田姫命・大国主命 配神:譽田別命・倉稲魂命・大光霊神細川興元公
境内社:琴平神社・青麻神社・菅原神社・足尾神社・恵比寿神社
建久三年1192創建。はじめ南方約500メートルの弾正の丘の中腹に鎮座して,康永(北朝)二年1343に大字借宿に遷宮。寛政三年1791に茂木領主細川公が現在地に大規模に社殿造営を開始し寛政五年1793から八年1796頃に現在地に遷宮。資料によっては寛政五年に工事を始め五年かけて完成したとも書かれている。二度遷宮したことになるが,逆川沿いの創建の地は「古っ天王さん」と呼ばれ,小祠が祀られている。
昭和九年1934拝殿新築,昭和十二年1937社務所新築。
明治四十四年1911字八幡町の「八幡宮」,「稲荷神社」を合祀。
昭和十九年1944初代領主細川興元公を祀った「大光神社」を合祀。
本殿左手に青麻神社。本殿右手裏に琴平神社,菅原神社。
大鳥居額に「八雲社」,拝殿に「祇園社」,拝殿内に「八雲神社」,本殿に「須賀宮」額。いずれも素盞嗚命にかかわる社号である。
昭和八年1933十二月吉日拝殿新築記念狛犬。八年年末には拝殿新築全容なっていたのだろう。拝殿新築記念碑も昭和八年1933十二月十五日と刻まれている。
大正十四年1925社号標。昭和三十年1955手水石。昭和六十一年1986石塀再建。 昔の地名「藤縄村・槻木村」の総鎭守で現在の茂木町の中心部に鎮座する大社なので小生が付け加えることはない。詳しくは八雲神社Webを。
祭日:7月25日 茅の輪くぐり:6月30日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・27丁
芳賀郡茂木町大字茂木字上の町鎭座 村社 八雲神社 祭神 素盞嗚命 稻田姫命 大國主命 祭日九月十五日
建物本社一間四方銅瓦葺 拜殿間口四間半奥行二間半 幣殿二間四方 末社二社 石瑞籬本社周圍 石燈籠二基 水舎一棟 社務所間口六間奥行三間 華表一基 氏子二百三十戸 社掌小幡昌訓住所仝上
本社創立遼遠にして不詳 社域四百七十五坪平坦の地にして古杉亭々と高く聳ひ古雅を帶ひ社前には櫻樹を植ゑ花時には一簇の香雲霞の如し
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・29丁
芳賀郡茂木町大字三坂字郭内鎭座 村社 大光神社 祭神 細川興元靈
建物本社間口二間奥行三間 拜殿間口三間半奥行二間半 神樂殿間口二間奥行一間 石燈籠二基 末社二社 華表一基 氏子三十五戸
本社は寛永年間1624~44の創立にして従五位細川興貫祖先の霊を勸請せし所にして茂木藩士の崇敬社なり 社域六百四十九坪平坦の地にして前には逆川の淸流淙々として耳を洗ふか如く境内には老櫻ありて花時には一簇の香雲逆川の水光と相映し風色絶佳なり
八雲社額
由緒1 由緒2 拝殿内
拝殿額
拝殿内額
本殿 本殿額
  本殿の彫刻
島崎酒造奉納
本殿右手 琴平・菅原神社
琴平神社 琴平神社本殿
八雲神社より前にこの地に鎮座 安政四年1857 產土子中
菅原神社・昭和六十二年1987社号標
菅原神社本殿
菅原神社背面 右側面彫刻 左側面彫刻
古神札古宮納所 本殿裏に三社
大黒・足尾神社 足尾神社に草鞋 文化六己巳1809辨財天女十五童子供養塔
本殿左手 青麻神社
青麻神社本殿
旗杭と手水舎
昭和八年拝殿新築記念碑
表通りから 真岡駅から通りに出て左手
古天王

八雲神社発祥の地

[やくも神社]

栃木県芳賀郡茂木町・茂木839 もてぎ

境内の立て札に「旧蹟・八雲神社本っ社跡地‏/通称・古っ天王さん」
[ふるってんのう]と読む。
町中心部に鎮座する八雲神社の拝殿脇の由緒略記に次のように書かれている。
「その昔,弾正[だんじょう]の地に住まう清平衛なる男がいた。川岸で肥桶を洗っていると,なにやら流れてきた。肥柄杓でたぐり寄せて川際の丘に大切にお祀りすると,不思議なことに当時流行していた疫病がおさまり,農作物の害虫の被害も少なくその年は豊作に恵まれた。それ以来,この祠を大切にお守りしお祀りするようになった。当社にはこの様な創始の伝承がある」 八雲神社は建久三年1192に,ここ弾正の地に創建された。眼下の逆川には「だんじょうおおはし」が架けられている。
151年後の康永(北朝)二年1343に現在の真岡線終点の茂木駅西の字刈宿に遷宮する。八雲神社は,さらに江戸期の寛政五年1793になって町筋に遷宮して現在に至る。
本殿右手の碑に「奉献 平成十年八月二十七日豪雨災害復旧工事‏/境内地整備 石段敷設‏/八雲神社旧本津宮社殿建立」とある。
平成十一年石鳥居,石燈籠。
八雲社額 本殿
 
平成11年石碑
逆川方向
 
だんじょうおおはし 逆川
佐平太

佐平太稲荷大明神

[さへいたいなり]

茂木町・茂木1408 もてぎ

主祭神:倉稲魂命
上記古っ天王さんから逆川を渡り,町へ向かう右手に鎮座。となりに観世音堂。
詳しいことは分からない。
観世音堂に大正九年1920,昭和八年1933,昭和二十五年1950,昭和二十七年1952馬頭尊など。
向かいに上新二区コミュニティセンター。
左平太稲荷
左平太稲荷大明神 本殿
少し前の境内 観世音堂
馬頭尊 馬頭尊と馬力神
御嶽

御嶽神社

[おんたけ神社]

茂木町・茂木340 もてぎ

主祭神:国常立命・大己貴命・少彦名命 配神:応神天皇・鳴雷神 境内:雉子神社
茂木高校の南向かい。文禄四年1595勧請,慶長三年1598茂木城の巽(南東)守護として建立。
昭和六年1931一の鳥居。拝殿前に明治三十一年1898石燈籠。
大きな神社なので小生が付け加えることはない。詳しくは八雲神社Webの関係兼務社を。
祭日・祇園祭:7月末の休日3日間 灯をともした提灯を飾った9台の屋台曳き回し
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・27丁
芳賀郡茂木町大字茂木字嶽山鎭座 村社 御嶽神社 祭神 國常立命 大己貴命 少彦名命
建物本社間口四尺奥行六尺 拜殿間口三間奥行二間 幣殿一棟 末社一社 華表二基 社務所間口八間奥行三間 雨覆二間四方 石燈籠六基 石垣延長卅間高さ九尺 紀念碑一基今井與一郎奉納 天水釜一個今井與一郎奉納/一個茨木縣那珂郡長公使等塙和敬奉納 石燈籠一基今井喜平奉納/一基山口平兵衞奉納 華表一基柳岡七郎平奉納 仝二基氏子中 水盤氏子中 寳物 神鏡一面細川室/一面今井與一郎奉納 神輿井戸東四郎奉納 大額一面中村智光奉納 鈴一振今井與一郎/一振半田米次奉納 刀劒一振杉田治平奉納 神鏡一面檜山忠八奉納 額面一個正四位興貫書/一個杉田泰助奉納 祭器 御酒錫一對三嶋貞位/一對今井歌吉鈴木龜吉奉納 幕一張片岡周徳/一張石崎安三郎奉納 仝一張片岡午吉/一張大兼熊五郎奉納 金燈籠一提細川幸三郎奉納 大幡一對貴族院議員正四位細川興貫書/一對中村智光書 仝一對七位村大字芦沼菊地源蔵奉納 燭臺一對渡邊卯之吉奉納 氏子八十戸惣代三員 社掌岩崎吉三郎仝町住
本社は須多美濃守春則甲州勤番の節故ありて同國御嶽山座王大權現に祈誓し心願成就せは我領内に遷座し永遠に崇敬奉ると誓ひたり 而るに大神の靈驗儼として擁護ありけれは歸國の後城の巽方槻木村の淸地を撰み宮殿を建て遷座せりと傳ふ 或年須多美濃守本社大祭參詣したる時の歌に「照りあはす御嶽の山の夕紅葉秋に錦を装ふ神垣」御領主細川主馬殿崇敬し享保六年十一月麻布白幕一張奉納あり 或年大晦日に領主細川主近侍を引連れ本社に詣てヽ自ら社殿の掃除を命し宮殿の装飾をなし神燈を捧けんとするに燈具を失へタ方なれは社顕の大樹森々として暗く爲に燈具見當らす近侍の人明朝にては如何と窺ひしに明朝は元日なり今夜献燈せすは大祓の式にならす人は毎年六月晦日拾二月晦日には大祓を修行し以て過犯せる罪穢を祓除し身の安泰を祈奉るへきものなれは早々尋よと申なから御自も社殿の邊を見廻りなから下奴の淋けなるを見て一すさみ「すヽ掃へ掃除しまへの油皿仕舞なくして白菊の花」と云へなから見附けたれは燈明捧け榊葉手向けて「大祓ひ祓ひ淸めて潔よくかみの社の年の暮かな」と乞祈奉りて歸舘せりと云ふ 本社奉仕は往古より持福院にて別當たりしか時の住職宥明御神鏡を東郡にて調製し東叡山宮に開眼を願ひし時御神鏡に紅地に金糸にて拾六の八重菊花に波形の覆を宮御自ら奉納せられて今尚存す 別當持福院中古退轉し後覺成院別當たりしか明治維新神佛分離の令出るや藏王大權現の号を止め御嶽神社と改號し神職岩崎氏を以て奉仕せしむ 本社祭日は九月十九日廿九日にして初九日御化粧祭とて神殿を粧飾し神酒に菊花を献し祭典を行ふ 中九日種々の物を献し天下泰平國家安全五穀成就氏子安寧を祈り日待と稱して藩士及ひ氏子一同より白米一升以上宛村役人先立寄集し祭費科に充つ(其時の升は一升六合入なり今尚什器として存在す)末九日は大祭と稱し此れを日出の祭りと云ふ 齊主及ひ當番當組は前日より潔齊にて祭典の準備をなし臣家町村役人を招待し士民列塵して祭式を行ふ 献備物は白幣三串紅白菊花二臺濁酒甘酒桶に入れ稻穂二束洗米赤飯は桐葉に盛り野釆木實は籠に檞葉を敷きて入れ鹽水は土器に盛り五色絹は樫枝に掛け願文竹串に挟み葉莨等を献し式終れは直會をして上座並座の二座となし上座には細川家臣町村役人並座は氏子一同來賓に至るまて膳部を出し一晝夜の間饗應したりしか明治十一年より古例の式を止め濁酒甘酒は淸酒に變し葉莨は刻莨に改まり膳部も齋主及ひ祭典關係の人のみとなり神輿渡行式にも大概此の直會式の如し 社地は小倉山の北中腹に位し老杉古槻蓊蔚として茂生し櫻樹其間に交り花時には一簇の香雲老樹の深翠と相映し風色絶佳なり 又山嶺には松柏茂り四觀洞逹常野奥甲信の巒峰は悉く雙眸に集り西南には遠く富嶽を望み眼下には逆川及ひ那珂の長流を下瞰する等殊に絶景なり
石垣落成を讀みて   従七位穂積權司 今井與一郎建設
禰きかく流八十うちひとの心たにすなほなりけは神もまもらん
詣御嶽神社      片岡周徳再拜
老檜参立冠兩毛 威靈赫灼至今高 誨玄人在亦雲惠 丹頂仙禽嗚九皐
古檜二本立テ神垣起句故及焉
神園觀花
古檜老杉立可摩 黄鶯睍睆擲重梭 東風吹散櫻花雪 御嶽塔邊春色多
二の鳥居左手に社殿 拝殿額
拝殿内 拝殿内額 拝殿右手の額
由緒 神徳 茂木高校前から
一の鳥居から 二の鳥居
二の鳥居右手 手水舎 二の鳥居から茂木高
昭和六年1931一の鳥居
浅間

富士浅間神社

[ふじせんげん神社]

茂木町・茂木2134 もてぎ

主祭神:木花開耶姫命
桔梗城=茂木城趾から南に降りて逆川を渡った桔梗橋のたもとに鎮座。
平成十三年の「奉鎭祭祝雨覆竣工」棟札右側に浅間大神「手置帆負命」の名が書かれている。[たおきほおいのみこと]は木工,工匠の神。
左側に十一月十八日「屋船久久之遅命,屋船豊受姫命,彦狭知命」と書かれているのは家屋守護神で手置帆負命とともに大工と上棟式に関する神号である。 1800年頃成立の『鹿沼聞書・下野神名帳』に「芳賀郡・矢渡山正八幡宮・藤縄・弥勒院」の記録が残っているが,付近に八幡宮は見つからない。ここに記録された「藤縄」は昔の地名で,富士権現にあった槻木の巨木に大縄のように籐がからみついて繁茂していたところから名付けられた。富士権現が当社にあたるだろう。槻の古木は残念ながら明治四十三年1910に消滅してしまった。
本殿
奉鎭祭祝雨覆竣工 さかがわ
橋から 逆川 逆川
桔梗橋 仲橋あたりの石祠 鳥居も
浅間神社の南 茂木藩陣屋跡

十方稲荷神社

[いなり神社]

茂木町・茂木496 もてぎ

主祭神:倉稲魂命
123号線神井大橋交差点の北,茂木高校第二グラウンドの南に鎭座。
祭日:月日


三坂稲荷神社

[みさかいなり神社]

茂木町・三坂329 みさか

主祭神:倉稲魂命・譽田別命・大山祇命
寛永十三年1636京都伏見稲荷より倉稲魂命を勧請して三坂坂下に創建。寛文十年1670京都石清水八幡宮より譽田別命を三坂泉に勧請。宝暦七年1757相模の国から大山祇神を勧請,三神を合祀して現在地に遷宮。
『角川地名大辞典』によると高野坂に大山祇神を祀る「山祇社」があるらしい。
祭日:10月30日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・29丁
芳賀郡茂木町大字三坂字塚戸鎭座 村社 稻荷神社 祭神 倉稻魂命 祭日陰暦九月十九日
建物本社三尺四方 拜殿間口三間奥行二間 雨覆間口九尺奥行二間 華表一基 氏子二十戸
本社創立遼遠にして不詳 社域百九十七坪高燥の地にして古松落々と生へ幽靜にして愛すへし

五霊神社

[ごれい神社]

茂木町・増井393

主祭神:素盞嗚命 譽田別命・倉稲魂命
『下野神社沿革誌』で社号は「御霊」で記録されたが『栃木県神社誌』平成18年版『栃木県神社誌』昭和38年版、平成18年版共に「五霊」なのでそれにならった。
寛政五年1793本殿造営。弘化二年1845再建。昭和八年1933拝殿改築。
明治四十四年1911八幡宮、稲荷神社を合祀。
祭日:11月23日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・30丁
芳賀郡 茂木町 大字増井 村社 御靈神社 祭神 素盞嗚命 建物本社二尺五寸四方 氏子十八戸
本社創建不詳 社域二百八十七坪字御霊にあり

 

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