天満宮

天満宮

[てんまんぐう]

茂木町・上菅又269

主祭神:菅原道真命
市貝の観音山のすぐ西の山中に鎭座。
昭和六十一年1986の石製旗杭に金属旗竿が取付けられているので神社があることが遠目に分かる。
鳥居手前に「昭和三十一年1956・天満宮鳥居寄附芳名」記念碑。
参道右手に「昭和八年1933天満宮改築寄附芳名」記念碑。
茂木城主の家臣川上彦右衛門高信が元和年間に1615-24にこの地に隠居して菅原道真公を祀り,慶安四年1651北野天満宮より御分霊を勧請し社殿を建立し氏神として祀っていた。川上家廃絶の享保十一年1726以降に村民十六戸が村の守護神として再興し奉斎するようになる。
例祭:11月25日
*『下野神社沿革誌』巻六・33丁 明治三十六年1903刊
芳賀郡須藤村大字上菅又鎭座 村社 天満宮 祭神 菅原道眞命 建物本社二尺四方 拝殿間口二間奥行九尺 華表一基 氏子十七戸
本社創立不詳 社域六百二十六坪天神林の清洒の地に在り
拝殿内
格子から本殿を
昭和八年1933改築寄附芳名 本殿裏手
昭和三十一年1956石鳥居 鳥居寄附芳名碑
参道 旗竿 旗竿が見える
上菅又公民館脇の石宮 新旧二基
菅釜神社

菅釜神社

茂木町・下菅又1712

[すがま神社]

主祭神:奥津彦神・奥津姫神
境内社:加茂神社
字三田内。ゴルフ場を横断する途中に鮮やかな朱鳥居。害獣除けの高圧線が張ってあるので注意してまたいで鳥居をくぐると下りになる。参道を下りきると崖に石段が組まれていて上に社殿。石段左手に一畳ほどの大穴があり,「釜のさま」と呼ばれる水が溜まっている。これが「菅釜」神社社号の由来となった。字宮下の裏山に創建されたとする口伝が残っているので,現在地に遷宮した際に改称したことになる。参道のさらに下方の沢に沼が見える。
石段を上って右手に回り込むと旗杭があり,下の方にゴルフ場が広がっているので,かつては下から上ってきて頂上付近に鎭座する形態だった。1974年以前は旗杭の下のゴルフコースのどこかに鳥居があったと推測する。
大正十三年1924に拜殿を改築し,昭和五十七年1982に石段改築,平成三年に加茂神社鳥居建替えと同時に拜殿床板を張替え,平成七年1995に鳥居を改築している旨の板書が見え,同年御影石の鳥居奉納の木札が拝殿壁に張ってあるが,大震災前なのでどこかにあるのか今はないのか不明。拝殿内正面右下の板書に鳥居建築工事の文字が見えるが,日付が読みにくく,平成二十五年か?
本殿裏手の頂上部分に加茂神社の金色の鳥居が見える。いぶし金色の,めずらしい色の鳥居で平成三年1991建立。八雲神社の宮司さんが兼務なさっているので幣の台座裏に「八雲神社御神木・平成十一年1999十一月」と墨書されている。御神木の枝を工作したのだろう,ちょうど倒れていたので目に止まった。細かいところに配慮がなされている。加茂神社は上菅又字大口田にあったものだろうか。
さらに右手にあるのは大杉神社(久久能智神)石祠か。ここから最初の朱鳥居のある道に出る。
例祭:11月19日前の日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 菅釜大明神 茂木村 菅役村 文乗院
*『下野神社沿革誌』巻六・33丁 明治三十六年1903刊
芳賀郡 茂木町 大字下菅又鎭座 村社 菅釜神社 祭神 奥津彦神・奥津姫神 建物本社間口二尺二寸奥行二尺四寸 拝殿間口二間奥行九尺 鳥居一基 氏子五十一戸
本社創立不詳 社域三百八坪字三田内に鎭し神田二反一畝二十八歩を有す
高いところに鎭座
釜のさま 下の方に沼
間口四間 拝殿内正面
正面右拡大 鳥居御影石造の文字 右手
ゴルフ塲の山肌が凝灰岩質 旗杭 加茂神社鳥居
加茂神社
八雲神社御神木の文字 下の方にゴルフ場 石祠
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

茂木町下菅又1191


主祭神:倉稲魂命
上記天満宮の南東,字狐穴に鎭座。昭和五年1930九月の石鳥居。鳥居額が落ちていたが,稲荷神社の文字が確認できる。創建等詳細不詳。
鳥居額
本殿
中央の山に鎮座
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『角川地名大辞典』に上菅又には小聖大神社が記録されているが未発見。参拝できたら掲載します。

 

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