高龗神社

[たかお神社]

茂木町・九石142 さざらし

使用文字[龗]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗大神[たかおかみのおおかみ]
配神:熊野大明神,山王大明神,春日大明神,日光大権現
九石「さざらし」と読む。サザンが九のサザ。九石の大ケヤキを正面に見て,左手の車幅分の細い道を入る。突き当たりを右折して右手のそれらしい森の中。森とはいっても茂木の町 から見ればはるか高所の山々のひとつの山の頂上。
道路から神社入口らしい目印は何もない。九石公民館の上の山で草取りをしていたおばあさんによく聞いておいたので見つけられた。
古色蒼然たる,という形容にぴったり。
鳥居額は消えかけているが,「正一位太宮五所大明神」とある。五柱の神を合祀したことになる。江戸期には大宮五所大明神と称していた証拠の額。太いも大きいも同じこと。神仏分離から時代が経って政府の管理から自由になり,往古の額を再び掲げたのだろう。
拝殿内は暗くて見えない。フラッシュを焚いてみると中央額は細身の筆で口3つ付きの「高龗神社」
「安政三年歳1856在丙辰秋九月」の石燈篭。「在」は不明。
鎌倉期の建久二年1191に須藤十郎爲隆が九石郷の山口荘に居城を構えて鬼門に祀ったのを起源とする。大永五乙酉年1525に大修築の記録あり。宝永六年1709正一位。「下野國十三社の一つ」とあるが不明。
栃木県のタカオ神社の中では7番目に古いか?
本殿:流造茅葺 幣殿:鉄板葺 拝殿:日吉造鉄板葺
例祭:11月18日前後の日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 正一位大宮五所大明神 九石村 関戸主殿
*『下野掌覧』万延元年1860刊
芳賀郡之部 正一位大宮五所太神宮 九石村鎮座 祭主関戸氏ナリ
正一位太宮五所大明神
神社入口の大けやき
2月16日,2007撮影 5月23日,2007撮影
黒田

高龗神社

[たかお神社]

茂木町・黒田502

使用文字[靇]

主祭神:?高龗神

主祭神:軻遇突智命 配神:大巳貴命,少彦名命
河井から「和の道」でずっと下に那珂川を望みながら那須烏山市にいったん抜けてから294号線を南下。
生井に至る道端に。参道部分は山と一緒に削られて道が貫通したため,雨龍の「村社高龗神社」の社号標はコンクリートの土止めの中からにょっきり立っている。その上に鳥居。
拝殿内部の額は「正一位高雨+龍大明神」
昭和十xの「社殿新築覚寄付連名」の板にも「高雨+龍神社」
昭和十五?年の狛犬。
記録では天保十一1840年九月に欅朱塗りの鳥居建立,昭和三年十一月に拝殿と覆屋を新築,昭和十四年に階段を新築し,社柱を建てている。すると道路拡張に伴う現在の形態は昭和14年のものか。あるいはその後社殿新築覚寄付連名の不明年にさらに新築しているのか。
通りかかった方におたずねすると「たかお神社」
「ここの神様はたいした力があるよ。××から夜中に逃げた時に神様がこっちさこいって手招きするんだ。必死で神社に逃げ込んだら,××は下の方で左行ったり右行ったりして探してるけど,こっちには来なかったなぁ」
黒田からほどなくのところに「闇龗神社」があり,そこの「御木曳奉仕参拝記念」石碑に「市貝町続谷闇龗神社」と「茂木町黒田高龗神社」が連名で彫られている。そちらは正式な口3つ付きである。
「おかみ考」をお読みいただければ高龗と闇龗が兄弟神であることがお分かりいただける。
本殿:流造木羽葺 幣殿:切妻造銅板葺 拝殿:入母屋造銅板葺 例祭:11月第1日曜日
*聞書によれば江戸期には[タカオカミ大明神]と呼んでいたことが分かる。沿革誌記載の祭神は高龗神であった。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 高於加美大明神 黒田 本覚寺
*『下野神社沿革史』6巻34丁(明治36年1903刊)
芳賀郡須藤村大字黑田鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口二尺九寸四方 拜殿間口三間奥行二間 鳥居一基 氏子二十五戸・総代員 社掌
本社創建年月不詳社域百四十四坪淸瀟の地にして字宮上に在り
道路拡張の結果 雨龍
正一位高龗大明神 雨龍
左の拡大 雨龍
河井

高龗神社

[たかお神社]

茂木町・河井660

使用文字[罒・靇]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
旧地名:芳賀郡茂木町大字河井森下
123号線で茂木の町を抜け,馬門の滝の手前を左折。中川中学をめざす。
森の中に木製の鳥居がひっそりと。杉並木の参道を行くと紅殻色のトタン葺きの社が。
狛犬も燈篭もなく,村社本来のお姿。背後の森を透かして下の方に田園が望める。
拝殿額は「雨+龍」
格子の間からのぞくと,本殿前の額は「雨+罒+龍」。
栃木県最東端の高龗神社である。
左手に「茂木町河井下公民館」,町の字が田の下に丁の変形。
鳥居前のお宅でうかがうと「たかお神社」
「天保十三1842・勢至塔」
「嘉永元年1848戌申・十月?二十日or十三日・xx信女」と読める崩れかけた石像が。両肘から綱のようなものが垂れて両サイドにはねあがっている。
「安政二1855・丁組・卯三月吉日・勢至塔」
「慶應二寅年1866・勢至塔」
「慶應四辰年1868・大黒?・三月十六日下組講中」の石碑。
「明治十九年1886十月馬力神」
「二十三夜供養塔」年不明。
弘仁二年811創立。「高雄神」と称していたという。高龗に改称したのは文化五年1808九月十九日。栃木県内のタカオ神社では5指に入る古社である。茂木町小山にある最古のタカオ神社(2世紀初頭)も「高雄」なので,龗よりも雄の方が古いのかもしれない。
河井地区には高龗神を祭神とする「龍神社」がある。
「雄」=「龗」を証明する神社。
本殿:流造木板葺 拝殿:入母屋造りトタン葺 例祭:11月23日
雨+龍の靇
拝殿内は正字の龗
鮮やかな本殿
立派な境内社 嘉永元年1848
右は勢至塔 左は勢至塔 大黒?
大瀬

高龗神社

茂木町・大瀬95

[たかお神社]

使用文字[罒]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
中川の観光やな,ふるさとセンターを目ざす。
「雨+罒+龍」の高龗神社。呼び方は「たかお」
享保三年1718の手水石。この年号だけでからみても,もう300年になろうとしている。よく残ったものだ。
「奉上・星宮/高龗両大明神」の石燈籠。
文字が読めるのはこのふたつだけの小さな神社である。星宮も祀られていた。維新の神仏分離で高龗大明神から高龗神社に改称した。
大瀬は那珂川の河川敷にあたる。高龗神を祀る河井の龍神社,牧野の大杉神社はここからみると,相当高い位置にある。
牧野の民家ははるかに見上げる高い山の中腹にあるように見える。
このあたりは那珂川がUの字に蛇行しており,昔は水害に悩まされたであろうことは容易に想像がつく。水難除けに高龗神を祀ったのだろう。
*『下野神社沿革史』6巻34丁(明治36年1903刊)
芳賀郡須藤村大字大瀨鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口一間二尺奥行一間 拜殿間口二間奥行一間四尺 氏子四十七戸・総代員 社掌
本社創立(不詳ヌケ)社域百三十一坪竹内淸洒の地に在りて那珂川の滾々たる音を聞く
享保三年1718奉納
奉上・星宮/高龗両大明神の文字

高雄神社

茂木町・林851

[たかお神社]

使用文字[雄]

主祭神:高龗神

旧地名:芳賀郡茂木町林森前851
ツインリンクもてぎのすぐ西。高いエンジンの音が遠くに聞こえる。
石段を上ると朱塗りの鳥居がある。額は消えかけているが「高雄神社」高雄では県内最東端。
さらに参道を行くと年代不詳の石鳥居。左右に「弘化三丙午1846八月」の石燈篭。
拝殿額は中央が「高雄大明神」その左に石版額「高雄神社」こちらはあるいは石鳥居に掛かっていたか。
拝殿内は暗いが,二人の武者が跪いている大きな板絵が中央に,左右に絵馬が確認できる。
左側の絵馬の解説板がある。
寛政五年1793木村勝(小泉斐ayaru)作「板絵著色行列川を渡る」h128w186センチ。
鎌倉期の建久九年三月1198創立。栃木県内タカオ神社の中で8番目の古社。
古名は尾を使って高尾大明神,高尾大権現,高尾大神などと呼んだというが,単に文字にした時に尾を使ったのではないか。
代々茂木領主に崇敬され,その後も茂木藩主細川家の9代まで参拝されていたという。明和五戊子1768年に拝殿造営の際に藩主より御霊代として金幣を献納されている。
本殿:権現造木羽葺 幣殿:鉄板葺 拝殿:日吉造鉄板葺
例祭:11月第三日曜日
*『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)6巻30丁
芳賀郡茂木町大字林字森鎭座 村社 高雄神社
祭神 高龗神 祭日陰曆九月廿九日 建物本社三尺四方 拜殿間口五間奥行三間 華表一基 氏子四十五戸・総代員 社掌
本社創立不詳 再建は享保元年1716三月なり 社域七百九十九坪高燥の地にして老杉古樹森々とし社壇を擁し幽靜にして愛すへし
小山

高雄神社

[たかお神社]

茂木町・小山535 おやま

使用文字[雄]

主祭神:闇龗神

旧地名:芳賀郡茂木町小山535
主祭神:軻遇突智命,闇龗加美神[くらおかみのかみ]
[くらおかみノ神]と省略の「くらお」でなく正式に「くらおかみ」の読みを音訓合わせて表そうとしている。龗は音読みで[お]の音を当てられている。『日本書紀』の表記では2文字で「闇龗」で[くらおかみ]と読ませ,神とか命とかは付いていない。祭神を表すのに「神」を付けた。龗の1文字を芳賀郡でも100年前にはすでに[おかみ]と読まなくなっていることが分かる。ただし神名の発音ではきちんと[おかみ]の意識が残っている。
道の駅もてぎから南に4キロ,木幡のそば。
入口に「享保拾三?」「寛政甲寅1794」二十三供養塔「文久三癸亥1863」聖徳太子など石塔が7つ並ぶ。
昭和七年の石鳥居の次に朱塗りの木製両部鳥居が立ち,額文字は「正一位高雄大明神」
拝殿とその内部には神社名を記したものはない。
拝殿内左右に絵馬が見える。右について解説板がある。文久元年1861矢口南山作「板絵著色屋島合戦図」h82w124センチ。
景行天皇五十六年なんと西暦126年に下野国造御諸別王によって勧請されたというから県内最古のタカオ神社である。景行天皇時代の県内の他の神社は佐野市の「赤城神社」と小山市の「高椅神社」だけである。いずれも,ひいき目に見て奈良以前の創建ということでいいだろうか。
ちなみに県内で紀元前崇神天皇の時代を創建とするのは真岡の「大神神社」,安塚の「白山神社」,下野市の「鷲宮神社」,小山市の「安房神社」4社である。
二荒山神社,野木神社,那須神社は仁徳天皇西暦393-427年頃の創立とされている。
那須の笠石神社にある那須國造碑ですら西暦700年,『古事記』712年,『日本書紀』720年なので,社名の「高雄」がいつからなのか際限なく興味がつきない。
弘長元年1261地頭河原摂津守安直が本社を再建,延宝五年1677,安政五年1858にも再建している。棟札の社号はどのような表記なのだろうか。「高雄」を解釈するにあたって最重要の神社。
明治期には『下野神社沿革史』を編纂なさった風山廣雄氏が社掌をなさっていた。
本殿:春日造木板葺 幣殿:切妻造トタン葺 拝殿:入母屋造り銅板葺
例祭:11月19日
*『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)6巻23丁
芳賀郡逆川村大字小山字宮山鎭座 村社 高雄神社
祭神 軻遇突智命・配祀闇龗加美 祭日四月廿九日九月廿九日 建物本社四尺五寸四方 拜殿間口四間奥行二間半 幣殿二間四方 末社五社 華表一基 盥漱盤一個 花崗石 旗杭二基 石燈籠二基 寶物 古鏡一面 神鏡 仝臺 祭器 大旗 大幕 石磴文久四年1864三月添田跡司山口淸七奉納 石磴 畳二十枚 仝表二十枚 幌二張 五色絹幕 神鏡 氏子五十戸・総代五員 社掌風山廣雄仝村仝大字七番地住
社傳に曰く 本社は景行天皇五十六年の創立にして下毛野國造御諸別王の勸請なり 后弘長元年1261九月地頭河原攝津守安直(裔孫今尚存す)本社再建及ひ神田を寄附す 慶安二年1649徳川將軍家光より社領五石仝郡多田羅村知内に於て寄附せられ仝將軍累代崇敬の社にて代々朱印を賜はらる 寛文十二年1672領主福原淡路守より高三石の除地を附せらる 延寶五年1677九月領主福原猪之吉の助成により本社再建す 享保十二年1727後正月領主の傳奏により正一位を授けらる 安政五年1858十一月拜殿再建 明治十年1877幣殿再築 仝三十三年1900幣殿拜殿を修繕す 是皆氏子惣代及ひ區長河原庄三郎の盡力にあり,社域一千二百四十二坪高燥の地にして後は山脈相連なり千年の老松古杉蔚然として繁茂し神寂ひて雅致あり 殊に地方の名社にして社有財產金六百圓を有せり
上後郷

高尾神社

茂木町・上後郷634 かみうらごう

[たかお神社]

使用文字[尾]


主祭神:磐裂之神 *沿革誌では祭神を高龗神で記録している。
後郷[うらごう]と読む。九石の大ケヤキから坂を下ってすぐの左手。
鳥居の平成の丸額,拝殿の平成の額,本殿内の真新しい額とも「高尾神社」
「元文四己未1739十一月廿三日・奉待二十三夜供養塔」が土手に埋もれている。
あと2基は頭が出ているだけで数字の「二」が読めるだけ。
鳥居から石段を登った拝殿から田んぼが見下ろせる。
安永六1777年1月19日の創立。茂木ただひとつの尾字の神社。
明治14年と昭和23年に社殿と鳥居が改装されている。
鳥居に西暦で一九六八と刻字してあるので20年後にもう一度補修したのであろう。
拝殿額が平成13年改築記念なので,社殿は2001に改築,大切に奉斎されていることが分かる。
旗杭は平成13年11月吉日。
本殿:神明造銅板葺 拝殿:神明造銅板葺 例祭:11月第2日曜日
(ここのすぐ先の800年を越える大ケヤキは驚異的。ケヤキを左に入っていくと九石の高龗神社がある)
*『下野神社沿革史』6巻31丁(明治36年1903刊)
芳賀郡中川村大字後鄕字堂峯鎭座 村社 高尾神社
祭神 高龗神 建物本社三尺四方 雨覆間口二間半奥行二間 華表一基 氏子四十三戸・総代員 社掌岩崎吉三郎住所仝上
本社創立不詳社域百三十七坪淸洒の地に在り
高尾神社と書いてある
拝殿内も高尾神社 2007年5月撮影 2007年2月撮影
元文四1739
2007年5月撮影
2007年2月撮影 社柱に上後郷 鳥居1968
千本

千本神社もと高龗神社

[せんぼん神社・たかお神社]

茂木町・千本1595

主祭神:高龗神 軻遇突智命

主祭神:高龗神 軻遇突智命
天矢場から294号線バイパスを烏山に向かって走ると須藤局の先に鳥居が見える。
天照皇太神,十九夜塔,聖徳太子などの古そうな石祠がいくつも見えるが年代は確認できない。草土に埋もれている石祠もある。「須藤村道路元標」も見つかった。
岩肌を削った急な石段を登る。さらに上方に石段が続く。石段が途切れ赤土の坂をしばらく登ると社殿が見えてくる。
平成十八年四月の「千本神社改名合祀百年奉祝」の石灯籠が拝殿前に立っている。そこから数えて百年前は明治40年1907年あたりになる。
明治35年刊の『下野神社沿革誌』では,社名は高龗神社で掲載されている。
*聞書の時代には[タカオカミ]の呼び方が残っていた。維新の神仏分離で高龗神社に改号し,沿革誌に記録されたとすると「改名合祀百年」とあるのはそれから5,6年後に高龗神社から千本神社へ改称したことを指すのだろうか。
昭和59年刊の『角川日本地名大辞典・栃木県』中根村の項には千本が括弧つきで「高龗(千本)神社」と植字されている。1980年代にもまだ高龗神社の呼称が生きていたことが分かる。
拝殿額は千本神社。
嘉永四辛亥1851九?月吉日の石灯籠。
地名の千本は[せんぼ]が通称だが,社号は『栃木県神社誌』昭和39年2月11日発行では[せんぼん]と振られている。『角川日本地名大辞典・栃木県』のかな見出しも[せんぼん]で<「せんぼ」ともいう>と書かれている。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 高於加美大明神 千本中根町 常福院
*『下野掌覧』万延元年1860刊
芳賀郡之部 大宮六所大明神 中根村鎮座 祭主櫻井氏ナリ
*『下野神社沿革史』六巻-33丁(明治36年1903刊)
芳賀郡須藤村大字千本字中根鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 軻遇突智命 祭日陰曆九月十五日 建物 本社間口四尺奥行三尺 幣殿間口七尺奥行二間二尺 拜殿間口三間半奥行き二間半 鳥居一基 氏子八十戸総代五員 社掌櫻井明仝住所
本社は文龜三年1503の創立にして永正年間領主千本山城守本殿造營す 後領主代々崇敬の社にして正一位を授けらる 明治六年五月鄕社に定めらる 仝十年八月区画改正に際し村社に列せらる 社域千三百六十五坪高燥の地にして登ること七十二間 境内には古樹蔚然と生ひ繁り幽靜にして雅致あり

祭主が常福院から櫻井氏になっていたので『下野掌覧』に大宮六所大明神で収録された。茂木町九石では大宮五所大明神から高龗神社に改称している。
緑の小山 最初の石段 石段が続く
拝殿 千本神社の額
左手 拝殿左手の祇園社 拝殿右手の神楽殿?
手水石 嘉永四年
改名合祀百年の文字 須藤村道路元標 古い石塔
十九夜塔 天照皇太神
震災で 十九夜塔

 

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