祭神:武甕槌命
境内社:大杉神社・八坂神社 [境外社]阿支利神社・桑名神社
大正二年1913「神苑碑」によれば,奈良時代後期の延暦三年784三月十五日の創建。大和の国十市郡より建御雷命を勧請して山内村森脇の大久保修理を祠官とした。大同元年806に本茶邑に神殿を建立し改めて「本茶大明神」と称したが嘉祥二年849神祇官令により「鹿島大明神」と改称する。(下に記した『下野神社沿革誌』と多少異なる)
水戸街道123号線で那珂川を渡り,121に入って北上すると左手に国神神社があり,さらに進むと二車線から一車線になり山に挟まれた渓谷を行って国土地理院の神社マークあたりを探していると,道路沿い右に旗杭があり,そこから細道が下っている先の山裾に民家が見える。近づくと正面大岩の上に自然石の社号標。すぐ右手を山からの清流が流れ,石段の先に両部鳥居。敷石と石段が崇山中腹の本殿まで続いている。脳波が自然に落ち着いてくるたたずまい。
本殿右手の覆屋内に木製祠,背後に石祠,着色石祠,その右に大正二年1913「神苑碑」
さらに右手に石宮と屋根だけになってしまった木製祠。
本殿左手の山腹に石祠。
昭和八年1933狛犬は茂木町石工佐藤調利の作。
台座のしっかりした石燈籠だが大震災で笠が落ちてしまった。
昭和四年1929「今上登極記念」碑に四段を購入して杉四百株檪八百株を植樹したことが刻まれている。
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茂木では小山の高雄神社=景行天皇五十六年126年についで古い歴史をもつ古社。鹿島のつぎに荒橿神社=大同元年806/町田羽黒神社=大同三年808が創建される。景行天皇時代というのは,文字もなく古墳もまだない頃から祭祀の場が設けられていたという伝説であり正確性はもたない。延喜五年905に編纂を開始した延喜式に記録された式内社以外は神社が鎮したことは確認できないので,鹿島神社もとてつもなく古い昔に創建されたということだ。
それでも闇雲に延暦三年創建説がつたわるわけではないので,茂木では一二を争う古社ということになる。
迷っているとカーナビが「茨城県に入るよ,栃木県だよ」と教えてくれるほど県境の入り組んだ県東端の山間部。付近には「棚田の里かぶと」があり,西の松倉山上には観音堂がある。
例祭:11月20日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・31丁
芳賀郡中川村大字山内字本茶鎮座 村社 鹿島神社 祭神 武甕槌命 祭日九月十九日 建物本社間口四尺二寸四方 雨覆間口二間奥行三間 拜殿間口三間奥行二間 廊下九尺四方 末社六社 華表一基 氏子六十五戸総代三員 社掌大久保縫殿仝所住
社傳に曰く本社は當村開闢の時の勸請にして大久保修理太夫奥州天足利別社より抹茶を境内に移植し茶を製し朝廷に献納しけれは速に嘉納あらせらるる 此より本茶明神と稱し元禄二年1689三月鹿島大明神と改稱す 社域三百三十一坪にして古杉老檜蔚然として生ひ茂り神寂ひて雅致あり 社有財産田八畝廿三歩を有せり