静神社

[しず神社]

那珂川町・馬頭2576

旧地名:那須郡・馬頭町大字馬頭
主祭神:譽田別命・手力男命・須佐之男命
往古は片根の地に鎮座し八幡宮と称したが元禄七年1694以降の社寺大改革の際に静神社と改称し武茂[むも]川北方の愛宕山の愛宕神社境内に遷宮,手力男命を合祀。宝永二年1705神殿神楽殿等を新築するも文政九年1826焼失,天保九年1838再建。明治三十三年1900町中の現在地字館山の武茂城跡地に遷宮。このとき全町民は白装束に身を固め天保七年1836造営の白木総彫刻造の本殿を陣車で奉曳遷座した。石碑はもとより階段石まですべてを移動し明治三十四年1901四月に遷座祭。明治三十八年1905には大々的に境内を新築整備した。昭和55年1980石鳥居再建。須佐之男命を相殿に祀ったのは最近で平成5年1993。
武茂城は正応1288頃からの山城であった。御神木の杉は樹齢700年を超えていた。拝殿内に切株が保存され,倒壊の危機により伐採したと書かれていた。
広重美術館の北裏山腹に鎭座,東に乾徳寺,東南に別雷神社。
幅広の石段だが傾斜がきつく登るのにスリルを味わうことになる。そのためなだらかな女坂が用意してある。最初の踊場に手水舎がある。ここまで登るのもたいへん。安永八年1779の御神燈をながめて一休み。
昭和五十五年1980「奉献静神社大鳥居」記念碑。
大正八年1919「奉納石段百五十五階」碑。
嘉永二年1849奉上手水石,拝殿前に大正六年1917石燈籠,円柱の背の高い方は年代不明。
昭和十八年1943狛犬。
例祭付け祭:5月1-3日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻29丁
那須郡馬頭町館山鎭座 村社 静神社 祭神 譽田別命 天手力雄命 祭日四月三日 建物本社間口一間奥行一間半栃葺 瑞籬本社周圍 拜殿間口四間奥行三間 鳥居一基 氏子三百五十戸 社掌高瀬利仝町住
本社は往古より馬頭村に鎭座せしも遼遠にして創建年月詳かならす 本村は往昔武茂村と稱せしも天正1573~92年中分ちて馬頭健武の二村となりし時馬頭村の鎭守は八幡宮たりし事明かなりしも元禄1688~1704年中水戸藩主徳川光圀公の命により社地を仝村上郷の山腹を撰みて遷座し靜神社と改め天手力雄命を奉祀せり云々 明治六年1873五月中舊記を調へ以て譽田別命天手力雄命の二神を合祀し村社となす 該地は氏子人民の日々詣するに便ならさるより氏子熟議の上明治三十三年1900二月中官の許を得て本町中央なる字館山に遷し神殿其他の建物等巨大壯麗にして輪奐たり 境内には松杉橿の常磐木繁茂し社殿を擁し頗る雅致あり 別當は大同806~810年中より大法院と號す 元禄1688~1704年中水戸藩主の命により隆眞院と改め本社及那珂郡野口村佐伊喜神社の奉祀を命せられ年番別當六ヶ院にて社領八十三石余配當せる其一院なり 天保十四年1843中水戸領内各宗寺院廃止の際別當隆眞院を改め高瀬隆之助と稱し静神社の神官を命せられしより明治五年1872神官改正まて奉仕す 明治六年1873五月より西山眞太郎奉仕兼務す 仝十五年高瀬安三郎祠掌を命せられ仝二十五年より高瀬利奉務す
角度がある 市神社
市神社内 嘉永二年1849手水石と記念碑
大きな鈴
本殿
拝殿内額
拝殿内の由緒書 御神木の枝?
本殿彫刻
昭和十八年1943奉納
天水鉢 拝殿付神庫
拝殿絵石畳 武茂城跡へ
静神社解説 武茂城解説
広重美術館脇から 武茂城標識
武茂城案内 新町 奉献静神社大鳥居碑
女坂へ
手水舎 ここからも女坂へ入れる
安永八年1779奉納
倉庫?
社務所?
別雷神社

別雷神社

[わけいかづち神社]

那珂川町・馬頭102

旧地名:那須郡・馬頭町大字馬頭字根古屋
主祭神:天津瓊瓊杵命・熊野大権現 配神:岩倉大人命 境内社:足尾神社・稲荷神社・薬湯神社
正和元年1312創建。元禄三年1690現在地に遷宮,宝暦八年1758再建,慶応元年1865拝殿新築。拝殿格子天井の極彩色四季花鳥図は町指定文化財。
2017年8月4日現在,倒木にまきこまれて損壊,修理中。
昭和四十年1965「煙草神社」石柱は「煙草創栽三百五十年記念」。「煙草創栽碑」
煙草栽培に功績のあった大森鐡之助銅像、台座に嵌め込まれている昭和27年1952表彰の記は時の総理吉田茂による。となりに大正十一年1922弓の名人「藤田重翁之碑」
「足尾神社」
昭和五十七年1982社号標。
本殿裏に「川崎稲荷大明神」「弁天神社」 例祭:9月18-19日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻31丁
那須郡馬頭町大字根古屋鎭座 無格社 別雷皇大神 祭神 天津瓊瓊杵命 祭日三月十九日九月十九日 建物本社間口一間半奥行一間 拜殿間口三間奥行二間 鳥居一基 氏子三百五十戸信徒三千五百人 社掌大久保忠恕仝町住
本社は相州藤澤山遊行上人呑海大和尚正和元年1312七月中諸國巡遊の際下野國武茂村の勝地を撰み藤澤と命名し一宇を草創して藤慶山香林寺と云ふ 其境内に別雷皇大神を勸請し院内鎭護の神となす 抑も此の別雷皇大神は山城國上加茂大神竝に紀州熊野大神を奉遷すと云々
後元禄1688~1704年中水戸源義公の命に依り馬頭村字根古屋の今の勝地に寺宇及神社を遷移し…略…祭祀は香林寺開祖より代々僧侶にて奉祀せしも廿五世相阿賢通和尚の代に至り明治二年1869七月領主水戸源慶篤公の命により寺宇を廃し別雷皇大神へ園田山林とも社領に附替へ…以下略
背後 四季花鳥図
煙草神社
煙草創栽碑 足尾神社
ガマ? 手水石
本殿裏手
弁天神社 川崎稲荷大明神
広重美術館から この奥左手に静神社
向田

向田神社

[むかだ神社]

那珂川町・北向田199

旧地名:那須郡・馬頭町大字向田
主祭神:日本武尊・須佐之男命・大己貴命 境内社:稲荷神社
道の駅馬頭の真裏に鎭座。
御神木の欅は周囲6メートル,樹齢600年。
大正十三年1924に石鳥居か奉納され,昭和59年1984に大鳥居が奉納された。
大正五年1916狛犬。本殿前の神殿狛犬は古そうだが年号は読めず,台座に「市▢衛門當帨直之」
本殿に「向田大明神/武茂天王宮」額。天王宮は維新前の社号で牛頭天王すなわち素盞嗚命を祀る。向田では須賀神社と改称した。
大正四年1915石燈籠。昭和十五年1940旗杭。
詳細は下の『下野神社沿革誌』を。
例祭:10月19日 十四日祭-武茂須賀神社大祭:1月14日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻27丁
武茂村 大字北向田字葭の芽鎭座 村社 向田神社 祭神 日本武命・須佐之男命・大己貴命・事代主命 祭日陰暦正月十四日/六月廿三四日/六月廿六七日/九月十九日 建物本社一間四方 拜殿間口四間奥行三間萱葺 末社九社 一の鳥居木造一基 二の華表石造一基 石燈籠二基 氏子六十戸總代三員 社掌横山鐵五郎仝村大字仝八七番地住
社傳に曰く本社創立は大同二年807にして八劍神社と稱す 元暦1184~85年中那須與市宗隆崇敬の社なり 天文十一年1542武茂城主武茂左衛門尉藤原守綱宇都宮二荒山神社の御分霊を遷座し本社に合祀し示現太郎大明神と改號し大に土木を起し社殿を宏壯ならしめ武茂郷十八ヶ村の總社鎭守神とし祭典も嚴めかしく行ひ且馬頭郭外に神輿渡行ありて(今に毎年六月廿六日馬頭町へ出御の例あり)盛式なりと 后永禄十一年1568藤原朝臣豊綱大檀那となりて拜殿を再築す 元禄年中1688~1704水戸の領地となり中納言源光圀領内巡視の節本社に參籠ありて社號を改め向田大明神と尊崇し神鏡を奉納し(今本社に藏す裏に奉納向田大明神水戸光圀と彫刻あり)神田貳反六畝歩寄附せらる 后享保十八年1733本社再建す 又寛政九年1797九月再建 拜殿は明治廿九年1896再築し宏大美壯となす 神職は天文年間1532~55治部太夫にして貞享年中1684~88新太夫と云ふ 享保年間1716~36より新井氏奉仕す 社域一千五百坪平坦の地にして境内には老槻古杉社殿を圍繞し鬱然として繁茂し深邃にして又優雅なり
迫力のあるケヤキ;
鳥居の上に枝を伸ばしている
拝殿 右手に神輿
本殿
本殿額 神殿狛犬
鳥居建築記念碑
御利益
 
稲荷神社 社殿右手の境内社
 
稲荷神社
夫婦杉
社務所 旗杭
鳥居跡? 鎮座の杜
馬頭230神社

馬頭230の神社

[?神社]

那珂川町・馬頭2302-1

旧地名:那須郡・馬頭町大字馬頭
馬頭公園入口付近の道路沿いに鎭座。何も分からない。推定稲荷神社。鳥居手前に「文政四辛巳年1821二十三▢▢」
ここから北に入ったところに田町の屋台収納庫。
文政四辛巳年1821
宝禅神社

宝禅神社

[ほうぜん神社]

那珂川町・馬頭1728

主祭神:観音大菩薩
平成11年1999創建の氏神社。観世音菩薩が祀られ,多数の観音像が奉納されている。祭壇左右に並んでいる多数の小型のガラスケースにも観音像が納められている。子どもの観音様で幼児の健康を祈願する。
創立の際,日光二荒山神社より招き大黒の額を賜る。
台湾の方が奥様で,なかなかに異国情緒あふれる神社。軒や天井の龍の彫物が見事。
天井の龍

 

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