二渡神社

[にわたり神社]

那須郡那珂川町久那瀬1883

 境内社[八龍神社]

主祭神:伊弉諾尊 伊弉册尊 配神:須佐之男命

境内社に八龍神社(祭神不明),別雷神の加茂神社,金刀比羅神社,不動尊社
八龍神社は境外社説もあり,高龗神との関係も不明。久那瀬1067-2に鎭座。
合併前は馬頭といっていた那珂川沿いの環境抜群の町。道の駅ばとうの南2.6キロあたりにある八溝大橋のすぐ近く。
元亀二年1571創立。安産祈願のため「にわとり絵馬」を寄贈する。
通称にわとり神社。『栃木県神社誌』は[ふたわたり]のルビ,本当だろうか。稲荷神社のある和台坪でお二人にお聞きした限りでは「にわたり」
県内には徳次郎に「鶏渡神社」[にわたり],旧今市轟に「高男荷渡神社」[にわたり],小百に「高尾荷渡神社」[にわたり],岩舟に荷渡神社[にわたし],野木と大平町に「根渡神社」[ねわたり],氏家に「鶏神社」[にわとり],上金井に「鶏鳥神社」[にわとり],新里に「鶏大権現」,芳志戸に「荷渡権現」,鹿沼には,西沢地区に「荷渡神社」,三幸町と見野に「鶏神社」がある。 関東以北では[に][ね][み]の音をあてた漢字を用いる社もある。庭渡,御渡,美渡,子渡,根渡,三渡,見渡など。読み方も変化して[にわたし」[みわたり」などとなる。他に二羽渡・仁和多利・新渡・海渡・三輪足・鬼渡などさまざまだ。 明治十八年の鳥居。石段右手に見事な杉。
拝殿左手に境内社。
「明和四丁亥九月吉日」1767の文字がくっきり残っている手水石。
「奉納御寶前女人・延享四丁卯歳九月拾三人」1747の石燈籠。
本殿:神明造木羽葺 幣殿:亜鉛葺 拝殿:亜鉛葺 例祭:10月最終日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻28丁
那須郡武茂村大字久那瀬鎭座 村社 二渡神社 祭神 伊弉諾命・伊弉冊命/大己貴命 本社間口三尺五寸奥行三尺 拜殿間口三間奥行二間 末社廿六社 氏子八十八戸 社掌横山鐵五郎同村北向田住
本社創立詳かならす 社域三百八十一坪高丘の地にあり 境内には石鳥居屹然として千年の苔滑かなり 夫より八十階の石磴を躋りて廣庭あり 又石磴十二階上りて拜殿に到れは石の燈籠左右に並列し老杉古檜橿の大木ありて雅致掬すへし 社前に地主塚在り 傳へて往古此に本社のありたる處と云へと其來由詳かならす
二渡神社額
二渡神社額 明和四年1767手水石
延慶四年1311石燈籠
藁宝殿 御神木
八龍神社

八龍神社

[はちりゅう神社]

那須郡那珂川町久那瀬1067-2

詳細不詳。すぐ下で那珂川に合流する清流の崖上に鎭座。維新の際に上記二渡神社の境外社にされたと推測できるが,証拠は見つからない。
入口に昭和三年1928馬頭観世音と馬頭尊。昭和十六年1941石鳥居をくぐると左手に明治三十二年1899聖徳太子尊。
昭和十六年1941石鳥居 上りになっている
本殿
境内社
右手裏に境内社
本殿裏手 川幅のある支流
参道右下に那珂川支流 ステンレス旗竿
昭和十六年1941石鳥居
石鳥居奉納記念碑 明治三十二年1899聖徳太子尊
農道から
稲荷神社

和台稲荷神社

[わだいいなり神社]

那須郡那珂川町久那瀬525

祭神:倉稲魂命
和台坪鎭守。昭和56年1981九月九日建築の寄附芳名板書。維新までは正一位和台稲荷大明神と称した。
詳細不詳。
鷲子山神社の杉板使用 本殿 多数の寄附社名
鎮座の杜
向田

向田神社

[むかだ神社]

那珂川町・北向田199

旧地名:那須郡・馬頭町大字向田
主祭神:日本武尊・須佐之男命・大己貴命 境内社:稲荷神社
道の駅馬頭の真裏に鎭座。
御神木の欅は周囲6メートル,樹齢600年。
大正十三年1924に石鳥居か奉納され,昭和59年1984に大鳥居が奉納された。
大正五年1916狛犬。本殿前の神殿狛犬は古そうだが年号は読めず,台座に「市▢衛門當帨直之」
本殿に「向田大明神/武茂天王宮」額。天王宮は維新前の社号で牛頭天王すなわち素盞嗚命を祀る。向田では須賀神社と改称した。
大正四年1915石燈籠。昭和十五年1940旗杭。
詳細は下の『下野神社沿革誌』を。
例祭:10月19日 十四日祭-武茂須賀神社大祭:1月14日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻27丁
武茂村大字北向田字葭の芽鎭座 村社 向田神社 祭神 日本武命・須佐之男命・大己貴命・事代主命 祭日陰暦正月十四日/六月廿三四日/六月廿六七日/九月十九日 建物本社一間四方 拜殿間口四間奥行三間杉皮葺 末社九社 一の鳥居木造一基 二の華表石造一基 石燈籠二基 氏子六十戸總代三員 社掌横山鐵五郎仝村大字仝八七番地住
社傳に曰く本社創立は大同二年807にして八劍神社と稱す 元暦1184~85年中那須與市宗隆崇敬の社なり 天文十一年1542武茂城主武茂左衛門尉藤原守綱宇都宮二荒山神社の御分霊を遷座し本社に合祀し示現太郎大明神と改號し大に土木を起し社殿を宏壯ならしめ武茂郷十八ヶ村の總社鎭守神とし祭典も嚴めかしく行ひ且馬頭郭外に神輿渡行ありて(今に毎年六月廿六日馬頭町へ出御の例あり)盛式なりと 后永禄十一年1568藤原朝臣豊綱大檀那となりて拜殿を再築す 元禄年中1688~1704水戸の領地となり中納言源光圀領内巡視の節本社に參籠ありて社號を改め向田大明神と尊崇し神鏡を奉納し(今本社に藏す裏に奉納向田大明神水戸光圀と彫刻あり)神田貳反六畝歩寄附せらる 后享保十八年1733本社再建す 又寛政九年1797九月再建 拜殿は明治廿九年1896再築し宏大美壯となす 神職は天文年間1532~55治部太夫にして貞享年中1684~88新太夫と云ふ 享保年間1716~36より新井氏奉仕す 社域一千五百坪平坦の地にして境内には老槻古杉社殿を圍繞し鬱然として繁茂し深邃にして又優雅なり
迫力のあるケヤキ;
鳥居の上に枝を伸ばしている
拝殿 右手に神輿
本殿
本殿額 神殿狛犬
鳥居建築記念碑
御利益
 
稲荷神社 社殿右手の境内社
 
稲荷神社
夫婦杉
社務所 旗杭
鳥居跡? 鎮座の杜
二荒山神社

二荒山神社

[ふたあらやま神社]

那珂川町・松野1691

旧地名:那須郡・馬頭町大字松野
主祭神:豊城入彦命・大己貴命 配神:軻遇突智命・伊弉諾命・保食命・木花咲耶姫命 境内社:加茂神社・風之神社(級長戸辺神)・愛宕神社・湯殿神社(大山祇命),以上四社は昭和57年1982から本殿左手の建物に摂社四宮として祀られている。右手奥に山之神宮,他に小川党氏神稲荷神社(保食神)三社・天満宮・龍神宮
大同三年808元年宇都宮二荒山神社より勧請して現在地より平地の城間山下に創建。延喜二年902本社再建。寛政元年1789九月,御神木の巨杉が落雷により焼失したため現在地に遷宮。
江戸期には日光三社大権現と称したというが宇都宮の祭神である。これは坂上田村麿が蝦夷討伐に際し,大同元年806に日光の三神大己貴命,田心姫命,味耜高彦根命を奉祭し創建したという別説が伝わっているところから。
維新に際し権現号が禁止されたので二荒山神社と改称。読み方は宇都宮にならって[ふたあらやま]
鳥居額は平成11年1999に奉納されたが石鳥居造立年は分からなかった。鳥居をくぐると先の方に石段がはるか上方に向かって一直線に延びている。年をとってくると少なからずひるむ光景だが,石段を積み上げた途方もない労力に敬意を払って登る。息は切れるが実に気持ちのいいとろ。最後は左右に石垣が組まれ,立派な社殿が聳えている。 例祭:10月体育の日 子供相撲 境外社八坂神社天王祭:7月第一土日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻31丁
那須郡武茂村大字松野鎭座 村社 二荒山神社 祭神 大己貴神 豊城入彦命 建物本社一間四方 拜殿間口二間奥行九尺 雨覆一棟 末社十一社 木鳥居一基 石燈籠二基 氏子八十三戸 社掌岩村寅之助仝村仝大字住
本社創立遼遠にして詳ならす 往時は日光三社大權現と稱し田村將軍奥賊退治の時本社を以て守護神と崇敬す 延喜二年902十月本殿再建す(此時の氏子は松野村八十四戸入山新田十七戸「今富山」松林新田十二戸「今谷浅見」)天文1532~55年間松野城主八田四郎より上總介資通の代まて本社を以つて氏神と崇敬す 天文十三年1544十月松林新田は別に一社を建て*示現大明神と稱し鎭守と崇む 寛永十八年1641入山も分村して*諏訪明神を鎭守とす(明和六年1769入山村を改め富山村とす)此より松野一村の鎭守とはなりぬ 奉仕は勸請より岩村家にて神職たり 社域四百三十二坪 登ること三町余境内には老杉古樹蔚然として繁生し本社の北側に淸瀧ありて奇巌怪石處々に起伏し飛泉の音▢々として杉風と相和し宛も仙境の如し
*示現大明神は那珂川対岸の那須烏山市谷浅見に鎭座。諏訪明神は当社の東に鎭座。
昭和十二年1937社号標
手水石 昭和32年1957参道改修記念碑 由緒看板
由緒 長い石段
拝殿 平成11年拝殿落成記念
拝殿内 右手
左手 平成11年1999狛犬
明治16年1883石燈籠 右:平成11年拝殿改築記念碑 山之神宮
本殿
左手から 本殿右手裏 本殿左手
本殿左手に石宮 摂社四宮が祀られている
見下ろす


以下は下調べ中で写真まだです。しばらくお待ちください。
諏訪神社

諏訪神社

[すわ神社]

那珂川町・富山701

主祭神:建御名方命 境内社:愛宕神社・稲荷神社・岩根神社(大山祇命)
旧地名:那須郡・馬頭町大字富山
寛永十八年1641松野の二荒山神社より分かれて創建。大正十一年1922十一月に拝殿を新築,平成三年1991九月に拝殿改築。
上記二荒山神社『下野神社沿革誌』の記述に「寛永十八年1641入山も分村して諏訪明神を鎭守とす」とあるのが当社。つづけて「入山新田十七戸「今富山」」と注記しながら当社の解説では「本社創立詳ならす」とされてしまった。
しかし例祭に奉納される「ささら獅子舞」は『栃木県神社誌』平成18年版では「寛永十四年1637より奉納されている」とあり,同書で「寛永十八年1641創建」と矛盾する。まあ大差はないが。分社の前から諏訪明神の小祠があったかもしれない。
獅子舞が奉納されていたのは二荒山神社かもしれないし,年号の誤りかもしれない。
神社調べはほんとうに難しいのである。
例祭:10月第一日曜日 
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻28丁
那須郡武茂村大字東富山鎭座 村社 諏訪神社 祭神 建御名方命 建物本社間口三尺五寸奥行三尺 拜殿間口三間奥行四間 氏子百十二戸總代四員 社掌黑崎登喜壽烏山町住
本社創立詳ならす 往古より一村の鎭守神にて社域四百七十九坪を有し高燥の地に在り 神橋を渡れは十三階の石磴を踏み華表を潜り又三十余の石階を登れは本社に達す 本社に廻らすに石垣を以てす 境内には神池あり 又古杉老樹及ひ里俗觀音櫻と稱するものあり 此の櫻は花中に葉を生し世に珍しきものなりと云へり


*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻28丁
●武茂村
本村は久那瀬,松野,東富山、北向田及三川又の舊五村を合せて明治二十二年町村制實施に當り西武茂村と稱し一の自治區をなせしか同廿四年中武茂村の馬頭町と改稱するに及ひ本村も又同廿八年に至り西の一字を削り單に武茂村と稱するに至れり 其幅員東西廿八町南北二里十町にして東は鷲子山脈を以て限り其脈西走して南北二面を圍繞し地勢極めて高峻なり 西方一帯那珂川を以て限り七合村と界を接せり 村民朴直にして農業専ら勤勉の風あり
古來の沿革に付ては往時共に水戸藩領に属せしか明治維新后に至り宇都宮縣所轄となり次て栃木縣に属し第三大區大小區に編入せられ一戸長役塲の所轄に歸し次て町村制實施に當り更に新自治体をなすに至りしなり
本村には村社六社及ひ十數三百九十余戸人口二千六百二十人を有せり

 

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