示現

示現神社

[じげん神社]

那珂川町・小砂1558[こいさご]

旧地名:那須郡・馬頭町大字小砂
主祭神:大己貴命 配神:事代主命 境内社:鳴神神社(別雷皇大神)・大六天神社・浅間神社
大治四年1129の創建。永禄1558~70年中兵火で焼失,小祠を再建するも長らく中央に認めてもらえずに零落していたが,昭和二年1927拝殿等社殿を改築し,幣帛神饌供養指定村社となった。昭和四年1929に創立800年を記念して現在地に遷宮。
昭和四年1927社号標は二年1925に幣帛神饌供養指定紀念。石段左手に忠魂碑,右手は昭和三年1928八百年祭昇格報告祭記念碑,いずれも藤田甚三書。うしろに熊野山,細字がたくさん刻んであるが読みにくい。
本殿に上がる石段手前の広前にはカシの巨木が聳えている。境内のカシ林叢は町の天然記念物指定。左手の石宮は別雷皇神社。天保九年戊戌1838石燈籠。
拝殿前に昭和九年1934石燈籠。大黒様は写真の解説板を。
拝殿額は出雲大社宮司八十二代千家尊統謹書。
少し南に離れた道沿いに昭和十八年1943旗杭。
栃木県は益子焼が有名だが,のどかな山間の田園地帯で焼かれる小砂[こいさご]焼きのファンも多い。そばの陶里庵もおすすめ。
例祭:10月30日 八雲神社例祭:7月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 十二社大明神 白久 明光院
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻33丁
那須郡大山田村大字小砂鎭座 村社 示現神社 祭神 大己貴命/事代主命 祭日陰暦三月九日 建物本社六尺奥行四尺八寸栃葺 雨覆間口三間奥行三間杉皮葺 拜殿間口三間奥行二間萱葺 末社四社 木鳥居一基 石燈籠二基 氏子百二十戸總代三員 社掌和地武之助仝村大字仝八七番地住
社傳に曰く本社は大治四年1129の創立にして下野那須神田館主淡海公十四世の孫首藤權守藤原貞信の勸請にして其裔孫世々崇敬し社領を寄附せらる 后宇都宮國綱の男彌五郎金綱武茂庄を領し馬頭に館を造營し領内巡視の節本社に詣て舊記を閲し社殿を再興し且神田を附し氏神と崇敬す 降りて守綱佐竹氏に属し永禄1558~70年中那須修理大夫資晴と不和となり遂に戰闘を開きし際本社兵燹に罹り寳物舊記等灰燼に歸す 依て氏子村民の力に依り一小祠を再建す 慶長1596~1615年中豊綱佐竹義重の命により常陸の大賀邑に所替となり程なく佐竹義重も羽州秋田へ國替となる 后本村検地役人伊奈備前内藤修理之進長谷川七左衛門嶋田次兵衛本社の舊記及社領証文等尋問あれとも往古兵火にて焼失したる趣申立るも相立かたく遂に社領歿収せらる 此時武茂庄は水戸領地となる 亦訴ると雖も許されすして如此零落の小社となれり 噫興廢は免れすとは蓋し悽愴なる哉 社域五百四十五坪大字小砂の中央高倉山の山麓丘陵の上に在り 一等里道は本社の西に沿ひ石磴四段にして階級百拾余階を躋りて拜殿に達す 本社の直裏は懸崖十數尺にして奇觀たり 境内には古杉巨檜老樹鬱蒼として繁り晝尚暗く常に異鳥の棲息しあるを見る 眺望佳勝ならさるも森巌高雅にして神威の魏々たるを覺ゆ
社務所
八百年祭昇格報告祭記念碑
熊野山 文字が刻まれている
別雷皇神社とカシ 手水石
出雲大社宮司の書
鮮やかな着色
暗いのでこれが限度
拝殿前の石畳
大国主命
拝殿左手 見事な根張り
社号標とカヤ 南の道路沿いの旗杭 文字は消滅
篠尾

篠尾神社

[ささお神社]

那珂川町・大山田下郷1390

旧地名:那須郡・馬頭町大字大山田下郷
主祭神:素盞嗚命 境内社:八雲神社
大山田下郷131に八雲神社。
例祭:4月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻34丁
那須郡大山田村大字大山田下郷鎭座 村社 篠尾神社 祭神 素盞嗚命 祭日陰暦三月十五日 建物本社間口五尺奥行四尺栃葺 拜殿間口三間二尺奥行三間萱葺 末社十二社 木鳥居一基 石燈籠二基 寳物古鏡一面鉾二本 氏子百十四戸總代佐藤忠夫矢内卯之吉益子龍次郎 社掌益子定次郎仝村大字仝百十四番地住
社傳に曰く本社は那須國下川の邑と唱へし頃嵯峨の武臣大山太郎元信と云へし人本地に來りて原野を開き家屋を経營し能く人民を撫育繁殖し遂に村名を改めて武茂郷大山田とす 其時大山太郎平常信仰する出雲なる素盞嗚命ほ奉祀せんと益子某(益子氏祖先)を出雲に使はして篏川上に棲める大蛇を討亡したる尊の分霊を奉戴し大山田の淸地に鎭め奉る 故に八俟山八雲の森と云へ又大蛇の尾を割し所以を稱へて篠尾大神と稱し奉りて大山氏代々崇信せりと…略… 社域百十坪(外一千七坪境内編入願中)高丘の地にありて西は高倉山に連脈し南は石打山に聳ひ北は愛宕山に接す 東は小野崎の舊館龍海山(里俗龍害叉は要害山と云)あり 境内には古杉老檜樫榊譲木あり 滿山落々として生ひ繁り其の間に古櫻ありて春は亂發し艶雪香雲凝て流れす 亦馬塲先には武茂の淸流滾々として耳を洗ふか如し 實に山水明媚の一佳境なり
上逎神社

上逎神社

[かみの神社]

那珂川町・大山田上郷939

旧地名:那須郡・馬頭町大字大山田上郷
主祭神:木花開耶姫命
篠尾神社の分社だった。「上篠尾大明神」と称し,宝暦三年1753に「三方大荒神」と改称,維新に際し「上逎神社」と改号した。
例祭:4月第9-10日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻34丁
那須郡大山田村大字大山田上郷二渡の森鎭座 村社 上廼神社 祭神 素盞嗚命 祭日陰暦二月廿八日/九月廿八日 建物本社間口五尺奥行四尺栃葺 拜殿間口三間奥行二間萱葺 末社五社 寳物古鏡一面鉾二本 氏子九十六戸總代谷田部徳三郎澁井斌藤田太郎兵衛益子實益子剛 社掌益子定次郎仝村大字仝百十四番地住
本社勸請年月遼遠にして詳ならす 口碑には八雲の森乃分社にして往古は上篠尾大明神と稱せしも寶曆三年1753より三方大荒神と改稱したるも王政維新に際し上廼神社と改號し村社に列せらる 奉仕は益子氏世襲たり 社域四百八十八坪平地にして境内には老杉若杉槻の古木は森々として社殿を擁し梅櫻互に枝を交へて馬塲を夾み花時には滿地雪に埋るゝ如く人を撲て來り眺望絶佳なり


*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻33丁
●大山田村
本村は大山田下郷、大山田上郷、及ひ小砂の舊三村を合せて一自治區となせしものにて其幅員東西一里廿四町南北四里廿四里あり 而して西方の一面漸く開けて那珂川に望み他の三面は山岳重畳して之を限り地勢險夷相半し武茂川村内を流る 村民農耕を業とす且つ古來陶器及ひ葉烟草の名產地たり
古來の沿革に付ては維新前は共に水戸藩領に属し維新后更に栃木縣の所轄となり第三大區六小區に編入せられ更に又數次の変遷を經て大山田上下郷と小秒と二戸長役塲に分れ次て町村制實施に當り合して一村となし以て今日に至れり
本村には村社三社及ひ戸數三百六十余戸人口二千九百余人を有す 殊に珍らしきは大山田下郷武茂川の東岸字幌附と云ふ所に天然に成れる陰門の形石ありて里俗岩姫と稱し又御寶石と呼ふ

 

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