浅間

浅間神社

[せんげん神社]

那珂川町・吉田64 吉田富士山古墳

旧地名:那須郡・小川町大字吉田
主祭神:木花開耶姫命
吉野工業入口に案内板が立っている。吉野工業の敷地内に鎮座するので,参拝の前に事務所に立ちよって名簿に住所氏名を記入する必要がある。親切に対応していただいたうえにA4サイズ4ページの古墳解説パンフレットを頂戴する。構内はおどろくほどきれいに整備され手入れが行き届いている。
浅間神社は吉田富士山古墳の頂上に鎭座。鳥居はなく,代わりに例祭日に青竹二本を立てて聖域とする。
当古墳は方墳で周囲に堀を廻らせてある。東すぐ裏手に那珂川。150m北の那須八幡塚古墳は前方後方墳。
詳細は古墳の解説案内板写真をご覧ください。
例祭:8月第一日曜日
石段 本殿
正門入口方向
神社手前の解説板 精進淵
史跡富士山古墳 那須八幡塚古墳標識 堀を見下ろす
吉野工業正門前 正門入口の案内板
富士山古墳標識 遠くに石段 實によく整備されている
北方 西方 千手観音
千手観音解説 那須八幡塚古墳
那須八幡塚古墳
那須八幡塚古墳 那須八幡塚古墳の石宮
稲荷

神田稲荷神社

[かんだいなり神社]

那珂川町・三輪9 那須神田城跡

旧地名:那須郡・小川町大字三輪
主祭神:倉稲魂命
西側の「史跡那須神田城跡」標識から薮に入ってしまったところ,道もなく左は深い堀になっていて社殿の影は見えるのだが橋がないととても無理。しばらく迷って一の鳥居を見つけて堀を渡る。
900年ほど前に藤原貞信が賊徒岩嶽丸を成敗した際に神田明神より勧請して氏神として創建。その後那須家衰退し永承年間1046~53野火で焼失,時を経て弘化四年1847三輪村の民が神寄せを行ったところ城狐が現れ,城内に祀れとの託宣があり,翌嘉永元年1848城塁北側中央に小祠を建立した。大正五年1916に現在地に拝殿を新築,昭和63年1988に改築した。
社殿に昭和63年1988の額が取り付けられていて「神田穂喜与稲荷」とある。詳細は写真をご覧ください。 例祭:2月初午
一の鳥居額 那須神田城跡解説 二の鳥居
二の鳥居 石燈籠二対 拝殿
きつね狛犬 正一位神田稲荷 神田穂喜与稲荷由来
御利益 本殿
大山祇命が祀られている
一の鳥居
鳥居をくぐって堀を渡る 西の石標
神田城解説 社殿の影が見えるが ここを入ってしまった
大塚稲荷

大塚稲荷神社

[おおつかいなり神社]

那珂川町・小川2965-8 駒形大塚古墳

旧地名:那須郡・小川町大字小川
主祭神:倉稲魂命
駒形大塚古墳頂上に鎭座。詳細不明。
例祭:?月?日
本殿 朱鳥居 頂上平坦部
公園方向 昭和54年1979古墳碑
駒形大塚古墳解説 昭和52年1977碑
石段で上れる 小川中学校
別雷

別雷皇神社・摩多羅神社

[べつらいこう神社]

那珂川町・三輪74

旧地名:那須郡・小川町大字三輪
主祭神:別雷神
権津川左岸,大昭橋脇に鎭座。道路からは神社のように見えない。橋から川沿いに南に行って振り返ると鳥居が見える。[べつらいこう]と呼んでいいかどうか悩むところ。水戸の別雷皇大神社にならったが。
摩多羅神は円仁が海難に遭った際に出現,阿弥陀如来の守護神。有名なところでは日光山輪王寺常行堂に祀られている。源頼朝が藤原泰衡討伐に際し日光山に祀ったのが摩多羅神であるという伝説があって,摩多羅神は後年頼朝の化身とされる。
国土地理院の地図に神社マークが付いているが文字資料は見つからない。二社の額が掛けられた当社の呼び名はいまのところ不明。賀茂別雷神社が有名社で川の辺にあるので単に雷電宮かもしれない。
左右均等
別雷皇神社は鈴付き
別雷皇神社 摩多羅神社
手水石 権津川方向
アカシデ
権津川

 

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