健武山神社

[たけぶやま神社]

那珂川町・健武2302-1 たけぶ

旧地名:那須郡・馬頭町大字馬頭字健武
主祭神:日本武尊・金山彦命 境内社:秋葉神社(軻遇突智命)・大杉神社・稲荷神社・八坂神社・三峯神社・天満宮
大同元年806創建。
下野国で正史に最初に記録されたのが健武山神社で『続日本後紀』承和二年835の条,ついで宇都宮の二荒山神社が承和三年836の条,同じ那須郡の那珂川西に鎮座する三和神社は三番目に中央の記録に残った。
  『続日本後紀』承和二年835二月二十三日の条「下野國武茂神奉授従五位下 此神坐採沙金之山」
砂金が採れることから金山彦命を祀った。
92年後の延長五年927に編纂された『延喜式』には下野十一社が記録され,「那須郡三座並小 健武山神社 温泉神社 三和神社」とある。
健武の小字名に「武部」と「土宮」があった。当社はその間に鎭座。
本殿右手の境内社覆屋に嘉永五年1852奉遷營秋葉大明神,大杉大明神,稲荷大明神,文化x年天満宮神札。
玉垣手前左手八坂神社。
昭和十八年1943狛犬。明治四十五年1912社号標に「延喜式内郷社健武山神社」
御神木の杉は樹齢300年ほど。境内には巨木がごろごろ生育している。
例祭:4月3日 どんと焼き:1月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
健武山神社 建武山神社(那須郡武部)大泉院(今は水戸領)
*『下野掌覧』万延元年1860 那須郡之部
健武山神社 武部村ニアリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻29丁
那須郡馬頭町大字大字健武字武部鎭座 郷社 健武山神社 祭神 日本武命/金山彦命 建物本社間口一間三尺奥行一間一尺 拜殿間口三間奥行二間萱葺 神門本社の前にあり 木鳥居一基 石燈籠二基 石磴本村木村與惣兵衛飯塚善左衛門外氏子奉納 末社四社 氏子百二十五戸 社司欠社掌今瀬富次仝村仝大字住
本社創立遼遠にして詳ならすと雖も延喜式内下野十一社にして有名の神社たり
社記に曰く本社は承和二年835五月丙子下野國武茂神に従五位下を授く 此神座は採砂金山にありと續日本後紀に見へたり 今尚本社砂金山の中腹に鎭座し衆庶尊信の社なり 往古本社は武茂郷に属し以て水戸領邑にあり 源烈公殊に崇敬して弘化元年1844正月を以て那須郡に在る水戸領十八ヶ村の總鎭守と定めらる 社域七百八十五坪高燥の地にして北には健武山聳立し西には宮澤川溽流し前には武茂川の清流滾々として日夜鐺鞳せり 境内には老杉古檜槻の大木雑然として繁茂し古雅に富み頗る風色愛すへし
道路沿いの石垣 鳥居下から 玉垣
美しい石積
案内板横の巨杉
拝殿
拝殿額
本殿 千木つき
本殿正面 優美な本殿
本殿外左手 本殿から見た拝殿屋根
拝殿に接して神輿舎 ガラス越し
神輿下の巨杉の切り株 石段左手の巨杉 石燈籠一対
文字は読めない
手水舎建立寄附者芳名 玉垣から水が引かれている
古い手水石 昭和十八年1943狛犬
本殿右手に境内社覆屋 神庫 鳥居方向
玉垣石段左手 八坂神社
鳥居右手の巨杉 鳥居右手
道の駅から52号線を東進して風景が山間部に変わってほどなく左手に石垣と鳥居が見える。昭和43年1968の鳥居の土台に「明治百年記念・境内植樹杉五百本」と刻んである。明治四十五年1912社号標に「延喜式内郷社健武山神社」,左手の自然石の社号標には「當國十一社・健武山神社」とある。この自然石は年号が読み取れないが,もしかすると栃木の古い字形で「杤木町」と刻まれているかもしれない。はっきり読み取れないので次回と思っていたところ,後日,三和神社に同じ三店糸屋万屋穀屋が「杤木町」の字形で「下野十一社三和神社」の社号標を奉納しているのを見つけた。年代不明だが江戸から昭和12年までのどこかで,現在の栃木市に店を構えた三商家が共同で那須郡の式内社二社に社号標を奉納した。
小生の見方が悪いのか三和も健武も,この貴重な社号標の奉納年が見えない。お分かりの方ぜひご教示ください。
なお下総国結城郡に属した高椅神社が下野国都賀郡に編入されてから下野の式内社は十二社となる。元禄九年1696のこととされる。では「下野十一社」と刻むと元禄以前かというと,そう単純ではない。延長五年927に編纂された神名帳を書き換えるわけにはいかないからである。1800年頃成立の『鹿沼聞書・下野神名帳』も「神名帳十一社」の記述につづいて「式内十一社」をわざわざ記載しているにもかかわらず,高椅神社は加えていない。
万延元年1860編纂の『下野掌覧』も「延喜式ニ載セタル當國十一座」で高椅神社は「九郡式外鎮座」都賀郡之部に記載している。
「背の高い石柱は昭和56年1981建立の「古代産金の里」碑。解説の石碑をご覧ください。
向かいの武茂川沿いにゆりがねヤナがあるが残念ながら時間外で塩焼鮎を食べ損ねた。
52号線から
延喜式内郷社武部山神社 鳥居から本殿 鳥居土台の文字
社号標は鳥居右下 社号標 表面
當國十一社の文字 裏面に杤木町の三店名 杤木町
文字なし 鳥居左手 産金の里碑方向
古代産金の里碑 産金の里解説
岩姫神社

岩姫神社

[いわひめ神社]

那珂川町・健武2302-1 たけぶ

旧地名:那須郡・馬頭町大字馬頭字健武
武部山神社から52号線を西に少し行って左に入った川沿い。すぐ下に武茂川の清流が。
詳細不詳だが,拝殿内額に小さく「岩姫権現」とある。江戸時代の呼称で,維新に際して岩姫神社と改称した。
寄附芳名板書の単位が銭で,単独の寄付者名の額は百円。
昭和十年?1935狛犬一対。手水石もある。
拝殿は倒壊寸前だが,本殿はまだ健在。
南隣りに立派な狛犬が岩姫神社を向いて建っている。つまり狛犬の先に社があるはずだが,民家があるだけ。近づくと神社跡がある。いまとなっては何も分からない。
狛犬台座に「昭和六年1931旧三月二十八日建立・石工飯塚保一・左官朝倉市太郎」
『下野神社沿革誌』の大山田村の項に「殊に珍らしきは大山田下郷武茂川の東岸字幌附と云ふ所に天然に成れる陰門の形石ありて里俗岩姫と稱し又御寶石と呼ふ」とある岩姫と関係あるか?ほろ村からだいぶ離れるが。
奥に本殿
銭単位の寄附
岩姫権現
南隣りに狛犬 昭和六年1931狛犬
本殿か?
車のところに岩姫神社


*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻29丁
●馬頭町
本町は町村制實施に當り始て武茂村と稱せしか明治廿四年中改めて馬頭町と唱へしものにて馬頭,矢又,健武,和見及ひ小口の舊五村を合わせしものにて其幅員東西一里十五町南北二里にして舊馬頭は舊各村の中心をなして一小市街をなせり 各部落は東北に在り 地勢岡陵起伏し土地自ら高燥にして武茂川其中央を流れ舊馬頭は商業繁盛の地にして風俗活發なるも他の大字部落は農耕を専業とし風俗敦厚なり 物產は葉烟草及ひ蒟蒻精粉等多く產出せり
古來の沿革に付ては往時は各村とも水戸藩領にして明治維新后廢藩置縣の令出るや明治四年十一月宇都官縣の所轄となり同年七月栃木縣に属し第三大區五小區に編入せられ後數次の変遷を經馬頭矢又及ひ健武の三村は一戸長役塲に他の二村は別戸長役塲に分属せられ次て町村制實施に及ひ和見小口の二村を合せて一自治体をなし武茂村と稱せしを后改めて今の本町となるに至りしものとす
本町には延喜式内郷社及ひ鷲子山上神社別雷皇大神の所在地にして往古より有名の神社なり 其他村社二社ありて戸數七百十余戸人口四千五百十余人を有せり

 

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