三箇神社

[さんが神社]

栃木県那須烏山市三箇1273

旧地名:那須郡南那須村三箇[さんが]
祭神:火産霊命 配神:大己貴命・大山祇命・倉稲魂命・豊受姫命・天神七代・地神五代・譽田別命・大物主命・大日孁貴命・磐裂神・根裂神・別雷神
293号線で喜連川の町を抜け,鍬柄坂下三差路を右折,葛城の神明宮前を過ぎて3キロ先を左折してすぐ。
入江野,塙,戸田の三村が明治七年に合併して三箇村となった。大正三年に塙の愛宕神社(文政十二年1829創立)と戸田の三島神社(天明六年1786創立)と入江野の湯泉神社の三社を合併し,翌四年三箇神社と改称した。主祭神の火産霊命は愛宕神社の祭神であった。
大正九年の記念碑には合併許可の大正三年に三箇神社となったと刻んである。。
切り株断面に「至福の手形」が彫ってあり,左手を当てて願い事をすると叶う。すばらしい。
例祭:10月17日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 湯泉大明神 入江野 高野左近
*『下野掌覧』万延元年1860 那須部之部
湯泉大明神 入江野村鎮座 祭主高野氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八16丁
那須郡下江川村大字三箇字中代鎭座 村社 三嶋神社 祭神 大山祇命 建物本社間口二尺奥行三尺 末社三社 氏子二十四戸
本社創立は天明六年1786にして社域百七十二坪を有す(三箇は往古入江野塙戸田の三村なりしか維新の際合併して三箇村と改め明治六年1873各社を以て村社に定む)
那須郡下江川村大字三箇鎭座 村社 愛宕神社 祭神 火産霊命 建物本社間口一尺三寸奥行一尺三寸 拜殿間口三間奥行二間 末社七社 氏子六十六戸
本社は文政十二年1829三月八日の創立にして社域三百六十六坪字東にあり
那須郡下江川村大字三箇字堀の内鎭座 村社 湯泉神社 祭神 大己貴命 建物本社間口一尺八寸奥行三尺 拜殿二県四方 氏子十五戸
本社創立不詳 社域四百八十二坪を有せり
平成16年三箇神社建築記念
由緒書きが書かれた記念碑 至福の手形 震災で倒壊した鳥居跡
裏手に小さな鳥居

三箇には古記録にさらに二社記録が見える。現在社は不明。三箇神社の北西にある松源寺は「塙の天祭」で有名。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 十二所大明神 塙村 松源寺
*『下野掌覧』万延元年1860 那須部之部
正八幡宮 塙村鎮座 祭主松源氏ナリ

鹿島

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県那須烏山市藤田1243

旧地名:那須郡・南那須村大字藤田字明神
祭神:武甕槌命 配神:木花開耶姫命・大物主命・素盞嗚命 境内社:稲荷神社
293号線で喜連川の町を抜け,鍬柄坂下三差路を右折して葛城の神明宮前を過ぎ,三箇神社の2キロ先の道路沿い左手に鎮座。寛永十二年1635の創建で,地名をつけて藤田鹿島神社と表記することもある。
鳥居の一直線先に石段があり,かつてはこの上に鎮座した。現在の拝殿は鳥居の左手の広前にある。以前は社務所があって寄合いに使用した。山腹の本殿に手が回らなくなり,老朽化していたので,平成26年2014拝殿を建て,本殿も新築した。本殿のあったところには,平成六年1994に遷宮していた稲荷神社の小さな祠を祀った。
旧本殿は間口一間奥行一間流造木羽葺,拝殿はトタン葺間口五間奥行二間。石造の鳥居が二基あったが震災で倒壊し一基は銀色の鳥居に変わった。石段のところには鳥居跡が見える。
配神三神は合祀政策により明治四十年1907配祀。
8月10日に町内を巡行する神輿が拝殿内右手に保存されている。
天保十一庚子年1840,天保十二辛丑天1841石燈籠。
昭和三年1928狛犬。昭和49年1974旗竿。
鳥居左手に明治十四年1881熊野山,明治三十七八年1904-5日露戦約記念碑,大正十年1921熊野山。大正九年1920庚申塔。 裏面を無残にひっかかれた昭和43年1968明治百年記念碑。
例祭:10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 鹿島大明神 藤田 斎藤左京
*『下野掌覧』万延元年1860 那須部之部
鹿嶋大明神 藤田村鎮座 祭主齋藤氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八16丁
那須郡下江川村大字藤田鎭座 村社 鹿嶋神社 祭神 武甕槌命 建物本社七尺四方 末社二社 氏子七十四戸
本社は寛永十二年1635九月二十八日の創立なり社域五百七十六坪字明神下に在り
星宮

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県那須烏山市南大和久687

旧地名:那須郡・南那須村大字南大和久字神前
祭神:磐裂命・根裂命 配神:猿田彦命・水速女命・木花咲耶姫命・少彦名命・火産霊命
藤田鹿島神社から223号線で1.7キロ,南大和久の交差点を300m南下するとステンレスの旗竿が見える。そば処宮下の奥に昭和五十二年1977の石鳥居。草野参道を行くと石段になり上方に社殿が見える。上ってみると間口の広い拝殿で,近づくと写真では全容が映らない。昭和30年1955狛犬。
寛政二庚戌年1790石燈籠。
拝殿左手奥に宝暦二年1752か元年1751の「奉供養石檀西國/秩父/坂東巡礼 福?原三十六人」石塔。
本殿右手には石祠の屋根と藁宝殿。
本殿脇は塚のように盛り上っている。 例祭:10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 星宮大明神 大和久 地福院
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-16丁
那須郡下江川村大字南大和久鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂命・根裂命 建物本社間口四尺五寸奥行五尺五寸  末社二社 氏子三十八戸
本社創立不詳 社域三百二十二坪を有せり
荒川

荒川神社

[あらかわ神社]

栃木県那須烏山市田野倉1

旧地名:那須郡・南那須村大字田野倉字宮ノ内
祭神:豊玉比咩命 配神:天兒屋根命
大同二年807創建の古社。荒川が大金温泉グランドホテル手前で大きく180度カープする急峻な岸壁の上に鎮座。本殿背後は岩が崩れ,ほぼ直角に落ち込んでいる。本殿左手は小さな広場が形成され,社殿跡が残っている。
八龍神社と称した。元暦元年1184,寛永十一年1634,元禄七年1694に再築したことが分かっている。 かつては総欅の両部鳥居だったが平成七年1995石造の両部鳥居に建て替えられている。
大正三年1914に大字岩子の春日神社(天兒屋根命)を合祀し,荒川神社と改称。大正五年1916社号標は「村社荒川神社」。拝殿額は上段に「八竜神」を,下段に「日光大神・鹿島大神」を併記。『鹿沼聞書・下野神名帳』に田野倉と岩子の鹿島大明神が記録されている。
昭和十一年1936,平成十七年2005石燈籠。昭和十一年1936狛犬。
鳥居右手に昭和三年1928勝善神,平成九年1997御影石の社誌。
鳥居左手に神官を勤めた齋藤義丸東山の大正十年1921建立の頌徳碑。
本殿左手に南那須町名木百選・田野倉荒川神社のかし。
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-17丁
那須郡荒川村大字田野倉鎭座 村社 八龍神社 祭神 豊玉比咩命 祭日陰暦九月十九日 建物本社間口九尺奥行二間 拜殿間口三間奥行二間杉皮葺 末社二社 木鳥居一基 氏子三十戸總代三員 社掌齋藤繼定仝村仝大字五番地住
本社勸請は大同二年807にして再建は元禄元年1688なり 后寛永十一年1634十一月又元禄七年1694なり 拜殿再築は明治二十一年1888なり 往古より一村の鎭守神にして明治五年1872村社に列せらる 神職は往昔より齋藤家奉仕せり 社域五百四十五坪にして田野倉の極東に突起せる一小丘にして平地より高きこと一町にあり 境内には老杉古樹亭々として蓊蔚し後は荒川の激流滾々として其麓を流れ断崖絶壁削るか如し 奇巌突出將に落んとして河中に望むり 又本社の西に有名なる瀧ありて榮出の瀧と稱す 瀧に望めは岩滑かにして苔封み冷風颯として衣を吹徹し飛沫面を侵して三伏の候と雖も寒冷肌に迫り直に落ちて匹練の如く岩にくたけては珠玉の亂れ飛ふに似たり 此瀧は本村大字鴻野山長者ケ原より源出する長者川の下流荒川の落口にして滝壷に男釜女釜の淵ありて旱魃の時此淵の水を汲むときは必す雨降ると言傳ふ 殊に此境は眺望に富み且山水明媚にして那須郡屈指の社なり
  瀧間に神祠を祀れるを古人の詠したる國詩あり
  梅雨つもり漲り落つる田野倉の瀧の岩間に神そと〻まる
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-19丁
那須郡荒川村大字岩子鎭座 村社 春日神社 祭神 天兒屋根命 建物本社間口二尺奥行三尺 氏子二十四戸 本社は元文五年1740正月の創立にして一村の鎭守神たり 社域百十六坪字西鎭に在り
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 鹿島大明神 田野倉 斎藤伊織
那須郡 鹿島大明神 岩子
*『下野掌覧』万延元年1860
那須郡之部 鹿嶋大明神 田野倉村鎮座 祭主齋藤氏ナリ