塩原八幡宮

[しおばらはちまんぐう]

栃木県那須塩原市中塩原11

旧地名:塩谷郡塩原町大字中塩原字御殿11
主祭神:譽田別命 配神:素盞嗚命・大山祇命・源有綱公 境内社:稲荷神社・若木神社(木花咲耶姫命)・有綱神社
下記の『下野神社沿革誌』では境内地881坪と記録されたが,『栃木県神社誌』昭和39年版では1,059.46坪,境外地9426坪と書かれている。想像しがたい広大さだ。また二本の杉の巨木の樹齢は1,000年と記録している。
『栃木県神社誌』平成18年版では1,035坪。
現在の社殿は宇都宮藩主戸田越前守によって寛政十年1798に再建されたもの。
塩原八幡宮総代会による杉の樹齢は近年の調査で推定された1,500年を解説板に記している。栃木県一の巨樹で通称逆杉。国指定天然記念物である。1,000年の根拠は有綱の植えた二株の伝承による。しかし実際に目の当たりにすると千年ではここまで育たないのではないかと思う。杉の南側は山になっており,長寿の泉が湧き出ている。日当たりはよくない。秋口からかなり冷え込む。じっくりと時間をかけて今日の威容を形成してきたのだろう。すでに500年とか800年を経ていた巨木の脇に神社を創建したと推測する。雄杉は,四畳半ほどの敷地いっぱいに40mの高さまで幹がどんと聳えている,といえば伝わるだろうか。「那須塩原の文化財」に詳しい。
樹齢250年の栃ノ木は残念ながら枯死してしまった。
例祭:9月15日 中塩原平家獅子舞
*『下野神社沿革誌』7巻36丁 明治三十五年1902
鹽谷郡鹽原村 大字中鹽原鎭座 村社八幡宮 祭神 譽田別命 祭日十月六日 建物本社間口一間奥行同 拜殿間口四間奥行二間 末社五社 木鳥居一基 社務所一棟 氏子百四戸
本社創立は大同二年807なり 後治承年中1177-81鹽原八郎の再建にして當時源三位頼政の嫡男仲綱の子伊豆冠者源有綱臣渡邊某と共に遁れ鹽原八郎家忠に依り潜居す 有綱武運の拙なきを患ひ本社に武運回復を祈り杉二株を献納す 後文治五年1189中鎌倉兵と戰ひ遂に戰死すと雖も二株の杉は今尚存して周圍共に四十尺に過き枝は垂れて地を掠めんとし其幾百年を經たるを知らす俗に逆杉と稱す 後承應三年1654奥平美作守崇敬して本社を再建す 爾来中上鹽原村の鎭守神たり 社域八百八十一坪頗る高燥の地にして石磴九十階を登れは境内には古樹若杉森々として晝尚暗く本社の前には石の燈籠及ひ神池ありて其水清く澄み四方の山容秀麗にして東には箒川の清流を控ひ實に山水明美の地なり

本殿 夫婦杉とも呼ばれる
拝殿内 正一位正八幡宮
本殿 本殿解説
境内案内
大栃の切株 太郎稲荷神社
太郎稲荷・昭和九甲戌年1934
塩原八幡宮縁起 有綱神社
一夜竹 神水方向 遷座改修社殿全景の図
若水の滝 若水神社
滝の上方に石像 とちぎ名木百選・逆杉看板
粟島神社

粟島神社

[あわしま神社]

栃木県那須塩原市上塩原1018

上記八幡宮の東,400号線沿いの橋のたもとに鎮座。平成14年2002石鳥居。栃木県には「粟島神社」は他に見当たらない。ここ以外に唯一分かっているのは宮小来川の黒川神社の境内社のみ。米子の粟嶋神社の祭神は少彦名命。関東では千葉県白井市に鎮座している。詳細不詳。


資料

那須塩原市の神社資料

温泉神社

[おんせん神社 古町]

栃木県那須塩原市・塩原2434←下塩原755

主祭神:大己貴命 少彦名命 境内社:稲荷神社・若水神社(木花咲耶姫命)・八坂神社
『下野神社沿革誌』に下塩原で記録され,『栃木県神社誌』昭和39年版に下塩原755で収録された社に相当するだろう。明治の境内域182坪,昭和198坪,現在社域164坪で近似値。本社の大きさが明治期間口五尺三寸奥行四尺七寸,昭和期間口五・三尺奥行四・七尺で完全一致,境内社三社が一致するので塩原2434を現在社と決定した。
ただし『栃木県神社誌』平成版では建久年間1190~99創建となっていて現在社の特定に悩まされた。これは原稿段階の錯誤と思われる。
「温泉神社と古町」由緒書には「元久元年(七七四年前)当地に創建」とあり,櫓声庵馬泉,茂山の碑もある。
例祭:9月19日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-36丁
鹽原村大字下鹽原鎭座 村社 溫泉神社 祭神 大己貴命 少彥名命 祭日十一月十八日 建物本社間口五尺三寸奥行四尺七寸 拜殿間口三間奥行二間 末社四社 氏子二十二戸 本社は元久元年1204の創立にして后天正六年1578領主越前守の再建なり 后元和六年1620本田上野介改築す后明曆二年1656奥平美作守修理を加へり 享保七年1722より戸田山城守代々崇敬して修繕怠たらす 社域百八十二坪字古町の西山麓に在り 境内瀟洒の地にして石の反橋を渡れは木華表及ひ石の燈籠左右に並列し本社の前には淸泉の池ありて閑雅の趣に富む 境内に茂山の句碑あり曰く「簑ほしたあとへも萩のこほれけり」又近世馬泉の句碑あり曰く「水音のはなれぬ山や夏木立」

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県那須塩原市・塩原1638-5 妙雲寺門前

主祭神:大己貴命 境内社:稲荷神社・八練神社
建久年間1190~99創建と伝わる。落ち延びてきた平重盛の乳母妙雲禅尼が一族の霊を弔うため建てた庵が妙雲寺となる。妙雲禅尼の一族が建立したのが温泉神社。寺の門前なので門前温泉神社と呼ばれる。
温泉街にある古町温泉神社からは箒川を挟んだ東方の山中に鎭座。
例祭:9月19日

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県那須塩原市・塩原308

主祭神:大己貴命 境内社:山神社・八坂神社
貞享四年1687創建と伝わる。38坪。
甘湯の大地獄に奉祭され,茗荷社があった。文化五年1808に君島五郎右衛門永喜が現在地に祀った。
温泉街から南に離れた塩の湯に鎭座。
例祭:9月18日

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県那須塩原市・塩原366 塩の湯

主祭神:大己貴命 境内社:稲荷神社・熊野神社・荒神社・八坂神社
寛仁二年1018創建と伝わる。55坪,権現造木羽葺本殿。
甘湯の大地獄に奉祭され,茗荷社があった。文化五年1808に君島五郎右衛門永喜が現在地に祀った。
温泉街から南に離れた塩の湯に鎭座。
例祭:9月18日

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県那須塩原市・湯本塩原3 新湯

主祭神:大己貴命 境内社:八坂神社・稲荷神社
創建年は2説。大同元年806または安元元年1175とかなりの隔たり。萬治二年1659の元湯大地震で村ごと埋没。天和三年1683日光大地震,享保八年1723の箒川大洪水を経て,天明三年1783までに氏子戸共々元湯から新湯に遷宮。
温泉神社石憧(永正十五年1518刻銘の地蔵信仰の供養塔)がある。
石憧の解説文では大地震の後,享保八年1723の箒川大洪水でも壊滅,その後新湯に移転とある。『下野神社沿革誌』の天和二年1682移遷ではなく天明三年頃までに年数をかけて遷宮が正しいだろう。本殿は天明三年1783宇都宮藩主戸田因幡守が再建したことが分かっているので。
新湯は温泉街から南に3.5キロほど。
例祭:9月17日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-36丁
鹽原村大字湯本鹽原字居村鎭座 村社 溫泉神社 祭神 大己貴命 少彥名命 祭日四月十二日 建物本社間口五尺奥行同 拜殿間口二間半奥行三間 末社四社 石燈籠五基 氏子八戸總代三員 社掌君島宇京同村大字上鹽原住 本社は大同元年806の創立にして湯本鹽原村に鎭座せしか萬治二年1659二月晦日の大地震にて六箇所の溫泉渾て壅り只梶原の湯のみ残れりと云ふ 故に天和二1682年中當地へ移遷して再建せりと 社域九十三坪を有し字新湯の高燥の地に在り 本社西に向ひ石磴一百餘階を躋れは境内には古松老杉亭々と高く聳ひ多く櫻樹を植ゑ花時には一簇の香雲老樹の深翠と相映し又山を望むの一勝地たり

福渡温泉神社

[ふくわたおんせん神社]

栃木県那須塩原市・塩原244

主祭神:大己貴命 伊弉諾命 境内社:稲荷神社・熊野神社・天満宮
文安二年1445創建と伝わる。595坪。
幾度かの変遷を経て明治二十一年1888現在地に遷宮。
例祭:9月18日

箒根神社

[ほうきね神社]

栃木県那須塩原市・上塩原8

主祭神:大己貴命 境内社:生駒神社,養蚕神社
文明五年1473君島右京が創建。
例祭:9月17日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-35丁
鹽原村大字上鹽原字宮島鎭座 村社 箒根神社 祭神大己貴命 事代主命 豊城入彥命 祭日十月八日 建物本社間口五尺奥行同 拜殿間口三間半奥行二間 饌殿一棟 華表一基 氏子三十九戸總代三員 末社七社 石燈籠二基 社掌君島宇京同村大字同住 本社創立は文明五年1473八月十七日にして一村の鎭守神たりしか明治五年1872村社に列せらる 社域三百十七坪高燥の地に在り 境内には古檜若杉高く聳ひ「徃時は二丈回り以上の老杉ありしか舊領主宇都宮藩命して數本伐採せりと」風致頗る幽邃にして雅致あり

八坂神社

[やさか神社]

栃木県那須塩原市・上塩原788

主祭神:素盞嗚命
応仁元年1467創建と伝わる。
例祭:6月15日

生駒神社

[いこま神社]

栃木県那須塩原市・上塩原622

主祭神:倉稲魂命
嘉永二己酉年1849磐城国の田村郡東堂山神社を勧請。
例祭:3月17日

小滝温泉神社

[こたきおんせん神社]

栃木県那須塩原市・上塩原555-20

主祭神:大己貴命
不明。

畑下温泉神社

[はたおりおんせん神社]

栃木県那須塩原市・塩原625-1←下塩原畑ノ下443

主祭神:熊野三大権現 伊邪那岐命
貞享四年1687創建。享保五年1720再建。権現造こけら葺本殿。
甘湯の大地獄に奉祭され,茗荷社があった。文化五年1808に君島五郎右衛門永喜が現在地に祀った。
温泉街に鎭座。
例祭:9月18日
嶽山箒根

嶽山箒根神社

[たけやま‏/たけさんほうきね神社]

栃木県那須塩原市・宇都野1699

主祭神:豊城入彦命・伊弉諾命・大己貴命・事代主命 配神:素盞嗚命・倭健命
栃木県では6番目に古い社とされ,豊城入彦命の曾孫御諸別王の頃の創建とされる。
『下野神社沿革誌』に「元慶元年877九月箒根神に従五位下」とあるが『日本三代実録』巻三十二には見つからなかった。「延暦年間782-805に神位従五位」の説も見えるが確認できない。
標高963mの高地に鎮座し,那須塩原,大田原市街を一望にし,遠く筑波山を見下ろす。境内地3996坪,境外地436坪。
横長の覆屋内に木製祠が三社祀られている。 中央の本殿(豊城入彦命・伊弉諾命・大己貴命・事代主命)は文久二年1862造営。
左殿日光山神社(大己貴命・事代主命・少彥名命)は宝暦三年1753再建。
右殿熊野神社(伊弉冊命・速玉男命・事解男命)は天明四年1784再建。
大正五年1916十月,大字宇都野字上の宿の高清水神社(事代主命),字根古屋の八雲神社(素盞嗚命),字町井の萩神社(倭武命)を合祀。
御神木の杉は樹齢1000年を超える。
慶安四年1651石塔に「奉納當社御造立之敬白」の文字。隣りに「大乗妙典一千部供養塔」
左手には「大乗妙典一千部成就▢供▢造立之・于時慶安四辛卯1651」
安政七年1860庚申歳石燈籠。奉納者名として「城主丹」まで読める。丹は大田原氏が丹党の一族であることから。
嶽山の読み方は『栃木県神社誌』平成18年版では[たけやま],『栃木県神社誌』昭和39年版でも[たけやま]であり「通称お嶽山」のルビは[おたけさん]となっている。
境内の那須塩原市教育委員会設置の解説板二枚のルビは[たけさんほうきね]となっていて悩ましい。『栃木県神社誌』編集過程で神社庁か下請けが勝手に[たけやま]のルビを付けたのでないとすると宮司さんが原稿を書いたと推測される[たけやま]が正式だが通称の[おたけさん]から[たけさんほうきね]が流布していると考えていいだろう。下らんことで悩んでんじゃねーよ,とおっしゃる方もいらっしゃるだろうが,蔵王山の呼び方問題で「ざおうさん」「ざおうざん」併記を国が決定したというニュースが2018年11月24日の毎日新聞に載っていた。
例祭:11月23日 2018年は下の宮で23,24日に梵天祭が行われる。宇都野,金沢,那須農協の三本は奥の院まで運ばれる。距離は9キロだが高度差が630m近くあり徒歩だと1日かかってしまうので,現在は車で運んで太鼓橋から最後のひともみをして奉納する。23日の日没後に下の宮前を通ったが,紙垂が道路の半分を埋め尽くすほどに散らばっていた。盛大な祭なのだろう。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
箒根大権現 日光大権現,熊野大権現/熊野大権現 宇都野 金剛院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-37丁
箒根村大字宇都野字嶽山鎭座 村社 嶽山箒根神社 正殿祭神豊城入彥命 左殿祭神大己貴命 事代主命 少彥名命 右殿祭神伊弉冊命 速玉男命 事解男命 祭日陰曆四月七日より八日まで小祭十月十八日より二十まで大祭
建物本社間口五尺五寸奥行五尺二寸濱縁向拜附木羽葺 左殿間口四尺五寸奥行六尺五寸濱縁高欄附木羽葺 雨覆間口八間奥行二間栃葺 拜殿間口六間奥行二間板葺 籠所間口四間奥行二間半 木鳥居高さ一丈三尺五寸一基 石燈籠二基安政二年1855大田原城主丹治富淸奉納 石燈籠二基明治六年1873北海道渡島▢函館大黑町竹田菊平奉納 石燈籠二基明治六年1873太田原町若林富三奉納 石塔二基慶安四年1651大田原町岡本角左衛門尉勝吉奉納 寶物 銅板神像一躰源義家奥羽征伐凱旋の際報のため奉納 御戸張三張慶安三年1650正月大田原城主備前守藤原政淸奉納 短冊壹葉貞享四年1687八月山本家祖良親上京の節聖護院宮本社の由來等聞き召され下賜せられたるもの「天の下めくむ草木のめも春に目も志らぬ御代の末々」氏子六十四戸總代四員 社掌山本經雄同村同大字十八番地住
本社創立年紀邈焉として詳かならさるも往古箒川通(箒根村の南部那須郡野崎村の北部)伊佐の總鎭守神にして 陽成天皇の御宇元慶元年877九月箒根神に従五位下授くと 後源義家奥羽追討凱旋の時報賽のため神寶及ひ神田等を寄附せられ崇敬淺からさりしか長承年間1132~35に至り鳩森城主(今尚大字宇都野に城趾ありて本丸二の丸の形跡を存す)尾張守源資家崇敬して本社を造營し爾來本城の祈願社となす 當時社領二百石を附せられしか永享年間に至り太田備前守永存の襲撃する所となり遂に天文二年1533鳩森城陥り社領も亦廃絶せしか同十二年太田原城主の領地に屬し本社も亦太田原城主の祈願社となり社領十石を附せられ社頭隆盛なりしも漸く不幸にして水害に罹り川欠天災により減地し僅に數石に過きさるを以て嘉承三年1108?→嘉永三年1850更に三十五石を寄附せられ大政維新の際まて連綿として大祭には城主或は代拜者參向ありし社にして社殿を始め神橋に至るまて領主の造修に掛り頗る輪奐たりしか廢藩置縣と共に社領は勿論造營修繕等廃頽せしも明治五年郷社に列せられ同十年八月行政區劃の都合により村社に列せらる 斯の如く幾多の變遷あるも神威は炳焉として四方に光輝し神徳は赫灼として四民に感應あり本國は勿論福島茨城の縣下に普及し賽人の年一年に増加し實に大小祭日には滿山塵至し郡内屈指の神社と稱すヘし
社域一千八坪高原山東方の中腹嶽山に鎭し人家を距る二里餘にして七十餘町に到れは赤塗の神橋長さ五間半を渡り赤き鳥居を潜りて夫より三町登りて拜殿に達すへし 境内には周圍三丈餘の老杉及ひ古檜森々と繁茂し天日を蔽ひ晝尚暗くして物凄し 本社の北側に神池ありて淸泉洴出し四時絶ゆることなし又樹間より遠く東南を望めは八溝筑波の諸峯烟霞摸糊の間に出没し近くは那須の廣原箒川の東に沿ひて眼下に横はり水聲鳥音風に和し春の花秋の紅葉の心目を喜慰し紅塵を洗はしむるの佳境にして日本鐵道東北線那須驛を距る四里なり 又山上より直に鹽原溫泉に赴かんとせは牛馬の通する山道一里半にして逹するを得るにあり
鳥居脇の案内板
三社見える 中央本殿
左殿日光山神社 右殿熊野神社
中央本殿
左側面 裏面 右側面
 
左殿日光山神社 奥の院解説
千年大杉案内板
  2017の梵天
右手 大乗妙典一千部供養塔
左手 奉納大乗妙典一千部 読めない
石灯籠に城主丹…の文字
大杉てっぺん
二番目の大杉
ブルーは祭事のための茶屋 橋の先に二の鳥居があった
昭和五十八年1983工事記念碑 片膝を立てている
湧水と石祠 本殿前から 鳥居前から

高清水神社(嶽山箒根神社遥拝殿)

[たかしみず神社]

栃木県那須塩原市・宇都野939

主祭神:事代主命
大同元年806創建。宇都野霧雨崎に鎭座し高清水大権現と称した。大正五年1916上記嶽山箒根神社の遥拝殿となる。境内に男體山,熊野山,湯殿山,養蚕神社。
宇都野集落センターと消防団第3分団のあるところ。
『鹿沼聞書』の高水は高清水の誤記または誤植だが,日光,熊野を併記し,霧雨崎神社も記録した貴重な資料。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 高水大権現,日光大権現,熊野大権現‏/熊野大権現 宇津野 宝通院,三座世弥,霧雨崎神社
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-39丁
箒根村大字宇都野霧雨崎鎭座 村社 高淸水神社 祭神事代主命 祭日陰曆九月十九日 建物本社間口一間半奥行一間半栃葺 雨覆間口三間奥行二間四尺杉皮葺 拜殿間口二間奥行二間杉皮葺 鳥居二基 末社二社 石燈籠二基 大國主神石像一軀 熊野山碑一基伯爵松方正義揮毫 寶物太刀鬼神丸と稱す一振 氏子六十戸總代四員 社掌宇都野登同村同大字四十五番地住
本社創建は大同元年806二月にして元文五年1740四月廿四日再築后寛政二年1790の再建なり云云
社傳に曰く本社の濫觴は大同元年正月本村町井澤と云へる所より雲霧棚引龍蛇の如く今の社地霧雨崎へ光り輝き渡り事代主命出現せしなりとて里民高淸水大權現と尊崇し祠を立てゝ鎭守神とす云云 本社別當は往古より人見嶽之坊今の宇津の家にて代々奉仕せり 又本社は往古地頭の崇敬により維新まては一反五歩の除地を寄附せらる 祭式は往古長百性*と組頭と列席し祭典を行ふを例とす 長百性は本社并に末社能野*社の前に席し組頭は末社日光神社の前に席して祭式を擧けたり 維新となりては區長は本社前祭當番二人/年々輪番/は末社前と順席して祭典を行ふを例とす長百姓の順席は久留生治郎松本庄兵衛君島長三郎吉澤八助伊藤傳吉年より並江連重郎平なり 社域六十八坪元境内三百九十六坪にして境内には老杉若樹蓊蔚にして繁茂し高燥の地にして淸水あり故に高淸水と稱して衆庶信仰の社なり(*百性→百姓,能野→熊野)

箒根神社

[ほうきね神社]

栃木県那須塩原市・金沢1563

主祭神:豊城入彦命 配神:大己貴命・事代主命・田心姫命 境内社:八坂神社
創立年月不詳。小祭は以下の『下野神社沿革誌』を。野沢川の水害を避けるため宝永五年1708に現在地の真木城跡に遷宮。真木城は大館義行の代天正十二年1584に落城。
例祭:旧暦9月19日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 正一位 掃根神社 金沢村 佐藤市正
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-38丁
箒根村大字金澤鎭座 村社 箒根神社 祭神豊城入彥命 姫神 事代主命 姫神相殿三座 祭神伊邪那岐命伊 伊邪那美命‏‏/‏熊野大神 大已貴命/高淸水大神 祭日陰曆九月十九日 建物本社間口一間奥行一間高欄濱縁付 雨覆間口三間奥行三間 幣殿間口二間奥行九尺 拜殿間口三間半奥行二間 末社七社 木鳥居一基 石燈籠一基嘉永五年1852神主佐藤氏々子印南孫六外信徒の奉納 同一基氏子白井重郎次奉納 同四基正徳1711~16享保1716~36天明1781~89年中氏子奉納 寶物劍一振 古鏡一面 金幣八本 古書一通 獅子面三頭 氏子七十四戸總代三員 社掌佐藤齋同村大字三十二番地住
本社創立勸請年月遼遠にして詳ならす 往古は字眞木に鎭座ありしか宝永五年1708大舘の舊郭外に遷せしと今の社地是なり 人皇六十一代醍醐天皇の御宇延喜十二年912鎭守府將軍藤原利仁當國に下向し藏宗藏安の兩賊征伐の際本社に戦勝を祈る以て事平く靈験著しきにより奉幣し殊に本社を造營す云云 后康治二年1143八月修繕を加へ文明十一年1479八月宇都宮成綱朝臣崇敬により圭田一町五反歩を寄附せられ殊に劍一振を奉納せらる 天文年間金澤舘主大舘弾正義則同石見助義行の崇敬にして祈願御社と號す 其后太田原睛淸より永二貫文及ひ寛永十一年1634中高八石九斗五舛一合々せて高四拾一石九斗五舛一合寄附せらる 又修理造營によりに遷宮の都度には玄米二俵宛御供料として奉納せられて藩主代々崇敬せり 寶永二年1705中領主の傳奏神主佐藤氏上京神祇管領長上へ執奏を乞て神位宗源宣旨正一位を授けらる
神職は天正年間佐藤丹波守重朝より十三代連綿として奉祀せり 社域九百三十六坪金澤の中央なる高燥の地にして一等里道の西側にあり馬塲門前には巨大の石燈籠二基あり 馬塲二十間を進行すれは赤き鳥居あり 百餘階の石磴を躋れは社前に到る 東を望めは梅林眼下にあり 箒川一名穂多川の淸流孱湲として漲り灌き水淨くして洗嗽すへし 此川流を隔てゝ那須廣野より八溝の嶺頭を遠望し西は東嶽の諸山に接し南は断崖野澤の溪水淙々として其下を流れ北は佐飛の諸山及ひ那須の火山を遥に望む 又春は梅花櫻桃の花艶を賞し夏は樹梢に蝉聾喧しく冷風自ら湧くか如し 秋は四境の紅葉錦繍をなし 冬は諸山の積雪皚々として銀山の觀をなせり 轉た天地の大寂に入るを感せん

鷹八幡宮

[たかはちまんぐう]

栃木県那須塩原市・関谷992

主祭神:譽田別命 境内社:稲荷神社
貞観四年862創建の古社。文和(北朝)二年1353再建。享保五年1720,文政十年1827社殿造営。
明治九年1876消失,明治二十六年1893再建。鷹を付すのが正式名称。
例祭:9月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 高八幡宮 関谷 君島伯耆
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-40丁
箒根村大字關谷鎭座 村社 八幡宮 祭神 誉田別命 建物本社間口四尺奥行三尺栃葺 雨覆一棟 木鳥居一基 末社四社 氏子八十二戸 社掌君島勝衛同村大字同住
本社創立遼遠にして詳かならすと雖も往古は領主太田原藩の守護神にして關谷下田野遅野澤三村の総鎭守神にして三大字の中央に鎭す 社域三百六十坪の平坦の地にして境内には老杉若杉翁蔚として繁茂し西北には安戸山高く聳ひ東南渺茫たる那須の原野に接し原中所々に炊煙の上るを眺む 本社壯麗ならさるも四方に石垣を遶らし古雅にして高潔自ら神威の儼たるを表するにあり

八坂神社

[やさか神社]

栃木県那須塩原市・関谷128

主祭神:素盞嗚命
創建年月不詳。山車巡行。関屋囃子。88坪。
例祭:7月第二日曜日

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県那須塩原市・関谷1410

主祭神:軻遇突智命
創建年月不詳。16世紀には鎭座したかもしれない。414坪。
例祭:4月29日

箒根神社

[ほうきね神社]

栃木県那須塩原市・上大貫1975

主祭神:豊城入彦命 配神:倉稲魂命・素盞嗚命
創立年等不詳。昭和三年1928稲荷神社を合祀して現在地に遷宮。265坪。
例祭:10月第二日曜日・城鍬舞 八雲神社祭:7月第二日曜日 神輿渡御
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 箒根三社大権現 上大貫 臼井対馬
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-40丁
箒根村大字上大貫鎭座 村社 箒根神社 祭神豊城入彥命 祭日陰曆九月十九日 建物本社間口四尺奥行同 拜殿間口三間奥行二間 氏子七十七戸 社掌山本經雄同村同大字宇都野住
本社創立不詳 社域五百九十六坪を有し字鎭守前の淸洒の地に在り

箒根神社

[ほうきね神社]

栃木県那須塩原市・下大貫1096

主祭神:事代主命 配神:木花開耶姫命・鳴雷神・軻遇突智命・月読命・大山祇命 創立年等不詳。大正元年1912八月一六日浅間神社,愛宕神社,雷神社,月山神社,山神社を合祀。
大正三年1914字東山の現在地に移転,翌年遷宮式。99坪。
例祭:10月17日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 箒根神社 下大貫 佐藤市正
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-40丁
箒根村大字下大貫鎭座 村社 箒根神社 祭神事代主命 建物本社間口三尺四寸奥行同 拜殿間口二間奥行九尺 氏子三十一戸 社掌同上
本社は字泉畑に在りて社域百十五坪を有す大祭は九月十九日を以て執行す

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県那須塩原市・蟇沼741 ひきぬま

主祭神:大山祇命
創建年月不詳。那須温泉神社より勧請。宝暦年間1751~64には蛇尾川沿いに鎭座した。明治二十八年1895消失するも明治二十八年1895再建。128坪。
例祭:11月3日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 湯泉大明神 蟇沼 大武豊前
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-40丁
箒根村大字蟇沼鎭座 村社 溫泉神社 祭神大己貴命 建物本社間口三尺五寸奥行二尺五寸 氏子十八戸
本社創立不詳 社域百四十坪を有し字塒澤に在り

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県那須塩原市・高阿津151

主祭神:倉稲魂命 境内社:八坂神社
宝永七年1710創建。明和五年1768再建。70.7坪。
例祭:10月9日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 稲荷大明神 阿津 佐藤市正
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-40丁
箒根村大字高阿津鎭座 村社 稻荷神社 祭神稻倉魂命 祭日九月十九日 建物本社間口三尺奥行同 拜殿間口二間奥行同 氏子十七戸 社掌佐藤齋住所前同
本社創立不詳 社域七十七坪字稻荷前に在り

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県那須塩原市・上横林124

主祭神:大己貴命 境内社:愛宕神社・山神社
創建年月不詳。那須温泉神社より勧請。明治三十一年1898再建。182.7坪。
例祭:11月3日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-41丁
箒根村大字上横林鎭座 村社 溫泉神社 祭神大已貴命 建物建物本社間口三尺四寸奥行三尺七寸 拜殿間口二間奥行三間 末社二社 氏子十三戸
本社創立は不詳にして社域百八十四坪を有し字宮の内に在り

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県那須塩原市・横林178

主祭神:大己貴命
元和五年1619東泉喜左衛門が那須温泉神社より勧請。元禄八年1695再建。32.6坪。
例祭:11月1日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-41丁
箒根村大字横林鎭座 村社 溫泉神社 祭神大已貴命 建物本社間口二尺五寸奥行三尺五寸 末社一社 氏子四戸
本社創立詳ならす 社域三十八坪にして字溫泉回に鎭す

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県那須塩原市・接骨木209 にわとこ

主祭神:大己貴命・少彦名命 境内社:八雲神社・天満宮・水神社階 創建年月不詳。文化六年1809社殿造営。60坪。
例祭:10月19日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 湯泉大明神 庭床 大武伊豆
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-41丁
箒根村大字接骨木鎭座 村社 溫泉神社 祭神大名牟遅命 少彥名命 建物本社間口二尺五寸奥行二尺 末社二社 氏子二十八戸
本社創立不詳 社域六十二坪字中道上に在り

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県那須塩原市・接骨木451 にわとこ

主祭神:軻遇突智命 境内社:山神社・雷電神社
創建年月不詳。延享五年1748石宮建立。文政年間1818~30頃は藤荷田村鎮守。236坪。
畜産草地研究所の長期生態研究草地があるので外部の菌や種が紛れるのを防ぐため入山できない藤荷田山[ふじにたやま]の北東に鎭座。
例祭:5月24日

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県那須塩原市・折戸211

主祭神:譽田別命 境内社:愛宕神社・山神社
享保三年1718関屋の鷹八幡宮より勧請。明和四年1767,文化十二年1815に社殿造営。明治二十五年1892本殿造営。
例祭:11月3日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-41丁
箒根村大字折戸鎭座 村社 八幡宮 祭神 誉田別命 建物本社間口三尺四寸奥行三尺七寸 末社二社 氏子九戸
本社は字蟇沼道添に在りて社域三十三坪を有す


▊塩 谷 郡・塩原村『下野神社沿革誌』巻七-35丁(明治三十五年1902)
本村は下鹽原,中鹽原,上鹽原及ひ湯本鹽原の舊四村を合せて一の自治區をなせるものにて其幅員東西三里十五町南北八里廿町の廣きを有し下鹽原は殆と中心にして西北に上鹽原中鹽原相連り湯本鹽原は其西南にあり 而して下鹽原は假定縣道に沿ひ里道亦通して交通の便あり 其地勢下鹽原は箒川の東岸にあり上中鹽原は箒川を夾みて對立し西北に小蛇尾三依の山脈を負ひ湯本鹽原は其南方に在り 風俗温厚にして多くは農商を業とし頗る勤勉の風あり
古來の沿革に付ては徃時は共に宇都宮藩の領地に屬し維新后宇都宮縣に次て栃木縣に屬し第三大區三小區に編入せられ後又役塲を分ちしか明治十八年1885合して一戸長役塲の所轄に歸し次て現時の一村となれるなり
本村には名勝舊跡多く現今村社は四社にして戸數二百餘戸人口一千二百餘人に過きす土地の廣大なるに比せは人口の僅少なるを怪むに似たるも固より山間の地に居るなれは自然の勢と云ふへし
附記 本村所在の溫泉湯の名は下鹽原湯本鹽原の二にして箒川中央を流れ土地高燥にして山水の形勝に富み我邦有名の溫泉たるも徃時關谷以北は嶮路羊腸漸くに人馬を通すヘかりしか明治十七年1884道路を開鑿し爾來一條の平路を得るに至り現時に於ては往來の不便を感せす來浴者年に大なるを加ふ漸々殷勢なる一地を成すに至れり 而して溫泉の箇所を擧れは福渡戸鹽釜鹽の湯畑下戸須巻門前古町新湯古湯本とす


▊箒 根 村 *『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-37丁
本村は金澤,關谷,折戸,上下大貫,遅野澤,高阿津,接骨木,蟇沼,下田野,横林,上横林,宇都野の舊十三村を合せて一の自治區となせしものにて其幅員東西二里餘南北四里以上に及ひ西北には東岳小佐飛の連山あり 東は那須野の原に接し箒川は村内を貫流し地勢平坦にして關谷を中心となし其他の部落は東南に在り民居相連接せり而して會津地方に通する假定縣道あり其他里道相連りて交通の便あり村民多くは質朴にして農耕に従事し頗る勤勉の風あり
古來の沿革に付ては徃時は共に太田原藩の領邑に屬し更に栃木縣の所轄に歸し一戸長役塲に屬し次て今日に至りしものなり
本村には有名なる村社嶽山神社其他十二社ありて氏子戸數五百四十餘戸人口三千六百七十餘人を有せり


塩原の歴史は【塩原温泉郷土史研究会】のWebが詳しいのでぜひそちらを。

 

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