稲荷神社

相生稲荷神社

[あいおいいなり神社]

日光市・相生町174-4

主祭神:倉稲魂命
東照宮造営に際して尾張国の京都伏見の稲荷神社より御分霊を勧請して創建。最初は日光街道と会津西街道の分岐点に小祠を建立,明治二十八年1895山光館に遷宮,さらに昭和三十四年1959に日光街道沿いにいったん遷り,昭和三十七年1962現在地に遷宮した。
折れて修復したらしい鳥居柱に「昭和▢十▢年」とあるが,推定「昭和三十五年1960二月初午建之」
番地から辿り着くのがむずかしく,日光郷土センター内の観光案内所でお尋ねしたところ,以前にもお聞きにいらした方がいましたよ,ということですぐに地図のコピーをいただくことができました。感謝。
帰宅してGoogleMapを調べたところ2020/10月現在は掲載されていました。
JR日光駅から南に日光街道を渡って日光体育館の手前。
例祭:旧暦2月初午日
木鳥居4基
本殿
天井 手水石 手水石
 
2か所修復
白山

白山神社

[しらやま神社]

日光市・東和町3-11

主祭神:菊理比賣命 配神:素盞嗚命 大物主命
東照宮完成の寛永十三年1636創建と伝わる。『白山大權現略縁起』が残っている。維新に際し権現から神社に改称。
小祠を除けば日光駅からいちばん近い神社で,杉並木から南に少し入った小路沿いに鎮座。鳥居は道路から見えないので玉垣や東和町屋台庫が目印。
拝殿右手の文久二年1862石燈籠に「白山大權現/稲荷大明神」
明治五年1872狛犬。 西側の道路沿い,社殿裏手に「金毘羅大權現」「青麻三光宮」「徳勝神」「辨財天」,青面金剛,石燈籠三基,手水石。
例祭:11月第一日曜日
 
  白山大神
社殿右手
文久二年1862 北側の道路から 西から
本殿裏手
稲荷

稲荷神社

[いなり神社]

日光市・稲荷町1-379

主祭神:倉稲魂命 配神:大物主大神・櫛甕玉大神・素盞嗚命
輪王寺の前身坐禅院の十七代座主に随行して京都に上った髙橋氏が伏見稲荷大明神の夢告によって建保六年1218に創建した。
寛文二年1662日光を襲った稲荷川大洪水の詳細は由緒看板を。
龍蔵寺の北裏手に鎮座。
境内左手の手水舎となりに西行戻石。境内右手に多数の石塔が並ぶ。大災害で現在地に遷宮し,その後の元禄二年1689から天保十五年1844の間に建立された庚申塔,青面金剛,弁財天,梵字の塔計19基。
祭日:3月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 三巻-7丁
上都賀郡日光町大字日光字稻荷町鎭座 村社 稻荷神社 祭神 稻倉魂神 建物本社間口二間奥行一間半 拜殿間口五間奥行二間 末社二社 氏子三百五十二戸 本社は建保六年1218九月の創立にして領主五郎藤原政家の四男大方隆宣字稲荷川の邊りに勸請す 後寛文二年1662洪水の時髙橋平十郎今の社地に遷座す云云 社域二百十六坪淸浄の地に在り
▼ 西行戻石
 
  正一位稲荷大明神
本殿
西行戻り石
境内右手の石塔群 石塔群解説
祖霊社
鳥居柱に 稲荷町公園に案内地図
■稲荷
稲荷神社北裏手の稲荷町防災公園角の朱色の鳥居も稲荷神社。公園から北に進むと左手に虚空蔵尊,さらに北上すると大谷川を見下ろす高所に小判稲荷神社。
公園の稲荷神社
■弁財天
稲荷神社の南の御幸町天台宗龍蔵寺に嘉永三年1850石鳥居があり弁財天が祀られている。
辨財天
 
弁財天向かいに観音堂
観音堂右手に不動明王 龍蔵寺
藝州戦死八士墳墓 龍蔵寺裏に稲荷神社
稲荷神社

小判稲荷神社

[こばんいなり]

日光市・下鉢石町

主祭神:倉稲魂命
大谷川を見下ろす高所に鎮座。さすが日光というべきだろう,この小祠になんと元禄十五年1702の石燈籠がさりげなく立っている。となりのお宅の石塀に「大横町の歴史」案内板。
 
  大谷川を見下ろす
  元禄十五年1702
 
  大横町の歴史 稲荷公園の案内板
虚空蔵

虚空蔵尊

[こくぞうそん]

日光市・稲荷町1-644

主祭神:虚空蔵尊=磐裂神
寛政七年1795神橋裏山の磐裂神社(星宮)より御分霊を勧請して創建。栃木県では虚空蔵尊は維新の神仏分離の際に星宮神社または磐裂神社と改称させられたが,ここ稲荷町では虚空蔵尊を名乗っている。
2016年7月16日現在境内大改築中で,瑞垣が外され,径2mほどの大杉も切り倒されていた。
天保四年1833石鳥居。宝暦四天1754二の鳥居。文政十年1827狛犬。
鳥居左手に聖徳太子堂。鮮やかな着色本殿が祀られている。その右手は大杉神社。
鳥居両脇に多数の石塔。寛文二年1662の大洪水以降延宝八年1680までの七基が日光型庚申塔に指定されている。
例祭:1月9-10日
 
  虚空蔵尊
 
  鳥居二基 鳥居右手に石塔群
左手にも石塔群
 
文政十年1827狛犬
 
 
日光型庚申塔解説
 
太子堂 太子堂本殿
  大杉神社
大杉神社の神輿
太子堂の狛犬
八坂神社

八坂神社

[やさか神社]

日光市・松原町1288

主祭神:素盞嗚命
明和1764~72年中の創建。字天神山に鎮座。
石屋町,御幸町,上鉢石町の八坂神社と同様の縁起で明和の悪疫流行の際に八坂大神に病気平癒を祈願したところ効果があったので,尾張国の津島神社より御分霊を勧請して創建。
天保五年1834石鳥居をくぐってほんの少し山を上ると左手に石祠群。 享保十七子天1732と元文三年1738青面金剛が並んでいるので神社創建前からの聖地。あるいは創建説を他の近辺の八坂神社三社に合わせたための齟齬か。
本殿は大きめの岩に乗った石宮で,参拝用の石敷があり,左手に手水石。本殿右手は大正五年1916小幡源蔵君頌徳碑。
例祭:6月第二日曜日
天保五年1834石鳥居 くぐって上る
多数の石祠 小幡源蔵君頌徳碑
左:本殿
本殿前
享保十七と元文三青面金剛 まだ山の途中
■松原町石碑群
鳥居右手前の松原町公民館前に石碑群があり詳しい案内板が立てられている。古いもので貞享元年1684一念弥陀佛即滅無量科,元禄五年1692青面金剛。社号標と思われる「八坂神社」は昭和十八年1943。
ここから志渡淵川を渡ってすぐ右手の石垣上にも寛政十二年1800庚申塔,弘化四年1847男體山,元治元年1864大黒天などがあり,石鳥居に石宮が祀られている。玉垣脇にも享保年間の青面金剛など4基。
町原町公民館
石塔群解説 八坂神社 元禄五年1692青面金剛
 
対岸にも鳥居 石垣の上に石塔 石鳥居
石宮 享保の青面金剛など
手水石 寛政十二年1800 男體山
弘化四年1847 大黒天 八坂神社方向
八坂神社

八坂神社

[やさか神社]

日光市・上鉢石町1136

主祭神:素盞嗚命
明和1764~72年中の創建。字龍ヶ山に鎮座。石屋町,御幸町,松原町の八坂神社と同様の縁起で明和の悪疫流行の際に八坂大神に病気平癒を祈願したところ効果があったので,尾張国の津島神社より御分霊を勧請して創建。
神橋から駅に向かってほんの少し下って観音寺に入る。山門手前の石段上り口に朱色木製祠の稲荷神社が二社,急な石段を上って行くと立派な千手観音堂。「大悲殿」額が掲げられている。その右手の土坂を上って行くと遠く上方に朱鳥居が見えてくる。市内がはるか下方に望めるかなりの高所。
NHKの脇の小道を入っていって聖アントニオ教会から右手に上っていって観音寺脇から登っていくこともできる。少し遠回りだが最初こちらから行ってみた。帰りは山門に至るコース。
アントニオ教会右手に立派な薬師堂。「瑠璃殿」額が掲げられている。
さて,問題がひとつ。朱色の鳥居額はたしかに「八坂神社」とある。石宮台座には「上鉢石町」と刻まれている。ところが『栃木県神社誌』平成18年版の石宮の写真とはまったく異なるのだ。ここ12年のあいだに新築されたか,小生が別の場所とまちがえているかだ。現在の石宮に造立年が刻まれていないので判断できない。
延享二年1745らしき石塔
貞享二年1685 安永八年1779石燈籠 例祭:6月第二日曜日
八坂神社; 本殿 上鉢石町
本殿左手 天照皇大神
石燈籠? 奉寄進なんとか
遠くに鳥居
観音堂を見下ろす
千手観音堂
大通りを見下ろす 神社のような 見事な石段
稲荷神社
観音寺山門 ここから八坂へ
■薬師堂/瑠璃殿
NHK脇からのコース。
左手に教会
薬師堂
■市内
日光市内には多数の個人の守護神社が見つかる。地元の方のおっしゃるには昔からのお宅,商家にはそれぞれ稲荷が祀られている,とのこと。ぶらついて目に付いたものをあげておきます。
NHK脇からのコース途中に鳥居二基。表通り「晃のや」さん裏手に稲荷,その奥の県指定天然記念物「日光のひめこまつ」にも朱鳥居。「米源」さんに一基など。
聖アントニオ教会方向
笠間稲荷から 右手路地に また稲荷
すぐそばに 日光郷土センター 飲めます
お店裏手に鳥居
石燈籠も
昭和三十二年1957指定 右に鳥居 巨大だ
病院跡地に鳥居
立派な土台
隣りにも鳥居 病院の先生宅に 表通りから
屋上に 米源さんに 日光東照宮特別祈祷神璽

 

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