中宮祠

二荒山神社中宮祠

[ちゅうぐうし]

日光市・中宮祠2484

主祭神:大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命 境内社:稲荷神社
東照宮となりの二荒山神社を本社とし,男体山頂上に奥社,その中間の中禅寺湖畔に中宮祠。日光二荒山神社はこれら三社で構成されている。
往古は「男体権現」「中禅寺権現」「男体中宮」などと称した。輪王寺別院中禅寺は100年ほど前までは中宮祠の西となりにあったが,明治三十五年1902大山津波で流失し歌ケ浜に移転した。
中宮祠本殿と拝殿は元禄十四年1701建立。
中禅寺湖に面した鳥居から八脚門をくぐって石段を上ると左手に稲荷神社,唐門をくぐると正面に拝殿,左手に神楽殿と山霊社,その奥に樹齢1100年を超すいちいが聳えている。本殿右手の登拝門に明和六年1769銅鳥居がある。男体山の登山口になっていて,登拝門を入るとすくに上りの石段が続いている。
拝殿と本殿の間に「明暦四戊戌歳1658」「元禄十四辛巳天1701」「元文五年1740」「寛保元年1741」「宝暦九年己卯1759」石燈籠,文政二年1819狛犬がそれぞれ左右対で奉納されている。
*山内の本宮の神輿舎に神輿が三基あるが,中宮祠宝物館にはなんと康応元年1389金銅装神輿三基が保存されている。もちろん新宮,本宮,瀧尾三社の神輿で,東照宮創建より250年以上前からかなりの規模の神輿渡御が行われていたことが分かる。宝物館には男体山頂出土品の三鈷鐃や貞治五年1366備州長船倫光の大太刀などとてつもない貴重品が保存されている。入館料500円は三鈷杵ひとつ見れば元がとれます。
雲に隠れて男体山 八脚門
八脚門 八脚門から唐門
左手に稲荷神社 右手に手水舎
手水舎 左手の狛犬
唐門左手 唐門右手
水主の彫刻 反対側にも
回廊でいいだろう 右は神楽殿
回廊に神輿 神楽殿
拜殿 拜殿
男体山登拝門・日光山碑,二荒山碑,開山碑文
本殿右手に男体山登拝門がある。明和六年1769銅鳥居が中宮祠ではいちばん古い。
鳥居左手に「開山碑文の礎石」が保存されている。維新の神仏分離前は空海撰文の「沙門勝道歴山水瑩玄珠碑幷序」約1500字を刻んだ宝永二年1705の銅板がここにあったが取り外されてしまった。維新政府の廃仏政策はこんなところにも悪さをしていたのである。転々としながら現在は輪王寺宝物殿に保存されている。
碑文は勝道上人の伝記で,神秘的景観,登攀の困難と達成を活写したもので,勝道上人から詳しい資料を受け取った空海によって弘仁五年814八月三十日に書かれた,たいそう難解な漢文である。この中に「咨 日車難駐 人間易變 從心忽至 四蛇虚羸 攝誘是務 能事畢矣」と書かれている。碑文完成の前に勝道上人はすでに寂滅していた。弘仁八年817説と異なるが,解明できない。1200年ほど前の数年の誤差だが。
なお,日光を回っていると弘法大師が瀧尾神社と稲荷神社を創建していたり,二荒山神社本社に高野槙を植えていたり,神橋裏手の磐裂神社も創始していて,小玉堂までつくっている。空でも飛んで日光に来ていたのではないかと本当に錯覚し始めてしまうが,空海が日光に来た証拠はない。
<日光山碑文の原文はこちら>
大湖すなわち中禅寺湖の描写が感動的で,千年の松柏が湖水に緑の葉を伸ばしていた原始の風景はいかばかりであったろう。見てきたかのような描写が続くので,空海が日光に来たという伝説につながったのだろう。
*真岡市南高岡の鹿島神社に勝道上人生誕秘話が伝わっている。『下野神社沿革誌』に記録されている。
*立松和平氏の『日光』(2007『二荒』の改定版で2009刊)第一章は上人の伝記になっている。p.61あたりから『日光市史』をもとにした二荒山碑の脚色翻訳が読める。登攀経路は神橋北の四本龍寺を前線基地として,まず中禅寺湖畔まで登り,湖を背にして頂上を目ざす説をとっている。
*奥泉光『滝』は日光を舞台にした現代の山岳浄修業を描いている。一読おすすめしたい。
  右手
明和六年1769銅鳥居 登拝門
ここから登山道
  日光山碑があったところ 開山碑文の礎石
 
本殿 元禄十四年1701本殿
  文政二年1819狛犬
本殿と拜殿の間 明暦四戊戌歳1658
 
拝殿 神饌所
中禅寺湖が見える 手水舎の先に中禅寺湖
■樹齢1100年を超える御神木いちい・栃木県内屈指の古木
左端:いちい標識
 
 
■稲荷神社
 
 
  龍の松
  幸の湖に魚を放ちちるときの碑
 
■神楽殿・山霊宮
神楽殿
神楽殿天井
山霊宮
  鳥居の向こうは神楽殿
本殿と拝殿の間 右手と対の燈籠と狛犬
鳥居・牛石など
いろは坂を登りきって華厳の滝駐車場を過ぎると大鳥居。大鳥居脇の湖畔に「二荒山神社中宮祠道」標識。大鳥居脇のカフェの手前に巫女石がある。
車で鳥居をくぐって直進すると斜めに上る参道に鳥居。くぐらずに直進すると中禅寺湖に面して鳥居。くぐらずに更に進むと斜めに戻る坂に新しい鳥居。大正二年の絵地図を見ると,昔は西の神門に鳥居はなかったことが分かる。現在は境内に入る入口の鳥居は大鳥居を含めて四基ある。真ん中の湖畔に面した鳥居から入ると正面に八脚門。鳥居左の芝生に駐車する不届き者のせいで写真が台無しになる。案内板も隠すし,芝もいためるので違反するなら路駐にしなさい。参拝する資格なし。
▼ 牛石
大正二年1913の絵地図 新しい牛石
男体山 安永九年1780男體山永代常夜燈 社務所
社務所 宝物館 湖に面した鳥居
  車が邪魔で下部が撮れない
鳥居右手に水神 鳥居をくぐって左手の大杉
大鳥居のつぎの東参道の鳥居
  牛石解説
古い方の牛石 西の平成25年鳥居 参集殿
参集殿から中宮祠への入口 参集殿方向
  大鳥居と男体山
大鳥居 二荒山神社中宮祠道
大鳥居脇の巫女石 巫女石
10/6晴れ 中禅寺から男体山
中禅寺湖 男体山
奥宮

二荒山神社奥宮

[おくみや]

日光市・二荒山2484

主祭神:大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命 境内社:瀧尾神社・太郎山神社
日光二荒山神社を構成する三社の一,標高2486mに鎮座。
八合目に「瀧尾神社」があり,頂上に奥宮と太郎山神社が祀られている。
明治十三年1880に奉納された神剣は2012年3月に折れているのが確認され,10月13日に下野市の方がステンレス製の神剣を新しく奉納された。
御影石鳥居も大震災で倒壊し,日光市の方が新しく檜製にして同日に奉納された。
奥宮と拝殿は大正十三年1924建立,昭和50年1975社務所と昭和31年1956旧社務所があり,さらに上ると鐘があって頂上2486mの三角点脇に神剣。
『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 三巻-5丁
南湖叉は幸の湖と云ふ湖畔に中宮祠あり 此處より阪路を登る三里男體山の頂に二荒山神社の奥宮あり 毎年八月五日より七日間古例により登拜の神事を執行し白衣を着たる講中の信者四方より▢至して頗る雑踏を極む
写真は宇都宮二荒山神社前の「いやし厨房・火あぶり」ご亭主に提供していただきました。感謝。
二荒山大神 中禅寺湖を見下ろす
神剣 一合目 遥拝所
  八合目手前 瀧尾神社・八合目
頂上付近
華厳

華厳神社

[けごん神社]

日光市・華厳の滝

主祭神:二荒山大神・華厳滝大神・水の神
日光二荒山神社の末社として2020年6月12日に華厳の滝観瀑台の東に創建。6月21日に鎭座祭が執り行われる予定。したがって2020年6月現在,日本で一番新しい神社である。
2020/6/16に参拝してまいりました。賽銭箱にはまだカバーがかけられていましたのでお賽銭は次の機会に。
祭神の「二荒山大神ふたらやまのおおかみ」は「大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命」の三神。
「華厳滝大神」は新しく名づけた神号と推測する。
「水の神」は『日本書紀』では巻第一第五段一書第二に「水神みづのかみ罔象女みつはのめ」として登場する。丹生川上神社中社の祭神。『古事記』では「弥都波能売神みつはのめのかみ」で,迦具土神の血から生まれた「闇御津羽神くらみつはのかみ」が同神。ほかに水波能売,水波之女,水速女などの表記もあり,二荒山神社での表記はまだ分からない。
社の左隣りに「華厳瀑歌の碑」解説板があり,背後上部に明治十一年1878建立の碑が見えるが柵に隔たれ近づけない。
その左手に「昭和十五年1940・明治天皇華厳瀑御観覧御野立所」碑。
さらに20mほど行くと華厳の滝が見えてくる。
例祭:6月21日
由緒書
 
華厳瀑歌の碑解説 華厳瀑歌碑
明治天皇華厳瀑御観覧御野立所碑
華厳の滝 中禅寺湖から流れてくる
華厳カフェの右手に鎭座 赤矢印に鎭座
温泉

温泉神社

[おんせん神社]

日光市・湯元2521

主祭神:大己貴命 境内社:大山祇神社・稲荷神社
中禅寺湖から戦場ケ原を抜けると湯ノ湖に至る。湯ノ湖の温泉街に入って右手の山腹に鎮座。
延暦五年786に勝道上人が温泉を発見し小祠を建立したと伝わる。少し遡って神護景雲年間767~770創建の伝承もある。1200年を超える古社で大差はない。
江戸期までは薬師瑠璃光如来と温泉大明神を祀っていた。維新の神仏分離で温泉大権現から温泉神社に改称し,祭神を二荒山神社の祭神の一神,大己貴命とした。境内社の大山祇神社はもともとは山之神神社で,白根山大神を祀っている。
「永正十年1513」奉納の銅製本殿は500年を超える貴重品で,現在は二荒山神社中宮祠宝物館に保存されている。「永正十年癸酉五月□日 大工天呼住宣吉」と刻まれている。現在の社殿は昭和37年1962再建のもの。
本殿前に「安永四年1775」石燈籠,昭和57年1982石鳥居をくぐると「文化十一甲戌年1814温泉大権現常夜燈」
「湯本温泉古伝」碑に天保七年1836植田孟縉著『日光山誌』,明治十九年1886『日光山道志留辺』の抜粋が刻んである。
湯ノ湖温泉街入口に享保十二年1727「三界萬霊▢動含識」石塔。
祭日:9月25日
湯本温泉古伝 文化十一年1814石燈籠 温泉大権現
本殿
稲荷神社 大山祇神社
安永四年1775石燈籠
石段途中 緞子湯
湯ノ湖温泉入口 享保十二年1727石塔
湯ノ湖から見た男体山
夏の湯ノ湖
  男体山 紅葉の名所
秋の早朝
戦場ケ原の石祠 戦場ケ原の石祠 戦場ケ原の山神

 

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