示現神社

[じげん神社]

栃木県日光市五十里734

主祭神:事代主命
かつて五十里海嘯と呼ばれて下流の小山市の流域でも恐れられた鬼怒川大決壊を防ぐため,藤原町五十里にダムが建設されたのは昭和三十一年であった。鬼怒川支流男鹿川右岸の段丘上にあった五十里の集落は湖底に沈んでしまうため,五十里鎮守示現神社も昭和二十七年1952に五十里336番地から現在地に移転することとなった。
山菜やきのこや山芋で食すソバのおいしい「湖畔亭ほそい」の向かいに神社解説板が立っており,その脇を上る。すぐ真上にあるかと思ったが違うようなので,引き返して靴に履き替え,山道をえんえん登ると左カーブの上の方に鳥居。もし一直線のはるか上方に鳥居が見えたら,止めにしようと思うに違いない。ここまできたら仕方ない行ってみるかという絶妙の高さに木製鳥居が建てられている。さらに上ると,やっと石段が見えてきた。かなり急な石段なので,右手から迂回できるように坂道がつくられている。
目の前に本殿。残念ながら入母屋造トタン葺きだった拝殿は倒壊してしまい,右手斜面に材木が積み上げられている。(2014/10月現在) 拝殿土台跡前に「延享四丁卯1747」石燈籠一対。
左右の奉納板絵はすでに見えない。紀元二千六百年記念鳥居建築寄附連名額が掲げられている。
本殿左手に境内社の建替えを記念して,安政六己未年1859の「奉替建雷電宮」「奉替建竜神宮」「奉替建山神社」,文化七年1810「奉造替稲荷神社」木札が立て掛けられている。愛宕神社神璽は明治x年,古峯神社神璽は昭和廿二年。
例祭:9月19日
*『下野神社沿革誌』巻七 34丁(明治三十五年1902)
鹽谷郡三依村大字五十里鎭座 村社 示現神社 祭神 事代主命 建物本社間口四尺三寸奥村四尺五寸 氏子二十七戸 本社創建不詳社域七百十六坪字居屋敷に在り

やっと鳥居が 最後の石段
延享四年1747
拝殿跡前の石燈籠 拝殿廃材 拝殿土台
左手 右手 鳥居寄附連名
安政六年1859神札
入口
案内板 案内板から登って五十里湖を
入口から五十里湖 鳥居手前から五十里湖を
ゆるいカーブの先に鳥居 旧道入口の案内板
示現神社

示現神社

[じげん神社]

栃木県日光市中三依134

主祭神:事代主命
会津西街道121号線で中三依の入口左手にある「ふるさと広場」に鎮座。道路沿いに「会津西街道みより宿・示現神社」の木製柱が立っている。脇に平成14年2002石鳥居。本殿裏手に中三依湿生園が広がる。社殿背後に三依富士。
昭和四十九年1974棟札。社殿左手に「熊野神社」。その左手の古そうな石祠は「宝永元甲申年1704」
*『下野神社沿革誌』巻七 34丁(明治三十五年1902)
鹽谷郡三依村大字中三依鎭座 村社 示現神社 祭神 事代主命 建物本社間口四尺二寸奥行四尺 末社一社 氏子三十二戸 本社創立不詳 社域五百一坪 字田の下に在り

  熊野神社
宝永元年1704 三依富士
大山祇神社

大山祇神社

[おおやまつみ神社]

栃木県日光市中三依1083

三依中学校を右手に見て進むと,真新しい「熊出没注意」の立て看板。その先に花輪山公園があり,紅葉にはまだ早い秋10月16日に1本だけモミジがさわやかに色づいていた。境内はシダにおおわれ全面緑。
平成十九年石鳥から石段を上ると社殿。神札が3枚見える。中央は「斎遷大山祇大神」。
鳥居を見下ろす
境内地払下げ記念碑 花輪山公園 ここよりも奥!
熊野神社

熊野堂神社

[くまのどう神社]

栃木県日光市上三依682

主祭神:伊弉諾命
上三依水生植物園の中に鎮座。宝暦十二壬午天1762石燈籠,安政二年1855手水石などが読める。
大イチョウの解説板に「熊野堂神社」と「堂」つきで表記されている。100年前の記録では「熊野神社」である。熊野堂と堂がつく地名があった。
*『下野神社沿革誌』巻七 34丁(明治三十五年1902)
鹽谷郡三依村大字上三依鎭座 村社 熊野神社 祭神 伊弉諾命 建物本社間口五尺奥行四尺 氏子二十二戸 本社創立不詳 社域三百三十六坪 字熊野堂に在り
安政二年1855手水石
宝暦十二壬午天1762
大イチョウ
堂々たる風格
付近の大さわら 神社裏手の七滝
大山祇神社

大山祇神社

[おおやまつみ神社]

栃木県日光市上三依474

主祭神:大山祇神
水生植物園から会津西街道121号線を北上し,道路沿いの山裾に鎮座。本殿木製祠内に「斎遷大山祇大神霊」の神札が見える。記録が見つからず詳細不詳。
大山祇大神の文字 木鳥居
少し上ると見えてくる
見下ろす 鳥居が見える 左に入る
示現神社

示現神社/山神社

[じげん神社/やま神社]

栃木県日光市芹沢224

主祭神:事代主命
三依小学校から西に進むと集落手前右手に石階が見えてくる。石段を上ると木製両部鳥居。正面に示現神社,左手にほぼ同格の山神社。両社の間に御神木の杉がすっくと立ち,根本に石祠四基。境内右手に木製祠一基。
示現神社本殿に木札が納められており「奉斎示現神社・屋根替正遷宮・天下泰平五穀成就氏子安全祈祷・文政五年1822壬午年」「奉鳥居修理工事」が読める。その後ろにも2枚はありそうだ。右の方のかすれている木札には「古峯神社講中安全祈祷」,後ろに2枚。
山神社の方は「天保十五甲辰年1844・天下泰平五穀成就村中安子孫長久祈祷」「奉斎山神社本殿改築・昭和二十七年」。昭和の祭主は報徳二宮神社宮司。
石祠のひとつに「文政三年1820辰八月吉日」
*『下野神社沿革誌』巻七 34丁(明治三十五年1902)
鹽谷郡三依村大字芹澤鎭座 村社 示現神社 祭神 事代主命 建物本社間口二尺五寸奥行二尺七寸 氏子十六戸 本社創立不詳 社域三百五十八坪を有し 字上の平に在り
示現神社 山神社
二社の間に石祠 御神木と石祠 文政三年1820
右端の木製祠 示現神社鐘
示現神社 示現神社の神札
山神社鐘
山神社棟札 神社手前のカーブから
両部鳥居
鳥居脇の道祖神 鳥居を見下ろす
薬師堂 この先に示現神社
示現神社

示現神社

[じげん神社]

栃木県日光市横川77

主祭神:味耜高彦根命
会津西街道121号線を北上し福島県との県境の少し手前の左手に「横川如意輪観音堂」が見えてくる。ここは「会津藩横川関所」があった。示現神社はここから北に数十メートル進んだ左手に鎮座。
神札が3枚見える。中央は詠みにくいが「示現大明神・迦陵頻伽・元禄十四辛巳歳1701九月吉日」などが小さい文字で書かれている。その右は「奉造宮遷鎭守示現太郎大明神一座・文政元寅年1818十二月吉朔日」,左は「昭和拾参年寅1974旧九月十九日」
昭和六十二年手水石。もうひとつ古い方の手水石は「xx十三」しか読めない。石鳥居は昭和六十三年。
*『下野神社沿革誌』巻七 34丁(明治三十五年1902)
鹽谷郡三依村大字横川鎭座 村社 示現神社 祭神 味耜高彦根命 建物本社間口一間一尺奥行一間二尺 氏子二十五戸 本社創立年月不詳 社域七十二坪を有す 字家内に在り

なんと元禄十四年1701の神札が
背後に山 右手に石祠
古い手水石 昭和の手水石
天満宮と稲荷神社 三依方向
如意輪観音堂
右手
道路沿い 横川21−3の神社
八幡宮

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県日光市独鈷沢354

主祭神:應神天皇
会津西街道121号線で中三依に入る手前の道路右側に鎮座。隣りに野岩鉄道三依変電所。東に会津鬼怒川線が走る。
石燈籠が道路沿いにあり,石段を上ると平成七年の石鳥居があり,左手直角に曲がると社殿。
棟札に「天長地久。昭和参拾壹年八月吉日改築」とある。
左手の覆屋内に境内社が9社並ぶ。「古峯神社」「大山津見命」「琴平神社」「稲荷大明神」「中井神明」「龍神宮」「伊勢神明大神宮」「最上神社」「伊勢神宮」
社殿右手に木製祠一社,裏手に石祠四基。
社殿からさらに東に上ると石祠が二基。
例祭:旧暦8月15日
*『下野神社沿革誌』巻七 34丁(明治三十五年1902)
鹽谷郡三依村大字独鈷澤鎭座 村社 八幡宮 祭神 譽田別命 建物本社間口三尺五寸奥行九尺 末社二社 氏子十二戸 本社勸請年月不詳にして社域七百十一坪 字中の内に在り

棟札
大山祇神社にも同じ奉納札があった 震災被害 境内社が並ぶ
社号が分かる 境内社 さらに上方の境内社
旧石鳥居跡か

 

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