五龍王神社

[ごりゅうおう神社]

日光市藤原1357龍王峡

主祭神[高龗神]


宇都宮市から会津西街道で鬼怒川温泉を目指す。温泉街を抜けて龍王峡のパーキングに入る。数軒の売店があり,左手に鳥居が見える。鳥居額は「五龍王神社」。
はるか下を流れる鬼怒川に向かって遊歩道を下りていくと虹見の滝展望台の岩場に小ぶりな社が鎮座している。
案内板には「主祭神 高龍命」と雨冠のない龍字で,ルビは「たかおのみこと」。「たかお」の読みが生きているので,もとは雨+口みっつ+龍文字の「高龗taka-okami」に違いない。案内板末尾の「五穀豊饒」にかかわる祈雨祈晴の神である。
ちなみに鬼怒川温泉街の高尾神社御祭神は「高龗taka-okami」と「姫龗hime-okami」。
石塔の類いは見当たらない。
五龍王は仏教の八大龍王から海に関係する難陀,跋難陀,摩那斯の3龍を引いて5にしたと考えられるが,由緒書きには「五」についての記述はない。
もとをたどれば高原山系の弁天沼の龍神を奉斎している(写真の「高原山と五龍王神社」参照)。「この像」というのは高さ10センチ程の木彫龍神像を指し,龍王峡に遷座したのは昭和4年。
龍神像が弁天沼から現在の社に奉祭されるまでの波乱に満ちた経緯は克夫さんの「鬼怒川・川治よもやまばなし」第三話「龍王祭りと龍王峡縁起」に詳しく書かれていますのでぜひご覧ください。
龍王峡ハイキングコースには白龍峡,青龍峡,紫龍峡と名付けられた峡谷がある。
石製鳥居 虹見の滝と社殿
高原山と五龍王神社 平成九年改修記念の辞
雨なし龍字
瀧尾神社

瀧尾神社

[たきお神社]

日光市・小佐越404

配神:[高龗神]

主祭神:田心姫命 境内社:三峯神社・稲荷神社
旧地名:塩谷郡藤原町大字小佐越
日光市といっても鬼怒川温泉小佐越駅の西に鎮座。合津西街道沿いで高龗神社のメッカ今市大桑,倉ケ崎,下今市につながる。
『栃木県神社誌』新版付録p.1101に「配神:高龗神」と記録されている。
一の鳥居は大正十一年1922奉納,脇に「文化十二亥天1815八月吉日・妙義山/愛宕山/秋葉山」ならびに「文政元寅1818瀧尾大權現・妙義山」石燈籠。江戸期には瀧尾大権現と称した。
一の鳥居から直進して,90度右に折れると杉の森の先に本殿。
二の鳥居は「元禄八乙亥年1695六月吉日」の貴重な石製明神鳥居。八角形の藁座が付いている。鳥居建立以前の寛永の頃1624-44に上都賀郡日光町所在の国幣中社二荒山神社の末社瀧尾神社から御分霊を勧請した。
狛犬手前に大正七年1918石燈籠。狛犬の脚の年号は平体で「文化」まで読めるのだが四年1807?,どなたか読める方きっといらっしゃるでしよう。
次の本殿前の石燈籠は「享保八天癸卯1723二月廿日」奉納。
「天保六天1835」手水石に「奉納瀧尾大權現」とある。維新に際して大權現から瀧尾神社と改称した。
『栃木県神社誌』に戊辰戦争で全戸焼かれ,さらに明治九年に再度全戸焼失し古記録は消滅してしまったとある。本殿は焼け残ったのだろう,「由緒看板」に江戸後期の建築と書かれている。この看板はとても詳しく書かれていて,感動的ですらある。本殿は写真のとおり鮮やかに着色されている。
本殿左手の石垣上に二社,石宮は「雷電宮・寛延二己巳天1749惣村中」,朱塗屋根の方は不明。そのとなりは左から「三日月不動」「富士浅間」「山大権現」ですべて「嘉永元申年1848八月朔日再建」と刻まれている。
本殿右手にも多数の境内社。嘉永元年再建の「山神社」と「辨財天」。
ほかに読めるものは「宝暦九己卯1759」石祠,「磯部太神宮・明和五戊子1768六月吉日御休所」などかなりの年代物。
木製祠では「大山祇神」が判明し,残り不明木製祠2。「三峯神社」「稲荷神社」があることが分かっているが祠を特定することはできなかった。
隣りの駅の鬼怒川温泉滝の「高尾神社」祭神は高龗神と姫高龗神である。
本殿:流造銅板瓦棒葺 例祭:11月3日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-33丁
鹽谷郡 藤原村 大字小佐越鎭座 村社 瀧尾神社 祭神 田心姫命 建物本社間口一間奥行同 氏子百三十三戸
本社創立不詳 社域六百七十一坪字前原に在り
入口の一の鳥居 解説板 文政元?1818瀧尾大権現
文化十二年1815 妙義・愛宕・秋葉山
元禄八年1695石鳥居 元禄八亥年1695
奉造立… 元禄の風格
文化四?年1807狛犬
享保八天癸卯1723 天保六天1835・瀧尾大權現
本殿
本殿左手 寛延二己巳天1749雷電宮
雷電宮 嘉永元年1848三日月不動 嘉永元年1848富士浅間
嘉永元年1848山大権現 明和五年1768礒部太神宮
御神木 本殿右手 嘉永元年1848山神社
嘉永元年1848辨財天 宝暦九年1759
読めない

 

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