青龍神社

[せいりゅう神社]

日光市本町2256

主祭神[大綿津見命]

主祭神:大海津美命 西町五社の一
旧地名:日光市四軒町2256
古くは善如寺谷にあった。昔は東照宮大祭のときに幕府から幣物が献上され,「祈晴祭」を行った。四軒町,袋町,下本町鎮守。
明治維新前には「青龍大権現」と称していた。拝殿右手の朱塗りの鳥居つき境内社は「稲荷神社」。「青面供養塔 元文四己未年1739」など石祠が並ぶ。
特筆すべきは狛犬。左前脚に「明暦四戊戊年1658六月」こちらは「吽」の方に六月が残っている。 「奉納天狗兩疋」この文字は右手「阿」の方が明瞭。脚部に「原俊左衛門x」
天狗は祈晴祭から考えると「天=雨,狗=去ぬ」だろうか。江戸の諧謔。
東照宮の狛犬が寛永十三1636で,その22年後,栃木県では相当古い方。
「龍神 天保二辛卯年十一月1831」石燈籠。
参道にも「青龍大権現 天保二辛卯年1831十一月」石燈籠
「文化十二乙亥年1815十二月」の鳥居。
祈晴祭が行われながら高龗神は記録されていない。少し上った「清瀧神社」は配神に「高龗神」。
本殿:流造鉄板瓦棒葺
例祭9月15日 正月三が日の後の日曜日に,青龍,磐裂,八幡,花石,久次良神社共同の五社祭
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻三-7丁
上都賀郡日光町大字日光四軒町鎭座 村社 ⾭龍神社 祭神 大綿津見命 本社間口二間奥行一間四尺 華表一基 石燈籠數基 氏子四十五戸
本社は往古善如寺谷にありしを此地に移遷せしと云ふ 而れとも年月詳ならす 維新前は⾭龍大權現と號し日光東照宮大祭の節は幕府より本社に幣物を献し祈晴祭を執行する古例ありて霊験著く満願すと云云 維新後社號を改めて⾭龍神社と稱し日光町四軒町袋町本町の鎭守神にして村社に列せらる 社域百五十九坪清洒の地に在り
本殿 青龍神社 稲荷神社
古い狛犬
右足の明暦四年1658 左足の明暦四年1658六月
手水石
美しい石段
青龍神社解説 四間町解説
文化十二年1815
清瀧神社

清瀧神社

[きよたき神社]

日光市・清滝1-26

配神:[高龗神]

主祭神:大海津美神
配神:高龗神[たかおかみのかみ],二荒山三神(大己貴命,田心姫命,味耜高彦根命),八坂神,稲荷神
境内社:稲倉魂命の八坂神社,素戔嗚命の稲荷神社
日光東照宮といろは坂登り口の中間に位置する。
弘仁十一年七月820空海によって創建されたとする伝説が残っていて,西南となりの清瀧寺は往古には真言系であった。
「明和二年乙酉四月x日」1766の石燈籠,その奥の2基は昭和47年。
「常夜燈 嘉永四辛亥年五月」1851
大正14年の狛犬。
御神木の杉が見物,近づくと根元から人の頭までが唖然とするほど太い。背後の白と黒の帯が滝。小栗判官に惚れた照手姫の化粧池につながる。
本殿:入母屋造 幣殿:亜鉛葺 拝殿:入母屋造亜鉛葺 例祭:5月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 清滝大権現 清滝 清滝寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻三-6丁
上都賀郡日光町大字清瀧番塲鎭座 村社 清瀧神社 祭神 大己貴命 田心姫命 味耜高彦根命 高龗神
本社間口一間一尺奥行同屋根栃葺 高欄付朱塗華表(<衣)一基 氏子六十餘戸惣代二員 社掌北山又一郎同町大字所野住
本社創立は嵯峨天皇の御宇弘仁十一年820八月にして沙門空海の勸請なり 社域七百二十四坪淸瀟の地にあり 社寶には空海の揮毫せし神號の扁額及ひ天海大僧正の手書の棟札を藏す
手入れが行き届いている 由来書 雨龍の文字
さすが日光,英語も。
明和四年の燈籠 嘉永四年 滝と瀧を区別している
Seiryuji瀧をリュウと読んでいる 左手の堂が清瀧寺跡地
磐裂神社

磐裂神社

[いわさく神社]

日光市・安川町6-28

主祭神:磐裂神
226 旧地名:日光市大工町 西町五社の一
大工町と板挽町の鎮守。虚空蔵菩薩を奉斎し星宮と称した。維新に際し磐裂神社と改称。
二荒山神社の真南で大谷川を見下ろす崖の上に鎮座。石垣脇を山からの清流が大谷川に向かって音立てて流れ込んでいく。湿度が保たれることにもよるのか一面緑の苔に覆われた清々しい神社。
「寛保元酉天1741」石鳥居。「宝暦十三癸未歳1763」石燈籠に「虚空蔵尊前」。
境内には多数の石塔・石像が並んでいる。巨大なものもある。
庚申塔が多い。寛政十年1798辨財天,道祖神もある。
祭日:9月12日 正月三が日の後の日曜日に,青龍,磐裂,八幡,花石,久次良神社共同の五社祭
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 三巻-8丁
上都賀郡日光町大字日光字大工町鎭座 村社 磐裂神社 祭神 磐裂神・根裂神  建物本社間口四尺奥行同 氏子百三戸 本社創立年月詳ならす 往時は星宮と稱し中古本地虚空藏堂を安置し大工町板挽町の氏神として崇敬せり 明治二年1869社號を改めて磐裂神社と稱す 社域百六十六坪瀟洒の地に在り
虚空蔵尊前
宝暦十三1763
大谷石製
日光西町五社の一
稲荷神社
本殿裏手
裏手右端の石宮
左:天保二年1831庚申塔 右:安永五年1776庚申供養塔 享保二十年1735?石宮
道祖神も 大工町坂上若者中
文政四年1821庚申塔 青面金剛
明和元年1764庚申塔 享保十三年1728青面金剛
中央:聖徳太子
西から
境内北
八幡

八幡宮

[はちまんぐう/はちまん神社]

日光市・本町2045-1

主祭神:譽田別命 西町五社の一
日光開山の祖勝道上人によって創建される。青龍神社の先,田母沢御用邸の向かい側。神仏分離で「神社」に変えさせられた。鳥居額は二枚とも「八幡宮」なので,もう八幡宮でいいのではないだろうか。社号標は神社。
本殿前の寛文八戊申年1668石鳥居に「奉寄進正八幡宮御寶前石鳥居心願成就如意満足所」
六角型燈籠は「元和三丁巳1617」の貴重品。 東となりに延命地蔵尊,奥に釈迦堂。 元禄九年1696,正徳二年1712,享保四年1719,享保五年1720の庚申供養塔。摩利支尊天,⾭面金鋼など。
  祭日:9月15日 正月三が日の後の日曜日に,青龍,磐裂,八幡,花石,久次良神社共同の五社祭
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 三巻-7丁
上都賀郡日光町大字日光原町鎭座 村社 八幡宮 祭神 譽田別命 建物本社間口一間半奥行同 拜殿間口二間半奥行四間 神饌殿間口四間半奥行三間 末社三社 氏子八十九戸
社傳に曰く本社は天平神護二年766勝道上人本地に草庵を結ひ吉田諸淸に命して神祇を祈請せしむ 而るに或夜夢に天上に聲ありて丸石飛來りて止る 是則ち八幡自在王なり 此所に鎭まりて永く國家を守護せんと告るあり 故に本社を飛石八幡と斎ひ祀りて社殿を建てゝ崇敬す 后屡神殿を修理し寛永1624~44年間徳川将軍崇敬して本社を造營し爾來幕府の修繕社となり人民益々尊敬せり 社域三百廿八坪にして境内には古杉老檜蓊蔚として頗る雅致あり
大通り沿い 一の鳥居 八幡宮
二の鳥居 八幡宮 寛文八戊申年1668
大正十一年1922狛犬右端:享和元年1801
六角型燈籠解説 元和三丁巳1617
鳥居左手に神輿庫? 天満宮
本殿左手 本殿左手
本殿 本殿右手の境内社
小さい狛犬
地蔵堂方向
右端:享和元年1801 大通り沿いに鳥居 八幡神社
多数の石塔 元文三年1738
青面金剛など 享保四年1719庚申塔 摩利支尊天
釈迦堂の門 釈迦堂案内 釈迦堂
釈迦堂 殉死の墓 延命地蔵大士
延命地蔵尊解説 地蔵尊から八幡宮 境内の巨木
花石

花石神社

[はないし神社]

日光市・花石町1954

主祭神:少彦名命 西町五社の一
弘仁810~824年間の創建。往古日光連山十八峯の神をまとめて当社に祀ったところから「十八王子」と称した。本殿前の弘化三年午1846円柱に十八王子と刻まれている。維新に際し花石神社と改称。鳥居額は「華」の字。120号線向かいにある蓮華石から花石になるのでどちらでもいいのだろう。八幡宮のすぐ西の住宅街に鎮座。
正保1644~48年間には徳川家光が社殿を改築。
樹齢800年を超すケヤキが凄まじい。直径は大型の乗用車が隠れる。岩だといわれれば,そう思うだろう。杉の古木は樹齢約600年。
本殿左手に本社創建の後に祀られた熊野神社,昭和51年1976創建の山の神。
多数の庚申塔が並ぶ。読めるもので寛文九己酉天1669,天明五年1785,文化十一年1814,弘化五年1848,嘉永五年1852など。
若山牧水歌碑。家光の臣下梶定良の愛馬焼伽羅の碑。 祭日:9月19日 正月三が日の後の日曜日に,青龍,磐裂,八幡,花石,久次良神社共同の五社祭
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 三巻-8丁
上都賀郡日光町大字日光字花石鎭座 村社 花石神社 祭神 少彦名命 建物本社間口一間半奥行一間 拜殿間口二間半奥行二間 氏子三十戸 本社は往時十八王子の神と稱し蓮花石村の氏神なりしか明治二年1869神號を花石神社と改め村社に列せらる 社域三百四十九坪淸洒の地に在り
大杉と本殿
西町五社の一
十八王子 熊野神社 山の神
右:本殿
寛文九己酉天1669 得大勢至菩薩 公民館
華石神社 若山牧水歌碑
大通りから
花石神社 花石町公民館 焼伽羅の碑
焼伽羅の碑解説 焼伽羅の碑本文
■花石神社のケヤキ・大杉
ケヤキ解説
車の後部が見える 車の前部は見えない
花石神社のスギ解説
付近の稲荷神社
久次良

久次良神社

[くじら神社]

日光市・久次良町160

主祭神:味耜高彦根命 境内社:伊勢神宮・春日大社・稲荷神社
西町五社の一
延喜四年904中臣清仁によって創建される。久次良大明神と称し,維新に際し久次良神社と改称。
本殿右手に嘉永七寅年1854愛宕大権現。 平成16年「創建千百年記念石積工事いちい植樹銅板」が玉垣に取り付けられている。
石段上り口の嘉永元年申1848石燈籠に「荒澤不動明王・男體山大権現」,明治二十二年1889手水石。
鳥居脇に多数の庚申塔。文政五年1822,文政十一年1828,文化十二年1815,文化十四年1817,天保六年1835などが読める。
例祭:10月19日 正月三が日の後の日曜日に,青龍,磐裂,八幡,花石,久次良神社共同の五社祭
本殿
伊勢神宮
稲荷神社・春日大社 御神木切株
創建千百年記念石積工事
嘉永七寅年1854愛宕大権現
石塔多数
荒澤不動明王・男體山大権現 文化十二年1815
鳥居右手
大きな敷石 手水石
社務所 付近の薬師堂の碑
水神宮

水神宮

[すいじんぐう]

日光市・安川町6-37

日光の町の大通り121号線を二荒山神社入口の斜め向かいあたりから南に小路を入ると左手角に鳥居。この先に上記磐裂神社。不届き者が鳥居の直前に駐車していて正面から撮影できなかった。
本殿右手に円形の「辨財天」,裏面に「本町一丁目」と彫られている。右端は大正十二年1923「水神宮」,中央は弁財天を表す梵字。
境内奥に観音堂。沼尾観音講奉納の石燈籠。石宮一基。お堂右手に明治十八年1885不動尊。
右端:水神
辨財天 観音堂 観音様
不動尊

 

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