北野神社

北野神社

[きたの神社]

日光市・山内2317

主祭神:菅原道真公
二荒山神社の末社。寛文元年1661筑紫安楽寺の大鳥居信湯憂によって創建された。
元文五庚申年1740再建の本殿。安永四年1775石燈籠。安永六天1777石燈籠。寛政四?年1792らしい石鳥居。
神橋から瀧尾神社に向かう瀧尾道の途中に鎮座。
例祭:8月25日
北野神社解説 寛政四頃の鳥居
本殿
元文五庚申年1740 道真公に牛である
鳥居右手 車道からは見えにくい
手掛石
■手掛石[てがけいし]
北野神社から北に瀧尾神社に向かう途中の右手にある。解説板に「北野神社に詣でた帰りに」とあるのは,ここより上に庵を構えていた修行者にとって,ということか。
敷石の道には「これより瀧尾道」と刻まれた自然石道標。「史跡探訪路・神橋〜瀧尾神社」標識は近年に建てられたもの。途中には寛文五年1665または寛文十一年1671供養塔や倒れた石碑が隠れている。
■「延宝六年1678」建立の「神馬の碑」
このあたりの大杉は文明八年1476に日光山第四十四世貫主昌源が植えた数万本の中から生長したもので「昌源杉」と呼ばれ,樹齢500年を超える。
これより瀧尾道 史跡探訪路 この右手に車道がある
手掛石 手掛石解説
巨杉多数 さらに山側に遺構 寛文五か十一
瀧尾神社まで続く石敷 神馬の碑解説
神馬の碑
開山堂

開山堂

[かいさんどう]

日光市・山内2307

右手の大きな建物が「開山堂」で左手の鳥居のあるお堂が「観音堂」,その間を入って右手に「勝道上人の墓」がある。山の絶壁は「仏岩[ほとけいわ]」でくぼみに梵天,帝釈天,不動明王など6基。
輪王寺観音堂は参の宮,香車堂,将棋っ駒などと呼ばれ,安産を祈願する。左手の池の中に陰陽石。
ほんの少し北に上がった道沿いに「宝永五年1708地蔵堂常夜灯」。もう一基の汰華塔の意味は不明,選んだ華か。「宝暦三年1753」建立で「一字一石塔」である。教典を小石ひとつに一文字ずつ書写し,多数の小石を塔の下に埋める。県内では小百の高雄荷渡神社にある。
開山会:4月1日
右:開山堂 左:観音堂 開山堂解説
観音堂 建築様式が書かれていた 観音堂解説
勝道上人の墓解説
勝道上人之塔 高弟の墓所
陰陽石 池に岩ふたつ 仏岩解説
年代不明
仏岩 仏岩上部
岩窟から 宝永五年1708地蔵堂常夜灯
宝暦三年1753 一字一石書冩妙典
深沙王

深沙王祠

[じんじゃおうし]

日光市・山内2317

神橋三差路の突き当り右手に「本宮神社」社号標があり石段が見える。その左隣りに「東照宮・輪王寺・二荒山神社参道」の石の標識が立っている。その右となり上方に「杉並木寄進碑」。20余年をかけて杉を植樹した松平正綱の二男正信が父の偉業を記念して慶安元年1648に建立した貴重品。
「自下野國日光山山菅橋 至同國都賀郡小倉村同國河内郡大澤村同國同郡大桑村 歴二十余年 植杉道之左右并山中十餘里 以奉寄進 東照宮 慶安元年1648戌子四月十七日 従四位下松平右衛門太夫正綱」
正綱没年慶安元年1648八月十日の4か月前に建てられた。杉並木の起点になることから「親碑」という。並木寄進碑と杉並木については専門家におまかせします。
石碑にある「山菅橋」とは「山菅の蛇橋[やますげのじゃばし]」のことで,深沙王に関係してくる。
勝道上人が男体山登攀を発願し大谷川を渡ろうとしたが激流に阻まれた。一心に祈ると異形の神が出現し青と赤の蛇を投げて橋のかわりとしてくれた。たちどころに鱗に山菅がからみつき足場となって川を渡ることができた,これによって山菅の蛇橋と名付けられたのが今日の「神橋」である。異形の神深沙王[じんじゃおう]は神橋正面の「深沙王祠」に祀られる。額は「深沙王」だけなので「深沙王堂」と呼ぶ人もいる。
石燈籠は「正徳二壬辰年1712」奉納。
太郎杉のすぐ左,神橋の真向いの鳥居が「深沙王」。
深沙王から神橋の先に見える朱色の小祠は「橋姫社」
神護景雲元年767まず川を渡った上人が登頂前に大谷川の北を修業場とし,二荒山大神三神を祀ったのが「本宮」の起源で,実に1250年前のことであった。それからいくたびか登頂を試み,16年の歳月をかけてやっと男体山頂上に二荒山三神を奉祀できたのは天応二年782のことであった。
神橋を望む橋のたもとに昭和51年1976建立の与謝蕪村句碑。「二荒や紅葉が中の朱の橋」(夜半叟句集),朱の字が読めなかった。読めない文字の碑を見るといつも悲しくなる。
大谷川を背に
太郎杉と深沙王
太郎杉解説 太郎杉
二荒山神社正参道方向 真向いに神橋
鳥居奥に橋姫社 写真中央に深沙王
蕪村碑 深沙王から 神橋から:中央に本宮入口
神橋〜瀧尾神社標識 本宮入口 本宮滝
東照宮入口 これが不明 杉並木寄進碑
磐裂神社

磐裂神社

[いわさく神社]

日光市・上鉢石町1114-1

主祭神:磐裂神・根裂神
天応二年782男体山登頂に成功した勝道上人が磐裂神の御加護によるものとの感謝の念から大同四年809に小祠を建て創建したとされる。解説板に「日光山最古」とあるが本宮の方が先だろう。明治四年1871星宮から磐裂神社と改称。
現行の社殿は昭和55年1980造営。昔は拝殿もあり規模はもっと大きかったようだ。
金谷ホテルに入る坂道途中右手に鎮座。道路向かいに稲荷神社。
神橋の神饌所の真裏にあたる。神饌所の方は磐裂神社でなく通称で星の宮とおっしゃっていた。東町総鎮守。坂を登ると星の宿。
「寛永十八年1641」石燈籠,「元禄十一年1698」青面金剛供養塔,「延享四年1747」青面金剛供養塔など。
祭日:7月3日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 三巻-7丁
上都賀郡日光町大字日光字星宮鎭座 村社 磐裂神社 祭神 磐裂命・根裂命 建物本社間口一間四尺奥行一間三尺 拜殿間口三間奥行二間 氏子四十三戸
本社は勝道上人日光開山の時上人自ら一刀三禮を以て彫刻せる星宮の尊像を鎭祭し其靈験遠近に傳播し群衆の男女詣せらるゝもの常に絶へす 明治四年1871社號を改め磐裂神社と稱し村社に列せらる 社域二千百坪の大境地に在り
本殿 磐裂神社額 磐裂神社解説
本殿右手 本殿左手
寛永十八年1641
こちらは星の宮
奥に星の宿 鳥居裏手の山腹に鎮座
稲荷神社

稲荷神社

[稲荷神社]

日光市・上鉢石町

主祭神:倉稲魂命[うかのみたまのみこと]
上記磐裂神社の向かい側にお堂のような覆屋が見えたので入ってみた。額に「稲荷大明神」,石鳥居もある。
詳細は不明だが「元文二年1737青面金剛供養之□」など5基あり,かなり昔から鎮座しているようだ。磐裂神社境内社かもしれない。
神橋神饌所の左隣りにある朱色屋根のお店の右脇を上る。
正一位稲荷大明神
青面金剛 元文二年1737
小玉堂

小玉堂

[こだまどう]

日光市・山内2317

空を飛んできた空海が瀧尾で修業していると池から大小ふたつの白玉が浮かんできた。小さい方の玉を虚空蔵菩薩の本尊として小玉堂を建て祀った。大の玉は中禅寺湖畔に妙見堂を建立して祀ったが,天災で失われ,いまはない。
なお,空海が日光に来たという記録はない。
小玉堂解説
高徳水

瀧尾高徳水神社

[きたのおこうとくすい神社]

日光市・山内2317

主祭神:罔象女命[みつはのめのみこと]
二荒山神社の末社。昭和52年1977県知事が藤原町高徳に創建した新しい神社。平成10年1998に現在地白糸の滝前に遷宮。
『日本書紀』に「伊弉冉尊が火の神軻遇突智をお生みになって亡くなる直前に,土神埴山姫とともに水神罔象女をお生みになった」と書かれている。「罔象,此云美都波」と音読の注がついているので,現在の通り読みは[みずは]でなく[みつは]になっている。『古事記』の表記は「弥都波能売神」
詳細はこのページ最上部の「おかみ考」をご覧いただきたい。
例祭:10月10日
子を背負っている
右手の山林 苔むした岩多数

 

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