本宮神社

本宮神社

[ほんぐう神社]

日光市・原宿646

主祭神:味耜高彦根命 境内社:熊野神社
旧地名:今市市・小百/河内郡豊岡村大字原宿
天文1532~55年間に日光二荒山神社より御分霊を勧請して創建。
小百田舎そば店から東に原宿そば店に続く道の途中左手に「文政三庚辰年1820」石鳥居。柱両側の手水石に見えるのは旧鳥居の亀腹。脇に「文化三丙寅歳1806男體山」。建物は社務所兼原宿公民館。
登り口に旧鳥居柱。幅の狭い急な石段がずっと上まで一直線に伸びている。たいした距離ではないのだが,ずり落ちそうで怖い。戻りは山腹を下った方が安全だ。
最初の石燈籠は「昭和七八九年」と刻んである。二つめの石燈籠は「延享二己丑歳1745・本宮大權現御宝前」。本殿前に「天明二壬寅天1782」石燈籠。本殿左右に木製祠の境内社。
登り口の石段左手に明治十六年1883石燈籠や十九夜が並んでいる。
一の鳥居道路向かいに「一九夜念佛供養塔」二基。
例祭:11月中旬日曜日 二百十日風祭と8月1日の八朔祭に関白流獅子舞が奉納される。
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 5巻-27丁
河内郡豊岡村大字原宿鎭座 村社 *木宮神社 祭神 味耜高彦根命 建物本社間口五尺奥行七寸 末社一社 氏子十四戸
本社は字堀切の地に鎭座し社域四百十一坪を有す
*「木宮」は「本宮」の誤植。
旧鳥居亀腹
文政三庚辰年1820 文化三丙寅歳1806 登り口
旧鳥居柱 昭和七八九年石燈籠 延享二己丑歳1745石燈籠
本宮大權現御宝前 急な石段 本殿
本殿
天明二壬寅天1782石燈籠
急な角度
本殿右手の境内社
社務所 登り口左手の石塔
登り口左手の石塔 道路向かいに十九夜
山神社

山神社

[やま神社]

日光市・佐下部362 さげぶ

旧地名:今市市・豊田/河内郡郡豊岡村大字佐下部
主祭神:大山祇命 境内社:八坂神社・愛宕神社
砥川の北側の道をどこまでも行くと左フラワーパーク,右日光オリーブの里の看板のある分岐に至る。右手に入ってオリーブの里より手前の右側に沢があり,鳥居が隠れている。上の方に本殿。ここはどの本にも載っていないうえに民家もまったくなくて詳しいことは分からない。雷電神社を探していて偶然発見した。
鳥居の額束に刻まれているのは「山神」だろう。奉納年はくっきりと「文化二乙丑1805ノ四月吉祥日」と彫られている。カタカナのノ付きはとても珍しい。左の柱にも「金三両二分・惣村中」と貴重な文字が。200年以上前で石燈籠建立に3両以上かかったことが分かる。
本殿前に「寛政十午天1798」石燈籠。本殿には石像が祀られていて,「奉納大山祇命山神社祈祷札」があり,社号が分かった。「栗原祭主」とある栗原は東の隣町で,同じく「山神社」を奉祭する。左の木札はかすれているが「なんとか奉造建山神寶塔一宇除輿樂なんとか・乙巳二月吉日」と読める。宝塔がどれか分からないが,明治三十八年1905か。
本殿右手に「嘉永七年1854」石燈籠が一対あり,石宮が二基祀られている。幸い神札が納められており,左手が「八坂神社」,右手が「愛宕神社」である。地蔵尊も一基。
本殿 山神社の文字
寛政十午天1798石燈籠 本殿右手
嘉永七年1854 愛宕神社の文字
見落しそうだ
山神
文化二乙丑1805 金三両二分
屋根が見える 脇の渓流 流れの向こうに社
佐下部には「雷電神社」が『下野神社沿革誌』に記録されているがまだ発見できない。
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 5巻-26丁
河内郡豊岡村大字佐下部鎭座 村社 雷電神社 祭神 大雷神
建物本社間口三尺奥行四尺 末社一社 氏子十四戸 兼社掌手塚源一郎 本社創立年月詳ならす 往時は摂社なりしも明治五年1872村社に列せらる 社域二十坪あり
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

日光市・小百1397 こびゃく

主祭神:倉稲魂命
旧地名:今市市・小百/河内郡豊岡村大字小百
砥川ぞいに日光フラワーパークに向かって進むと左手に一字一石塔のある高雄神社があり,そこを超えてしばらく行くと左手に小さな鳥居が見える。進行方向を向いて小祠が建てられており,鳥居は道を向いている。
本社の左手に旧社殿と石燈籠が残されている。
ここからさらに進むと左手に高雄二渡神社がある。
本殿左手
愛宕神社

愛宕神社

[あたご神社]

日光市・小百1816 こびゃく

主祭神:火産霊命
旧地名:今市市・小百/河内郡豊岡村大字小百
平家の落武者が住み着いて赤松を名乗り代々重兵衛,庄兵衛を交互に襲名した。江戸期には庄屋を務める。寛政元年1789赤松家の氏神を小百に寄進し小百鎮守とした。御神体は白馬にまたがる勝軍地蔵。
梅雨時で鳥居をくぐると谷になっているので水浸し。石燈籠があり朱塗の木製祠があるが,おそらく遥拝所。本殿は山の上にあるようだ。苔むした踏み石が上まで続いているがすべってしまうので断念。つぎの機会までお待ちください。
堂々たる石燈籠は「宝暦九己卯1759」,左の行に「寛政五年1793」と彫ってあるのは再建した年か。柱の足もとの方に赤松重兵衛・同重藏の文字が読める。
最初の右手の石燈籠は「天保八年1837」。つぎの一対は「明治三十八年1905」,右手に隠れている二基は十九夜供養塔。 例祭:1月24日
愛宕山大權現 宝暦九己卯1759と寛政五年1793
石燈籠3基 右手下に
遥拝殿だろうか
ここを登れば本殿 この上に本殿
道路方向 宝暦九己卯1759と寛政五年1793
旗杭
旗杭脇 鎮座の山
稲荷神社

五社稲荷神社

[ごしゃいなり神社]

日光市・小百1895 こびゃく

主祭神:倉稲魂命 配神:大己貴命・保食之命・大宮姫命
旧地名:今市市・小百/河内郡豊岡村大字小百
小百の交差点から少し西に入ったところに朱色の鳥居。巨大な岩を背に本殿。明治二十年1887の守護札に「奉再建五社正一位稲荷大明神」。祭神は倉稲魂命とは別に稲荷神を数えて五柱のようだ。明治三十一年1898棟札に「奉再建正一位稲荷大明神家門繁栄祈所」とある。
明治初年の神仏分離令に「明神」を変更するべしとは書いていないのだが栃木県では拡大解釈して明神は消滅した。明治三十五・六年1902-03刊行の『下野神社沿革誌』には「明神・権現」号はゼロである。
しかし当所ではお上に忖度せず明神号を使用している。石見坪で奉斎。

本殿
脇の小流

 

 日光の神社目次へ 
 ページトップ