二荒山神社

[ふたあらさん神社]

日光市・文挟町456

主祭神:味耜高彦根命・大己貴命・田心姫命 境内社:稲荷神社2社・八坂神社・愛宕神社・粟島神社・石尊神社・子ノ神社・神名宮
旧地名:今市市・文挟町御殿地
創立等詳細不詳。征夷大将軍に任じられた源頼朝が近隣六十六ヶ村を日光三社に寄進して,村ごとに神塚を築かせて日光三社を勧請した,そのひとつと伝わる。
境内左手に,愛宕,粟島,神明,八坂神社。右手に小さい方の稲荷,自然石の三光,石尊,子之神社。五重の塔は昭和56年奉納。
昭和三年1928石鳥居の左手に大正十年1921石燈籠。二の鳥居は木製両部鳥居。
右となりの立派な境内社は稲荷神社。慶応三年1867狛犬,手水石に見えるがおそらく石鳥居跡一対,灯籠の笠と土台一対が稲荷神社に附属する。
例幣使街道を文挟駅から北上して突き当たり,カーブの角に鎮座する。往時は宿場町であった。ここを通る大名は必ず参詣するに違いない立地である。見ることはできないが本殿に徳川に関係する三葉葵の社紋が彫られているという。
鳥居左手には杉の巨木が聳えている。この巨大さからすると杉並木の植林された杉とは別に,それ以前から生えていたのかもしれない。となりの木造建築は江戸末期に建てられた「文挾宿郷倉」
手前の石碑は左から「神田寄付記念碑・大正十年1921」「境内地譲与記念碑・昭和二十四年1949」
鳥居脇の「震災復興記念碑」は1949年12月26日に北西10キロの鶏鳴山付近を震源とする「今市大地震」からの復興を後世に伝えるために建立された。
祭日:1月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 3巻-13丁
上都賀郡落合村大字文鋏(挟)鎭座 村社 二荒山神社 祭神 大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命 建物本社間口二間奥行同 末社八社 氏子三十四戸
本社創立不詳 社域五百五十二坪字御殿地の高燥の地にあり
つぎは土沢の次に掲載されていて,つづいて長畑,板橋,岩崎が記録されているので,このあたりのどれかに該当するが確定できない。また,一社なのか二社なのかは分からない。別当,神主は無記名。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 男体大権現星宮大明神
二の鳥居 両部鳥居 二荒山神社
右手
稲荷神社 稲荷神社本殿
稲荷神社前
慶応三年1867狛犬 境内左手
4社 右手
4社
左は例幣使街道 震災復興記念碑
宿郷倉
杉の巨木
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

日光市・小代1071-1

主祭神:経津主命 境内社:八坂大神・稲荷神社(豊受姫命)
旧地名:今市市・小代梶内
寛永元年1624香取神宮の御分霊を勧請して創建。寛政五年1793小代村明細帳が残っていて,そこに「鎭守星宮」と記録されている。1800年前後の『鹿沼聞書』に「星宮大明神」,文政二年1819『大願成就百村百社』に「星宮大權現」,明治六年1873『神社調簿』に「村社星宮大神」と記録されている。
「明神・権現」の称号の違いは記録者の趣向によるものとしか思えなくなってくる。
維新後に「星宮神社」と改称させられた社がほとんどなので,明治六年に「大神」で載っている『神社調簿』なるものをぜひ拝見したいのだが適わない。『大願成就百村百社』はガイドブックのようなものか,調べたが分からなかった。
愛宕神社,日光三社を合祀したと伝わる。
明治四十五年1912社号標。その右手の天保十年1839石燈籠に「星宮大明神」,「文政三年1820男體山」「境内地譲与記念碑」明治四十五年1912百年記念植樹碑。
寛政十二年1800石鳥居。拝殿前に「元文二丁巳天1737施主拾人」石燈籠。
本殿がみごと。上屋の高いところに格子があって隙間が狭く,腕を伸ばして勘で撮影してみたところ着色に魅せられて全面撮ってみた。ご覧のとおりの彫刻と着色。
境内の杉は日光杉並木の余った苗木を植えたというが,この半世紀の間に切り倒されたようだ。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 星宮大明神
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 3巻-14丁
上都賀郡落合村大字小代鎭座 村社 星宮神社 祭神 經津主命 磐裂命 根裂命 建物本社間口三間奥行二間半 饌殿間口二間奥行二間半 末社一社 氏子七十二戸
本社は寛文元年1661正月七日の創建にして下總國一之宮香取神社の御分靈を遷し勸請せし社にて社域百三十二坪字梶内の清洒の地に在り
寛政十二年1800の風格 苔むした参道
大きいので全部撮影できない 本殿
着色がみごと
左側面 左側面上部 背面上部
川を挟んで虎と童子 脇障子にも 右側面上部
右側面 正面 元文二年1737石燈籠
元文二丁巳天施主拾人
境内右手 二社
参道 鳥居方向
入口 星宮大明神
植樹記念碑 読めない 星宮神社標識
浅間

富士浅間神社

[ふじせんげん神社]

日光市・小代48

主祭神:木花咲耶姫命
例幣使街道で文挟駅のすぐ北の信号を左斜めに進んでほどなく,右手の切り通しの上に鎮座。明治六年1873奉納の石燈籠一対があり石宮が祀られている。さらに頂上まで登ってみたが何もなかった。
詳しいことは分からない。
笹に埋もれていた
何かあった? 明治六年1873
左手に鎮座 背後の山 頂上には何もなかった
稲荷

稲荷神社

[いなり神社]

日光市小代255-8

旧地名:今市市小代
主祭神:倉稲魂命
東武日光線下小代駅の南300mの線路沿いに鎮座。西300mに小代行川庵。詳しいことは分からない。
宝暦二壬申1752石燈籠。 登り口左手上の石燈篭に「正一位稲荷大明神御宝前」
道路挟んで東側に下小代二組集会所があり,下ったところに石像七基。元文二巳天1737など石像七基。
右手に石祠
狛犬
宝暦二壬申1752石燈籠
正一位稲荷大明神御宝前 下小代二組集会所
元文二巳天1737 行川方向

 

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